2024/11/03 - 2024/11/17
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kawausoimokoさん
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プラド美術館とリスボンの国立古美術館でお気に入りの絵画を観るために15日間の旅に出かけました。
その途中、マドリッド近郊のエル・エスコリアル修道院やトレド、リスボン近郊のシントラも巡りました。
今回の旅でも、貸し出し中だった作品、祭日で閉館していた美術館、工事中で入れなかった教会などがありましたが、スペインとポルトガルの魅力を再認識しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年11月7日(木)(Day5-1)
午前中は、王立サン・フェルナンド美術アカデミーを訪れます。
先ずは、プエタ・デル・ソルにやって来ました。
朝10時前の広場は閑散としており、定番写真スポットの「クマとイチゴノキ」も撮り放題です。 -
La Mallorquina
お目当ては、老舗菓子店Pastelería La Mallorquinaです。 -
La Mallorquina
初日の午後に一度足を運んだものの、あまりの混雑ぶりに諦めました。
朝8時半から営業しているので、今日は美術館に行く前にやって来ました。 -
La Mallorquina
店内は丁度良い混み加減で、お菓子もゆっくり選べました。 -
La Mallorquina
1Fのカウンターで頂きました。
私的にはお味はごく普通かな…
糖分をタップリ補給して、歩いて5分の美術館へ向かいます。 -
王立サン・フェルナンド美術アカデミー(Real Academia de Bellas Artes de San Fernando)
1752年、スペイン国王フェルナンド6世によって、美術教育と芸術振興を目的として設立されました。
現在ではそのコレクションの一部が美術館として一般公開されています。
プラド美術館がスペイン王室コレクションを中心に構成されているのに対し、この美術館のコレクションは、歴代の講師や卒業生によって制作された作品、個人や団体からの寄贈品、さらには政府や文化機関から移管された作品など、多様な来歴を持っています。
歴代の講師や学生には、フランシスコ・デ・ゴヤをはじめとする著名な芸術家が名を連ねています。
ゴヤは18世紀後半にアカデミーで版画技術や肖像画を指導する講師を務めており、作品もこの美術館に収蔵されています。
20世紀にはパブロ・ピカソやサルバドール・ダリなどが短期間ながら学生として在籍し、ファッションデザイナーのオスカー・デ・ラ・レンタも一時在籍していたそうです。 -
イーゼルに立つ自画像:フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ, 1785年頃
ゴヤは多くの自画像を残しており、その内の少なくとも15点はゴヤ自身が描いたものとみなされています。
この作品は1785年頃に制作された自画像で、当時40歳前後であったゴヤ自身が描きました。
この頃のゴヤはアカデミーの絵画科副部長に就任し、学生たちを直接指導していました。 -
「ラ・ティラナ」の肖像::フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ, 1799年-1800年頃
「ラ・ティラナ」という愛称で知られる舞台女優マリア・デル・ロサリオ・フェルナンデスの肖像画です。
ゴヤは演劇を非常に愛し、劇場に足繁く通ううちに舞台俳優たちと親しい関係を築きました。
その中で特にマリアに魅了され、彼女の肖像を2度描いています。 -
フェルディナンド7世の肖像画:フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ、1808年
フェルディナンド7世(1784年~1833年)はスペイン・ブルボン朝の国王であり、その治世は二つの時期に分けられます。
最初の治世は、1808年3月、父カルロス4世の退位を受けて即位した直後に始まりました。
しかし、同年5月、ナポレオン・ボナパルトによってフランスのバイヨンヌに呼び出され、王位を放棄させられた上で幽閉されます。
その後、スペイン本土はナポレオンの兄ジョセフ・ボナパルトが統治を行い、スペイン独立戦争(半島戦争)が勃発しました。この戦争は、イギリスの支援とスペイン人による激しい抵抗によって長期化し、最終的にナポレオン失脚の一因となりました。
1814年、ナポレオンの失脚を受けてフェルディナンド7世は帰国し、王位に復帰します。
当初、国民から期待されましたが、彼は自由主義的な1812年のカディス憲法を廃止し、反体制派を弾圧する一方で、旧来の特権階級を復権させ、専制的な絶対主義政策を行ったため、国民の反発を招きました。
1820年には、ラファエル・デル・リエゴらによる軍事反乱が成功し、フェルディナンド7世は憲法の復活と自由主義的改革を余儀なくされました。
しかし、1823年にフランス軍の介入(聖アリウス同盟の支援)により自由主義勢力が打倒され、再び専制政治が復活しました。
この肖像画は、1808年、フェルディナンド7世が新王として即位した直後に、当時スペイン王室の第一画家であり、アカデミーの名誉館長を務めていたゴヤによって描かれました。
しかし、当時の国政の混乱により、ゴヤが生前にこの作品の報酬を受け取ることはありませんでした。
ゴヤの死後1年が経過した1829年、アカデミーはゴヤの一人息子であるハビエルに報酬を支払い、代わりにハビエルは1815年に描かれたゴヤの自画像をアカデミーに寄贈したと伝えられています。 -
フェリペ4世の肖像:ディエゴ・ベラスケスの工房 , 1656年
1623年、当時24歳のベラスケスはスペイン国王フェリペ4世の宮廷画家に任命され、以後、フェリペ4世とその家族、廷臣たちの肖像画を描きました。
この肖像画はベラスケスが1651年にイタリア旅行から戻った後に、彼の工房で制作されており、晩年のフェリペ4世が描かれています。 -
マリアナ・デ・アウストリアの肖像:ディエゴ・ベラスケスの工房 , 1656年
マリアナ・デ・アウストリアは、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世とマリア・アンナ・デ・エスパーニャの娘として生まれ、1649年、15歳で異母兄にあたるスペイン王フェリペ4世の2番目の王妃となりました。
彼女は複数の子どもをもうけましたが、成人まで生き延びたのは長女マルガリータと末息子カルロスの2人だけでした。
1665年にフェリペ4世が亡くなると、3歳のカルロスがカルロス2世として即位しましたが、カルロス2世は重度の健康問題を抱えていたため、マリアナは1665年から1675年まで摂政を務めました。
ディエゴ・ベラスケスの工房では、プラド美術館所蔵のマリアナ・デ・アウストリアの全身肖像画をもとに、異なるサイズの複製画を複数制作しており、この作品もそのうちの一つです。 -
オーストリアのマリア・テレサ(マリー・テレーズ・ドートリッシュ)の肖像:ピエール・ミニャール , 1660-1670年の間
フランス・ブルボン家の宮廷画家であったピエール・ミニャールによって描かれたものです。
マリア・テレサは、フェリペ4世とフェリペ4世の最初の王妃であるフランス王アンリ4世とマリー・ド・メディシスの娘イサベル・デ・ブルボンとの間に生まれ、1660年にルイ14世と結婚しました。 -
スザンナと長老たち:ピーテル・パウル・ルーベンス , 1608年頃
この作品は、ルーベンスが1600年から1608年にかけてイタリアを訪れ、ミケランジェロやティツィアーノから大きな影響を受けた時期に制作されました。
1778年にアカデミーによってサヴォイア公ピオのコレクションから購入されました。 -
キリストと聖母の間の聖アウグスティヌス:ピーテル・パウル・ルーベンス , 1615年
この作品で用いられた「聖アウグスティヌスがキリストと聖母の間に位置する」というモチーフは、対抗宗教改革の時期に新たに採用され始めたもので、聖アウグスティヌスが信仰の仲介者としての役割を果たしていることを象徴しています。
聖アウグスティヌスはローマ時代のカトリック教会の教父として特に重要な人物であり、彼が説いた「神の慈悲」と「人間の罪深さ」に関する教えは、対抗宗教改革の神学的基盤を支えるものでした。 -
「悔い改めた罪人たちと聖母子」:アンソニー・ヴァン・ダイク, 1621-1627年
マグダラのマリアの右隣には、放蕩息子とダビデ王が描かれています。
対抗宗教改革期の芸術では、トリエント公会議の終結時に公布された規範に従い、「悔い改め」と「許し」が重要なモチーフとされ、繰り返し描かれました。
この作品は、ナポリ副王を務めたメディナ・デ・ラス・トーレス公爵がスペイン王フェリペ4世に贈ったもので、エル・エスコリアル修道院に所蔵されていました。
また、ベラスケスはこの作品を高く評価していました。 -
ヘラクレスとオンファレ:ピーテル・パウル・ルーベンス , 1600-1625年の間
ギリシャ神話の「ヘラクレスとオンファレ」を題材としています。
ヘラクレスは12の功業を終えた後、狂気により家族を殺害し、罪を償うためデルフォイの神託に従い、リュディアの女王オンファレに奴隷として仕えました。
この間、ヘラクレスはリュディアの怪物を退治し、オンファレを愛するようになります。
一般的な伝承では、オンファレがヘラクレスを自由にし、愛人や夫としたとされています。
しかし、この作品では、オンファレはヘラクレスに羊毛を紡がせる一方、自らは彼のネメアのライオンの毛皮と棍棒を身に着け、ヘラクレスの耳を引っ張って忠告しています。
さらに、周囲には7人の女性たちがその様子を面白がりながら眺めています。
こうした愛における男女の役割の反転というテーマは、17~18世紀に特に人気があり、ルーベンスをはじめ多くの画家がこの神話を描いています。 -
聖バルトロマイの殉教:ホセ・デ・リベーラ , 1620-1626年の間
聖バルトロマイは、新約聖書の12使徒の一人であり、伝承によればインドやアルメニアで宣教活動を行いました。しかし、異教徒によって捕らえられ、生きたまま皮を剥がされるという残酷な方法で殉教したとされています。
リベーラはこのような劇的で痛ましい題材を得意とするバロック期の画家で、この作品はアカデミーでモデル作品として繰り返し使用されたと伝えられ、リベーラの卓越した技法を学ぶための重要な教材でもありました。 -
聖マグダラのマリアの被昇天:ホセ・デ・リベーラ , 1636年
この作品は、エル・エスコリアル修道院から移送されました。 -
改悛の聖ヒエロニムス:ホセ・デ・リベーラ , 1645-1650年の間
リベーラの最晩年の作品で、「ゴドイ・コレクション」から寄贈されました。
マヌエル・デ・ゴドイは、カルロス4世の宰相を務めた人物で、政治的な影響力だけでなく、美術の保護者としても重要な役割を果たしました
彼が収集した膨大な絵画コレクションは「ゴドイ・コレクション」として知られており、ゴヤの「裸のマハ」や「着衣のマハ」といった有名な作品が含まれていました。 -
聖ディエゴ・デ・アルカラと貧しい人々:バルトロメ・エステバン・ムリーリョ ,1645-1646年
15世紀スペインのフランシスコ会修道士である聖ディエゴが、貧しい人々に食べ物や援助を施す場面を描いています。
聖ディエゴは、貧者への奉仕と数々の奇跡で知られる聖人であり、「慈善」と「助け合い」がテーマとなっています。
ムリーリョ特有の、庶民や子どもの姿が温かみを持って生き生きと描かれており、画面全体から優しさが伝わってきて、お気に入りの作品です。 -
アッシジの聖フランシスコの法悦:バルトロメ・エステバン・ムリーリョ,1646年
病の床にある聖フランシスコを天使が音楽を奏でて慰めています。 -
神の仔羊:フランシスコ・デ・スルバラン,1635-1640年
この作品には複数のバリアントがあり、プラド美術館にも展示されていました。 -
騎士の夢:アントニオ・デ・ペレーダ , 1650年頃
1600年代にネーデルラント・フランドル地方で大流行した「ヴァニタス絵画」は、スペインでは、カトリック教義や対抗宗教改革の影響を受けて、宗教的な意味合いが強い独自のヴァニタス絵画として描かれました。 -
救世主:ジョバンニ・ベッリーニ, 15世紀
この作品は、ヴェネツィアで最初に設立された慈善組織の一つである「スクオーラ・グランデ・デッラ・カリタ」が所持していたもので、20点以上のヴァリアントが存在することから、当時非常に人気の高い作品だったそうです。
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