2023/09/28 - 2023/09/28
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キャンサー50さん
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「歴史と文化の散歩道」は、都内に残されている歴史的・文化的資源を系統的に結ぶ散歩道として、昭和58年から平成7年にかけて東京都が整備しました。
小石川寺町散歩コースは、「歴史と文化の散歩道」の中の池袋コースの一部です。
東京メトロ丸の内線茗荷谷駅近くから都営地下鉄三田線春日駅まで約2.4㎞の散歩道です。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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茗荷谷駅から東京メトロの線路沿いに南に進むとある、切支丹屋敷跡。
禁教時代にキリシタンが集められた場所です。
正保3年(1646)、惣目付で宗門改役・井上政重の下屋敷内に牢や番所を建てたもので、屋敷というよりも収容所に近い施設でした。切支丹屋敷跡 名所・史跡
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茗荷谷駅から春日通りを少し南下したところを左折するとある団子坂。
名前の由来は、昔は坂の下に団子屋があったからという説と、急な坂なので雨降りの日に転ぶと泥まみれの団子のようになるからという説があります。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の中にも団子屋の話が出てきます。 -
団子坂近くにある「石川啄木終焉の地」碑。
明治44年、啄木は家族と共に本郷の喜之床からこの地に移り、翌年肺結核で啄木は26歳で生涯を終えました。石川啄木終焉の地 名所・史跡
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「石川啄木終焉の地」碑の隣にある、石川啄木顕彰室。
石川啄木終焉の地 名所・史跡
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ガラス張の小さな部屋の中に、啄木関係の資料が展示されています。
石川啄木終焉の地 名所・史跡
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その顕彰室の前にあった歌碑。
遺品から見つかった「最後の歌」の原稿が掲げられています。石川啄木終焉の地 名所・史跡
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団子坂の南に平行して下る播磨坂。
グリーンベルトのある広い坂で、春の桜も名所です。
桜並木は見事。播磨坂 名所・史跡
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播磨坂のグリーンベツトにある「高橋泥舟 山岡鉄舟 旧居跡」。
高橋家は享保5年(1720)、山岡家は文化8年(1811)以降この地に移り住んだものと思われます。
維新で活躍した「維新の三舟」のうち、2人がここに住んでいたのは偶然なのでしょうか?播磨坂 名所・史跡
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播磨坂沿いのマンションの敷地内にある極楽水。
了誉聖冏上人が伝通院の前身となった庵を応永22年(1415)当地に草創、龍に仏法を授けた報恩として名水を授かったと伝えられる湧き水です。
弁天堂があり、その下に池のような場所がありのですが、猛暑のせいか、訪問時は枯れはてていました。播磨坂 名所・史跡
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極楽水のあるマンションの裏手にある宗慶寺。
徳川家康の側室阿茶局の隠居寺でした。宗慶寺 寺・神社・教会
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宗慶寺にある茶阿局の墓碑です。
茶阿局の墓は、清澄白河にある雲光院にあります。宗慶寺 寺・神社・教会
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播磨坂を下った先にある新福寺。
近藤勇や土方歳三が隊士募集で江戸に来た時、一時滞在した場所です。
16歳の夏目漱石が下宿していた寺でもあります。新福寺 寺・神社・教会
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新福寺本堂。
新福寺 寺・神社・教会
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播磨坂下にある小石川植物園。
江戸幕府によって開園された小石川御薬園が前身の日本最古の植物園です。
約16万㎡の広さで、見ごたえがあります。小石川植物園 公園・植物園
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小石川植物園の東側を園に沿っても上る御殿坂。
坂の上、もともと白山神社があった跡地に白山御殿と呼ばれる屋敷があり、御殿坂という名になったといいます。御殿坂 名所・史跡
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小石川植物園の南方にある慈照院。
江戸中期の遊侠人、辰巳屋惣兵衛の墓があります。
仮面をつけて踊る「狂言神楽」を創案し、江戸市民の人気を集めたそうです。慈照院 寺・神社・教会
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慈照院近くの念速寺。
念速寺 寺・神社・教会
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念速寺本堂。
念速寺 寺・神社・教会
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念速寺の墓地には、日本における最初の特志解剖志願者でわが国の近代医学の発展に大きな貢献をした「美幾女」が眠っています。
念速寺 寺・神社・教会
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念速寺からさらに南下した文京区立井上公園内にある井上哲次郎宅跡。
井上哲次郎(1855~1944)は日本の哲学者、詩人です。
旧宅は第二次大戦で焼失しましたが、書庫であった土蔵が残っています。 -
さらに南、春日通り近くまで戻ったところ、伝通院前にある福聚院。
江戸時代から有名で、甲子の日に参れば商売繁盛、金運に恵まれるといわれ賑わったそうです。
所有の大黒天座像は鎌倉時代の作と伝わります。
門を入ったところにあるとうがらし地蔵は、ぜん息に苦しむ人々が祈願すると治り、お礼にとうがらしを供えるようになったと伝わっています。福聚院大黒天 名所・史跡
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伝通院の前にあった処静院跡の石柱。
処静院は伝通院の境内にあった子院で、新選組の前身・浪士組が結成され、ここから京に上りました。
現在はこの石柱のみが残っています。 -
石柱の近くに「処静院跡」の説明板もありました。
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この散歩のメインスポット、伝通院です。
徳川将軍家の菩提寺です。伝通院 寺・神社・教会
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伝通院本堂。
伝通院 寺・神社・教会
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徳川菩提寺ということで、墓地の奥のほうに、徳川家家人の墓が沢山あります。
こちらは徳川家康の生母、於大の方の墓。伝通院 寺・神社・教会
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二代将軍秀忠の娘、千姫の墓。
伝通院 寺・神社・教会
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三代将軍家光の正室、孝子の墓。
伝通院 寺・神社・教会
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その他、大きな墓石の墓が一箇所に集中してあり、若干恐ろしさを感じるくらいでした。
伝通院 寺・神社・教会
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伝通院の境内・墓地案内図。
徳川家関係の他にも有名人が多くいます。
清河八郎の名前を見つけて、ちょっと驚き。
この人、徳川家菩提寺にいてしかるべき人でしたっけ?伝通院 寺・神社・教会
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伝通院前の道を東へ進むと、道にはみ出るようにあるムクノキ。
説明板もある名木のようです。
樹高約13m、目通り幹回り約5m、樹齢400年位。善光寺坂のむくのき 名所・史跡
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ムクノキの裏にある幸田露伴宅跡。
この散歩道のルート地図に「幸田露伴宅跡」とありますが、説明板等は無し。
家の表札に「幸田・青木」とありましたので、ここがそうだと思いましたが、跡ではなく現在もご子孫がお住まいになっているのではないでしょうか。 -
ムクノキの隣にある慈眼院沢蔵司稲荷。
慈眼院は、元和6年(1620に伝通院塔頭寺院として現在地に創建されました。
のち、住職が境内に沢蔵司稲荷を祀りました。慈眼院 沢蔵司稲荷 寺・神社・教会
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慈眼院本殿。
本殿まわりには、「芭蕉」や「滝澤公雄」、「杉崎月香翁」の句碑などがあります。慈眼院 沢蔵司稲荷 寺・神社・教会
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本殿右手に谷のようになったところがあり、多くの赤い鳥居の先にあるのが沢蔵司稲荷です。
慈眼院 沢蔵司稲荷 寺・神社・教会
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慈眼院の隣にある善光寺。
徳川家康の生母、於大の方の念持仏を本尊として、慶長7年(1602)に開創されました。小石川善光寺 寺・神社・教会
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善光寺から伝通院へ上っていく坂が善光寺坂です。
前述のムクノキもこの坂の途中にあります。善光寺坂 名所・史跡
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最期の目的地、春日駅近くにある源覚寺。
「こんにゃくえんま」と呼ばれています。
宝暦(1751~1764)の頃、老婆の眼病を閻魔大王が自身の右目を与えて治し、老婆は感謝して好物の「こんにゃく」を断ち、供え続けたことが由来です。源覚寺(こんにゃくえんま) 寺・神社・教会
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源覚寺閻魔堂。
本堂前には閻魔様の顔の絵が置かれ、その前には奉納されたこんにゃくが山積みされていました。源覚寺(こんにゃくえんま) 寺・神社・教会
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源覚寺境内にある毘沙門天堂。
「小石川七福神」のひとつです。源覚寺(こんにゃくえんま) 寺・神社・教会
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同じ境内の塩地蔵。
お地蔵様の体に塩をつけてお祈りすると、体の同じ部分の病気が治るといわれています。
ということで、お地蔵様は塩に埋もれています。
小石川は記事を書いた以外にも小さなお寺がたくさんある街でした。
伝通院や小石川植物園など、徳川家ゆかりの場所が多いとも感じました。
そういえばお隣の春日も、徳川家光の乳母春日局が拝領、町屋にした場所でした。源覚寺(こんにゃくえんま) 寺・神社・教会
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