2024/11/03 - 2024/11/17
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kawausoimokoさん
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プラド美術館とリスボンの国立古美術館でお気に入りの絵画を観るために15日間の旅に出かけました。
その途中、マドリッド近郊のエル・エスコリアル修道院やトレド、リスボン近郊のシントラも巡りました。
今回の旅でも、貸し出し中だった作品、祭日で閉館していた美術館、工事中で入れなかった教会などがありましたが、スペインとポルトガルの魅力を再認識しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年11月6日(水)(Day4)
楽しみにしていたエル・エスコリアル修道院を訪れます。
まだ夜が明けていない朝7時半過ぎ、ホステルを出発しました。
歩いて3分のプラド美術館前のバス停から、エル・エスコリアル行きのバスが発着するMoncloaのバスターミナルへ向かいます。 -
バス001番 Moncloa行きの案内ディスプレイ
マドリード市内で乗車したバスの多くには、分かり易い案内ディスプレイが設置されており、便利でした。 -
地下鉄Moncloaへの入り口
バスターミナルは地下鉄と直結しています。 -
地下鉄Moncola構内
バスターミナルは階段を昇った先にあります。 -
バスターミナル Intercambiador Moncloa 待合所
チケット売り場はなく、エル・エスコリアルへの運賃は片道4.2ユーロで、乗車時に運転手へ現金で支払います。
クレジットカードは利用できません。 -
エル・エスコリアル行きのバス車内
8:30発の661番バスに乗車しました。
エル・エスコリアルまでの道中には大学がいくつかあるので、出発時の車内は学生さんで一杯でした。 -
バスターミナル Est. De Autobuses De S. L. De El Escorial 到着
9:20、El Escorialに到着しました。
Moncloaから終点El Escorialまで約50分でした。
途中のバス停で学生さんたちが降りたため、終点で降りた乗客はごくわずかでした。
バスターミナル周辺には、この時間に開いているカフェやお店はなく、ホテルも営業していないようでした。 -
エル・エスコリアル修道院
バスターミナルから徒歩約10分で、エル・エスコリアル修道院の北側に到着しました。
エル・エスコリアル修道院の開館は午前10時からなので、観光客はわずかです。
Google mapで検索した修道院西側の Café de la Reina Escorial も閉まっていました。
仕方なく、来た道を少し戻り、唯一営業していた小さな食料品店でコーヒーを買いました。
愛想の良い店員さんから、エル・エスコリアル修道院周辺のお店は観光シーズンだけ営業し、11月からの閑散期には閉まるところも多いと聞きました。 -
エル・エスコリアル修道院 北東側
正式名称は「サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル修道院」で、フェリペ2世の命により1563年から1584年にかけて建設されました。
フェリペ2世は1556年に即位し、すぐに父カルロス1世の時代から続くイタリア戦争を指揮しました。
1557年8月10日にフェリペ2世率いるスペイン軍は、宿敵アンリ2世指揮下のフランス軍を北フランスのサン・カンタン近郊で打ち破り、スペインの軍事的優位を確立しました。
このサン・カンタンの戦いが行われた8月10日は、キリスト教において聖ロレンソ(聖ラウレンティウス)の祝日であり、スペインがこの戦いに勝利したことは、フェリペ2世にとって神の加護の証とされました。
しかし、戦闘の結果としてサン・カンタンの町は破壊され、その中には聖ロレンソに捧げられた教会も含まれていました。
フェリペ2世は勝利への感謝と教会の破壊に対する贖罪の意味を込めて、聖ロレンソに捧げる新たな宗教施設であると同時に、父である神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の霊廟として、エル・エスコリアル修道院を建設をしました。
エル・エスコリアル修道院は対抗宗教改革の一環としてカトリック修道院の宗教的役割を強化する目的を持ち、スペイン王室の権威を国内外に示すものでした。 -
エル・エスコリアル修道院 南東側
エル・エスコリアル修道院は、幅207メートル、奥行き161メートルという大きな建築物で、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の建築にも携わったスペイン人建築家フアン・バウティスタ・デ・トレドが設計を始め、その後、フアン・デ・エレーラがその設計を引き継ぎました。
修道院内部は多機能な複合施設であり、バシリカ、教会、王室の墓所、図書館、修道士の居住区、学校などが含まれており、スペイン王家の離宮としても使用されました。
王室の墓所には、フェリペ2世の父カール5世(カルロス1世)をはじめ、アルフォンソ13世までの歴代王族が埋葬されています。 -
修道院の中庭
午前10時のオープンと同時に、数人の見学客と一緒に修道院の正門から入場しました。 -
王の中庭
王の中庭の正面が大聖堂への入り口となり、ファサードにはエルサレム神殿を建設したユダ族の6人の王たちの彫刻が並んでいます。 -
大聖堂
キリスト像を飾った高さ10mの豪華な祭壇があります。 -
大聖堂のドーム
ドームは約100メートルの高さがあり、十字になった身廊の天井にはそれぞれフレスコ画が描かれています。
壁面の装飾は比較的簡素で、飾られた宗教画が一層引き立っていました。 -
聖ビンセントと聖ジョージ:アロンソ・サンチェス・コエーリョ
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聖マグダラのマリアと聖マルタ:ディエゴ・デ・ウルビーナ
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東方三博士の礼拝:ルカ・ジョルダーノ
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三位一体:ホセ・デ・リベーラ
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ピエタ:ホセ・デ・リベーラ
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福音書記者たちの回廊
4人の福音書記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)にちなんだフレスコ画が全部で62枚あるそうです。 -
回廊のフレスコ画
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チャプタールーム
フェリペ2世は修道院の装飾を充実させるため、所有する絵画や聖遺物を複数回にわたり修道院を管轄するヒエロニムス修道会に委譲しました。
特に、1574年に行われた最初の絵画の委譲は、修道院の建設が進み、装飾が本格化するタイミングで実施されたため、厳選された作品が対象となりました。
この中には、ティツィアーノの作品19点、デューラーの作品10点、ボスの作品9点など、名画が含まれていたと伝えられています。
しかしながら、委譲目録には作品の主題や画中のモチーフ、サイズが記載されているものの、作者名が明記されているケースは少なく、委譲された絵画の全容は未だ解明されていません。
その後、修道院に委譲された絵画の多くはプラド美術館へ移送されましたが、それでも修道院には現在約1800点以上の絵画が所蔵されていると言われています。
また、修道院内で展示される絵画やその展示場所は随時入れ替えられているようです。 -
聖マウリティウスの殉教:エル・グレコ , 1580-1582年制作
フェリペ2世の依頼を受けたエル・グレコがエル・エスコリアル修道院のために制作したものです。
しかし、当時のスペインの宗教的規範やフェリペ2世の期待に合致しないとされ、修道院に受け入れられることはありませんでした。
16世紀末のスペインでは、トリエント公会議で定められた宗教芸術に対する厳格な指針に従い、信仰心を喚起し、祈りを促進する実用的な聖像画が求められていました。
一方、エル・グレコの革新的なスタイルは、宗教的情熱を強く表現しながらも、複雑な構図や非現実的な色彩が観る者を混乱させると評価され、修道院長ホセ・デ・シグエンサは「祈る心を失わせる」と批判し、修道院の宗教的用途に適さないと判断しました。
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トリエント公会議で定められた宗教芸術の指針
トリエント公会議(1545-1563年)は、宗教改革に対抗するカトリック教会の対抗宗教改革の一環として行われ、その中で宗教芸術に関する具体的な指針が策定されました。
これらの指針は、カトリック信仰の強化とプロテスタントの偶像崇拝批判への対応を目的とし、公会議の終結時に公布された「聖人の取次ぎと崇敬、聖遺物、聖像に関する教令」において、宗教芸術の役割と規範が明確に示されました。
信仰心の喚起
宗教画や彫刻は、信者の信仰心を深め、祈りや瞑想を促進することが求められ、信者の感情を揺さぶり、神聖な体験を呼び起こす表現を持つべきとされました。
教義の明確な伝達
宗教芸術は、カトリック教会の教義や聖書の物語を正確に伝える役割を担い、視覚的な教育の手段として位置づけられ、信者が容易に理解できる明確な表現が重要とされました。
簡潔で分かりやすい構成
複雑すぎる構図や曖昧な象徴表現を避け、信者が混乱することなく教えを受け取れるように主題がはっきりと伝わるものが求められました。
品位と適切さの維持
神聖さと敬虔さを保つべきとされ、不適切な裸体表現や過度に世俗的な要素を排除して、信者が霊的に集中できるように求めらました。
偶像崇拝批判への対応
プロテスタントの偶像崇拝批判に対抗し、宗教画は純粋に教育的かつ霊的な目的を果たすものとされ、装飾的な要素に偏ることなく、信仰の真理と神への献身を伝える役割を果たすものであるとされました。 -
5000人の給食:ヨアヒム・パティニール , 1510年
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聖母子像
クェンティン・マサイスだと思われますが、詳細は良く判りません。 -
エッケ・ホモ:ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
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聖ペテロ:エル・グレコ , 1608年
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聖イルデフォンソ:エル・グレコ , 1605-1610年
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パオロ・ヴェロネーゼ
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アハシュエロス王の前のエステル(複製):エル・エスコリアル修道院の工房
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王たちのパンテオン 入り口
ここは撮影禁止でした。
聖堂の真下に位置する階段を下ると、円形の部屋に、フェリペ2世の父カール5世(カルロス1世)をはじめ、アルフォンソ13世までの歴代の国王と王母が豪華な棺に眠っていました。 -
王子たちのパンテオン
1888年頃にアルフォンソ12世の命で増設された霊廟で、王位を継承しなかったスペインの王族とその配偶者などが安置されていました。 -
図書館
天井一面の見事なフレスコ画、黒と白の大理石で仕上げられた床、深い茶色のマホガニーの書棚が調和し ています。
フレスコ画はイタリア人のペッレグリーノ・ティバルディが制作したもので、当時の大学で必修科目とされた文法・論理・修辞・算術・幾何・音楽・天文の自由七科をテーマに描かれています。 -
図書館
フェリペ2世が収集した約40,000 冊の書籍と 600 冊の初版本が収蔵されています。
また、図書館を科学研究の場にするために、図面や彫刻、人物の肖像画、数学や科学の機器、地図、天球儀、動植物の複製、コインやメダルなども収蔵されています。 -
聖母マリアのカンティガ集「Códice Rico(T写本)」
13世紀、アルフォンソ10世(賢王)の命でイベリア西部で盛んだった音楽を伴う抒情詩(カンティガ)集が編纂され、ガリシア=ポルトガル語の韻文で書かれた420の聖母マリアの奇跡譚と音楽が収録されました。
この「Códice Rico(T写本)」は、そのカンティガ集の写本の内のひとつで、195篇の奇跡譚が韻文と楽譜で記されており、物語を表す美しい細密画が描かれています。 -
戦闘の間
長さ60メートルの回廊には、スペインが勝利したサン=カンタンの戦いを含む3つの戦闘が描かれています。 -
ハプスブルグ家の王宮
ハプスブルグ家の王宮は礼拝堂に隣接しており、フェリペ2世が信仰生活と政務を一体的に行えるよう設計されています。 -
建設当時のエル・エスコリアル修道院を描いた絵画
グアダラマ山脈の麓の田園地帯に建設されました。 -
建設当時のエル・エスコリアル修道院を描いた絵画
エル・エスコリアル修道院は聖ロレンソの象徴である「焼き網」をイメージして設計されており、建物全体が格子状の幾何学的な長方形で構成されています。
聖ロレンソは、3世紀にローマ帝国で殉教したキリスト教の聖人で、鉄の格子「焼き網」の上で火あぶりにされたので、「焼き網」が彼の象徴となっています。 -
ハプスブルグ家の王宮
歴代の王族の肖像画が飾られています。 -
ハプスブルグ家の王宮
フェリペ2世は国内の複数の王宮を季節によって使い分けていて、春をアランフェス、夏をエル・パルド、秋をエル・エスコリアル、冬をマドリッドの王宮で過ごしました。 -
フェリペ2世の書斎
フェリペ2世の生活は非常に質素で規律正しいもので、祈りを欠かさず、祭壇に隣接したこの書斎で日常を過ごしました。
書斎には質素な家具と書籍、わずかな装飾があるだけで、小さなオイルランプを頼りに夜遅くまで国務に励んだそうです。 -
フェリペ2世(王妃?)の寝室
寝室には小窓が設けられており、寝室から直接礼拝堂の祭壇を見渡すことができたので、痛風に苦しんでいたフィリペ2世は病床にあってもミサに参加したそうです。
(ただし、その小窓がどこにあるのかはよく分かりませんでした)
スカーレットピンクの天蓋とベッドカバーが目を引きます。
もしかして、これはフェリペ2世ではなく、王妃が使用していたもので、私の勘違いかも?m(_ _)m -
ハプスブルグ家の王宮
音楽を楽しんだこともあったのでしょう。 -
十字架を背負うキリスト:ヒエロニムス・ボス , 1498年
フェリペ2世は特にボスの作品がお気に入りで、多数の作品を収集しました。
この作品はアルバ大公の実子であるフェルディナンド・デ・トレドのコレクションにあったもので、1574 年にフェリペ 2 世が取得し、修道院へ移送されました。 -
荊冠のキリスト:ヒエロニムス・ボスの工房
この作品もアルバ大公の実子であるフェルディナンド・デ・トレドのコレクションにあったもので、彼の没後に行われたオークションで購入され、1593年に修道院に移送されました。
2016年にボスリサーチと保全プロジェクト(BRCP)による調査が行われ、この作品はボス本人ではなく、彼の工房の作品である可能性が高いと結論付けられました。
木のパネルの成長リングを研究することによって年代を決定する年輪年代学の研究により、ボスの死後、16世紀の第2四半期以前には描かれていないことが明らかになっています。
ボスの死から3年後にマリヌス・ファン・レイメルスワーレによって制作されたという説もあります。 -
Creation:ヒエロニムス・ボスの工房
フェリペ2世はボスの「快楽の園」を寝室に飾っていたと言われており、ボスの作品を特に好んでいたようです。
飾っていた作品が、この縮小サイズの左パネルの複製だったのか、または、プラド美術館が所持する原寸サイズの左パネルの複製なのかは分かりませんが、寝室の小ささを考えると、多分、ここにあるものだったのかもしれません。 -
神殿の聖母:ファン・デル・ストック
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ブルボン家の王宮(控えの間)
スペイン・ハプスブルク家は1700年にカルロス2世の死によって断絶しました。
カルロス2世は遺言でフランス・ブルボン家出身のフィリップ(フランス王ルイ14世の孫)を後継者に指名しましたが、これに反発したオーストリア・ハプスブルク家や他のヨーロッパ諸国がスペイン王位をめぐって継承戦争を引き起こしました。
戦争の結果、1713年にユトレヒト条約が結ばれ、フィリップはスペイン王フェリペ5世として即位し、ブルボン家が王位を継ぎました。 -
ブルボン家の王宮(ダイニングルーム)
ブルボン家の王宮は、ヴェルサイユ宮殿に象徴されるバロック文化やロココ様式の影響を受けており、修道院もこれにあわせて増改築されました。
ブルボン家の王宮は、ハプスブルグ家の簡素な様式とは対照的に、華麗で装飾的なデザインが採用され、内装には金箔、絵画、そして、タペストリーと絨毯で豪華な装飾が施されています。
特にブルボン家の王宮ではタペストリーと絨毯が多用され、これらはフェリペ5世が1720年に設立した王立タペストリー工場で制作されたものです。
この工場では、ゴヤ、テニールス、フアン・グリス、ペレス・ビジャルタといった画家たちがタペストリーの下絵やスケッチを手掛けました。 -
磔刑:ロヒール・ファン・デル・ウェイデン , 1460年頃
(ウィキメディア・コモンズのパブリックドメインからダウンロード)
こちらは特別展で展示されており、写真撮影はできませんでした。
修復作業中に撮影されたX線写真なども同時に展示されていました。 -
エル・エスコリアル修道院東側 修道士の庭
エル・エスコリアル修道院を実際に見学し、フェリペ2世の「人となり」を少しだけ垣間見たような気がします。
フェリペ2世はボスの「快楽の園」を寝室に飾っていたと言われており、ボスの作品を特に好んでいた点に強く興味を惹かれました。
一般的には、ボスの絵画は、罪や救済、人間の堕落といったテーマを寓話的に描き、その象徴性が道徳的反省を促すものとして評価されており、対抗宗教改革を推進したフェリペ2世の信仰と一致していたものとみなされています。
しかし一方で、ボスの幻想的で象徴的なビジュアルは、フェリペ2世個人の美的感覚や哲学的関心に訴えて、彼がボスの作品を宗教芸術としてではなく美的嗜好の対象として愛したのではないかと想像すると、当時の王の人間らしい一面を感じます。
さらに、ボスの作品が「トリエント公会議で定められた宗教芸術の指針」とどのような関係にあったのかという点にも、新たな疑問が生じました。
16世紀から17世紀にかけてのスペインの歴史にも思いを馳せました。
フェリペ2世が王位を継いだ頃を頂点として繁栄を極めたスペインは、アメリカ大陸からの銀の輸入によって財政が潤い、「太陽の沈まない国」としてヨーロッパの覇権国となりました。
しかし17世紀に入ると、イギリス、フランス、オランダなどが台頭し、スペインは銀経済に依存しすぎた結果、国内産業の育成が進まず、次第に競争力を失っていきました。
さらに、広大な領土を維持するための戦争、特に八十年戦争や三十年戦争は莫大な財政負担をもたらし、スペイン無敵艦隊の敗北やネーデルラント独立などの出来事を経て、スペインは衰退への道を歩みました。
エル・エスコリアル修道院は、フェリペ2世の信仰と美的嗜好を反映すると同時に、スペインの歴代の王たちが経験した栄光と凋落の歴史を象徴する場所でもあると感じました。 -
修道士の庭
朝10時から休みなく見学していたので疲れ切ってしまい、午後3時前に修道院を後にしました。
帰り道では、Google mapで検索したお目当ての店を見つけることができず、他のお店を探す気力も残っていなかったので、小さなパナデリアでエンパナーダと飲み物を購入して公園のベンチでいただきました。
帰りのバスは空いていて、心地よい揺れの中でつい居眠りをしてしまったので、あっという間にMoncloaに到着しました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- yunさん 2025/01/15 21:13:48
- ボス作品の引力
- kawausoimokoさん
エル・エスコリアル修道院、いつか訪問したいと願っており
勉強させていただきながら拝見しました。
ボス作品を好んで収集したフェリペ2世。
そのいたって簡素な書斎を見て、何かストンと心に落ちてきました。
遠い昔のボス好き仲間として、勝手ながら親近感を抱きました。
カトリック信仰起因のみならず、ボスの絵に惹かれても良いですよね。
「トリエント公会議で定められた宗教芸術の指針」
分かりやすい説明に導かれ読み進みました。
ボス作品がどう判断されたのか?あまりに突出した独自性にはカトリック主流派で眉をしかめる人々もいたでしょうね。
2022年、サンティアゴ巡礼の帰路でマドリッド2泊しました。
なんと同じHostalでした。プラド美術館近くで選びましたが、ボスが結ぶご縁かもしれません。
リスボン国立古美術館も未訪にて、続く旅行記も楽しみにしております。
yun
- kawausoimokoさん からの返信 2025/01/16 15:06:28
- Re: ボス作品の引力
- yunさん
「ボス作品の引力」という言葉に、心から共感いたします!
マルガレータ・デ・アウストリア、カール5世、フェリペ2世といった「ボス作品の引力」に惹きつけられた歴史上の人物たちが綿々といて、そして今、yunさんとご一緒にそのことを語り合えるなんて、ボスが結んでくれたご縁を感じます。
ボスが描く世界の奇想と独創性は、キリスト教の枠を超えた普遍性を持っており、当時の人々がどのように彼の作品を受け止めたのか、想像するだけでますます興味が湧きますね。
ボスの作品が多く制作されたネーデルラントは、16世紀後半、カルヴァン派の影響を受けたイコノクラスム(聖像破壊運動)が激しく行われた地域であり、ボスの工房で制作された作品が多数あったと考えられているにもかかわらず、現在確認された作品は限られていることから、作品のいくつかが当時の宗教的規範から問題視されてイコノクラスムの犠牲になった可能性も十分考えられます。
その一方で、フェリペ2世がボスの作品を収集したおかげで、現在スペインでボスの作品を鑑賞できることを考えると、「ボス作品の引力」の力強さを感じますね。
それにしても、マドリッドで同じHostalをご利用されていたとは驚きです!
私はyunさんのボス絡みの旅行記を拝見したおかげで、2023年にはウィーン美術アカデミーを忘れずに訪れることができましたし、また、スヘルトーヘンボスもぜひ訪れてみたいと思っています。
みんな「ボスが結んでくれたご縁」です。
元々遅筆で、2年前の中欧旅行記もまだ終わらせていない状況なのですが、昨年訪れたリスボン国立古美術館の旅行記は頑張って完成させたいと思います。
今年は年初から所用が重なってなかなか進みませんが、yunさんのような「ボス好き同士」の方と交流できることで、モチベーションが高まります。
どうぞもこれからもよろしくお願いします。
kawausoimoko 拝
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