2024/11/03 - 2024/11/17
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kawausoimokoさん
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プラド美術館とリスボンの国立古美術館でお気に入りの絵画を観るために15日間の旅に出かけました。
その途中、マドリッド近郊のエル・エスコリアル修道院やトレド、リスボン近郊のシントラも巡りました。
今回の旅でも、貸し出し中だった作品、祭日で閉館していた美術館、工事中で入れなかった教会などがありましたが、スペインとポルトガルの魅力を再認識しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年11月5日(火)(Day3-1)
今回の旅の楽しみの一つは、「プラド美術館でネーデルラント&フランドル絵画コレクションを観る」ことです。
プラド美術館を訪れるのは今回で3回目。
前回は8年前のことでした。
左にあるのはその8年前に購入したガイドブック(2014年版)、右は今回新たに購入したもの(2019年版)です。
内容はほとんど変わりませんが、表紙がベラスケス「ラス・メニナース」のマルガリータ王女からフラ・アンジェリコ「受胎告知」の大天使ガブリエルの翼部分に変更されていました。
8年前はミラノやフィレンツェ、ローマを訪れるのを楽しみとするイタリア・ルネサンス絵画のファンだったので、そんな私が訪れたプラド美術館ではベラスケス、ティツィアーノ、ルーベンス、ゴヤといった巨匠たちの豊富な作品に圧倒されるばかりで、ネーデルラント&フランドル絵画に対する印象は薄いものでした。
(この頃は、ルーベンスが特にフランドル絵画という認識はありませんでした(*ノωノ)
ところが、7年前にブリュッセルのベルギー王立美術館Old Mastersで、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、ヒエロニムス・ボス、ブリューゲルらの作品に出会ったことで、ネーデルラント&フランドル絵画の魅力に目覚めました。
その後、特にボスとブリューゲルについては、知れば知るほど謎が深まり、次第に「沼」にハマっていきました。
そして昨年、久し振りにウィーン美術史美術館でハプスブルク家のネーデルラント&フランドル絵画コレクションを鑑賞し、その歴史を再認識したことで「スペイン・ハプスブルク家のコレクションも改めてじっくり鑑賞したい」と思うようになり、今回の旅に出ました。 -
お宿から歩いて5分、朝10時前にGoya Gateに到着しました。
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Goyaの肖像
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10時の開館を待ちます。
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右の壁に刻まれた錚々たる名前を見るだけで胸が高鳴ります。早く観たい!
PATINIR
ROGER VAN del WEYDEN
BOSCH
ALBERT DURERO
HANS HOLBEIN
ANTONIO MORO
RUBENS
VAN DYCK
REMBRANDT
DAVID TENIERS
CLAUD de LORENA
WATTEAU -
左の壁には敬愛する巨匠たちの名前が刻まれています。
BEATO ANGELICO
GIOVANNI BELLINO
MANTEGNA
TIZIANO
GIORGIONE
RAFAEL
ANDREA del SARTO
SEBASTIAN del PIOMBO
CORREGGIO
TINTORETTO
VERONES
TIEPOLO -
プラド美術館の歴史(ガイドブック要約)
プラド美術館(Museo del Prado)の起源は、1809年、ナポレオン軍の占領下にあったスペインで、ジョゼフ・ボナパルトが発令した美術館設立プロジェクトにさかのぼります。
その後、紆余曲折を経て、スペイン独立戦争終結後に即位したフェルナンド7世によってプロジェクトが再開されました。
そして、1819年に建築家ファン・デ・ビリャヌエバが設計したプラド・デ・サン・ヘロニモの建物に、王室コレクションを展示する「王立絵画美術館」が開館し、後に地名にちなんで「プラド美術館」と呼ばれるようになりました。
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プラド美術館は、スペイン・ハプスブルク家の王室コレクションを中核にしています。
膨大なコレクションの中には多くのネーデルラント&フランドル絵画の傑作が含まれています。
これらの絵画コレクションはカトリック両王がフランドル美術を愛好したことに始まり、特にカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)とその息子フェリペ2世の嗜好に由来します。
カルロス1世はネーデルラントで生まれ育ち、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、ヤン・ファン・エイク、アントニオ・モロなどのフランドルの芸術作品を愛したことから、フランドルとネーデルラントの画家たちの作品がスペイン宮廷へもたらされました。
また、カルロス1世はティツィアーノに代表されるイタリア絵画も愛好し、ティツィアーノは後にカール5世とその息子のフェリペ2世の肖像画家となりました。
カルロス1世の息子であるフェリペ2世はスペインの黄金時代を象徴する王で、カトリック信仰を擁護してプロテスタント勢力との戦いに尽力し、対抗宗教改革を象徴する修道院兼宮殿としてエル・エスコリアル宮殿の建設を命じました。
フェリペ2世は父カルロス1世のフランドル美術への愛好も引き継ぎ、ヒエロニムス・ボスやパティニール、そして、ブリューゲルらの作品を愛し、エル・エスコリアル修道院と宮廷を飾るために多くの作品を集めました。
17世紀に入ると、スペインは文化的繁栄期を迎え、フェリペ3世の宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが「ラス・メニーナス」などを始めとする多くの肖像画を制作しました。
また、この時代に作家ミゲル・デ・セルバンテスが登場しました。
しかし、フェリペ3世以降のハプスブルク家の統治下でスペインの国力は次第に衰退し、1700年にスペイン・ハプスブルク家の最後の王カルロス2世が後継者を残さずに没すると、スペイン継承戦争が勃発し、ハプスブルク家は断絶してブルボン家が王位を継承しました。
18世紀のスペイン・ブルボン朝では、本国からフランス人画家が呼び寄せられる一方、イタリア絵画が好まれました。
また、フェリペ5世の2度目の后であるイサベラ・ファルネーゼは、ムリーリョを愛好し数多くの作品がコレクションに加えられました。
プラド美術館の王室コレクションは歴代の国王が私財を費やして購入したものが多く、1827年の所蔵品目録には4000点以上が記載されていたそうです。
王室コレクションは私財であったため、王位継承時には度々遺産相続問題が起りましたが、1872年のスペイン名誉革命でイサベル2世が退位させられるのと同時に王室コレクションは国有財産となり、プラド美術館は国立美術館となりました。
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スペイン王国がハプスブルグ家に支配されるようになったのは、1516年にカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)がスペイン王に即位したことに始まりますが、おさらいしてみました。
1. カトリック両王とスペイン統一
1469年、カルロス1世の祖父母であるアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世が結婚し、スペインの主要地域を統合しました。
この王朝連合によりカトリックを基盤としたスペイン王国が成立し、ローマ教皇から「カトリック両王」の称号を授けられました。
両王の統治期はレコンキスタ終盤にあたり、彼らの支援を受けたコロンブスの新大陸発見によりスペインの財政は潤い、ローマ・カトリックの守護者として対抗宗教改革や植民地布教を主導しました。
両王の娘がカルロス1世の母フアナ(「狂女フアナ」)です。
2. フアナとフィリップ美公の結婚
フアナは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の息子フィリップ美公(ブルゴーニュ公)と結婚し、スペイン、オーストリア・ハプスブルク家、ブルゴーニュ領が結びつきました。
2人の息子がカルロス1世です。
3. フアナの王位継承問題
フアナは兄弟の早世によりスペイン王位継承者となりますが、夫フィリップの死後に精神的な問題を抱え、実権を握れませんでした。
この間、叔父フェルナンド2世が統治を引き継ぎました。
4. カルロス1世の即位とスペイン・ハプスブルク朝の成立
1516年、フェルナンド2世の死後、孫のカルロスがスペイン王カルロス1世として即位し、スペイン・ハプスブルク朝が始まります。
即位時のカルロスは16歳で、ネーデルラントで育ちフランス語が母語だったためスペイン国内で反発を招き、母フアナが名目上の共同統治者となりましたが、カルロスはスペイン語を学びながら権力を掌握しました。
5. カルロス1世の統治
1519年には父方の祖父である神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世が亡くなり、カルロス1世はオーストリアの領土を継承し、神聖ローマ皇帝カール5世に選出されました。
これにより、カルロス1世(カール5世)はスペイン、ネーデルラント、イタリア、アメリカ大陸の植民地、そして、神聖ローマ帝国という広大な領土を治めることになりました。
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快楽の園 左パネル(楽園)部分
プラド美術館では作品の撮影は許可されていませんが、公式ウェブサイトに掲載されている作品画像を以下の目的でダウンロードして利用することが認められています。
・個人使用
・学術、研究、または個人学習、および学校や大学などの教育機関内での使用
・非営利で商業的配布を伴わない出版物、個人ウェブサイト、個人ブログ、またはソーシャルメディアでの利用
https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-works
プラド美術館の公式ウェブサイトからダウンロードした画像を用いて、今回鑑賞したネーデルラント&フランドル絵画をいくつかアップします。 -
快楽の園(三連祭壇画):ヒエロニムス・ボス , 1490 - 1500年制作
高さ:185.8cm; センターパネルの幅:172.5 cm; サイドパネルの幅: 76.5 cm
この作品は、エンゲルブレヒト2世、ヘンドリック3世、ルネ・ド・シャロンといったナッサウ家の歴代の所有者を経て、オレンジ公ウィリアム1世の所有物となりました。
しかし、1568年にスペイン領ネーデルラント総督アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドによってブリュッセルで没収されます。
その後、この作品はアルバ公の庶子であるフェルディナンド・デ・トレドの手に渡り、彼が1568年から1591年まで所有しました。
1591年にはスペイン国王フェリペ2世が競売で購入し、1593年にエル・エスコリアル修道院に移送されます。
1933年、作品はプラド美術館へと移され、1943年の法令により正式に同館の管理下にある国家遺産として登録されました。
この作品の来歴は、まさにネーデルラントの歴史と重なり合っており、一層感慨深いです。
人類の運命をテーマにした謎めいた三連祭壇画で、外装と内部パネルで構成されています。
外装パネルはグリザイユ技法で創世記の地上の楽園を描き、神の創造の瞬間を表現しています。
内部パネルでは左に楽園、中央に偽りの楽園、右に地獄が描かれています。
左パネルはアダムとイブの物語を通じて結婚や性を象徴し、中央パネルでは欲望と享楽の儚さを幻想的な描写で示しています。
右パネルは地獄を舞台に、罪の罰と風刺を描いています。 -
東方三博士の礼拝(三連祭壇画): ヒエロニムス・ボス , 1494年頃制作
高さ147.4cm x 幅 168.6cm 重さ: 26.8 kg
1494年頃、アントウェルペンの裕福な市民ピーテル・シェイフヴェとアニエス・デ・グラムによってボスに制作が依頼されました。
1574年にフェリペ2世によってエル・エスコリアル修道院へ送られ、1839年の王室の命令により、修道院からプラド美術館へ移されました。
キリストの贖いと普遍的な救いをテーマにした作品で、中央パネルには三博士が幼子キリストを礼拝する場面が描かれ、捧げ物や衣装に旧約聖書の預言やエピソードが反映されています。
金や真珠の捧げ物はアイザックの犠牲、フェニックスは復活を象徴するなど、細部に象徴が込められています。一方で、反キリストの像やネズミを狙うフクロウなど、邪悪さを暗示する要素も描かれ、罪に満ちた世界への救いの重要性が強調されています。
左右のパネルでは、寄贈者と聖ペテロ、聖アグネスが描かれ、それぞれが信仰と贖いのテーマを表します。
背景にはベツレヘムの風景や欲望を象徴するシーンがあり、罪と救いの対比が描写されています。
裏面にはグレゴリウスのミサがセミグリザイユで描かれています。 -
干し草車(三連祭壇画 ) : ヒエロニムス・ボス , 1512 - 1515年制作
高さ147cm x 幅 212 cm
1636年にはマドリードのアルカサルにあったとされ、1788年の独立戦争時に解体されました。
中央パネルは、サラマンカの初代侯爵のコレクションとなり、1848年にイザベル2世がこれを買い上げてアランフェス宮殿に飾り、その後エル・エスコリアル修道院へ移送されて1914年までありました。
左パネルは、1839年にはプラド美術館にありました。
右パネルは、1914年までエル・エスコリアル修道院にありました。
1914年にアルフォンソ13世が右側と中央のパネルをプラド美術館に譲渡し、プラド美術館で完全な三連祭壇画となりました。
人間が地上の欲望や罪に溺れる姿を描き、その結末としての地獄の苦しみを提示する作品です。
作品は精神的な戒めを観る者に与える目的を持ち、欲望に支配された人間の堕落を厳しく批判しています。
中央パネルでは、地上の財産を象徴する干し草車に群がるあらゆる階級の人々が描かれ、彼らは悪魔によって地獄へと導かれます。
左パネルには天使の堕落やアダムとイブの失楽園が描かれ、人間の罪の起源が示されています。
右パネルでは地獄が新鮮な視点で表現され、罰を受ける人々の姿が生々しく描かれています。
この作品は、善行よりも悪を避けることの重要性を説く当時の宗教観を反映しており、干し草車の上で監視するキリストの姿が救済の可能性を示しています。
プラド美術館に収蔵されているオリジナル版以外に、スペイン国内には複数のバージョンが存在します。 -
愚者の石の切除:ヒエロニムス・ボス , 1501 - 1505年制作
高さ48.5cm x 幅34.5 cm
この作品はユトレヒト司教ブルゴーニュのフィリップが注文主と推測されており、1524年以前にはデュルステード城にあり、1527年7月にユトレヒトで売却されました。
1745年以前からスペイン王室にあり、フェリペ5世の遺言中のロイヤルコレクションに記載されていました。
1794年にはチャールズ3世の遺言中のロイヤルコレクションに記載されていましたが、1839年以来、プラド美術館に所蔵されています。
人間の愚かさと狂気をテーマにした風刺的な作品です。
中心には、狂気を「頭の中の石」と見なして除去する迷信に基づく手術の場面が描かれています。
患者は椅子に縛られ、逆さ漏斗をかぶった外科医が頭から石ではなく睡蓮のような花を取り出しており、この花は金銭や性的欲望の象徴とされ、手術は去勢や性欲の抑制を暗示しています。
患者の名前「Lubbert Das」は怠惰や愚かさを象徴しています。
この作品には、ボスの工房、または、フォロワーによって制作されたとみられる複数のヴァリアントが現存しています。 -
七つの大罪と四終:ヒエロニムス・ボス , 1505 - 1510年制作
高さ119.5cm x 幅139.5 cm
1560年以前にフェリペ2世によって取得されました。
1574年から1936年までエル・エスコリアル修道院にあり、1936年にプラド美術館に寄託され、1943年の法令により国家遺産としてプラド美術館に正式に寄託されました。
制作時期は1505年から1510年頃と推定され、スタイルや登場人物の服装などから、ボスの晩年の作品とみられています。
この作品は後世に大きな影響を与え、特にピーテル・ブリューゲル(父)のような画家たちにインスピレーションを与えたとされています。
円形を主体とした構図を持つ独創的な作品で、中央にはキリストの姿が描かれ、彼を囲むように「七つの大罪」を象徴する場面が環状に配置されています。
また、四隅には「死」「最後の審判」「地獄」「天国」の場面が小さな円形で描かれ、人間の罪とその帰結を視覚的に表現しています。
「七つの大罪」は、日常生活に見られる具体的な場面を通じて、寓意的に表現されています。
高慢(プライド): 悪魔が持つ鏡の前で身だしなみを整える女性
嫉妬(エンヴィー): 隣人の財産を羨む夫婦や骨を巡って争う犬
怒り(ラース): 居酒屋での喧嘩
怠惰(スロース): 暖炉の前で眠る男
貪欲(グラトニー): 大食いの家族
強欲(アバリス): 賄賂を受け取る治安判事
色欲(ラスト): 宮廷カップルの享楽
四隅に描かれた円形の場面は、人生の四つの終末を表しています。
死: 守銭奴が死を迎える場面
最後の審判: 魂が復活し、裁きを受ける様子
地獄: 罪人がその罰を受ける場面
天国: 聖ペテロが祝福された魂を天国で迎える場面
作品の象徴性を高めるために、ボスは聖書の申命記からの引用で「彼らは理解力に乏しい民族である」という警告や「神が顔を隠す」という文言を加えています。 -
聖アントニウスの誘惑:ヒエロニムス・ボス , 1510 - 1515年制作
高さ173cm x 幅52.5 cm
フアン・デ・ベナビデス、コルテス侯爵が所持し、コルテス侯爵の死後、1563年にフェリペ2世が購入しました。
1572年フェリペ2世によってエル・エスコリアル修道院へ送られ、1839年にプラド美術館に移されました。
プラド美術館が所蔵するこの作品は真作とみなされていますが、この作品以外にアムステルダム国立美術館が所蔵する作品などを含めて4点のヴァリアントが現存します。
ボス最晩年の作品とされ、損傷と修復を経て、描かれた当時の形状や内容から変化しています。
当初、アーチ型のパネルで開放的な風景が描かれていましたが、損傷後、背景や聖アントニウスの一部が再塗装され、さらに19世紀には長方形に改変されました。
聖アントニウスは風景の中に小さく描かれており、自然の中で瞑想する姿が表現されています。
悪魔たちは直接攻撃せず、散らばって準備をする様子が描かれ、また、火災や悪魔たちの動きが緻密に描写されています。 -
聖アントニウスの誘惑:ヒエロニムス・ボスの工房 またはフォロワー, 1510 - 1515年頃制作
高さ70cm x 幅115cm
1747年にマドリード新王宮のロイヤルコレクションにあり、その後、1772年にはブエン・レティーロ宮殿のドン・ルイスの子供部屋に飾られていました。
この作品はボスの工房またはフォロワーによるもので、オリジナルを基にした可能性が高いとされていますが、確定的な証拠はありません。
パネル年代測定結果や絵画技法がボスと一致する部分もあるものの、背景に広い空間が残されており、ボスの他の作品と比べて動きや緊張感に欠けているとの指摘もあります。
聖アントニウスの姿や衣装はリスボンの三連祭壇画に似ており、風景や背景のモチーフもボスの特徴が見られますが、一部の学者は失われたオリジナルのコピーである可能性を示唆しています。
背景に描かれた売春宿を連想させる老婆の頭の形をした建物など、細部に象徴的な表現が描かれています。 -
聖ヒエロニムスのいる風景:ヨアヒム ・パティニール , 1516 - 1517年制作
高さ74cm x 幅91cm
1839年にエル・エスコリアル修道院のロイヤルコレクションでした。
パティニール以前にもロヒール・ファン・デル・ウェイデンやハンス・メムリンク、ヒエロニムス・ボスが同様のテーマを描いていますが、パティニールはそうした先達に比べて人物像よりも風景に大きな比重を与えていることが特徴です。
さらに、パティニールは聖ヒエロニムスを枢機卿の姿ではなく隠者として描き、また、場面もベツレヘムの修道院ではなく、頭蓋骨と十字架が置かれた洞窟となっています。
頭蓋骨を加えていることも新しい趣向で、このメメント・モリ (「死を想え」の意) の象徴は、本来、イタリア起源のものであり、北方美術ではドイツのアルブレヒト・デューラーが1514年に聖ヒエロニムスを表した版画で初めて導入したものです。
ちなみに、パティニールとデューラーは親しい友人関係にありました。 -
ステュクス川を渡るカロンのいる風景:ヨアヒム ・パティニール , 1520 - 1524年制作
高さ64cm x 幅103cm
おそらくフェリペ2世のロイヤルコレクションで、1734年のアルカサルの火事から難を逃れました。
画面の構成や細部の仕上げから、この作品がパティニール自身によって制作されたことが確認されています。
特に、カロンの描写には画家特有の特徴が見られ、制作年代は特定が難しいものの、1524年に彼が没する直前の1520年頃に制作された可能性が高いとされています。
中期の作品との共通点があることから、「聖アントニウスの誘惑」よりも早い段階で描かれたと推測されています。
画面は垂直に3つのゾーンに分割され、中央を広い川が流れ、その上でカロンがボートを操縦する様子が描かれています。
聖書のイメージと古典的な神話が融合されており、左側の楽園はキリスト教の天国として描かれ、岬には天使が魂を導く姿が見られます。
右側には地獄が描かれ、ケルベロスの存在がそれをギリシャ神話と関連付けています。
川の中間地点は、魂が生前の行いによって自らの運命を決定する瞬間を象徴しています。
厳格な横顔で描かれた魂は、滅びへの道を選んだことが示唆され、選択の重大さを強調します。
この考えは中世後期の聖書や古典的比喩から影響を受け、特に聖マタイの福音書から霊感を得ていると考えられ、死に備える必要性やキリストに従う難しい道を選ぶべきだという教訓が込められています。
この作品の依頼者や展示場所は不明ですが、祭壇画ではなくキャビネット絵画として制作されたと推測されています。
パティニールはボスの「地上の楽園」の構造を参考にしながら、悪魔や呪われた魂の数を削減し、楽園の幻想的な構造や人物の縮小を通じて全体の調和を図るなどの独自の要素を加えたのではないかとみられています。 -
聖アントニウスの誘惑:ヨアヒム ・パティニール ; クエンティン・マサイス , 1520 - 1524年制作
高さ155cm x 幅173cm
おそらく1566年以降にはフェリペ2世のロイヤルコレクションでした。
この作品はパティニールとクエンティン・マサイスの共同制作で、宗教改革期の宗教的混乱を背景にしており、聖アントニウスが誘惑に抵抗する姿を通じて、宗教的真理の探求や偽りの教義への警告を描いています。
パティニールは広大な風景を、マサイスは前景の人物を担当しています。
中心には聖アントニウスが悪魔や豪華な衣装の女性たちに誘惑される様子が描かれ、肉欲的な象徴(リンゴや猿など)が散りばめられています。
また、右端では聖人が半裸の女性たちに誘惑される場面も描かれています。
パティニールの風景表現が大きく活かされており、高い地平線や中央に位置する川、岩だらけの背景などが、彼の故郷ムーズ川周辺を思わせます。
画面上部の悪魔の造形や空中攻撃はボスの影響を受けたみられていますが、構図全体ではパティニールの風景を主役とするスタイルが支配的になっています。
この絵の右下にはパティニールのサインがあり、マサイスとの共同制作ながらもパティニールの主導で制作されたとみなされています。 -
死の勝利:ピーテル・ブリューゲル , 1562 - 1563年制作
高さ117cm x 幅162cm
1591年まではサッビオネータ公爵ヴェスパシアーノ・ゴンザーガのコレクションで、彼の死後、1637年まではサッビオネータ公爵夫人が所持しました。
その後、ナポリの王女アンナ・カラファを経て、1644年から1655年までナポリの公爵ラミロ・ヌニェス・デ・グスマンのコレクションとなりました。
1746年から1759年の間にフェリペ5世の王妃イサベラ・ファルネーゼが取得し、1766年にはセゴビアのサン・イルデフォンソ宮殿に飾られていました。
この作品は中世ヨーロッパで流行した「死の舞踏」をテーマとし、ペストの流行などで死が身近だった時代背景を反映して、骸骨の軍隊が地上を破壊し、死の支配が世俗的なものを凌駕する様子を描いています。
背景には荒涼とした破壊の光景が広がり、前景では赤い馬に乗った死神が生者の世界を蹂躙する姿が描かれています。
信仰や権力すらも救済にはならず、運命に逆らおうとする者と受け入れる者が対比されていますが、右下に描かれる恋人たちだけは、この悲劇の外にいるかのように表現されています。
この作品は「悪女フリート」や「叛逆天使の墜落」に近い1562年頃の制作と推定されており、ブリューゲルはボスの影響を受けながらも赤茶色の色調を用いて地獄的な雰囲気を醸し出し、中世の伝統的な「死の舞踏」やイタリア絵画の「死の勝利」の要素を融合させて細部まで描き込んだ場面構成で独自性を実現していると評価されています。 -
聖マルティヌスの日のワイン:ピーテル・ブリューゲル , 1566 - 1567年制作
高さ148cm x 幅270.5cm
1626年以前はマントヴァ公爵ゴンザーガのコレクションで、1662年以前はヴェローナにありました。
1702年以前に第9代メディナセリ公ルイス・フランシスコ・デ・ラ・セルダ・イ・アラゴンのコレクションとなり、その後、2010年までスペインの個人コレクションでした。
この作品はキャンバス 上にテンペラで描かれており、2009年にプラド美術館に持ち込まれた当初は、ピーテル・ブリューゲル(子)の作とされました。
2010年に赤外線を用いた画面の研究により、ブリューゲルの署名の断片 「BRVEG...」と制作年代の一部「MDL...」が発見され、ピーテル・ブリューゲル(父)のオリジナルとして特定されました。
「聖マルティンの日のワイン祭り」を描いており、11月11日の聖人の祝日を描いています。
この日はサン・マルティンのワインの試飲やサン・マルティンズ・グースの料理とともに祝われ、農村部では城門外でワインが無料配布される伝統があり、バッカス的な特徴を帯びた盛り上がりを見せました。
樽を取り囲む群衆には、農民、物乞い、泥棒、子連れの女性など多様な人々が描かれ、ワインを得るために必死な様子がユーモラスかつ皮肉的に表現されています。
彼らは様々な容器を使い、危険を顧みず樽に群がる姿が、一種の「酒飲みのバベルの塔」として描かれています。
一方で、右側には聖マルティンが慈善を行う落ち着いたグループがピラミッド状に配置され、対照的な印象を与えています。
また、左側では酔った人物が嘔吐する姿や、喧嘩する男性、赤ん坊にワインを与える女性など、大食いの罪に溺れる人々が描かれています。
この作品は、宗教的なテーマと風俗的な批判を融合させ、特に農民や酔っ払い、乞食に対する当時の典型的な批判的態度を反映しています。
聖マルティンの慈善が善行の象徴として強調される一方、大食いという罪が対比されており、エラスムスによる聖人の祝日の風刺が作品にも影響を与えている可能性が示唆されています。 -
外科医(狂気の石の抽出):ヤン・サンデルス・ファン・ヘメッセン, 1550 - 1555年制作
高さ100cm x 幅141cm
1609年にロイヤルコレクションとなり、1747 年にはマドリードのブエン ・レティーロ王宮にあり、1775年にプラド美術館が取得しました。
都会の市場を舞台にして外科医が患者の頭から結石を取り出しています。
年配のヘルパーが患者の頭を支え、若い女性が道具を準備しています。その間、別の患者は順番を待っています。
ファン・ヘメッセンは、医師を皮肉な表情で描写し、彼が金銭的な利益しか考えていない詐欺師であることを明らかにし、患者の苦しみを描いています。
このテーマはフランドル絵画でよく見られ、ボスの作品に通じるものがあります。
この作品では、ダ・ヴィンチのスフマート技法で物体や登場人物の表情が緻密に描写されており、フランドル絵画のリアリズムとイタリア・ルネサンスの絵画が融合しています。
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