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2025年4月22日(火)夜の7時半過ぎ、水上ショーの「アオと夜の虹のパレード」が終わって帰路に就く。ウォータープラザの前を東に進むが、通路の北側、エンパワーリングゾーンの一番南側には奥からチェコ館、マルタ館、北欧館、トルクメニスタン館、バーレーン館の5つの海外パビリオンが並ぶ。<br /><br />写真があるのはトルクメニスタン館だけ。トルクメニスタン(Türkmenista)は中央アジア南西部、カスピ海の西岸南部に面した共和制国家で永世中立国。陸上は北からウズベキスタン、カザフスタン、アフガニスタン、イランと国境を接している。首都はアシガバート(Aşgabat)。<br /><br />国名はトルクメン語で「トルクメン人の土地」を意味する。トルクメンは「トルコ系の人々」や「トルコ人らしい」の意味。<br /><br />面積は約49万平方kmで国の面積順リストで51位。人口は約750万人で国の人口順リストで109位。公用語はトルクメン語だが旧ソ連だった経緯もありロシア語も通じる。通貨はトルクメニスタン・マナト(TMM)。日本との時差は4時間(遅れ)で、サマータイムは採用してない。<br /><br />トルクメニスタンは古くからシルクロードの重要な交易路の一端を担い、東西の文化が交わる場所として発展して来た。11世紀からセルジューク朝がこの地域を支配したが、13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受けて衰退した。19世紀にロシア帝国の支配下に入り、中央アジアのロシア領として統治された。<br /><br />ソビエト連邦時代には、トルクメン・ソビエト社会主義共和国として編成され、社会主義体制の下で農業集団化や資源開発が進められた。1991年、ソ連の崩壊に伴い独立し、トルクメニスタン共和国が成立。その後、初代大統領ニヤゾフ氏による独裁体制が続き、独自の政策や文化的象徴が形成されてきた。<br /><br />国土の大部分をカラクム砂漠で囲まれる形で建つ国で、カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵し、天然ガス埋蔵量は世界第5位。50年以上燃え続けている天然ガスが噴出している「地獄の門」は超有名。<br /><br />パビリオンのテーマは「Inspiring a Better Tomorrow(より良い明日を作り出す)」。建物の丸みを帯びた三角形のデザインが象徴的な天井は、循環、サステナビリティ、生命の流れを表している。パビリオンに入ると、トルクメニスタンの文化や歴史、サステナビリティに重点を置いた同国の経済発展を体験できるそうだ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.30951978521112110&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />写真がないところに付いても簡単に。<br /><br />チェコ共和国(Česká republika)は、中央ヨーロッパにある共和制国家。東西に細長い六角形に近い形の内陸国で、ポーランド、スロバキア、オーストリア、ドイツと国境を接している。首都はプラハ(Praha)。プラハに35年前に遊びに行ったことがある。先日(2025年6月)にオーストリアのウィーンからポーランドのクラクフに移動した時に利用した列車が南から北にチェコを横切ったが、途中では一切降りてない。<br /><br />国名はこの国を構成する主要民族であるチェコ人から来ており、チェコはスラヴ語で仲間や軍隊を表す「četa」、もしくは伝説的なスラヴ族の指導者である「Čech」に由来すると云われる。<br /><br />面積は約8万平方kmで国の面積順リストで115位。人口は約110万人で国の人口順リストで85位。公用語はチェコ語。通貨はチェコ・コルナ(CZK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />古代から中世にかけてはボヘミア王国として栄え、その後ハプスブルク家の支配下に入る。第一次大戦後にチェコスロバキアとして独立したが、第二次大戦でドイツに占領され、戦後はソ連の影響下で社会主義国家となる。1989年のビロード革命で民主化を果たし、1993年にチェコとスロバキアが平和的に分離独立した。?<br /><br />マルタ共和国(Repubblika ta&#39; Malta)は地中海、シチリア島の南に浮かぶ島々から成る共和制国家。首都はバレッタ(Valletta)。1798年までマルタを拠点としていたマルタ騎士団によりその名を知られる。日本では1970年にヒットしたハーブ・アルパートとティファナ・ブラス(Herb Alpert &amp; The Tijuana Brass)の「マルタ島の砂(The Maltese Melody)」が有名。行ったことはない。<br /><br />国名は紀元前1000年頃にこの島に到達したフェニキア人が古代フェニキア語で「港」や「避難所」を意味するMalet(マレット)と名付けたことから来たとか、ローマ帝国時代に豊かな蜂蜜生産地であったことからラテン語で蜂蜜を意味するMelita(メリタ)と呼んだことから来たなどの説がある。<br /><br />面積は約300平方kmで国の面積順リストで169位。いわゆるミニ国家の一つ。人口は約44万人で国の人口順リストで169位。公用語はマルタ語と英語だが、1934年まで公用語だったイタリア語も半数以上は喋れる。通貨はユーロ(EUR)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />マルタの歴史は古く、紀元前5000年頃にまで遡る。フェニキア人、ローマ、アラブ、ノルマン人、スペイン、フランスなど様々な国や勢力に支配されて来た。1800年にイギリス海軍がフランス軍を追放、事実上の英領となり、1914年のウィーン会議後、正式にイギリスの植民地として承認される。1964年に英連邦内の立憲君主制国家としてイギリスから独立し、1974年に共和制へ移行した。?<br /><br />北欧館はアイスランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの北欧5ヶ国が共同出展。<br /><br />アイスランド(Ísland)は北ヨーロッパの北大西洋上に位置する共和制国家。グリーンランドの南東方、ブリテン諸島やデンマークの自治領であるフェロー諸島の北西に位置している。首都はレイキャヴィーク(Reykjavík)。娘に行った時の写真は見せてもらったことあるが、私自身は行ったことない。<br /><br />国名はアイスランド語ではイーストラントと発音するが、英語と同じで意味は「氷の国」。9世紀にアイスランドに上陸したヴァイキングのフローキ・ビリガルズソン(Hrafna-Flóki Vilgerðarson)が沿海に流氷が浮かんでいるのを見て名付けたと云われている。<br /><br />面積は約10万平方kmで国の面積順リストで105位。メルカトル図法の地図では大きな島のように描かれるが、実際には北海道と四国を合わせた程度。人口は約40万人で国の人口順リストで179位。公用語はアイスランド語だが、英語とデンマーク語を小学校から習うため、国民の大半はトライリンガル。通貨はアイスランド・クローナ(ISK)。日本との時差は9時間(遅れ)で、サマータイムは採用してない。<br /><br />874年にヴァイキングが入植、人が島に住み始めた。その後、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびアイルランドのケルト人がフェロー諸島を経由して移住。長きに渡りノルウェーとデンマークによる支配下にあった。19世紀に入り独立運動が展開され、1874年に自治法が制定され、1918年にデンマーク国王主権下の立憲君主国、アイスランド王国として独立。1944年に共和国として完全な独立を果たした。<br /><br />デンマーク(Danmark)は北ヨーロッパに位置し、バルト海と北海に挟まれたユトランド(Jylland)半島およびその周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家。陸上で国境を接するのはユトランド半島南側のドイツのみ。<br /><br />首都はシェラン島(Sjælland)のコペンハーゲン(København)。海外領土でない領土を大陸部分に領有しながら首都が島嶼部に存在する国は、デンマークと赤道ギニアのみ。コペンハーゲンにはトランジット除き3度行ったことがある。同じシェラン島のフレデンスボー(Fredensborg)やヘルシングエーア(Helsingør)や隣のフェン島(Fyn)のオーゼンセ(Odense)にも。ユトランド半島のビルン(Billund)にあるレゴランド(LEGOLAND)にも2回行ったことある。<br /><br />国名はデンマーク語の発音ではダンマルクになるが、古ノルド語で「デーン人の土地」を意味するDanmörk(ダンメルク)から来ており、北欧神話にもこの名で登場している。デーン(Daner)は「谷間」を意味している。<br /><br />海外領土含まない面積は約4.3万平方kmで国の面積順リストで130位。人口は約600万人で国の人口順リストで112位。公用語はデンマーク語。通貨はデンマーク・クローネ(DKK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />ユトランド半島とその東側の島々にいたノルマン人の一派のデーン人が9世紀後半に建国。15世紀にはカルマル同盟の盟主で、北欧で最大の勢力を持つ大国だったが、16世紀にはスウェーデンが分離し、17世紀の三十年戦争頃から衰退し始めた。<br /><br />1864年のデンマーク戦争で、ユトランド半島南部を失い、その後は「外で失ったところを内で取り戻そう」というかけ声の下、国内の未開拓地の開拓運動を開始し、成功した。独自の酪農を主体とした農業を柱とした小国として独自の存在感のある小国として存続している。<br /><br />スウェーデン王国(Konungariket Sverige)は北ヨーロッパのスカンディナヴィア(Skandinaviska)半島に位置する立憲君主制国家。スカンディナヴィア半島の東側を占め、西側のノルウェーと半島付け根でフィンランドと国境を接している。南のオーレスン(Öresund)海峡を挟んだデンマークとは2000年に開通したオーレスン橋(Öresundsförbindelsens)で結ばれるようになった。<br /><br />首都はストックホルム(Stockholm)。ストックホルムにはトランジット除き2回行ったことがある。ヘルシングボリ(Helsingborg)やルンド(Lund)にその周りのスコーネ(Skåne)地方の古城なども回ったこともある。<br /><br />国名のスウェーデンは英語名から来たもので、スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)で、中世以降、北欧を拠点にバイキングとして活動していたスヴェーア族(Svenskar)の国を意味する。<br /><br />面積は約45万平方kmで国の面積順リストで54位。人口は約1100万人で国の人口順リストで89位。公用語はスウェーデン語。通貨は欧州連合(EU)に加盟しているが、ユーロでなくスウェーデン・クローナ(SEK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />10世紀頃にノルマン人が建設した国。14世紀にカルマル(Kalmar)同盟に属し、デンマーク・ノルウェーと同君連合となり、事実上デンマークの支配を受けた。1523年にに独立、17世紀には全盛期となってバルト海全域を支配しバルト帝国と云われた。18世紀にロシアとの北方戦争に敗れて領土を縮小、19世紀初めにはナポレオン戦争に敗れて大国の地位を退き、中立政策を採るようになった。<br /><br />ノルウェー王国(Kongeriket Norge/Noreg)は、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島西岸に位置する立憲君主制国家。半島の東側はスウェーデンで、その北でフィンランドとロシアと国境を接している。首都はオスロ(Oslo)。<br /><br />ベルゲン(Bergen)からグドヴァンゲン(Gudvangen)に走り、ソグネ(Sogne)フィヨルドをフェリー渡ってフロム(Flåm)に行き、山岳電車の旅を楽しんだ後、オスロに出て、そこからスウェーデンに向かうドライブ旅行をしたことがある。<br /><br />国名のノルウェーも英語から来たもので、ノルウェイ語ではNoreg(ノルゲ)。かつてノルウェーやアイスランドなどで話されていた古ノルマン語のNorðr(北)とVegr(道)が組み合わさった言葉で、「北方への道」を意味する。これはスカンジナビア半島からグリーンランドへ向かう航路、北航路の途中にある国と云うことでこの呼び名になった。<br /><br />面積は約38万平方kmで国の面積順リストで61位。人口は約5500万人で国の人口順リストで117位。公用語はノルウェー語とサーミ語。通貨はノルウェー・クローネ(NOK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />5世紀頃からヴァイキングが住んでいた地で、8世紀末から西ヨーロッパも進出を始める。872年にハーラル1世(Harald fairhair)がノルウェー統一を達成。しかし11世紀にはヴァイキング時代は終焉を迎え、その後長い間内戦が続く。1397年にカルマル同盟が成立し、デンマークの支配下となる。1814年にナポレオン戦争でデンマークはスウェーデンに敗れ、スウェーデンに割譲されるが、内政面は自治権を得る。そして1905年に完全独立を果たした。<br /><br />フィンランド共和国(Suomen tasavalta)は、北ヨーロッパ、バルト海東岸に位置する共和制国家。西北部でスウェーデン、北部でノルウェー、東部でロシアと国境を接する。首都はヘルシンキ(Helsinki)。ヘルシンキとタンペレ(Tampere)に仕事で行ったことがある。<br /><br />フィンランドは公用語の一つになっているスウェーデン語の国名で、「フィン人の国」を意味する。古代ローマの歴史家タキトゥス(Tacitus)の記録に登場する「フェンニ(Fenni)」がフィン人の語源になったことは間違いないが、その由来は不明。フィンランド語での国名はSuomi(スオミ)で、「湖沼・沼地」を表すSuo(スオ)に由来すると云われている。<br /><br />面積は約34万平方kmで国の面積順リストで65位。人口は約550万人で国の人口順リストで114位。公用語はフィンランド語とスウェーデン語。国民の9割以上がフィン人でフィンランド語を母国語とするが、5%強がスウェーデン系でスウェーデン語を母国語とする。フィンランド人の友人がいるが、彼はスウェーデン系。通貨はユーロ(EUR)。日本との時差は7時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。<br /><br />フィン人の祖先は現在のロシアのヴォルガ川周辺から移入したと云われ、他の西欧語系民族とほとんど関係してない。12世紀に北欧十字軍がスウェーデンからフィンランドへ侵攻し、スウェーデンがフィンランドの実効支配者となる。19世紀初期にフィンランド戦争でロシア帝国がスウェーデンに勝利し、ロシア統治下に置かれる。1917年のロシア革命に乗じて独立を果たした。西側世界寄りでありながらも、長い国境を持つロシアとの関係を重視し、中立的な状態を保っている。<br /><br />最後はバーレーン。バーレーン王国(Mamlakat al-Bahrayn)は、西アジア・中東、サウジアラビアとカタール沖のペルシア湾の島々からなる立憲君主制国家。1986年にサウジアラビアとの間に全長25㎞の海上橋が建設され、アラビア半島と陸路で繋がっている。首都はマナーマ(Al-Manāmah)。行ったことない。<br /><br />国名ははアラビア語で「二つの海」という意味で、確定していないが、島が複数の水域・海域に囲まれていること、また水源としての淡水と周囲を囲む海水の2種類が存在する環境に因むとされている。<br /><br />面積は約760平方kmで国の面積順リストで177位。人口は約150万人で国の人口順リストで155位。公用語はアラビア語。通貨はバーレーン・ディナール(BHD)。日本との時差は6時間(遅れ)で、サマータイムは採用してない。<br /><br />かつてはディルムン文明(Dilmun)と呼ばれるエジプト文明やシュメール文明に匹敵する文化の中心地であったと云われている。15世紀ごろまでは真珠の産地だった。18世紀にアラビア半島から移住したハリファ家(Khalifa)が首長となり、19世紀末にイギリスの保護領となる。1971年に独立、議会が設置されたこともあるものの、実際はハリファ家を首長とする独裁政治が続いたが、2002年に絶対君主制から立憲君主制へ移行した。<br /><br />また、このブロックから調和の広場に進むと、写真にあるようにオーストリア館やコロンビア館など並んでいるが、このブロックは後日行った2回目の訪問で改めて行ったので、その時に触れることとする。<br /><br /><br />最後、東ゲートに向かうが続く

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ちふゆ

ちふゆさん

2025年4月22日(火)夜の7時半過ぎ、水上ショーの「アオと夜の虹のパレード」が終わって帰路に就く。ウォータープラザの前を東に進むが、通路の北側、エンパワーリングゾーンの一番南側には奥からチェコ館、マルタ館、北欧館、トルクメニスタン館、バーレーン館の5つの海外パビリオンが並ぶ。

写真があるのはトルクメニスタン館だけ。トルクメニスタン(Türkmenista)は中央アジア南西部、カスピ海の西岸南部に面した共和制国家で永世中立国。陸上は北からウズベキスタン、カザフスタン、アフガニスタン、イランと国境を接している。首都はアシガバート(Aşgabat)。

国名はトルクメン語で「トルクメン人の土地」を意味する。トルクメンは「トルコ系の人々」や「トルコ人らしい」の意味。

面積は約49万平方kmで国の面積順リストで51位。人口は約750万人で国の人口順リストで109位。公用語はトルクメン語だが旧ソ連だった経緯もありロシア語も通じる。通貨はトルクメニスタン・マナト(TMM)。日本との時差は4時間(遅れ)で、サマータイムは採用してない。

トルクメニスタンは古くからシルクロードの重要な交易路の一端を担い、東西の文化が交わる場所として発展して来た。11世紀からセルジューク朝がこの地域を支配したが、13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受けて衰退した。19世紀にロシア帝国の支配下に入り、中央アジアのロシア領として統治された。

ソビエト連邦時代には、トルクメン・ソビエト社会主義共和国として編成され、社会主義体制の下で農業集団化や資源開発が進められた。1991年、ソ連の崩壊に伴い独立し、トルクメニスタン共和国が成立。その後、初代大統領ニヤゾフ氏による独裁体制が続き、独自の政策や文化的象徴が形成されてきた。

国土の大部分をカラクム砂漠で囲まれる形で建つ国で、カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵し、天然ガス埋蔵量は世界第5位。50年以上燃え続けている天然ガスが噴出している「地獄の門」は超有名。

パビリオンのテーマは「Inspiring a Better Tomorrow(より良い明日を作り出す)」。建物の丸みを帯びた三角形のデザインが象徴的な天井は、循環、サステナビリティ、生命の流れを表している。パビリオンに入ると、トルクメニスタンの文化や歴史、サステナビリティに重点を置いた同国の経済発展を体験できるそうだ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.30951978521112110&type=1&l=223fe1adec

写真がないところに付いても簡単に。

チェコ共和国(Česká republika)は、中央ヨーロッパにある共和制国家。東西に細長い六角形に近い形の内陸国で、ポーランド、スロバキア、オーストリア、ドイツと国境を接している。首都はプラハ(Praha)。プラハに35年前に遊びに行ったことがある。先日(2025年6月)にオーストリアのウィーンからポーランドのクラクフに移動した時に利用した列車が南から北にチェコを横切ったが、途中では一切降りてない。

国名はこの国を構成する主要民族であるチェコ人から来ており、チェコはスラヴ語で仲間や軍隊を表す「četa」、もしくは伝説的なスラヴ族の指導者である「Čech」に由来すると云われる。

面積は約8万平方kmで国の面積順リストで115位。人口は約110万人で国の人口順リストで85位。公用語はチェコ語。通貨はチェコ・コルナ(CZK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

古代から中世にかけてはボヘミア王国として栄え、その後ハプスブルク家の支配下に入る。第一次大戦後にチェコスロバキアとして独立したが、第二次大戦でドイツに占領され、戦後はソ連の影響下で社会主義国家となる。1989年のビロード革命で民主化を果たし、1993年にチェコとスロバキアが平和的に分離独立した。?

マルタ共和国(Repubblika ta' Malta)は地中海、シチリア島の南に浮かぶ島々から成る共和制国家。首都はバレッタ(Valletta)。1798年までマルタを拠点としていたマルタ騎士団によりその名を知られる。日本では1970年にヒットしたハーブ・アルパートとティファナ・ブラス(Herb Alpert & The Tijuana Brass)の「マルタ島の砂(The Maltese Melody)」が有名。行ったことはない。

国名は紀元前1000年頃にこの島に到達したフェニキア人が古代フェニキア語で「港」や「避難所」を意味するMalet(マレット)と名付けたことから来たとか、ローマ帝国時代に豊かな蜂蜜生産地であったことからラテン語で蜂蜜を意味するMelita(メリタ)と呼んだことから来たなどの説がある。

面積は約300平方kmで国の面積順リストで169位。いわゆるミニ国家の一つ。人口は約44万人で国の人口順リストで169位。公用語はマルタ語と英語だが、1934年まで公用語だったイタリア語も半数以上は喋れる。通貨はユーロ(EUR)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

マルタの歴史は古く、紀元前5000年頃にまで遡る。フェニキア人、ローマ、アラブ、ノルマン人、スペイン、フランスなど様々な国や勢力に支配されて来た。1800年にイギリス海軍がフランス軍を追放、事実上の英領となり、1914年のウィーン会議後、正式にイギリスの植民地として承認される。1964年に英連邦内の立憲君主制国家としてイギリスから独立し、1974年に共和制へ移行した。?

北欧館はアイスランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドの北欧5ヶ国が共同出展。

アイスランド(Ísland)は北ヨーロッパの北大西洋上に位置する共和制国家。グリーンランドの南東方、ブリテン諸島やデンマークの自治領であるフェロー諸島の北西に位置している。首都はレイキャヴィーク(Reykjavík)。娘に行った時の写真は見せてもらったことあるが、私自身は行ったことない。

国名はアイスランド語ではイーストラントと発音するが、英語と同じで意味は「氷の国」。9世紀にアイスランドに上陸したヴァイキングのフローキ・ビリガルズソン(Hrafna-Flóki Vilgerðarson)が沿海に流氷が浮かんでいるのを見て名付けたと云われている。

面積は約10万平方kmで国の面積順リストで105位。メルカトル図法の地図では大きな島のように描かれるが、実際には北海道と四国を合わせた程度。人口は約40万人で国の人口順リストで179位。公用語はアイスランド語だが、英語とデンマーク語を小学校から習うため、国民の大半はトライリンガル。通貨はアイスランド・クローナ(ISK)。日本との時差は9時間(遅れ)で、サマータイムは採用してない。

874年にヴァイキングが入植、人が島に住み始めた。その後、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびアイルランドのケルト人がフェロー諸島を経由して移住。長きに渡りノルウェーとデンマークによる支配下にあった。19世紀に入り独立運動が展開され、1874年に自治法が制定され、1918年にデンマーク国王主権下の立憲君主国、アイスランド王国として独立。1944年に共和国として完全な独立を果たした。

デンマーク(Danmark)は北ヨーロッパに位置し、バルト海と北海に挟まれたユトランド(Jylland)半島およびその周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家。陸上で国境を接するのはユトランド半島南側のドイツのみ。

首都はシェラン島(Sjælland)のコペンハーゲン(København)。海外領土でない領土を大陸部分に領有しながら首都が島嶼部に存在する国は、デンマークと赤道ギニアのみ。コペンハーゲンにはトランジット除き3度行ったことがある。同じシェラン島のフレデンスボー(Fredensborg)やヘルシングエーア(Helsingør)や隣のフェン島(Fyn)のオーゼンセ(Odense)にも。ユトランド半島のビルン(Billund)にあるレゴランド(LEGOLAND)にも2回行ったことある。

国名はデンマーク語の発音ではダンマルクになるが、古ノルド語で「デーン人の土地」を意味するDanmörk(ダンメルク)から来ており、北欧神話にもこの名で登場している。デーン(Daner)は「谷間」を意味している。

海外領土含まない面積は約4.3万平方kmで国の面積順リストで130位。人口は約600万人で国の人口順リストで112位。公用語はデンマーク語。通貨はデンマーク・クローネ(DKK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

ユトランド半島とその東側の島々にいたノルマン人の一派のデーン人が9世紀後半に建国。15世紀にはカルマル同盟の盟主で、北欧で最大の勢力を持つ大国だったが、16世紀にはスウェーデンが分離し、17世紀の三十年戦争頃から衰退し始めた。

1864年のデンマーク戦争で、ユトランド半島南部を失い、その後は「外で失ったところを内で取り戻そう」というかけ声の下、国内の未開拓地の開拓運動を開始し、成功した。独自の酪農を主体とした農業を柱とした小国として独自の存在感のある小国として存続している。

スウェーデン王国(Konungariket Sverige)は北ヨーロッパのスカンディナヴィア(Skandinaviska)半島に位置する立憲君主制国家。スカンディナヴィア半島の東側を占め、西側のノルウェーと半島付け根でフィンランドと国境を接している。南のオーレスン(Öresund)海峡を挟んだデンマークとは2000年に開通したオーレスン橋(Öresundsförbindelsens)で結ばれるようになった。

首都はストックホルム(Stockholm)。ストックホルムにはトランジット除き2回行ったことがある。ヘルシングボリ(Helsingborg)やルンド(Lund)にその周りのスコーネ(Skåne)地方の古城なども回ったこともある。

国名のスウェーデンは英語名から来たもので、スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)で、中世以降、北欧を拠点にバイキングとして活動していたスヴェーア族(Svenskar)の国を意味する。

面積は約45万平方kmで国の面積順リストで54位。人口は約1100万人で国の人口順リストで89位。公用語はスウェーデン語。通貨は欧州連合(EU)に加盟しているが、ユーロでなくスウェーデン・クローナ(SEK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

10世紀頃にノルマン人が建設した国。14世紀にカルマル(Kalmar)同盟に属し、デンマーク・ノルウェーと同君連合となり、事実上デンマークの支配を受けた。1523年にに独立、17世紀には全盛期となってバルト海全域を支配しバルト帝国と云われた。18世紀にロシアとの北方戦争に敗れて領土を縮小、19世紀初めにはナポレオン戦争に敗れて大国の地位を退き、中立政策を採るようになった。

ノルウェー王国(Kongeriket Norge/Noreg)は、北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島西岸に位置する立憲君主制国家。半島の東側はスウェーデンで、その北でフィンランドとロシアと国境を接している。首都はオスロ(Oslo)。

ベルゲン(Bergen)からグドヴァンゲン(Gudvangen)に走り、ソグネ(Sogne)フィヨルドをフェリー渡ってフロム(Flåm)に行き、山岳電車の旅を楽しんだ後、オスロに出て、そこからスウェーデンに向かうドライブ旅行をしたことがある。

国名のノルウェーも英語から来たもので、ノルウェイ語ではNoreg(ノルゲ)。かつてノルウェーやアイスランドなどで話されていた古ノルマン語のNorðr(北)とVegr(道)が組み合わさった言葉で、「北方への道」を意味する。これはスカンジナビア半島からグリーンランドへ向かう航路、北航路の途中にある国と云うことでこの呼び名になった。

面積は約38万平方kmで国の面積順リストで61位。人口は約5500万人で国の人口順リストで117位。公用語はノルウェー語とサーミ語。通貨はノルウェー・クローネ(NOK)。日本との時差は8時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

5世紀頃からヴァイキングが住んでいた地で、8世紀末から西ヨーロッパも進出を始める。872年にハーラル1世(Harald fairhair)がノルウェー統一を達成。しかし11世紀にはヴァイキング時代は終焉を迎え、その後長い間内戦が続く。1397年にカルマル同盟が成立し、デンマークの支配下となる。1814年にナポレオン戦争でデンマークはスウェーデンに敗れ、スウェーデンに割譲されるが、内政面は自治権を得る。そして1905年に完全独立を果たした。

フィンランド共和国(Suomen tasavalta)は、北ヨーロッパ、バルト海東岸に位置する共和制国家。西北部でスウェーデン、北部でノルウェー、東部でロシアと国境を接する。首都はヘルシンキ(Helsinki)。ヘルシンキとタンペレ(Tampere)に仕事で行ったことがある。

フィンランドは公用語の一つになっているスウェーデン語の国名で、「フィン人の国」を意味する。古代ローマの歴史家タキトゥス(Tacitus)の記録に登場する「フェンニ(Fenni)」がフィン人の語源になったことは間違いないが、その由来は不明。フィンランド語での国名はSuomi(スオミ)で、「湖沼・沼地」を表すSuo(スオ)に由来すると云われている。

面積は約34万平方kmで国の面積順リストで65位。人口は約550万人で国の人口順リストで114位。公用語はフィンランド語とスウェーデン語。国民の9割以上がフィン人でフィンランド語を母国語とするが、5%強がスウェーデン系でスウェーデン語を母国語とする。フィンランド人の友人がいるが、彼はスウェーデン系。通貨はユーロ(EUR)。日本との時差は7時間(遅れ)で、3月末から10月末までは1時間早いサマータイムを採用している。

フィン人の祖先は現在のロシアのヴォルガ川周辺から移入したと云われ、他の西欧語系民族とほとんど関係してない。12世紀に北欧十字軍がスウェーデンからフィンランドへ侵攻し、スウェーデンがフィンランドの実効支配者となる。19世紀初期にフィンランド戦争でロシア帝国がスウェーデンに勝利し、ロシア統治下に置かれる。1917年のロシア革命に乗じて独立を果たした。西側世界寄りでありながらも、長い国境を持つロシアとの関係を重視し、中立的な状態を保っている。

最後はバーレーン。バーレーン王国(Mamlakat al-Bahrayn)は、西アジア・中東、サウジアラビアとカタール沖のペルシア湾の島々からなる立憲君主制国家。1986年にサウジアラビアとの間に全長25㎞の海上橋が建設され、アラビア半島と陸路で繋がっている。首都はマナーマ(Al-Manāmah)。行ったことない。

国名ははアラビア語で「二つの海」という意味で、確定していないが、島が複数の水域・海域に囲まれていること、また水源としての淡水と周囲を囲む海水の2種類が存在する環境に因むとされている。

面積は約760平方kmで国の面積順リストで177位。人口は約150万人で国の人口順リストで155位。公用語はアラビア語。通貨はバーレーン・ディナール(BHD)。日本との時差は6時間(遅れ)で、サマータイムは採用してない。

かつてはディルムン文明(Dilmun)と呼ばれるエジプト文明やシュメール文明に匹敵する文化の中心地であったと云われている。15世紀ごろまでは真珠の産地だった。18世紀にアラビア半島から移住したハリファ家(Khalifa)が首長となり、19世紀末にイギリスの保護領となる。1971年に独立、議会が設置されたこともあるものの、実際はハリファ家を首長とする独裁政治が続いたが、2002年に絶対君主制から立憲君主制へ移行した。

また、このブロックから調和の広場に進むと、写真にあるようにオーストリア館やコロンビア館など並んでいるが、このブロックは後日行った2回目の訪問で改めて行ったので、その時に触れることとする。


最後、東ゲートに向かうが続く

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