2025/06/01 - 2025/06/01
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スネフェルさん
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30年ぶりくらいに道後にやってきました。
当時の印象はもはや希薄ですが、こんなに栄えていたっけ?ってのが第一印象。
しゃれた店が増え、洒落たスイーツを出す店が沿道一派愛に展開し、昔ながらの土産等を売る店の影が薄くなっていました。
とはいえ、それはネガティブなことではなかく、魅力的な場所へと進化した、と言えると思います。
30年前と今とでことなるのは「みきゃん」の存在感かと。
元々「いよかん」で有名な愛媛ではあったものの、ポンジュースをはじめとした「みかんジュース」の存在感は以前とは段違い。
みかん関連のスイーツは、その甘酸っぱさから完成度は高い。
全て食べるとオーバーカロリーになってしまう。
甘さに飽きたら「じゃこ天」の店が出現。
完璧です。
さて、そんな道後ですが、隣接地に「湯築城」跡があります。
ここを支配したのは河野氏。
源平合戦以来の名門でありながら、戦国大名にはなれず、土豪のまま終わった一族。
土豪とは言っても、律令官としては「主典」の官位を持っていた(織田家はその一つ上の判官)ので、それなりの官位ではあった名家。
湯築城は本丸付近が山城、その周辺に掘を巡らせた構造です。
この城が独特なのは、本丸を囲むように楕円状に堀が設け枯れている点。
本丸と周辺の掘割との間に目立った障害物は設けられていません。
この構造だと、外郭の一か所を突破されれば、即本丸に押し寄せられますし、どこを攻めるかは攻め手が自由に選択できます。
つまり、攻城戦術が発達した戦国期の戦では、防御力はそれえほど高くはありません。
とはいえ、室町期までの中世の戦術であれば有効な城であったとはいえるでしょう。
その意味では、戦国期に入る前の築城思想を今に伝える貴重な城と言えるでしょう。
いまは公園として整備され、子供の歓声が響く地になっています。
防御力が低いことが公園として整備する上で容易だったゆえ、この城の遺構が残されたのかもしれません。
その意味ではこの設計は悪い選択ではなかったのでしょう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
空港からのリムジンバスで道後温泉駅に到着。
バスの色は「みかん」色 -
バスから降りたら目の前には「坊ちゃん」電車
-
道後温泉境への入口はバス停の目の前
-
バス停から右を見れば伊佐爾波神社への一本道。
今回はパスしました。 -
さて、湯築城へ向かいます。
バスの来た方向へ戻りますが、数分で城域に到着します -
湯築城の案内図。
四角形状の縄張りの城が一般的ですが、ここは楕円。
一見すると「貝のようにも見えます」 -
外郭の外に広がる掘割。
縄張りは戦国期以前のようであっても、掘の幅は戦国期の城の様に広いです。
ただ、深さはあまり深くはないようです -
と、堀を眺めていると「坊ちゃん電車」が通貨。
道を歩いていた子供に乗務員さんが手を振っていました。
サービス精神旺盛! -
搦手門に到着。
搦手はいわゆる裏門ですが、観光のメインはこちらになるようで、大手門がわにこのような看板はありませんでした -
城の看板。
新しすぎて、味が無い・・・ -
搦手から城域に入ります
-
湯築城の説明文
-
搦手門の説明文
-
同・搦手門の説明文
-
入ってすぐに資料館がありましたが、あまりめぼしい資料はありませんでした。
ただ、湯築城では青磁器を日常で使ていた、というのが知れたのは良かったです。
青磁器は当時の高級食器。
今でいえば、マイセンの食器でラーメンを食べているような感覚でしょうか。
財力があったことが伺えます。
とはあいえ、財力があっても天下が取れるわけではない、という証左のよおうな資料でもありました。 -
家臣の屋敷を再現したものが資料館の隣にありました
-
人形の服は当時を再現したものでしょうが、なんとなく、鎌倉・室町期のイメージです。
金はあったものの、最先端の文化と価値観を取り入れて戦術を変更する、とおうことができなかったことを表しているような気になりました -
こちらは下級武士の屋敷の再現。
面白いことに城域内に下級武士と上級武士の屋敷があったようです。
家臣の数が少なかったゆえでしょうが、城塞都市っぽい考え方だったのは、日本国内でも独特とは思います。
宿舎が城域内にあるのは北海道の陣屋(例えば白老町・伊達藩陣屋)等では見られますが、日本の城では珍しい。
それだけ、周辺に敵が多かった、ということでしょうか -
外郭と内郭の間を仕切る堀にはっ土塁が設けられています
-
この土塁、高さはそれほど高くはありません。
とはいえ、ここに土塁を設けると本丸を攻めるときの遮蔽物になってしまいます。
弓矢で狙われた時に避けることができる機能を提供してしまいます。
鉄砲の普及した戦国期ではなおさらです。
戦国期以前の戦では有効だったのかもしれませんが・・・ -
水路の部分の土塁はカットしたようです。
恐らく、公園整備の時でしょう -
上級武士の屋敷跡
-
上級武士の屋敷跡から内堀を挟んだ本丸方面を見る。
ごつごつした岩肌が見えます -
ゴミ捨て場跡。
現代的な価値観では考えられないのですが、「ごみ」を敷地内に捨てていたようです。
貝塚的な考え方でしょうか・・・
「ごみ」も戦と時、役に立たつ物資になるからでしょうか・・・ -
北東方面に向かうと、岩肌がよりはっきりわかります
-
大手門から上級武士の屋敷域を隠す目的もあった遮蔽土塁。
上級武士の屋敷域に直通できないようにするため、とありました。
防御力を高めるため、ともありましたが、城攻めの際は目指すは本丸なので、大手門の横に土塁を設けて外郭を守る意味が良くわかりませんでした。
搦手側にはこの種の土塁は無かったようですし。
「格」を高めるのには役にたっても、「機能」を高めるのには役にはたたなかったでしょう。
その意味で、戦国期に作られた城郭は非常に「合理的」です -
大手門跡。
ただの公園入口にしか見えません(事実、そうですが・・・) -
大手門の説明文
-
大手門側から本丸へ向かいます
-
本丸域には鳥居があります。
本丸跡にはよく神社があるので、それと同じ神社でしょうか? -
いや、違いました。
説明文によると「大蛇」を祀っています。
この大蛇、村人を丸呑みし、暴れまわっていたようです。
でも、神社ができたら静まった、というのも不思議。
蛇や龍は川の象徴でもあります。
近くには石手川が流れています。
この川が昔は暴れ川で、この神社のおかげで静まった、ということを象徴しているのでしょうか? -
神社の階段が独特。
扇上ですが、右手の先は森になっています。 -
階段は丸石でできています。
恐らく川石。
ここに祀られている大蛇と川の関連を伺わせます -
中腹ほどに社がありました。
祠クラスで小さいものです -
さらに上に上ります
-
ここからはコンクリート製の階段
-
テラス状の踊り場。
看板等はありませんが、ここには櫓がああったと推定されます -
著上が見えてきました
-
本丸頂上には展望台
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展望台から松山市方面の景色
-
展望台から道後温泉方面の景色
-
さて、戻ります。
-
本檀という箇所らしいです。
文献上、地名はあるものの、河野氏の時代の遺構は出てこなかったとのこと、
用途不明な場所のようです -
さらに下ります
-
杉の檀という場所。
この付近は二の丸にあたります -
杉の檀の説明文
-
立派な木です。
廃城になってからの年月を感じます -
外郭まで降りてきました
-
外堀の曲線が美しい。
城としての機能はさておき、堀の曲線は美しく感じます -
外堀。
水の流れがあり、外部から水が引き込まれているようです -
松山市のマンホール
-
赤穂浪士ゆかりの木
播州赤穂から送られたハゼの木とあります -
赤穂浪士の一部は切腹前、松山藩に預けられていたのですね。
とはいえ、一般に知られる浪士に対する松山藩の扱いは当時から非難されていたものでした。
赤穂からの感謝の木、とされていますが、これは疑わしい。
当時の藩主が「武士の鏡」とされた浪士を粗略に扱った非難をかわすために、藩内での「プロパガンダ」のために設けた「作られた美談」でしょうね、これは。 -
道端のマンホールの蓋に「坊ちゃん電車」を発見
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これは道後温泉本館かな?
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これは松山城ですね
-
道後温泉駅まで戻ってきました
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道後温泉に向かいます。
きれいなアーケードです -
道後温泉域の案内図
-
入ってすぐにアイス屋を発見。
あつかったのでアイスをゲットします -
ミカンアイスにはミカン餅が付属。
暑い日の甘酸っぱいアイスは美味でした。 -
道後温泉商店街。
-
T字路を秘儀に曲がると道後温泉本館。
左手に見えるのは「椿の湯」 -
む!
道後温泉内にガンダムマンホールが! -
道後温泉本館が見えてきました
-
道後温泉本館
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威風堂々という表現がぴったり。
天井の鐘楼っぽい作りが独特 -
ちょっと引いたアングルから
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かまぼこ屋を発見
-
じゃこ天を頂きました。
揚げたてで熱々! -
足湯カフェもありましたが、足だけでなかう、全身を浸けることにします
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椿の湯に入りました。
入浴料450円。
リーズナブルです -
まだまだ商店街は奥がありそうですが、パス
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椿の湯全景
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帰り道、気になる店を発見
-
その名もラムネ豆。
気になったので買ってみます -
豆の外郭をラムネ味の衣で包んだものでした。
ラムネ好き&豆好きなので、美味でした! -
またまた美味そうな看板が・・・
ミカンビールか・・・ -
おしゃれな外観で、若いおねーちゃんとカップルが多数。
おっさん、気後れすることなく突撃 -
ミカンジュースでビールを割ったものでした。
果肉がビールの中で泳いでいました。
美味!
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