2025/03/26 - 2025/03/26
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bunbunさん
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六義園のしだれ桜が満開とのことでしたので、雲が無いにも拘わらず、黄砂で霞んだ空の下を見学に行ってきました。六義園は1702年に川越藩主・柳沢吉保が築園した、紀州和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出された「回遊式築山泉水庭園」で、1953年には国の特別名勝に指定されており、しだれ桜にこだわらず園内を一周してきました。
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山手線駒込駅から1分程南歩いて、12:16に六義園会染井門に着きました。
この門は通常時閉門となっていますが、この時期は開いています。
右に「春夜の六義官」書かれた大きな看板がありますが、18:30~19:00の間園内の観賞スポットのうち8カ所に光が当てられ、蔵の壁へのプロジェクションマッピングが行われて、夜の六義園を楽しめるようです。 -
脇にあった入場料等の説明板です。
正門は左(南)350 mか。この時期最大の目玉となっているしだれ桜は正門から入った目の前にあるので、正門に向かいます。 -
正門に着きました。
すいていますね。
左のポスターは、しだれ桜のライトアップですね。
残念ながら私は見ません。 -
入園料を払って中に入りました。
右側にあった六義園の説明板。
4トラさんの写真では文字が小さくて読めないかと思いますので、以下にその内容を示します。
「特別名勝 六義園
六義園は五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702年)に築園した和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。当園は江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、池をめぐる園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめる織細で温和な日本庭園です。園内には和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝、中国古典の景観が八十八境として映し出されています。
明治11年(1878年)に三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となりました。昭和13年(1938年〕に岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和 28年(1953年)に国の特別名勝に指定された貴重な文化財です。
六義園の名は、中国の詩の分類法(詩の六義=風・賦・比・興・雅・頌)にならつた古今集の序にある和歌の分類の六体(そえ歌・かぞえ歌・なずらえ歌・たとえ歌・ただごと歌・いわい歌)に由来したものです。柳澤吉保の「六義園記」では、日本風に「むくさのその」と呼んでいましたが、現在では漢音読みで「六義」を「りくぎ」と読む習わしから 「りくぎえん」と読みます。」 -
上の説明板の左に六義園のマップがありますが、小さくて情報量も少ないので、園内にあったマップをここで示します。
マップ中央やや左上の白鷗橋(かもめのはし)およびその右側にある渡月橋(とげつばし)上部にも池が続いているように描かれていますが、現在はここに水はなく陸地です。
この後園内を反時計方向に回ります。 -
赤いツバキが綺麗に咲いてます。
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ピンクのツバキ。
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これが話題のしだれ桜か。
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方向を変えて、しだれ桜。
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見上げて、しだれ桜。
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また方向を変えて、しだれ桜。
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近づいて、しだれ桜。
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しだれ桜の説明板。
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新脩六義園碑の説明板。
残念ながら写真はありません。 -
明治時代の伝統的な建築の内庭の竹の門をくぐって西に進みます。
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視界がパッとひらけました。
六義園の中央に位置する大泉水と中の島です。
曲がりくねった見事な枝ぶりで横に広がる松と並べられた大きな石は、まさに日本庭園です。
ローマの松だとこうはいかない。
中央やや右の縦長の石は玉笹石、その後ろの小高い部分は妹山、その右のさらに高い部分は背やまです。後で説明します。
残念ながら、島には渡れません。 -
中央は東から中の島に架かる田鶴橋です。
中の島に渡る唯一の橋ですが通行禁止となっています。 -
少し南にそれて、北から見た抹茶茶屋:心泉亭です。
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ぐるっと南に回って、南から見た抹茶茶屋:心泉亭です。
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北に戻って大泉水の畔から見た北方。
左に見える建物は吹上茶屋、右は中の島です。 -
中の島の右端に位置する妹山と背山の説明板。
このサイズだと中央の説明文は読めますかねえ。
左上の写真は、紀州(和歌山県)和歌の浦の「妹背山」です。 -
2つ上の写真の中央部、ズームイン。
写真中央の水面から飛び出している石が、後で説明する臥龍石です。 -
臥龍石、ズームイン。
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吹上茶屋、ズームイン。
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南東(大泉水と反対)方向。
ここにもサクラがあります。 -
少し西に移動して見た吹上茶屋方向。
中央やや右しての水面から飛び出している岩は、後で説明する蓬萊島です。 -
少し南西に移動して見た東北東方向。
2つ上の写真のサクラです。 -
臥龍石(ぐわれうせき、がりょうせき)、蓬萊島(ほうらいじま)の説明文。
左上の写真の左水面に出ているのが臥龍石、その下の写真は蓬萊島です。 -
蓬萊島。
左は吹上茶屋です。 -
西方。
ここにもサクラがありますねえ。 -
千鳥橋(後で説明します)近くまで移動して見た北方。
吹上茶屋手前は吹上浜です。 -
南南西方向。
左上は滝見茶屋です。その右に滝が見えますね。 -
南南西に移動して見た滝見茶屋。
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滝見茶屋から見た2つ上の写真の滝の上部。
飛び石(右)や日本庭園らしい趣のある石がたくさん並べられています。
中央のワニのような石は「陰陽石」の陽石とされています。 -
1つ上の写真の中央左やや上部をズームイン。
左上の暗い洞穴になっている部分が枕流洞(まくらのほら)で、そこから流れ出た水が中央の水分石(みずわけいし)で3つに分けられています。 -
滝見茶屋から北方にみた千鳥橋。
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千鳥橋を西に渡って北西に移動しまた。
北東方向に見えた吹上松です。
太い枝が、これまた太い柱で支えられています。
これぞ日本庭園の松ですねえ。
樹齢300年以上の赤松で、名称は和歌に詠まれた和歌山城南にあった吹上浜にちなんでいます。 -
少し北に進んで見た南東方向。
結構サクラがありますねえ。 -
また少し北に進みました。
ヤマブキも咲いています。 -
少し東に進んでみた東方。
中央の樹はソメイヨシノ、その後ろは吹上茶屋です。 -
ソメイヨシノ、接写。
開花宣言ってところですか。 -
少し南東に進んで見た吹上茶屋。
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吹上茶屋のおしながき。
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吹上茶屋の前にはユキヤナギも咲いています。
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南下してさっき通った千鳥橋の西側まで戻ってきました。
尋芳径(じんはうけい、はなとふこみち)と千鳥橋(ちどりばし)の説明板です。 -
尋芳径を北西に進むと、ここにもしだれ桜がありました。
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しだれ桜に近づいてもう一枚。
満開です。 -
吟華亭(吟花亭、ぎんかてい)・峯花園(みねのはなぞの)*)の説明板。
この文字はさすがに読めないと思いますので、以下に記載内容を示します。
上段部分
「作庭当時ここ吟華亭(吟花亭)は、周囲にサクラなどの花が多く、食事をしながら花見を楽しむ場所として利用されていました。六義園記には、「楽天が詩に、花開催烏吟/花多き亭なれば、此詩の心をおもひやりて。」とあります。岩崎家の時代にも、少し位置は変わりましたが、やはり吟花亭という建物がありました。現在見られる遺構**)は、そのころのものです。今は周囲にツツジが多く植えられています。岩崎家によって植えられたと思われる、明治時代のツツジも残されています。」
中段の絵の右側部分
「建物周囲に多くのサクラの花が咲き乱れており、花見に絶好の場所ということが分かります。 少し小ぶりの木に赤い花が咲いていますが、 ひよっとしたらこれは皆さんの目の前にあるツツジかもしれません。
中段の絵の下側部分は絵の一部と一緒に次ぎに示します。
下段部分
「左は、明治時代の吟花亭と思われる写真です。着物の女性から、華やかな雰囲気が伝わってきます。建物前の石は、岩崎家の時代に据えられ、今も残る佐渡の赤玉石でしょうか。」
*) 著者注 上の写真のサクラの木が立っている付近です。下の絵もご参照ください。
**) 著者注 この説明板の背後にあります。 -
上の説明板の中段の絵の中央部分。
説明文:
「六義園絵巻 中巻(部分) 柳沢文庫所蔵
六義園を作った柳沢吉保は、園内に万葉集などの和歌や中国の古典にちなんだ名所を八十八箇所設け、「八十八境」としてその由来を「六義園記」 に記しました。その八十八境を中心に庭園を狩野派の絵師に描かせたのが「六義園絵巻」(上・中・下巻)です。このバネルでは、絵巻を園内の描かれた名所の位置で展示しています。(六義園は、明治時代に三菱グループの創設者、岩崎家の所有となり、その後昭和13年に東京市に寄附されました。)」 -
水香江(すいこうのゑ、すこうのえ)*)、芙蓉橋(ふようのはし)の説明板。
*) 著者注 場所はこの看板付近です。 -
つつじ茶屋の説明板。
この後行きます。 -
つつじ茶屋
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つつじ茶屋から北東に見えた山陰橋(やまかげのはし)。
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つつじ茶屋から南に下って吹上茶屋の北側にきました。
さっきも見たユキヤナギです。 -
ムクドリ(ムクドリ科、ムクドリ属)がいます。
分布は東アジアです。
鳥は潮来メジロさん(https://4travel.jp/traveler/itako_mejiro/)のご専門ですね。 -
北東に移送しました。
藤代峠(ふぢしろたうげ、ふじしろとうげ)、紀川(きのかわ)の説明板です。
この後行きます。 -
北西に上って藤代峠から見た南東。
中央やや上は中の島で、その手目が紀川、島の後方が和歌の浦です。 -
藤代峠を東に下りて渡月橋(とげつばし)手前にやって来ました。
案内板です。
一番下に「真っすぐな橋ではありません」と書かれていますが、以下にその写真を示します。
橋はこの右側にありますが、池は左の土手までで、最初に示したマップのように続いてはいません。 -
橋を東に渡って、西に見た渡月橋。
橋は2枚の大きな1枚石からできています。 -
北に回って横から撮った写真を示します。
よくまあこんな橋を造ったものだと感心します。 -
少し南下しました。
ハナカイドウ(バラ科、リンゴ属)です。
中国原産で、日本に渡ってきたのは14世紀の室町時代。現在は北海道南西部から九州で植栽されています。 -
ハナカイドウ、接写。
まだ蕾ですね。 -
少し南西に移動して見た南南西方向。
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西方向。
田鶴橋です。 -
北方に見た石灯篭。
灯篭は飛鳥時代に仏教の伝来とともに日本に入ってきましたが、庭園文化の発達とともに観賞用としての石灯篭が園内に設置されるようになりました。 -
六義園の看板。
どこにも説明がなかったので、サービスセンターに聞いたところ、看板に掛かっているのは今年の干支の巳(蛇)だそうです。
この巳は今年の正月、ご利益花壇を造ったときに掛けられものを、フォトスポットとしてそのまま残しているのだとか。ちなみに昨年は辰(龍)だったそうです。 -
出汐湊(でいほのみなと、でしおのみなと)の説明板。
1つ上の写真の左側が出汐湊です。 -
南に移動してしだれ桜の西側に戻ってきました。
東方に見えたしだれ桜。 -
少し近づいて、しだれ桜。
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さらに近づいて、しだれ桜。
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少し南東に移動して、しだれ桜。
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南に回って、しだれ桜。
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北に大きく移動して、竹林。
これで六義園の見学は終わりです。
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