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比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は、なんとなく一度はお参りしないと思っていた、それが実現した滋賀の桜旅<br /><br />琵琶湖に鳥居が立つ白髭神社<br />水がきれいな近江舞子<br />琵琶湖の中にお堂がある満月寺<br />近江八景の唐崎神社<br />比叡山延暦寺<br /><br /><br />桜の季節に岐阜、滋賀、京都 7日間の旅<br />琵琶湖を中心に、湖東、湖西、大津エリアを車で巡った<br />旅程<br />1美濃、保木カタクリの里、根尾墨染桜、関ケ原古戦場<br />2彦根城、近江八幡、ラコリーナ<br />3延暦寺、舞子浜、満月堂、琵琶湖レイクオーツカ←←<br />4三井寺、琵琶湖疎水、琵琶湖ホテル<br />5清龍殿、圓光寺、修学院離宮、仁和寺、平野神社<br /><br />

比叡山延暦寺 白髭神社 満月寺 滋賀桜旅2

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2025/04/01 - 2025/04/01

1103位(同エリア1603件中)

旅行記グループ 滋賀、京都桜旅 2025/4

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ココ&ナッツ

ココ&ナッツさん

この旅行記スケジュールを元に

比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は、なんとなく一度はお参りしないと思っていた、それが実現した滋賀の桜旅

琵琶湖に鳥居が立つ白髭神社
水がきれいな近江舞子
琵琶湖の中にお堂がある満月寺
近江八景の唐崎神社
比叡山延暦寺


桜の季節に岐阜、滋賀、京都 7日間の旅
琵琶湖を中心に、湖東、湖西、大津エリアを車で巡った
旅程
1美濃、保木カタクリの里、根尾墨染桜、関ケ原古戦場
2彦根城、近江八幡、ラコリーナ
3延暦寺、舞子浜、満月堂、琵琶湖レイクオーツカ←←
4三井寺、琵琶湖疎水、琵琶湖ホテル
5清龍殿、圓光寺、修学院離宮、仁和寺、平野神社

旅行の満足度
4.0
交通手段
自家用車
  • 琵琶湖の形を描いてください、といわれたらどのように描きますか<br />私は楕円形だと漠然と思っていた<br />実際によく見ると違うことがわかる<br />中国の楽器、琵琶の形に似ているから琵琶湖と名付けられたそう<br />確かにネックの部分を下にすると似ていないことはない<br />私は羽子板の形にそっくりだと思った<br /><br />でもこの広大な湖・・世界の湖の広さ50位内に入る・・を相当上空から俯瞰しないと琵琶の形とはわからないよね<br /><br />さて近江八幡などがある湖東岸から、琵琶湖大橋を渡って西岸へ渡っていく<br />通行料150円<br />

    琵琶湖の形を描いてください、といわれたらどのように描きますか
    私は楕円形だと漠然と思っていた
    実際によく見ると違うことがわかる
    中国の楽器、琵琶の形に似ているから琵琶湖と名付けられたそう
    確かにネックの部分を下にすると似ていないことはない
    私は羽子板の形にそっくりだと思った

    でもこの広大な湖・・世界の湖の広さ50位内に入る・・を相当上空から俯瞰しないと琵琶の形とはわからないよね

    さて近江八幡などがある湖東岸から、琵琶湖大橋を渡って西岸へ渡っていく
    通行料150円

    琵琶湖大橋 名所・史跡

  • 湖西の白鬚神社 <br />自動車道を挟んで湖中大鳥居が見える<br />

    湖西の白鬚神社
    自動車道を挟んで湖中大鳥居が見える

    白鬚神社 寺・神社・教会

  • 近江舞子あたりの琵琶湖<br />水は青く透明度が高い<br />琵琶湖でも水のきれいなところで海(湖)水浴場にもなっている<br /><br />白い砂に松 白砂青松の世界だ<br /><br />泊りはここ湖のほとりにある琵琶レイクオオツカ<br />

    近江舞子あたりの琵琶湖
    水は青く透明度が高い
    琵琶湖でも水のきれいなところで海(湖)水浴場にもなっている

    白い砂に松 白砂青松の世界だ

    泊りはここ湖のほとりにある琵琶レイクオオツカ

  • 広々としたロビー

    広々としたロビー

    琵琶レイクオーツカ 宿・ホテル

  • 食事がとても美味しかった

    食事がとても美味しかった

  • 近江牛<br />口の中で旨味がはじけとろけるよう

    近江牛
    口の中で旨味がはじけとろけるよう

  • 朝食も充実している<br />琵琶湖産の魚を軽くあぶって

    朝食も充実している
    琵琶湖産の魚を軽くあぶって

  • 玉子焼きの美味しい事

    玉子焼きの美味しい事

  • 夕食時はもちろん、朝食にもお品書きがある<br />このようなところに食事に力を入れていること、誇りと自信を持っていることがうかがわれる

    夕食時はもちろん、朝食にもお品書きがある
    このようなところに食事に力を入れていること、誇りと自信を持っていることがうかがわれる

  • 朝食前には宿の目の前で琵琶湖越しに日の出を見た<br />前日は湖東に泊ったので、夕陽が落ちるが見えた<br />そしてこの日は湖西に泊まり、朝日が昇るのを鑑賞でき、なんだか良いことがありそう

    朝食前には宿の目の前で琵琶湖越しに日の出を見た
    前日は湖東に泊ったので、夕陽が落ちるが見えた
    そしてこの日は湖西に泊まり、朝日が昇るのを鑑賞でき、なんだか良いことがありそう

  • サンロードが伸びる<br />それにしても広い<br />ここから見る琵琶湖は対岸が見えない<br />さすが世界の湖の広さ50位内に入る広さ<br /><br />

    サンロードが伸びる
    それにしても広い
    ここから見る琵琶湖は対岸が見えない
    さすが世界の湖の広さ50位内に入る広さ

  • 煌めくサンロードに浮かぶ水鳥<br /><br />当日は琵琶湖を大津方面に南下し、寺社を巡る予定

    煌めくサンロードに浮かぶ水鳥

    当日は琵琶湖を大津方面に南下し、寺社を巡る予定

  • 海門山満月寺<br />唐風の門

    海門山満月寺
    唐風の門

    浮御堂(海門山満月寺) 寺・神社・教会

  • 満月寺<br />りっぱな松の向こうに浮御堂

    満月寺
    りっぱな松の向こうに浮御堂

  • 満月寺<br />完全に湖の中にあるユニークな浮御堂

    満月寺
    完全に湖の中にあるユニークな浮御堂

  • 満月寺<br />向こうには琵琶湖大橋

    満月寺
    向こうには琵琶湖大橋

  • 酒元にある日吉大社へ<br />参道の向こうには琵琶湖が見えた

    酒元にある日吉大社へ
    参道の向こうには琵琶湖が見えた

    日吉大社 寺・神社・教会

  • 参道の両脇も春色になっている

    参道の両脇も春色になっている

  • 琵琶湖のほとりにある唐崎神社<br />山のふもとにある日吉大社の摂社

    琵琶湖のほとりにある唐崎神社
    山のふもとにある日吉大社の摂社

    唐崎神社 寺・神社・教会

  • 唐崎神社<br />赤い鳥居の先にあるのは唐崎の霊松<br />近江八景のひとつ<br />独特の雰囲気がある

    唐崎神社
    赤い鳥居の先にあるのは唐崎の霊松
    近江八景のひとつ
    独特の雰囲気がある

  • 唐崎神社<br />樹齢100年の老松は枯れ枝が多く痛々しいけど<br />枝を長く伸ばした姿が長い年月を耐えた風格を感じた

    唐崎神社
    樹齢100年の老松は枯れ枝が多く痛々しいけど
    枝を長く伸ばした姿が長い年月を耐えた風格を感じた

  • 唐崎神社<br />古くから和歌、俳句にも読まれている<br />なにか霊感を感じるような特別な場所

    唐崎神社
    古くから和歌、俳句にも読まれている
    なにか霊感を感じるような特別な場所

  • この神社の前のみたらし団子が美味しい<br />注文後に焼くので少し待つだけあって香ばしくて美味しい

    この神社の前のみたらし団子が美味しい
    注文後に焼くので少し待つだけあって香ばしくて美味しい

  • いよいよ比叡山へ<br />比叡山延暦寺は天台宗総本山寺院<br />延暦寺というお寺がポツンひとつあるわけではない<br />比叡山にお寺が広範囲に散らばっていて、その総称が延暦寺と呼ばれる<br />八ヶ岳や大雪山と同じように総称だったんだ(初めて知った)<br /><br />主に3エリアに分かれていて、大津側から東塔、西塔、横川エリアと別れている<br />一番参拝客が多いのは東塔で奥に行くほど人が少なくなっていく<br />今回は車だし3エリア全部行くことにした<br /><br />今回の車の場合、仰木料金所⇔田の谷峠料金所間を縦走して東塔・西塔・横川の3エリア全部めぐるコースの通行料金は2430円 (HPから多少の割引クーポンあり)<br />エリア内駐車料金は無料<br />このほかに3エリア共通のお寺の拝観料1000円(大人)がかかる<br /><br />公共交通機関で行くとロープウェイやケーブルカー、エリア内はシャトルバスなど利用することになる、結構時間も交通費もかかる<br />

    いよいよ比叡山へ
    比叡山延暦寺は天台宗総本山寺院
    延暦寺というお寺がポツンひとつあるわけではない
    比叡山にお寺が広範囲に散らばっていて、その総称が延暦寺と呼ばれる
    八ヶ岳や大雪山と同じように総称だったんだ(初めて知った)

    主に3エリアに分かれていて、大津側から東塔、西塔、横川エリアと別れている
    一番参拝客が多いのは東塔で奥に行くほど人が少なくなっていく
    今回は車だし3エリア全部行くことにした

    今回の車の場合、仰木料金所⇔田の谷峠料金所間を縦走して東塔・西塔・横川の3エリア全部めぐるコースの通行料金は2430円 (HPから多少の割引クーポンあり)
    エリア内駐車料金は無料
    このほかに3エリア共通のお寺の拝観料1000円(大人)がかかる

    公共交通機関で行くとロープウェイやケーブルカー、エリア内はシャトルバスなど利用することになる、結構時間も交通費もかかる

  • 比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は、なんとなく一生に一度はお参りしたいと思っていた<br />806年、比叡山延暦寺に最澄によって開かれた天台宗<br />816年、高野山金剛峰寺に弘法大師によって開かれた真言密教<br /><br />高野山は数年前に訪れた<br />そしてこの度は、織田信長に焼き討ちにあったという延暦寺に参拝できてよかった<br /><br />北側の仰木料金所から入り、まずは横川(よかわ)エリア<br />駐車場には先客1台しか止まっていない<br />3エリアの中で最も人が少なく静寂の雰囲気<br />開祖は第3世天台座主慈覚大師円仁 

    比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺は、なんとなく一生に一度はお参りしたいと思っていた
    806年、比叡山延暦寺に最澄によって開かれた天台宗
    816年、高野山金剛峰寺に弘法大師によって開かれた真言密教

    高野山は数年前に訪れた
    そしてこの度は、織田信長に焼き討ちにあったという延暦寺に参拝できてよかった

    北側の仰木料金所から入り、まずは横川(よかわ)エリア
    駐車場には先客1台しか止まっていない
    3エリアの中で最も人が少なく静寂の雰囲気
    開祖は第3世天台座主慈覚大師円仁 

    比叡山延暦寺 寺・神社・教会

  • 横川中堂<br />遣唐使船をモデルとしたという赤い桁が鮮やかな舞台造り<br />

    横川中堂
    遣唐使船をモデルとしたという赤い桁が鮮やかな舞台造り

  • 元三大師堂<br />おみくじ発祥の地

    元三大師堂
    おみくじ発祥の地

  • お次は西塔エリア<br />開祖は第2世天台座主寂光大師円澄<br /><br /><br />

    お次は西塔エリア
    開祖は第2世天台座主寂光大師円澄


  • 常行堂・法華堂(にない堂)<br />同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっていて、ちょっと変わっている<br />正面向かって左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂<br />右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂<br />弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれている<br /><br />この廊下をくぐって階段を下りると・・<br />

    常行堂・法華堂(にない堂)
    同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっていて、ちょっと変わっている
    正面向かって左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂
    右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂
    弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれている

    この廊下をくぐって階段を下りると・・

  • 釈迦堂(転法輪堂)<br />延暦寺に現存する建築中最古のもの<br />もとは園城寺(三井寺)の金堂だったが、園城寺が秀吉の怒りを買って闕所処分にされると、秀吉は園城寺の金堂を延暦寺に寄進することとし、ここに1595年移築された

    釈迦堂(転法輪堂)
    延暦寺に現存する建築中最古のもの
    もとは園城寺(三井寺)の金堂だったが、園城寺が秀吉の怒りを買って闕所処分にされると、秀吉は園城寺の金堂を延暦寺に寄進することとし、ここに1595年移築された

  • 緑深い道を10分ほど歩くと浄土院へ到着<br />白い敷石がまぶしく、あたりの静寂の森と対比がよい

    緑深い道を10分ほど歩くと浄土院へ到着
    白い敷石がまぶしく、あたりの静寂の森と対比がよい

  • 浄土院<br />822年に没した伝教大師の御廟がある<br />慈覚大師が854年ここに移して安置した

    浄土院
    822年に没した伝教大師の御廟がある
    慈覚大師が854年ここに移して安置した

  • 灯籠の上部には徳川葵が<br />1571年信長の焼き討ちの後、復興に尽力した徳川家<br /><br />ここで延暦寺焼き討ちについて<br />延暦寺は何度も焼き討ちに合っている<br />それについてwikiから引用文<br /><br />「比叡山の僧は後に円仁派と円珍派に分かれて激しく対立するようになった。正暦4年(993年)、円仁派はかつて円珍が住し、円珍派の根拠地となっていた千手院(山王院)などの堂舎を打ち壊すと、円珍派の僧約千人を追放処分にした。すると、円珍派の僧達は山を下りて延暦寺の別院であった園城寺(三井寺)に入り、延暦寺から独立した。以後、延暦寺の円仁派は山門(山門派)と呼ばれ、園城寺の円珍派は寺門(寺門派)と呼ばれ、対立・抗争を繰り返した。こうした抗争に参加し、武装化した法師の中から自然と僧兵が現われてきたのである。<br /><br />延暦寺による園城寺への攻撃、焼き討ちはすさまじく、中世末期までに園城寺は全焼7回を含む大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。」<br /><br />山門派:延暦寺の円仁派<br />寺門派:園城寺(三井寺)の円珍派<br />このころ、このふたつの派閥の抗争は激しくお互いに焼き討ちしていた<br />現代から思えば、貴重な文化財が消失し不幸なことだ<br /><br />

    灯籠の上部には徳川葵が
    1571年信長の焼き討ちの後、復興に尽力した徳川家

    ここで延暦寺焼き討ちについて
    延暦寺は何度も焼き討ちに合っている
    それについてwikiから引用文

    「比叡山の僧は後に円仁派と円珍派に分かれて激しく対立するようになった。正暦4年(993年)、円仁派はかつて円珍が住し、円珍派の根拠地となっていた千手院(山王院)などの堂舎を打ち壊すと、円珍派の僧約千人を追放処分にした。すると、円珍派の僧達は山を下りて延暦寺の別院であった園城寺(三井寺)に入り、延暦寺から独立した。以後、延暦寺の円仁派は山門(山門派)と呼ばれ、園城寺の円珍派は寺門(寺門派)と呼ばれ、対立・抗争を繰り返した。こうした抗争に参加し、武装化した法師の中から自然と僧兵が現われてきたのである。

    延暦寺による園城寺への攻撃、焼き討ちはすさまじく、中世末期までに園城寺は全焼7回を含む大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。」

    山門派:延暦寺の円仁派
    寺門派:園城寺(三井寺)の円珍派
    このころ、このふたつの派閥の抗争は激しくお互いに焼き討ちしていた
    現代から思えば、貴重な文化財が消失し不幸なことだ

  • そして焼き討ちで有名なものは信長のものだろう<br /><br />「元亀2年(1571年)、信長は自らに敵対する延暦寺とその僧兵4千人に対し、自らの味方になるか、それが嫌なら織田方、浅井・朝倉方どちらにも付かず中立の立場をとるように再三通達を行ったが、延暦寺は断固拒否した。それを受け、信長は自らに味方する園城寺に本陣を置いて9月12日、延暦寺を取り囲み焼き討ちを行った。これにより延暦寺や日吉社の堂塔はことごとく炎上し、多くの僧兵や僧侶が殺害された」<br /><br />ことに比叡山延暦寺、三井寺、興福寺の僧兵勢力は強く、時の権力者からみれば目の上のたんこぶだったんだろうな<br />

    そして焼き討ちで有名なものは信長のものだろう

    「元亀2年(1571年)、信長は自らに敵対する延暦寺とその僧兵4千人に対し、自らの味方になるか、それが嫌なら織田方、浅井・朝倉方どちらにも付かず中立の立場をとるように再三通達を行ったが、延暦寺は断固拒否した。それを受け、信長は自らに味方する園城寺に本陣を置いて9月12日、延暦寺を取り囲み焼き討ちを行った。これにより延暦寺や日吉社の堂塔はことごとく炎上し、多くの僧兵や僧侶が殺害された」

    ことに比叡山延暦寺、三井寺、興福寺の僧兵勢力は強く、時の権力者からみれば目の上のたんこぶだったんだろうな

  • 清々しい蓮の帳<br /><br />

    清々しい蓮の帳

  • 門も意匠を凝らしたもの<br />なかなか印象深いお寺だった

    門も意匠を凝らしたもの
    なかなか印象深いお寺だった

  • 最後に東塔エリア<br />伝教大師最澄が延暦寺を開いた延暦寺発祥の地<br />ひっそりとしていた横川、西塔エリアと違い、参拝客も多く開放的な雰囲気

    最後に東塔エリア
    伝教大師最澄が延暦寺を開いた延暦寺発祥の地
    ひっそりとしていた横川、西塔エリアと違い、参拝客も多く開放的な雰囲気

  • 各宗各派の宗祖を祀っている大講堂<br />最澄(767-822)が中国に留学して天台宗を開宗してからは、円珍、円仁、慈円、源信、法然、親鷲、一遍、道元、日蓮など錚々たる僧を輩出している

    各宗各派の宗祖を祀っている大講堂
    最澄(767-822)が中国に留学して天台宗を開宗してからは、円珍、円仁、慈円、源信、法然、親鷲、一遍、道元、日蓮など錚々たる僧を輩出している

  • 開運の鐘と呼ばれる鐘楼<br />1回100円で撞つくことができる<br />初めは腹の奥に響くような深い音、そして響きがいつまでも長~く残る<br />結構鐘をついている人は多いので、良く聞こえる

    開運の鐘と呼ばれる鐘楼
    1回100円で撞つくことができる
    初めは腹の奥に響くような深い音、そして響きがいつまでも長~く残る
    結構鐘をついている人は多いので、良く聞こえる

  • 根本中堂<br />延暦寺の総本堂で最大の仏堂<br />改修中だが中の拝観はできた<br /><br />と・・僧の行列が目の前に通った<br />後から知った所によれば<br />天台宗は10日、大樹孝啓座主(100)が高齢などによる体調不良で退任し、後任に藤光賢探題(93)が第259世座主に就任した。<br />その藤原座主が黒い車に乗って中堂にお向かいになっているところだった<br /><br />それにしても100歳の退任後に93歳とは・・想像の上を行く世界だ<br />

    根本中堂
    延暦寺の総本堂で最大の仏堂
    改修中だが中の拝観はできた

    と・・僧の行列が目の前に通った
    後から知った所によれば
    天台宗は10日、大樹孝啓座主(100)が高齢などによる体調不良で退任し、後任に藤光賢探題(93)が第259世座主に就任した。
    その藤原座主が黒い車に乗って中堂にお向かいになっているところだった

    それにしても100歳の退任後に93歳とは・・想像の上を行く世界だ

  • 文殊楼<br />根本中堂の向かいにある、石段が高い

    文殊楼
    根本中堂の向かいにある、石段が高い

  • 摩尼車(まにぐるま)も何か所かあった

    摩尼車(まにぐるま)も何か所かあった

  • 延暦寺を後にして大津方面に降りる道からは琵琶湖の絶景が望めた<br />今晩はあの対岸あたりの琵琶湖ホテルに宿泊する

    延暦寺を後にして大津方面に降りる道からは琵琶湖の絶景が望めた
    今晩はあの対岸あたりの琵琶湖ホテルに宿泊する

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