
2025/03/14 - 2025/03/15
131位(同エリア3051件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2025/03/14
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電車での移動
東京駅:9時36分発→仙台駅着:11時06分(東北・北海道新幹線『はやぶさ13号』)
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バスでの移動
仙台駅→瑞鳳殿前(るーぷる仙台)
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バスでの移動
瑞鳳殿前→仙台城址跡
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その他での移動
仙台城跡→仙台駅(タクシー)
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お土産買物(仙台駅周辺)
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バスでの移動
仙台駅:15時発→鳴子温泉車湯:16時25分着(宮城交通高速バス)
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車での移動
鳴子温泉車湯→鳴子ホテル(ホテルのマイクロバスでお迎え)
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鳴子ホテル宿泊
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この旅行記スケジュールを元に
今回はカタログから選んだホテルに無料で宿泊しました。
宿泊先は鳴子温泉です。実は今まで行ったことがありませんでした。
当初、鳴子温泉に宿泊し、鳴子温泉と仙台周辺を観光する予定でした。
ところが夫が地図を見て、私の実家に近いため、墓参りと実家近くの料亭(小料理店)『貞好』(以前は国指定有形文化財)に行きたいと言うではありませんか。そんなわけで、北上することに。
そしてせっかく北へ行くのなら、途中下車でもしようと思いました。
そこで平泉を観光してから行くことにしました。
ただ、今回は車ではなく電車での旅です。
実は夫と電車での旅は今回で2回目。
しかも新幹線で仙台に移動中、一部の電車が強風のため運行していないという車内放送がありました。
なんと、古川から鳴子温泉までに乗車予定の陸羽東線は運休でした。
そのため、電車での移動は諦めました。
タクシー、レンタカー、バスからの選択しかありません。
料金を考えバスに決めました。
ただ高速バスがありますが、仙台からは15時発のみの1本だけです。
このバスに乗り遅れないよう大忙しで観光しました。
【旅程】
3月14日(金)
東京:9時36分発→仙台:11時06分(東北・北海道新幹線「はやぶさ13号」
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仙台駅牛タン通り「伊達の牛たん」
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瑞鳳殿
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仙台城跡
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仙台駅(お土産などの買物)
仙台駅:15時発→鳴子温泉車湯:16時25分着
→ホテルからの送迎
↓
鳴子ホテル
3月15日(土)
鳴子温泉駅:8時31分発→古川駅:9時15分着(JR陸羽東線)
古川駅:9時48分発→一ノ関駅10時06分着(東北・北海道新幹線「はやぶさ103号」
一ノ関駅:10時15分発→平泉駅:10時23分着(JR東北本線)→平泉駅:10時45分発→中尊寺:10時49分着(岩手県交通 一関平泉線)
↓
中尊寺
↓
中尊寺発→毛越寺(タクシー)
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毛越寺
↓
毛越寺発→平泉駅着(徒歩)
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芭蕉庵(ランチ)
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無量光院跡
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柳之御所遺跡
↓
平泉駅
↓
平泉駅→北上駅→横手駅
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新幹線乗車中に車内放送がありました。
ショックです!
運転見合わせ!!
強風のために古川駅から鳴子温泉駅までの電車が止まっています。
まずは様子をみますが、万が一のことを考えた上で観光することにします。 -
当初の予定通り、仙台駅到着早々にランチにします。
駅の3階の牛たんどおりにある「伊達の牛たん本舗」でいただきました。
2人とも牛たん定食にしました。私は牛たん3枚6切、夫は4枚8切です。
今後のこともあるため、アルコールなしです。
でも美味しくいただきました。
ただ、食べ終わった時には、店の前に行列ができていました。
早く食べて正解でした。伊達の牛たん本舗 仙台駅3階 牛たん通り店 グルメ・レストラン
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その後は西口バスターミナル16番乗場へ。
『るーぷる仙台』を利用します。
ちなみに1階まで降りるとわかりにくかったです。
新幹線は3階ですので2階に降りて、西口の歩行者用デッキに出て、案内に従って行くとわかりやすいです。
ご覧のようにレトロな感じのバスで観光地を巡ります。るーぷる仙台 乗り物
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まずは瑞鳳殿に向かってます。
バスの中から撮っています。石垣が見えます。
駐車場付近にレトロなコインロッカーがありました。
しかも今どき珍しく無料でした。
荷物が少なかったので、駅前のコインロッカーは利用しませんでしたが、せっかくなので、こちらに預けました。 -
参道です。
思っていたよりも傾斜のある坂道でした。 -
鹿児島県人七士の墓
明治14年西南戦争に従事し、戦後官軍に投降した西郷軍は国事犯として全国の監獄署に護送されました。宮城県には椎原国幹(西郷隆盛の叔父)以下305人が県監獄署に収監されました。
国事犯たちは自ら宮城県の開発を願い出て、仙台、塩釜、野蒜、雄勝等で開墾作業や築港工事に従事し、明治初期の宮城県の開発に大きな役割を果たしました。この内13人は獄中で病のため死してこの地に葬られました。現在7基を残し6基は遺族に引き取られたようです。
全然知りませんでした。
心からご冥福をお祈りします。 -
正宗山 瑞鳳寺
藩祖政宗公の菩提寺として寛永14年(1,637)二代忠宗公によって創建された御一門格寺院です。御本尊は釈迦、文珠、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したものです。梵鐘は寛永14年忠宗公の寄進によるもので県指定の文化財です。
本堂前の冠木門は三代綱宗公 側室椙原お品邸にあったもので俗に高尾門といわれています。
栄西堂は塩済宗の宗祖であり、また日本に初めてお茶を伝えた、栄西の御像を安置したもので、人間国宝、香取正彦氏の作です。 -
石段を登って行きます。
杉に囲まれています。
折からの強風のためか参道に杉がたくさん落ちています。
滑らないように注意して歩きました。 -
国宝 伊達政宗・伊達忠宗霊廟の碑
伊達政宗は、寛永13年(1636)5月24日、江戸桜田上屋敷にて70歳で亡くなりました。
遺骸は仙台に送られ、故人の遺言によって経ヶ峯に埋葬されました。
瑞鳳殿は伊達政宗の御霊を祀る霊屋〔御霊屋:お堂・神殿〕として、墓所の上に建てられた廟墓です。 -
仙台藩祖伊達政宗公霊屋 瑞鳳殿の案内です。
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杉参道を登って行きます。
雰囲気のある参道です。
登った先の左にチケット売り場と売店があり、売店で御朱印をいただけます。
書置きの御朱印200円でした。そして自分で日付のスタンプを押しました。
入場料は、570円です。
いずれもSuicaで支払いしました。 -
では、いよいよ入場します。
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手水舎でお清めします。
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【涅槃門】
色鮮やかです。
涅槃門は閉まっていますので、横の門から入ります。
透彫です。門の表には麒麟、内には瑞雲が彫られています。
涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死という意味にもなります。瑞鳳殿 寺・神社・教会
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この涅槃門は、樹齢数百年の青森県の檜葉を用いて再建されています。正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾りには「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。
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よく見ると黄金の菊が見えます。
伊達家は家紋である「竹に雀」のほかに、「三引両」「菊」「桐」「牡丹」「蟹牡丹」「九曜」「雪薄」の紋章も有していたのだそうです。
そして「菊」と「桐」の紋章は、豊臣秀吉から拝領したものとのことです。 -
奉納された石燈籠 片倉小十郎(重長)
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奉納された石燈籠 佐々元網
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奉納された石燈籠 奥山常良
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【拝殿】
拝礼のために整えられた施設で焼失前の拝殿は瑞鳳殿の床面と同じ高さに立っており、正面扉を開けると橋廊下、唐門をとおして瑞鳳殿内に安置された政宗の尊像に拝礼することができたとされています。
また、側面からも回廊が伸びており、御供所と繋がっています。
正面扉上には江戸時代の名書佐々木文山の筆による篇額がありました。 -
【橋廊下】
この場所には拝殿と唐門を繋ぐ橋廊下がありました。
橋廊下は吹き放しで両側に匂蘭を設けていました。
橋廊下の左右の空間には家臣の奉納した燈籠が5基ありましたが、現在は礎石のみが残されています。 -
【大香炉】
鎚起銅製家紋入 -
【唐門】
天井に金箔を張り出したことから「金唐門」とも呼ばれました。
正面の虹梁の上下の空間には竜虎図と二十四孝説話を題材にした透かし彫りが挿入されるなど装飾性に富んでいました。
現在は銅板製の近代的な門になっています。 -
政宗は生前ホトトギスの初音を聞くため、ここ経ヶ峯に登り、同行の家臣に死後は当地に墓所を造るように命じました。
この遺言に従い、寛永13年(1636)5月24日に江戸で70年の生涯を終えると、仙台に運ばれ経ヶ峯に葬られました。
写真左には、宝篋印塔があります。 -
瑞鳳殿本殿両脇の殉死者供養塔について
主君が亡くなった時に、家臣がその後を追って自ら死ぬことを殉死といい、江戸時代初期までその風習がありました。
家臣15名と、家臣の部下である陪臣5名の供養塔である「宝篋(ぎょう)印塔」があります。 -
鳳凰や天女のレリーフもあります。
とても豪華な墓所です。 -
青銅製龍頭彫刻瓦
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2023年にクラウドファンディングを活用して、瑞鳳殿本殿や政宗公御木像の修繕を行ったらしいです。
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この石畳みの中央をよく見ると・・・・・
まるで「スケート靴」です。
実は瑞鳳殿では、フィギュアスケートの羽生さんの衣装をモチーフにした七夕の吹き流しを展示されたようです。 -
戊辰戦争 弔魂碑
慶応4年(明治元年(1868))の戊辰戦争、その翌年の函館戦争における仙台藩士や旧幕臣・米沢藩の仙台応援隊士らを含む殉難者1,260名そして民間で犠牲となった多くの方の霊を弔うために明治10年(1877)に建立されました。
伊達家(14代当主伊達宗基)と旧仙台藩士が出資して、明治10年(1877)に鋳鉄製です。
台座には、戦死した方々の霊魂を慰めるために建てたことが記されています。 -
この先に感仙殿があります。
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【感仙殿】
感仙殿は2代藩主伊達忠宗公(1599~1658)の霊屋で、寛文4年(1664)に4代藩主伊達綱村公によって建立されました。
本殿、唐門、拝殿、御供所、廟門などからなるものだったのですが、明治の廃仏毀釈で本殿以外は取り払われました。
昭和6年(1931)瑞鳳殿とともに国宝に指定されましたが、昭和20年の戦災で焼失してしまいました。
現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年に完成したものです。 -
【板碑】
中世仏教で使われた供養塔です。死者の追善供養のために梵字や供養内容が刻まれて建てられました。鎌倉時代から室町時代に多く建てられ、戦国時代になると急激に廃れました。木製の卒塔婆に変化していったようです。多くの板碑は廃棄され、用水路の蓋などに転用されました。
2代藩主の伊達忠宗公の霊屋、感仙殿を発掘すると、墓室の蓋石として使用されている2枚と周囲の土留として使用されている3枚の板碑が発見されました。これらの板碑は宗教的な意味で使用されたのではなく、墓室を覆うのに使用されたようです。 -
【善応殿】
3代藩主伊達綱宗公(1640-1711)の霊屋で、享保元年(1716)、5代吉村公の時代に竣工しています。本殿、唐門、拝殿、廟門等からなっています。
瑞鳳殿や感仙殿よりは装飾がシンプルです。
明治初年に感仙殿と同じで本殿以外の建物は破却されてしまいました。
また、本殿も昭和20年の戦災で焼失してしまいましたが、昭和60年感仙殿とともに再建されました。 -
綱宗公の死去は殉死の禁令以後の事でした。
そのため殉死者はありません。
擬殉が行われたのだそうです。
これは、家臣が出家して菩提を弔うというものです。
善応殿の左前には擬殉者熊谷斎直清の墓があります。 -
【妙雲界廟】
感仙殿北側に9代藩主周宗公、11代藩主斉義公夫妻の墓所である妙雲界廟があります。 -
この先には穴蔵稲荷神社があります。
参道手前の右側にあります。 -
瑞鳳殿の御朱印です。
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るーぷる瑞鳳殿前のバス停です。
20分間隔です。仙台駅からは15分です。
この後、仙台城跡に向かいます。約7分で到着予定です。 -
バスの中から見た広瀬川です。
歌にもある「広瀬川」です。 -
仙台城跡に到着しました。
バス停先には大きな地図がありました。 -
仙台城跡の地図です。
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あ、見えてきました。
仙台城跡 名所・史跡
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伊達政宗公の騎馬像です。
凛々しいお姿です。このアングルだとお顔が後ろ向きですが。 -
残念ながら逆光になっていまいました。
伊達政宗公は、安土桃山から江戸時代前期にかけて活躍した武将です。
東北を平定し仙台藩を開きました。
生まれは1567年、出羽国です。
幼少期に右目を失明し、「独眼竜」とも呼ばれました。
政宗は1585年に家督を相続し、領地拡大に乗り出し、戦国時代を経て江戸時代には62万石を治めました。 -
仙台市内を一望できます。
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広瀬川やビルが見えます。
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こちらからは石垣らしきものも見えます。
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標高約130m、断崖の上の天然の要害に築かれたお城でした。
伊達62万石の居城でした。
この城はあえて天守閣を設けなかったそうです。それは家康の警戒を避けるためでした。 -
下から見上げると、勇ましく見えます。
当時もこのように城下を見下ろしていたのでしょうか。 -
広々とした本丸跡です。
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昭忠碑
ブロンズ製鵄です。
明治35年(1902)仙台にある第2師団関係の戦没者を弔慰するために作られました。
後で気付いたのですが、バスに乗り遅れないように急いでいたら、写真をあまり撮っていませんでした。(-_-;)
とりあえず往路は『るーぷる』にしましたが、このバスは一方通行で運行してますので、帰りはタクシーにしました。 -
タクシーで仙台駅に向かいました。
その際に、高速バスの乗り場についてタクシーの運転手さんに教えていただきました。
この緑色の建物が目印になります。
「西口エデン前24番乗場」とネット上にはありましたが、ビル名も変わっているし、どこのことなのか全然わかりませんでした。
さすがはタクシー!助かりました。 -
24番乗り場です。
この付近は高速バス乗り場です。
この鳴子温泉車湯行きは事前の予約は不要です。
ただ、他の高速バスは予約が必要です。 -
仙台駅前から鳴子温泉車湯までは1500円です。
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高速バスの終点は鳴子温泉の車湯という場所です。ホテルからは少し離れていました。歩けない距離ではありませんが、到着後はホテルに連絡して迎えにきてもらうか、タクシーにするか考えていました。
ただ、電車が運行していなかったため、鳴子温泉のホテルの多くは迎えに来てくれていました。(ホッ!) -
鳴子ホテルの外観です。
鳴子温泉 名湯の宿 鳴子ホテル 宿・ホテル
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ホテルの正面です。
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ホテルのお部屋です。
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お部屋です。
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洗面所
右にあるのはタオルヒーター。
単なるタオルかけではなくて暖房機能もついてました。
おかげですぐ乾きました。 -
鳴子温泉といえばこけしです。
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お雛様も飾ってありました。
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夕食です。ビュッフェでした。
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お部屋からの眺めです。
3月ですが、まだ雪が多く残っていました。
山もまだ白いです。 -
隣は学校でした。
眺望は今一つでしたが、スタッフの対応などは良かったと思います。 -
朝食です。
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この日のスケジュールの都合で、8時にはチェックアウトですが、それでもデザートはいただきました。
御馳走さまでした。
では、慌ただしく平泉へ向かいます。
ちなみに、電車が運行していなければ、一旦バスで仙台に行き、そこから新幹線で向かう予定でした。
その場合はホテルから9時45分のマイクロバスで、車湯まで行かなければなりませんでした。
天気と電車の運行状況をチェックして安心しました。
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