2000/05/27 - 2000/07/04
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PETERtnさん
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熟年夫婦夫婦二人だけで鉄道などの公共交通機関を利用した気ままな個人旅行。
沿線で美しい風景をみかけたら、そこの駅で「突然下車」してまずはお宿確保のためにINFOで駅近くの安宿をゲット。宿に荷物を置いたら直ちに町中探索にお出かけ。教会があれば堂内に入って静かに旅の安寧を祈り、きらびやかな聖堂内の装飾に目をやすめる。生い茂る街路樹の緑陰に身を任せてブラブラと見物に精を出す。
「犬も歩けば棒に当たる」とか。辻々で思いもかけない風物に出くわす興奮が旅情をかきたてる。素性のわからない風物は通りがかりの地元民に聞いて確かめる。それでもわからない時は「宿題」として写真に撮っておいて、帰国後Googleの画像検索で調べると、最近は賢くなったGoogleがおおむね正解を与えてくれる。
そんなこんなで6週間の二人旅は楽しい思い出と共に、あっという間に終わったように感じた。浦松佐美太郎氏の名著「たった一人の山」ではないけれど、この一遍はいうなれば「たった二人の旅」ともいえそうだ。浦松氏はグリンデルワルトのヴェッターホルン西山稜の初登攀(1928年)でもしられている。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この旅行はまだフィルムを使う銀塩写真時代。6週間の旅では36枚撮りのフィルムを約80本、撮影枚数にして3000枚近い画像となった。あとでの整理を念頭に毎朝、起床第一番の仕事はその日の日付を書いたメモを写真に撮る。これでフィルムのパトローネに書き込んだ撮影順番の番号を確認すれば、80本の写真の時系列がたちどころにわかる!
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毎日の行動はメモ帳に記入しておけば行先とその日の行動予定が後日の確認に役立つ。
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エッ?箸で食べてるって! ここはまだ成田空港・・れっきとした日本国内です
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利用した航空便は、そのころはフランス航空だけが日本とヨーロッパを結ぶ夜行便を就航させていたのでパリ経由でドイツに入った。夜行便を使うと成田を夜の11時ころたった乗機は(時差の関係で)翌日の午前5時前にパリ空港に到着するので、到着初日をほとんどまる一日を使うことができて好都合だった。
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ドイツ語の泰斗・小塩節氏は随筆「こころの旅 ヨーロッパ」の中でミュンヘンの地名の由来について次のように述べている。
【「ミュンヒェンは輝いていた」と、ノーベル賞作家トーマス・マンは、若い日の短篇小説『神の剣』の第一行をそう書き始めている。ほんとうにそのとおりだ。
ミュンヒェンの空はドイツらしくなく、まるでイタリアのように青く明るい。 人情はあつく、学芸が花咲き、町全体が輝いている。
アルプスの北に広がる大高原地帯の中央にあり、海抜520メートル。低い北へ向けてゆるやかに傾斜する砂礫層の台地の上にあるので、水はけがよい。ドイツの都市の中でいちばん日照時間の多いところ。 空気が乾燥しているから、ビールがうまい。
もともとは大きな修道院のあったところだったから、「修道士」(メンヒ)という語からこの市名が生まれた。さらに南の山中で採掘精製した塩を送り出す中継地 関税の町としてとくに12世紀半ばから栄えてきた。
名君ルートヴィヒ一世や、ワーグナーに心酔して、ロマンチックなお城をいくつも建てさせたルートヴィヒ2世を王としたバイエルン王国の首都だったが、いまは人口130万、先端産業のメッカでもあって、1990年の東西ドイツ統一後の経済的負担に喘ぐドイツ諸州の中では、例外的に最も豊かなバイエルン州の主都である。】 -
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到着初日の午後はミュンヘン郊外にある旧ナチスドイツの強制収容所の保存施設の見学に充てた。ドイツにとってナチスドイツの行状は過去の忌まわしい追憶が付きまとうが、現代のドイツは過去の歴史の反省の意味もあって、各地の強制収容所を復元保存して、無料見学が可能である。
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強制収容所のあるDachau(ダッハウ)をドイツ語のWikipediaで当たると自然や人文的な説明は詳しいが、かつてナチスドイツの強制収容所が設けられ、いまはその施設の一部が公開されているという説明は見当たらなかった。以下はドイツ語版のWikipediaからの抜き書きである。
ダッハウの自然の名所としては、ダッハウ・モース、中庭と公園のあるシュロスベルク、そして2001年からアンパー川沿いにある動植物生息地(FFH)と鳥類の保護区などがある。希少な動物や植物種もここに生息している。南側には鳥の繁殖のための景観湖のある都市の森林がある。市内の森林には全長2.75kmの「フィットネストレイル」がある。 -
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ミュンヘンで一番賑やかなマリエン広場のフィッシュブルンネン(魚の噴水)は、ミュンヘン周辺地域の人々にとって、もっともも人気のある待ち合わせ場所の 1 つである。
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白い壁と三角屋根がトレンドマークの建物はミュンヘン市の旧市庁舎。絵本の世界から飛び出して来たような旧市庁舎はおもちゃ博物館となっているが、建物そのものがおもちゃ箱のように見えないこともない。
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1525年に完成したミュンヘン聖母教会の塔には、緑色のたまねぎのようなルネッサンス様式のドームはミュンヘンのランドマークにもなっている。
後から建造されたバイエルン地方の教会建築の見本ともなった。 -
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ペルラッハ塔は989 年に火災や侵入者を監視するための監視塔として建てられ、1600年代初頭には隣地にアウクスブルク市庁舎が建てられた。塔は壮麗な近隣の建物の外観に調和し、以来、アルプス以北で最も美しいルネッサンス建築群のひとつとなっている。
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ペルラッハの塔に昇ったら学校の子供たちが課外授業で塔に昇っていた。その時突然塔内に設置されている鐘が鳴りだし、子供たちが大騒ぎで耳を塞いでいる!
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モーツァルトの父、レオポルド・モーツァルトはアウクスブルクで、1719年に生まれた。
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フッゲライ (Fuggerei)住宅 は、16世紀に鉱山と金融で財を成したフッガー家によってアウクスブルクに建てられた低所得者のための集合住宅である。世界最古の計画的集合住宅として知られる。
入居対象者はアウクスブルク出身者か、アウクスブルクとかかわりのあると認められ、敬虔なカトリック信徒が入ることができる。一般に貧しい職人もしくは日雇いの者が入居した。
フッゲライの家賃は1年に1ライングルデン(en)納めればよく、ほかには創設者のために祈りを捧げることが義務とされた。家賃は500年間改訂されていない。
敷地内には自由に入れるがドイツ人らしく長屋方式の集合住宅の窓から見える各家庭の居室はしっかりと掃除が行き届き、きっちりと整頓が行き届いている。 -
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今朝、ニュルンベルクを発って、今夜はライプツィヒ泊。ドイツ首相だったA.メルケルは若き頃、ライプツィヒ大学で物理学者を目指して勉学に励んでいた。首相時代の彼女の弁舌がしっかりと理論的に論理を組み立てて、答弁していたのもその経歴からうなづける。
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日本を発ってようやく1週間、このシリーズは順次掲載し6回連載となります。次号をお楽しみに。この後ベルリン・リューベック・ゴスラー・ケルン・マインツ・リンダウ・ルツェルン・ツェルマット・マッターホルン・サースフェー・シャモニー・ヴァルディゼール・リヨン・パリと延々と続きます。
第2巻はこちらです⇒https://4travel.jp/travelogue/11972206/
以下第5巻まで完成、下記にご案内の一覧目録でご覧いただけます
最終巻の第6巻は目下工事中です。しばらくお待ちください。
私のweb旅行記の一覧目録は下記をお開きくださると公開中のすべてのweb旅行記をお読みいただけます⇒https://4travel.jp/travelogue/11630688/
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