2000/01/10 - 2018/12/10
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PETERtnさん
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横浜山手地区観光案内の第1段目として幕末、横浜居留地に建立されたクライストチャーチ(当初は英国領事館のチャペル・1901年に現在の山手外国人墓地前に移転)と聖堂を共有する横浜山手聖公会の紹介です。
その他下記の旅行記もご覧ください
下記に今までの旅行記【ペテロのアトリエ】をご紹介しておきますのでお楽しみください。
今までのシリーズは下記のULRで目的地別に目録としてご覧になれます。本編とともにご愛読ください。⇒
https://4travel.jp/travelogue/11630688/
「ペテロのアトリエ旅行記目録」 でも検索可能ですその他下記の旅行記もご覧ください
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1863年に居留地(山下町=中華街)に建立された初代クライストチャーチに1870年代に設置されたパイプオルガンは1901年、聖堂の山手移転の際に、新聖堂に移設された。そのころ日本では東京音楽学校(現東京藝大)、三越百貨店(日本橋)とクライストチャーチの3ヵ所にしかなかった。
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パスカルキャンドル:イースター前夜の「光の祭儀」で用いられる大ろうそく。アルファベットの最初と最後の文字で始まりと終わりを意味するA、Ωと西暦年号が記されている。
祭壇の向こう側(聖堂の正面)は1931年の創建時には5面の壮大なステンドグラス*(キリスト昇天図)があったが戦災復興時には再現されず、モルタルで塗りこめられていた。十字架背後はカーテン(ドーサル)が下げられた。木彫りの十字架は鎌倉の仏師石原光峰氏の作で、戦争後の復興時に日本語会衆が捧げた。
*ステンドグラスについてはこのサイトの6ページ後に説明あり。 -
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関東大震災発生時、ストロング司祭は教会内外の住民の救出に尽力した
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大震災後米国から仮聖堂用の資材が届き、約6年間は仮聖堂で礼拝が守られた。画面右端の電柱は1960年代まで現役の電柱として同じ位置に建てられていた。
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キリストの昇天を描いた山手聖公会のステンドグラス(英国製)は先の戦争中、横浜大空襲(1945.5.29)で破壊されたが、クライストチャーチ建造後設計者J・H・モーガンは東北学院(仙台)のチャペル(ラーハウザー礼拝堂)の建築も行い、ほとんど同じデザインのステンドグラスを設置している。双方の聖堂のステンドグラスの制作工房(ヒートンバトラー&バイン工房・ロンドン)はすでに閉鎖されているが、東北学院のステンドグラスは往時の姿で現存している。
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聖堂は一見石造りのように見えるが、鉄筋コンクリート造の躯体にタイル状に大谷石を貼り付けてある。創建から50年を経た聖堂の外壁は傷みが目立ち始め。1993年に大々的な補修工事を行い、創建時の美しさを取り戻すことができた。
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太平洋戦争が始まるころ、英国の資産だった聖堂は政府の命令で「紀元2600年記念奉祝礼拝」というキリスト教徒とは関係ない礼拝の執行をしなければならなかった。
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