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名古屋から車で石徹白白山中居神社を目指す道行き。<br />今回は岐阜県郡上市大和町河辺に鎮座する「河邉(河辺)神社」を取り上げます。<br />スキーやキャンプなどで郡上方向に向け国道156号線を走行すると、大和町河辺地内で右側に立派な杉の巨木が視界に入ってきます。<br />国道脇に鳥居が建てられていますが、その存在以上に二本の杉の巨木が河邉(河辺)神社の存在をアピールしています。

河邉(河辺)神社

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2024/06/17 - 2024/06/17

614位(同エリア635件中)

おやじさん

名古屋から車で石徹白白山中居神社を目指す道行き。
今回は岐阜県郡上市大和町河辺に鎮座する「河邉(河辺)神社」を取り上げます。
スキーやキャンプなどで郡上方向に向け国道156号線を走行すると、大和町河辺地内で右側に立派な杉の巨木が視界に入ってきます。
国道脇に鳥居が建てられていますが、その存在以上に二本の杉の巨木が河邉(河辺)神社の存在をアピールしています。

旅行の満足度
2.5
観光
2.5
交通
2.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 国道から郡上方向の眺め。<br />社頭は国道脇の大和南小学校の北に隣接するようにあり、篠脇山西麗に東西に長い社地を持っています。<br />この辺りは郡上郡山田荘に属し、江戸時代この地域一帯は郡上藩領となっていた地域。<br /><br />町の沿革は明治30年(1897)に徳永村、河辺村、神路村、牧村、古道村、栗巣村が合併し山田村となり、昭和30年(1955) 西川村、弥富村と合併し大和村となり、昭和60年(1985)に現在の大和町になった。<br />個人的に、村が合併し、町に変わり、郡上市(2004)になって以降、地名はしっくりしなくなってきた。

    国道から郡上方向の眺め。
    社頭は国道脇の大和南小学校の北に隣接するようにあり、篠脇山西麗に東西に長い社地を持っています。
    この辺りは郡上郡山田荘に属し、江戸時代この地域一帯は郡上藩領となっていた地域。

    町の沿革は明治30年(1897)に徳永村、河辺村、神路村、牧村、古道村、栗巣村が合併し山田村となり、昭和30年(1955) 西川村、弥富村と合併し大和村となり、昭和60年(1985)に現在の大和町になった。
    個人的に、村が合併し、町に変わり、郡上市(2004)になって以降、地名はしっくりしなくなってきた。

  • 社頭全景。<br />石段右に「郷社 河邊神社」社号標、正面に石の明神鳥居を構えています。

    社頭全景。
    石段右に「郷社 河邊神社」社号標、正面に石の明神鳥居を構えています。

  • 鳥居は大正15年(1926)に寄進されたもの。

    鳥居は大正15年(1926)に寄進されたもの。

  • 社殿は鳥居の先に見える神楽殿と後方の篠脇山の斜面に付けられた長い石段の先の拝殿、本殿が主な社殿となります。

    社殿は鳥居の先に見える神楽殿と後方の篠脇山の斜面に付けられた長い石段の先の拝殿、本殿が主な社殿となります。

  • 狛犬は昭和7年(1932)に寄進されたもので、境内石段脇の一対の常夜灯は昭和11年(1936)に寄進されたものです。<br />境内に神社由緒は見当たらず、岐阜県神社庁から河邊神社を調べたところ以下の内容でした。<br />「慶長年中(1596-1615)火災に罹り古書類等焼失し、其の記事不詳なるが、僧空海が御神体を彫刻したるものと傳へ、旧藩時代は権現神社と称せしを明治の初年に河邊神社と改称する。<br />河邊部落民全体の氏神として崇敬するに因る。」<br />村名を冠する河邉(河辺)神社、大和村史など探して見るが、非公開で図書館に行かねばならないようで詳細は分からなかった。

    狛犬は昭和7年(1932)に寄進されたもので、境内石段脇の一対の常夜灯は昭和11年(1936)に寄進されたものです。
    境内に神社由緒は見当たらず、岐阜県神社庁から河邊神社を調べたところ以下の内容でした。
    「慶長年中(1596-1615)火災に罹り古書類等焼失し、其の記事不詳なるが、僧空海が御神体を彫刻したるものと傳へ、旧藩時代は権現神社と称せしを明治の初年に河邊神社と改称する。
    河邊部落民全体の氏神として崇敬するに因る。」
    村名を冠する河邉(河辺)神社、大和村史など探して見るが、非公開で図書館に行かねばならないようで詳細は分からなかった。

  • 境内は、神楽殿と右に手水舎、左右に収蔵庫があります。

    境内は、神楽殿と右に手水舎、左右に収蔵庫があります。

  • 広い境内の右から社殿の眺め。

    広い境内の右から社殿の眺め。

  • 手水舎。<br />自然石をくり抜いた大きな鉢で、鉢の裏側は見なかったが、ひょっとして寄進年が刻まれていたかもしれない。

    手水舎。
    自然石をくり抜いた大きな鉢で、鉢の裏側は見なかったが、ひょっとして寄進年が刻まれていたかもしれない。

  • 神楽殿と書いてみたものの、ひょっとしてこれが拝殿になるのか。<br />この先から石段を登った先に拝殿と更に上に本殿があります。<br />上の拝殿を幣殿と捉えると、この建物は拝殿なのかもしれません。<br />ここでは神楽殿として続けます。<br />広い境内の最深部に建てられており、境内で祭りが催行され、河邊の氏神に奉納されるのだろう。

    神楽殿と書いてみたものの、ひょっとしてこれが拝殿になるのか。
    この先から石段を登った先に拝殿と更に上に本殿があります。
    上の拝殿を幣殿と捉えると、この建物は拝殿なのかもしれません。
    ここでは神楽殿として続けます。
    広い境内の最深部に建てられており、境内で祭りが催行され、河邊の氏神に奉納されるのだろう。

  • 内部から本殿に向かう石段方向の眺め。<br />壁の上の梁を見渡すと、組物と蟇股が全周に渡って施されており、大きな切妻屋根は柱と共にこれで支えています。<br />こうした造りはあまり見た記憶がなく、外の景色が見える欄間のような手の込んだ作りになっています。

    内部から本殿に向かう石段方向の眺め。
    壁の上の梁を見渡すと、組物と蟇股が全周に渡って施されており、大きな切妻屋根は柱と共にこれで支えています。
    こうした造りはあまり見た記憶がなく、外の景色が見える欄間のような手の込んだ作りになっています。

  • 神楽殿裏側から本殿に続く石段と左の境内社。<br />境内社には社名札がなく詳細は分からなかった。<br />靴も履き替え、熊鈴も付けた、体がほぐれていない朝一番の石段登り、行ってみるか。

    神楽殿裏側から本殿に続く石段と左の境内社。
    境内社には社名札がなく詳細は分からなかった。
    靴も履き替え、熊鈴も付けた、体がほぐれていない朝一番の石段登り、行ってみるか。

  • 先も見えないような長さの石段ではありませんが、角の取れた古い石段で、そこそこ斜度もあるので踏み外す事もあります、手摺はとても有難い。<br />篠脇山の西斜面にも漸く陽射しが入り始めました。

    先も見えないような長さの石段ではありませんが、角の取れた古い石段で、そこそこ斜度もあるので踏み外す事もあります、手摺はとても有難い。
    篠脇山の西斜面にも漸く陽射しが入り始めました。

  • 石段の数を数えて見ようと両指までは数えたが、いつしか分からなくなった。<br />そんなころ上を見上げるとゴールが見えてきます。<br />参道はここから左に向きを変え、拝殿に続きます。<br />樹々に包まれ、陽に照らされた拝殿の姿が神々しい見える。

    石段の数を数えて見ようと両指までは数えたが、いつしか分からなくなった。
    そんなころ上を見上げるとゴールが見えてきます。
    参道はここから左に向きを変え、拝殿に続きます。
    樹々に包まれ、陽に照らされた拝殿の姿が神々しい見える。

  • 拝殿から本殿の眺め。<br />比較的新しい建物で、拝殿や神楽殿に扁額は見かけなかった。<br />まずは鈴を鳴らして参拝。

    拝殿から本殿の眺め。
    比較的新しい建物で、拝殿や神楽殿に扁額は見かけなかった。
    まずは鈴を鳴らして参拝。

  • 拝殿左から本殿域の眺め。<br />最初見た時は流造の大きな本殿だなぁと思ったが、これは覆屋でした。<br />覆屋の周囲を黒い板塀で囲い神門に繋がり、本殿は大きな覆屋の下に建てられています。

    拝殿左から本殿域の眺め。
    最初見た時は流造の大きな本殿だなぁと思ったが、これは覆屋でした。
    覆屋の周囲を黒い板塀で囲い神門に繋がり、本殿は大きな覆屋の下に建てられています。

  • 神門前から覆屋を見上げる。<br />板塀と覆屋側面の幕で本殿の様子は良く見えない。

    神門前から覆屋を見上げる。
    板塀と覆屋側面の幕で本殿の様子は良く見えない。

  • 神門の格子戸から見た本殿。<br />虹梁、蟇股、扉に至る迄、細かな彫飾りが施されており、扉の前に個性的な姿の小さな狛犬が安置されています。<br />ここに祀られているのは蔵王権現。

    神門の格子戸から見た本殿。
    虹梁、蟇股、扉に至る迄、細かな彫飾りが施されており、扉の前に個性的な姿の小さな狛犬が安置されています。
    ここに祀られているのは蔵王権現。

  • 神門右から覆屋と本殿の眺め。<br />本殿の造りは恐らく流造りでしょう。<br />慶長年中(1596-1615)火災で資料を焼失とありますが、本殿も被災したのか定かではありませんが、現状を見る限り酷い劣化も見られず、大きな覆屋がしっかりと本殿を保護しているようです。

    神門右から覆屋と本殿の眺め。
    本殿の造りは恐らく流造りでしょう。
    慶長年中(1596-1615)火災で資料を焼失とありますが、本殿も被災したのか定かではありませんが、現状を見る限り酷い劣化も見られず、大きな覆屋がしっかりと本殿を保護しているようです。

  • 拝殿から登ってきた道を見下ろす。<br />国道からどれだけ標高があるのか分かりませんが、樹々の隙間から国道を走る車は随分と見下ろす高さにあります。<br />この篠脇山の東側の山頂には、鎌倉時代末期に築城され、東氏が約230年間居城したとされる篠脇城址がありますが天正14年(1541)に廃城となっており、神社が資料焼失した頃とも近く、関連の有無が気になってきます。

    拝殿から登ってきた道を見下ろす。
    国道からどれだけ標高があるのか分かりませんが、樹々の隙間から国道を走る車は随分と見下ろす高さにあります。
    この篠脇山の東側の山頂には、鎌倉時代末期に築城され、東氏が約230年間居城したとされる篠脇城址がありますが天正14年(1541)に廃城となっており、神社が資料焼失した頃とも近く、関連の有無が気になってきます。

  • さて、また石段に戻ってきました、下りとは言っても朝一番はきついものがある。

    さて、また石段に戻ってきました、下りとは言っても朝一番はきついものがある。

  • なんとか無事に戻ってこられました、照らされた境内はとても暑そうな感じです。<br /><br />河邉(河辺)神社<br />創建 / 慶長年中(1596-1615)以前<br />祭神 / 蔵王権現<br />境内社 / 不明社1社<br />祭礼 / 9月16日<br />所在地 / 岐阜県郡上市大和町河辺955-1 伊岐神社から県道343号線、国道156号線で約60分<br />参拝日 / 2024/6/17

    なんとか無事に戻ってこられました、照らされた境内はとても暑そうな感じです。

    河邉(河辺)神社
    創建 / 慶長年中(1596-1615)以前
    祭神 / 蔵王権現
    境内社 / 不明社1社
    祭礼 / 9月16日
    所在地 / 岐阜県郡上市大和町河辺955-1 伊岐神社から県道343号線、国道156号線で約60分
    参拝日 / 2024/6/17

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