2025/07/20 - 2025/07/20
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Tomoさん
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大阪の日本遺産を巡る旅。日根野から日根荘遺跡・火走神社、難所である土丸城跡、雨山城跡をたどります。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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関空快速に乗って関西空港の手前、日根野までやってきました。泉佐野市です。
日根野駅 駅
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初めて下車しましたが、南海沿線とは異なり静かな印象です。
日根野駅 駅
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日根野駅前から犬鳴山行きの南海バスに乗って、上大木というバス停で下車しました。
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上大木で降りると、すぐ前に火走神社という、いかにも古そうな神社があります。神職が火の上を走り渡る神事があったことが、社名の由来なのだそう。
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日根荘入山田村の総社で、火の神である軻遇突智(カグツチ)を祀る。
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摂社の幸神社は室町時代の建物といわれ、国の重要文化財に指定されています。
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長床を思わせる割拝殿。山間部の農村で、中世の日根荘として開発された歴史的にも重要な一帯であることから、重要文化的景観に含まれています。
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割拝殿から鳥居を見る。鳥居前の道は犬鳴山から和歌山の粉河を結ぶもので、車の往来も多い。
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割拝殿の木組みが素晴らしい。大阪でこのような建築物が残っているというのは貴重ですね。
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火走神社から少し歩いて、大木地区にやってきました。能勢で見られるような日本遺産にふさわしい風景が広がっています。
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このあたりには鎌倉時代、九条家によって開発された荘園がありました。石垣を用いて段々畑のように田んぼが造成されています。
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中世荘園の様子を今に伝える寺社、城跡、ため池、水路などが「日根荘遺跡」として国の史跡に指定されています。当時の領主であった九条政基が4年間滞在していた長福寺はここにあったそうです。
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大木地区の中央には案内板が設置されていました。国が指定する重要文化的景観に含まれるのが分かる、素晴らしい風景です。
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田んぼが広がる大木地区。これから日根荘遺跡に含まれる土丸城に登り、山の上からこの景色を眺めたいと思います。
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下大木バス停から5分ではありますが、土丸までバスを利用します。
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土丸で下車し、土丸城跡への入口にある極楽寺に立ち寄りました。九条家文書に記されていて、中世以来、民衆の信仰対象になっているようです。
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阪和自動車道の下にある土丸城跡への登城口。
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さっそく本格的な山道に入っていきます。
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分岐道に差し掛かります。これを左に進むのが正解ルートなのですが、この先もかなり険しそうです。
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ハイキングコースではあるものの、あまり有名ではないようで、きれいに整備されているかというと・・・
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鉄塔広場に着きました。
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送電塔を下から見上げます。遠くから見ることはあっても、近くから見ることは少ないですよね。
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土丸城跡への案内があります。ここから何分かかるのか・・・?
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山がますます深くなってきました。
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岩肌の上を進んでいきます。過去の城跡の中でもかなり上位の難易度です。
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行き違いすら厳しい細い岩肌の道。まるで修験道のようです。
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休憩できる広場に着きました。塩分・水分補給していきましょう。
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広場から見る泉佐野の市街地。快晴ではありませんが、真夏の快晴の日に来たら危険なので、これでよし。
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傾斜が凄い道を進んでいきます。土丸城跡まではあと少しです。
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土丸城の本丸に着きました。いや~さすがにしんどかったですが、ここまで来た達成感は凄いものがあります。
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忠魂碑が建っていました。土丸城は南北朝時代、北朝と南朝で争いを繰り広げた舞台の1つです。
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土丸城は1347年、和泉国守護であった高師泰から命じられ日根荘の武士であった日根野盛治によって築城されました。
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土丸城跡から雨山城への道が続いています。今度は下り坂になるようですね。
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木々に囲まれた道を進んでいきます。雨山城跡までも厳しい道のりが続きそうです。
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土橋のような細い山道が続きます。ここまで誰ともすれ違っていません。
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岩肌の道から土丸城跡の方を見返ります。そして、感動の景色が待っていました。
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先に訪れた日根荘大木の展望スポットに着きました。
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関西空港の玄関口とは思えない絶景が広がります。九条政基の日記「政基公旅引付」に描かれる日根荘は、大木地区の荘園時代以来、変わらぬ農村景観を今に伝えています。
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まるで火山の火口のように山に囲まれた、日根荘大木の農村景観。長い歴史の中で人々の手で維持された貴重な景色です。
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右上に最初に訪ねた火走神社があります。きつかったけれど、ここまで来てよかった。
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展望スポットを過ぎ、山道を進むと雨山城の遺構、井戸跡がありました。
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千畳敷跡に着き、いよいよ雨山の山頂が近くなってきました。
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平らに造成された広い敷地。南朝との戦いではここに兵を駐屯していたのでしょうか。
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月見亭という休憩スペース。きれいなベンチとテーブルが設置されていて、きれいな景色を眺めながらお弁当等を食べるのは最高ですね。しかし、この暑さでは無理か。。
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木の根がむき出しになった険しい道が続く。建物らしきものが見えてきました。あと少しか。
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雨山山頂に着きました。雨山城は標高312mの場所に築かれた山城です。
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土丸城は北朝の足利尊氏の命によって築城されたのに対し、こちらは南朝の楠木氏一族の橋本正高が築城したとされています。
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山頂に設けられた避難小屋。かなり体力を奪われたので、ここで休憩していきましょう。
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大阪府の天然記念物に指定された樹齢200年以上のヤマモモ。
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山頂には鎮座する雨山神社。古くから雨乞いの山として信仰を集めているそうです。
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下り道、「一町」の石碑がありました。「丁」と書かれることが多いですが、一丁は約109mです。
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山頂から少し下ったところにある馬場跡。ここは木々がなく、見晴らしがよくなっています。
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ふもとには、ため池や田んぼが広がります。大阪とは思えない緑が豊かな場所で、その先には泉佐野の市街地があり、さらに奥に関西空港が見えます。
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ふもとへの道の途中に古そうな鳥居が建っていました。虎口にあたる場所ですね。
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岩肌が石段のようになった山道。下りは足元に十分に注意して。
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四町の石碑。最近作られたものだと思いますが、歴史ある道を彷彿とさせてくれますね。
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雨山から先に登ると、土丸への道が下りになって険しさが増すため、個人的には土丸から登ってきて正解だったと思います。
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阪和自動車道の下をくぐって雨山城跡への入り口に着きました。土丸バス停から休憩を繰り返しながら3時間でした。
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成合口バス停に到着しました。あ~無事に戻ってこれてよかった。南海バスで熊取駅前まで向かいます。
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熊取駅から区間快速で天王寺まで戻ります。熊取始発なので、ゆっくり座って帰ることができました。日本遺産・日根荘の構成資産はこれでまだ半分。いつか残りの遺産も巡りたいと思います。
熊取駅 駅
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