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桜の名所として近年一段と注目されるようになった目黒川に近い東横線中目黒駅から、桜が満開の目黒川沿いを遡り、西郷山から代官山を越えて渋谷川の谷に移って、並木橋から渋谷川沿いに遡行し渋谷駅を目指す。

桜咲く目黒川から代官山を越えて渋谷川へ

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2023/03/21 - 2023/03/21

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ワンダラー

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桜の名所として近年一段と注目されるようになった目黒川に近い東横線中目黒駅から、桜が満開の目黒川沿いを遡り、西郷山から代官山を越えて渋谷川の谷に移って、並木橋から渋谷川沿いに遡行し渋谷駅を目指す。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 東横線中目黒駅改札を出て、山手通りの東側歩道を南に、すぐに東に折れて目黒川を目指す。右岸には蛇崩川という支流が合流していたはずだが、暗渠化されたか。<br /><br />入口の新しめのビルの周囲には、「陽光」のような品種の濃いピンクの桜が満開で、桜の名所の入り口感を醸し出す。

    東横線中目黒駅改札を出て、山手通りの東側歩道を南に、すぐに東に折れて目黒川を目指す。右岸には蛇崩川という支流が合流していたはずだが、暗渠化されたか。

    入口の新しめのビルの周囲には、「陽光」のような品種の濃いピンクの桜が満開で、桜の名所の入り口感を醸し出す。

  • すぐにあるのが目黒川のさいかち橋で、上流を眺めると満開の桜が川面に垂れている。

    すぐにあるのが目黒川のさいかち橋で、上流を眺めると満開の桜が川面に垂れている。

  • コンクリートで固められた護岸は全く色気がなく、水はさほど汚れてはいないが水量が少ない。

    コンクリートで固められた護岸は全く色気がなく、水はさほど汚れてはいないが水量が少ない。

  • 川沿いに道路がつながっているのは左岸(東側)で、ほぼ花見の歩行者で満杯の感。

    川沿いに道路がつながっているのは左岸(東側)で、ほぼ花見の歩行者で満杯の感。

  • 100mおき位に「別所橋」、「桜橋」、「宿山橋」、「朝日橋」、「千歳橋」などの橋がかかっていて、橋の中央からが眺めが良い。<br /><br />因みに「宿山橋」は、旧鎌倉街道が通っていたらしく、たもとに笠間稲荷がある。

    100mおき位に「別所橋」、「桜橋」、「宿山橋」、「朝日橋」、「千歳橋」などの橋がかかっていて、橋の中央からが眺めが良い。

    因みに「宿山橋」は、旧鎌倉街道が通っていたらしく、たもとに笠間稲荷がある。

  • 雰囲気を出そうと飾られたぼんぼりは、安っぽいピンク色が派手で、ない方が良いと感じる。

    雰囲気を出そうと飾られたぼんぼりは、安っぽいピンク色が派手で、ない方が良いと感じる。

  • この辺りが核心部か。

    この辺りが核心部か。

  • 桜の由来を彫った記念碑が建てられている。<br /><br />桜は、昭和初期の目黒川改修時に植えられ、記念碑が上流の山手通り目黒橋近くに建てられ、昭和62年にこちらの下流側に移されたらしい。<br /><br />

    桜の由来を彫った記念碑が建てられている。

    桜は、昭和初期の目黒川改修時に植えられ、記念碑が上流の山手通り目黒橋近くに建てられ、昭和62年にこちらの下流側に移されたらしい。

  • さらに上流は、核心部に比べて桜が見劣りするようなので、菅刈公園の道標につられて左岸の斜面を登る。<br />菅刈公園は、目黒区の区立公園。江戸時代には豊後の岡藩(中川家)の屋敷があり、滝や池のある回遊式の大名庭園だったそう。<br />透水性が高い山の手台地の上なのに、「池」とは贅沢に感じるが、おそらくは尾根筋の三田用水の水で補給していたのであろう。

    さらに上流は、核心部に比べて桜が見劣りするようなので、菅刈公園の道標につられて左岸の斜面を登る。
    菅刈公園は、目黒区の区立公園。江戸時代には豊後の岡藩(中川家)の屋敷があり、滝や池のある回遊式の大名庭園だったそう。
    透水性が高い山の手台地の上なのに、「池」とは贅沢に感じるが、おそらくは尾根筋の三田用水の水で補給していたのであろう。

  • 明治7年に西郷従道(西郷隆盛の弟)がこの土地を購入し、洋館や和館を建造し、庭園も活かしたとされる。<br />確か海軍大臣など歴任した大物政治家だった記憶だが、眺望も良い贅沢な屋敷だ。

    明治7年に西郷従道(西郷隆盛の弟)がこの土地を購入し、洋館や和館を建造し、庭園も活かしたとされる。
    確か海軍大臣など歴任した大物政治家だった記憶だが、眺望も良い贅沢な屋敷だ。

  • 菅刈公園北口を出ると、道路を挟んで、同じく目黒区立の西郷山公園に導かれる。

    菅刈公園北口を出ると、道路を挟んで、同じく目黒区立の西郷山公園に導かれる。

  • こちらの公園も西郷従道の屋敷の一画だったそう。<br /><br />緩い坂道の園路や展望台が設けられ、晴れた日には遠くの富士山も望めるというが、今日は春霞。それでも南西方向は低いので丹沢山塊あたりまで見渡せる。

    こちらの公園も西郷従道の屋敷の一画だったそう。

    緩い坂道の園路や展望台が設けられ、晴れた日には遠くの富士山も望めるというが、今日は春霞。それでも南西方向は低いので丹沢山塊あたりまで見渡せる。

  • 「西郷山」と言っても「山」ではなく、山の手台地を浸食した目黒川がつくった谷の崖上の斜面を利用してつくられた芝生と植栽の公園。八重咲らも咲いている。

    「西郷山」と言っても「山」ではなく、山の手台地を浸食した目黒川がつくった谷の崖上の斜面を利用してつくられた芝生と植栽の公園。八重咲らも咲いている。

  • 多少は、人工的な「山」もある。

    多少は、人工的な「山」もある。

  • 道は、お屋敷町の中を、まだ緩い登りで代官山に向かう。<br />「代官山」とは、江戸時代に登場した地名とされるが、代官の屋敷があったからという説や、代官が管理する山林があったからとする説があるが、由来を示す資料は残っていないという。江戸幕府のお膝下近くにお代官の屋敷があったとは思えないが。

    道は、お屋敷町の中を、まだ緩い登りで代官山に向かう。
    「代官山」とは、江戸時代に登場した地名とされるが、代官の屋敷があったからという説や、代官が管理する山林があったからとする説があるが、由来を示す資料は残っていないという。江戸幕府のお膝下近くにお代官の屋敷があったとは思えないが。

  • やがて旧山手通りに達する。<br />この辺りは、尾根筋を流れていた三田用水跡が旧山手通りになっているようで、今では代官山のおしゃれなメインストリートで、シンボルの蔦屋書店が入る再開発ビルがある。

    やがて旧山手通りに達する。
    この辺りは、尾根筋を流れていた三田用水跡が旧山手通りになっているようで、今では代官山のおしゃれなメインストリートで、シンボルの蔦屋書店が入る再開発ビルがある。

  • ひと昔前に時代の象徴のように騒がれた蔦屋書店が入る再開発ビルは、代官山T-SITEと呼ばれる。外壁の白が映える。

    ひと昔前に時代の象徴のように騒がれた蔦屋書店が入る再開発ビルは、代官山T-SITEと呼ばれる。外壁の白が映える。

  • 蔦屋のイメージアップにはなっているのであろうが、採算が取れているようには感じられない、ゆとりが十分すぎるように感じられる再開発ビル。

    蔦屋のイメージアップにはなっているのであろうが、採算が取れているようには感じられない、ゆとりが十分すぎるように感じられる再開発ビル。

  • 代官山地区から八幡通りを渋谷川の谷に向けて下って行くと、新並木橋にさしかかる。<br />ここでは渋谷川は開渠で流れてはいるが、大きなコンクリート製のU字溝のような護岸で風情がない。上流の「春の小川」のように暗渠化されていないのが救い。<br /><br />ここは、元々は旧鎌倉街道が渋谷川を渡った並木橋で、八幡通りの新並木橋はその南側の高い位置に架けられている。何故こんなに高いかというと東横線が下を走っていたためであろう。渋谷駅から600mほどの近さであるが、昭和21年までは東横線に並木橋の駅があったという。さすがその時代は知らないが、前の東京オリンピック前後までは、すぐ東側の明治通りを、渋谷から金杉橋行の都電が通っていて並木橋電停があって賑っていた記憶がある。渋谷から田町駅行きの都バスはまだある。

    代官山地区から八幡通りを渋谷川の谷に向けて下って行くと、新並木橋にさしかかる。
    ここでは渋谷川は開渠で流れてはいるが、大きなコンクリート製のU字溝のような護岸で風情がない。上流の「春の小川」のように暗渠化されていないのが救い。

    ここは、元々は旧鎌倉街道が渋谷川を渡った並木橋で、八幡通りの新並木橋はその南側の高い位置に架けられている。何故こんなに高いかというと東横線が下を走っていたためであろう。渋谷駅から600mほどの近さであるが、昭和21年までは東横線に並木橋の駅があったという。さすがその時代は知らないが、前の東京オリンピック前後までは、すぐ東側の明治通りを、渋谷から金杉橋行の都電が通っていて並木橋電停があって賑っていた記憶がある。渋谷から田町駅行きの都バスはまだある。

  • 渋谷駅に向けて渋谷川沿いに遡上する。<br /><br />目黒川は、この先の暗渠から流れ出している。<br />昔は開渠で、東口の橋のたもとには、ヘビを売る店があった記憶。

    渋谷駅に向けて渋谷川沿いに遡上する。

    目黒川は、この先の暗渠から流れ出している。
    昔は開渠で、東口の橋のたもとには、ヘビを売る店があった記憶。

  • やがて東横線線路跡に出来た渋谷ストリームのビルに導かれる。<br /><br />2階部分の歩道には、かつての東急電鉄東横線をイメージする線路上のモニュメントがある。<br />

    やがて東横線線路跡に出来た渋谷ストリームのビルに導かれる。

    2階部分の歩道には、かつての東急電鉄東横線をイメージする線路上のモニュメントがある。

  • どんどん進むと、かつての東横線の駅構内に入る。<br />国道246号線を越えて旧東横百貨店につながる部分の外壁の風除け部分は、昭和40年前後のデザインを残した形でリニューアルされている。<br />懐かしみを感じて今日の旅を終える。

    どんどん進むと、かつての東横線の駅構内に入る。
    国道246号線を越えて旧東横百貨店につながる部分の外壁の風除け部分は、昭和40年前後のデザインを残した形でリニューアルされている。
    懐かしみを感じて今日の旅を終える。

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