2025/01/18 - 2025/02/23
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montarouさん
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2025年の1月18日に日本を出発し、チリとアルゼンチンを訪れ、2月23日に帰国した。サンチャゴを経由してからプエルトモントで一泊し、翌日にプエルトナタレスに着き、パイネ山塊を訪れた。23日にバスで国境を越え、エル・チャルテンのフィッツロイ山塊を散策した。27日はカラファテに戻り、28日にブエノスアイレス経由でイグアスに向かった。29日は滝を見物したが、30日はBooking Com(Gotogate)の予約ミスのため飛行機が無く、夜の飛行機を探してメンドーサに着いた。このドタバタでカメラを失った。メンドーサではアコンカグアツアーに行き、2月5日は飛行機でサンチャゴを経由でカラマに到着、6日はバスでサン・ペドロ・デ・アタカマに行き、温泉とフラミンゴのツアーに行った。9日にカラマ経由で10日にサンチャゴに戻り、11日に温泉ツアー、12日は市内見物、13日にイースター島に向かい、16日に戻った。18日はバルバライソを訪れ、魚市場や壁画の町を見た。22日にサンチャゴに戻って帰国した。
ここではサンチャゴからのコリーナ温泉ツアーと、イースター島(ラパ・ヌイ)について記す。
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2月10日からカラマから午前中にサンチャゴに着いた。そこで市中心部を散策した。荷物が小さなザック一つなので、宿で預けなくても自由に動ける。
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官庁街から外れると、露天商が並んでいて、結構楽しい。そして明日の山中のコリーナ温泉ツアー集合場所を確認してきたつもりが、サンチャゴ大学前とチリ大学前を間違えていた。
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11日の朝、暗い内から間違えているツアー集合場所で待っていた。周囲には写真の左が一人、右は毛布の一人と段ボールの中に二人、ここの周囲には十人を超えるだろう。ただ、ここはチリで一番治安がわるい所だ、後から聞いた。アルゼンチンでも貧しい住宅街があったが、借金で破産しても、福祉の国だった。他方のチリの経済評価は高いが、やたらと浮浪者が目に付く。
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時間が過ぎてもバスが来ないので、アチコチ探していると、タクシーの運転手が声をかけてぃた。理由を話すと、ツアー会社に電話してくれて、違う駅に待つと言うので、そのタクシーに乗った。何とか無事出発。山の中に一直線。途中2度目の休憩地。多分3千m鋒かな?頂上近くの削れは懸垂氷河のカールだろう。
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コリーナ温泉の標高は約2500m、周囲は4千m前後、見えないがその後方には6千m鋒がある。温泉は数段に分かれた湯舟があり、最上段は野沢温泉の共同浴場並みの高温。最下部は温度が低すぎるかも?
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右上の建屋が見えるが、ここはシャワーと更衣室とトイレ。右上の雪の残った山は4千mに僅かに足りない。
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この麓には別荘や避暑地の宿が多いようだ。
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途中で立ち寄る、チョコレートお菓子小屋。
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最後は皆でパーティー。酒とおつまみ、などなど。最高に楽しいよ。良いツアーだった。
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何か所か車で送ってくれる。私は途中で降りる。左の建物より露天の店が落ち着くよ。
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帰り道でbipカードを買う。これで大変安く地下鉄に乗れる。12日は休養日、午後に宿を、空港バスの始発のセントラルから百m宿に換える。確実に始発バスに乗り、イースター島行の飛行機にのるためだ。そして宿で、スマホを使い、イースター島(ラパ・ヌイ)への入島許可を取った。
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サンチャゴの空港で、乗り込みの手前の警察官?派出ボックスで入島許可を見せると、大きな紙のPDIのような証明書をくれる。この紙は飛行機に乗り込む手前で回収される。次いでながら、イースター島の主な観光場所に入るにためには、高額の入域料金を払わなければならない。イースター島旅行は高費用が必要だ。昼頃にイースター島の空港に着き、歩いて宿に向かう。ここではマンゴーがぶら下がり、完全な熱帯だった。
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宿に荷物を置き、散策と食料の買い出し。この屋根の造りはポリネシア風だね。
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小さな港、係留は港を横断するロープを張って、後ろから引っ張り、岸壁で留める。帆や照明の高い柱がないので、アンカーは使わない。子供が港内で泳いでいた。
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デモンストレーションのようだ。植物のアシ?を束ねて浮き船にしていた。昔、子供の頃にコンチキ号漂流記を読んだ。当時、イースター島の住人は南米から来て、南米で使われていたアシで大きな船を作って南米からイースター島に船出した実話だ。ただし現在では遺伝子からアジアにポリネシアから来たことが確定している。
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翌14日はツアー。驚いたのは鳥小屋、周囲も上も石で囲い、下に20~30cn四方に小さな穴だけ、“卵をどうやって取るのか?”と尋ねると、「卵はたべない。大きくしてから食べる。」と言う。なるほど!卵より草や虫を食べさせて、成鳥にしてから食べた方が効率的だと理解した。
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ここがモアイの制作地。火山からの凝灰岩を、黒曜石などで削って切り出したという。ここの海沿いに多数のモアイ像が並んでいるが、これは日本の会社が重機で起こして並べなおしたのだ。
明治時代と思うが、チリが軍艦を造る金のために、日本に買わないか?と言ってきたが、断ったとの事、昔から日本はバカで、最近は特にバカさがひどくなったのでは? -
イースター島(ラパ・ヌイ)の住人生活には多くの疑問がある。ラパ・ヌイの意味は「大きな大地」と言う意味だが、南米大陸でなく小さな島から来たことを暗示する。サラ・イ・ゴメス小島でも415km離れているし、人の住むピトケアン島までは約2,000kmである。ポリネシアの高速の丸木船と言えども、多くの荷物は積めない。海に出ても、どの方向に、本当に島があるか?あてはない。当てのない島をめざし、食料と水を積んで出発したのだろうか?しかも、複数の男女が島に着かなければ人口は増えない。何回出発し、何人死んだのだろうか?
ここは最奥の海岸で、不思議にも、ここだけは高額の入域料金が免除だが、途中を飛ばしてここに来る人はいないだろう。 -
夕方から仮装行列が見に行ったが、日焼けしただけ。
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15日、昨日から大型観光船が来ていて、小舟が行き来していた。それは、他に港があることを示していた。それで、その港と火山火口まで歩いて行くことにした。
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船はヨーロッパから来たという。世界一周、金持ちだね。
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暑いところを我慢して約3時間歩いて山頂に達した。素晴らしい風景。
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翌16日は飛行機まで時間があったので、海岸を北に向かって散策した。手前が町で、後背が火山。
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何だか分からないが、女性が4人出てきて踊り出した。
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日本語が書いてあるフロート。海洋浮遊ごみかな、恥だ、困ったものだ! もっとも日本海はごみダメ状態だ。昼にパイナップルを食べ、午後の飛行機でサンチャゴに帰った。
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