2026/02/22 - 2026/02/22
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ミスターDさん
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この旅行記スケジュールを元に
2月の三連休の中日に、福岡県の筑豊地方の山城跡をぶらりとしてみました。健康増進のための登山とウォーキングを兼ねた忘備録となっておりますので、大変申し訳ございませんので、さらっと見て頂ければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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福岡県の田川郡福智町にある鷹取山を目指します。
中央の山で標高は633mの低山です。
こちらは福岡市内からは車で1時間弱ほどです。鷹取山 自然・景勝地
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この日は2月にも関わらず、全国的にも温かい日で、福岡も日中は20℃を超えていました。
梅の花も見ごろのようです。 -
麓の上野峡の駐車場より、約1時間の登山となります。
マップでは途中の中腹まで車で行けそうでしたが、災害のため道路が封鎖されていました。 -
登山道は比較的に緩やかですが、運動不足の中年には少しこたえました。
この上野越という分岐点まで約40分ほどでした。
ここから山城跡がある鷹取山までは約500mです。 -
山頂に近づくと山城の雰囲気が出てきました。
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山頂の本丸の下には当時の石垣の跡が若干ですが、残っていました。
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約400年前の戦国時代末期の石垣の跡です。
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鷹取山の頂上にある、鷹取城の本丸が見えてきました。
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本丸の虎口跡です。
城にはまっすぐに入れないように曲がった構造となっています。 -
本丸の虎口跡を上から見ています。
黒田藩の山城跡 by ミスターDさん鷹取城跡 名所・史跡
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鷹取城は元々は平安時代ごろに造られましたが、関ケ原合戦後の1601年に筑前に入った黒田長政公が隣国の豊前国の大名、細川氏への守りのため改築して、家臣の母里太兵衛公を城主としました。
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標高633mの鷹取山の頂上に造られました。
黒田長政公は豊前の細川氏との境界にこの鷹取城を合わせて六つの城を築き、細川氏に備えました。 -
頂上から福智町方面の展望です。
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こちらは福知山方面の展望です。
福智山は標高が900mあり、この辺りの登山の名所となっています。福智山 自然・景勝地
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晴れた日は展望が良くお薦めのハイキングコースです。
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鷹取城は1615年に徳川幕府より、一国一城令が出されて、わずか10年ちょっとで廃城となりました。
結局はこの城で戦いが起こることはありませんでした。 -
当時の遺構は残っていませんが、山城の雰囲気を残す鷹取城跡でした。
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次に同じ筑豊エリアにある嘉麻市の益富城跡にきました。
こちらも山頂に城跡が残っています。益富城跡 名所・史跡
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標高約190mの城山の山頂に城跡があります。
こちらは頂上付近まで車で行くことが出来ます。当時の堀切の跡のようです。 -
こちらは本丸の下にある空堀の跡です。
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この益富城も黒田家が細川氏に備えるため築いた六つの城の一つです。
元々はこの地を収めた秋月氏の城がありました。
こちらから二の丸跡に入ります。 -
益富城跡の城址碑がありました。
顔パネルは黒田家の家臣でこの城を守った後藤又兵衛公です。 -
二の丸に入る虎口の跡です。
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本丸からの展望です。
この城を守った後藤又兵衛公は黒田家の重臣の一人で勇猛な武将でしたが、黒田家を離れ、その後の大坂の陣で豊臣方につき、道明寺の戦で戦死されました。 -
本丸の櫓跡の石垣です。
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こちらも本丸の櫓跡です。
後藤又兵衛公がこの城を離れたため、先ほど訪れた鷹取城主の母里太兵衛公がこの城の城主となりました。 -
この城を治めた後藤又兵衛公、母里太兵衛公の両名共に黒田家を代表する豪傑の武将でした。
二人がこの城にいたことが感慨深くなります。益富城跡 名所・史跡
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本丸跡です。
この城も一国一城令により廃城となりました。
右の建物は展示室のようですが、現在は閉まっているようです。 -
城跡に咲く、梅の花です。
桜の時期も花見に良さそうです。 -
こちらは出丸の跡です。
散策にお薦めの益富城跡でした。 -
益富城を治めた母里太兵衛公の菩提寺である麟翁寺にきました。
益富城跡のすぐ近くに鎮座しています。麟翁寺 寺・神社・教会
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こちらの山門は益富城の搦手門を移築したと伝わっています。
一国一城令により取り壊される際に、こちらに移築されたようです。 -
麟翁寺さんの本堂です。
母里太兵衛公は豪傑の武将で、豊臣秀吉の家臣だった、福島正則公と酒席で、家名を賭けた呑み比べに勝ち、名槍「日本号(にほんごう)」を呑み取ったという逸話が残っています。 -
境内には母里太兵衛公とその子孫の墓が残されています。
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福島正則公から呑み取ったと言われる、名槍「日本号(にほんごう)」のレプリカが境内に展示されていました。
かなり大きな槍で、実物は福岡市博物館に展示されているようです。 -
次も近くの善照寺さんに行きました。
こちらには益富城の大手門が移築されています。 -
こちらが益富城で使われていた大手門です。
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この門を城主の後藤又兵衛公や母里太兵衛公、多くの家臣が当時は通ったことでしょう。
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こちらも取り壊しの際に移築されて、現在も保存・公開されています。
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当時の益富城の跡を物語る貴重な遺構でした。
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本日は福岡県の筑豊エリアに残る旧黒田家の山城跡をぶらりとしてみました。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
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