2018/02/09 - 2018/02/14
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noriyosiさん
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2018年2月9日から2月14日の予定でフランスを旅行しています。
2回目の海外旅行になります。6日間のうちの3日目です。
今回はモン サン ミッシェル修道院編1-2です。
2月11日 3日目の概略です。
午前 06:30には朝食をすませ、荷造り。
08:00 トゥールのホテルを出発
モッサンミッシェルまで291㎞
~12時前に到着
午後 12:30 モッサンミッシェル島内で食事
14:30 修道院ツアー集合
(ガイドさんが同行してくれます。)
15:00 モッサンミッシェル修道院 入場観光
16:30 修道院(ショップ)出口で流れ解散
夕暮れのモッサンミッシェルを見ながら
17:00ころ下山?
17:30 ホテルに各自でチエックイン
19:00 隣接のレストランで夕食
~夜景を見たければ各自で。
(私たちは疲れていたので休みました。)
国土地理院(測量法)では、東京湾平均海面を基準面±0m(Tokyo Peil=T.P±0)としています。基準面からの高さを標高とよびます。また、近隣の海面(たとえば大阪湾など)からの高さは海抜とよびます。国によって異なりますが、フランスのモッサンミッシェル湾の場合はどうでしょうか。
潮が15~18㎞ひくというのであれば深い海はその先にあり、モッサンミッシェル湾の海底はそれより高いはずです。
『この小島は標高 92 メートルに達し、表面積は約7 ヘクタールで、岩の重要な部分はモンサンミッシェル修道院とその領域に覆われています。』
モンサンミッシェル修道院ができて、
『モン=サン=ミシェルは周囲960m・海抜高さ79mの円錐形の山に、上部に修道院、下部の南から東にかけて町が配されており、それぞれの周囲に城壁が張り巡らされている。』
修道院の高さ:
『修道院の岩(土台)の高さまで78.6m、床まで34.7m、尖塔の高さ39.8m、聖ミカエル像4.0m、すべてのトータル高さは157.1mです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
『銀座9丁目は水の上 今宵は船で過ごしましょう』 (?9丁目ないやろ)
バスを降りて干潟(海底?)を歩いてきました。写真の通り、連絡道路が沈み始めるのは潮位12.85mのときです。私は良く目測を誤りますが、目測で出入口付近の海底は10.5m程度です。ところで、潮位0はどこにあるのでしょうか。標高と海抜の関係は?(わたしに聞くな。)2025年2月分潮汐表はぼかし入りです。2月11日だけ抜き出しました。
南側入り口辺りは道路になじむように土を盛っているようでした。
冠水の恐れがある日は、注意書きとかぶらないように、下部に潮汐表を貼っていますが、当日は注意書きの上に潮汐表を貼っていました。この日は安心な日だったのでしょうか。
注意書きの文面:
Aujourd'hui la mer recouvre cette zone.(オジュルデュイ・ラ・メール・ルクヴレ・セット・ゾーヌ)今日は、この一帯は海が再び覆う。
Veuillez retirer votre vehicule avant l'heure indiquée ci-contre
(ヴレ・ルテイレ・ヴォトル・ヴェイキュール
アヴァン・ルウル・アンディケ・スイ・コントル)示された時間までに車両をお引き取りください。 -
連絡道路は橋梁になっています。(左上は道路橋が浸かったときのイメージ)
2018年の2月11日は12時前に到着、17時にはぬれずに脱出?できたのですが、2025年はどうでしょう。既に2025年版モンサンミッシェル湾潮汐表が出ています。(モンサンミッシェル観光局で見られます。)
2025年2月11日午後の予測 干潮13:24 潮位2.42m 満潮18:51 潮位11.67m 係数78
19時前後数時間だけ1.2mの冠水ですが、道路側から島として見えそうです。(普通の場合干潮・満潮は午前と午後の2回おきます。)
係数20-40安全(山やで)2月21~23日は午前午後とも冠水しません。
41-60大丈夫(山かな)
61-80注意(山かな、島かな、はっきりせい)
81-100注意より覚悟(島かな)
101-129覚悟(島やで) 例えば2月28日午後は干潮14:29 潮位1.01m 満潮19:47 潮位13.46m 係数104で2月では一番悪い。干潮時は問題なくてもあっという間に危険な目にあいます。
(違うと思う。)leine mer(満潮)、Basse mer(干潮)、Coef.(潮位係数)
正しいかどうか、このころいかれたらぜひ確かめてください。 -
14:30集合して、出発です。近道ですか?
-
小錦さんはここ通れるの?
-
下りる人とかち合ったらどうします?
-
何か話しませんか?
-
Logis st sebastien
(有名?)
多分宿泊施設 -
何か予感がする。
-
(ここ見たことある。)
ある。ある。
ガイドさんですね。日本語分かるかな。
(日本語が出来ない通訳がいるんかい?)
美人であれば何の問題もない。
(ポカ、ポカ) -
私は思うんですけど、集合場所をサンピエール教会前の広場にしておけば、
-
ここで合流出来ますよ。もう一度サンピエール教会もゆっくり見られるし、レストランも近かったし。
-
(文句は言わない。)
-
かなり階段上がりますね。
-
(なんの、これしき。)
サンピエール教会の鐘楼ですね。 -
鐘楼には、屋外階段であがるのでしょうか?鐘を鳴らすの大変ですね。
(あのひとはどうしたの?)
柵で封鎖されているので困っている。 -
無駄話をしていきましょう。
『モンテ・サンタンジェロ聖域(イタリア語)Santuario di San Michele Arcangeloは、イタリア北部プーリア州フォッジャ県モンテ・サンタンジェロの町ガルガーノ山にあるローマカトリックの聖地です。
伝説によると、西暦 490 年頃、大天使ミカエルが山中の洞窟の近くでシポントゥムの司教の前に数回現れ、その洞窟をキリスト教の礼拝に捧げるように命令し、代わりに近くのシポントゥムの町を異教徒の侵略者から守ることを約束した。
この伝説は、ヨハネの黙示録に記されているように、大天使が悪魔を地獄に送り返すために剣で刺したことで生まれたとされている。』 -
『この聖域は、ヴァル・ディ・スーザのサン・ミケーレ聖堂、ノルマンディーのモン・サン・ミシェル修道院とともに、聖ミカエルにちなんで名付けられたヨーロッパの3大礼拝所の1つです。3つの地理的場所は、等距離で隔てられた一直線上に並んでいて、いわゆる「大天使聖ミカエルの聖なる線」の伝説を後押ししている。』
-
やってみました。誤差はあるが、これだけでもすごい。
うむ、3点あれば、幻のトライアングル(三角)であるとか、図学を使って円弦に収まっていると言い張れる。これにフィレンツェのオルサンミケーレ教会を加えようとしたが、さすがに4点では難しい。
(何をごちゃごちゃ独り言) -
(モン・サン・ミッシェル修道院の話は?)
『モン・サン・ミッシェル修道院に関する最初の文献は、9世紀のラテン語文献【トゥンバ山(モン・トンブ)の聖ミカエルの啓示】です。これは、モン・サン・ミシェルまたはアヴランシュのサン・タンドレ大聖堂に住んでいた聖職者によって書かれたのことですが、モンテ・サンタンジェロ聖域の逸話をなどっているのでしょうか。既に1世紀過ぎていた伝説によると、アヴランシュの司教サン・オベールは眠っている間に聖ミカエルからモン・トンブに礼拝堂を建てるように3回命令を受けたが、実行しないので大天使はオベールの頭蓋骨に指の跡を残した。』(この頭蓋骨は、傷跡がついたままサン・ジェルヴェ・ダヴランシュ大聖堂に展示されている。) -
『サン・オベールは地元の宗教的遺物を撤去させ、代わりに乾いた石でできた円形の聖域を建てた。708年頃、オベールは2人の修道士を派遣し、イタリアのガルガーノ聖域から遺物(聖ミカエルの足跡がついた岩と祭壇の組織片)をいくつか取りに行かせた。この任務中、709年3月の津波が森を破壊し、モントンプを島に変えたと伝えています。(世界遺産データベースによると最終氷期(約7万~1万年前)、一帯は氷で覆われていたが、8,000年ほど前に海となって湾が形成された。湾にはドル山、トンブ山(モントンプ)、トンブレーヌ山という3つの山があり、いずれも5億2,500万年前の花崗岩で形成されている。ドル山ももともと島だったが現在は陸地に囲まれているとあります。湾に森の遺構があったとしても太古の昔の話です。既に8世紀には陸繋島となっていたはずで大潮の時に見誤って後世に伝わったのでしょうか。)
とにかく、709年10月16日、司教は聖ミカエルに捧げる礼拝堂を奉献した。710 年、モン・トンブは、モン・サン・ミッシェル・オー・ペリル・ド・ラ・メール(「海の危機に瀕したサン・ミカエル山」と改名された。』
モン・サン・ミッシェルの誕生です。
『遺跡の礼拝堂は、今のノートルダム・スー・テール礼拝堂の場所で発見された。ノートルダム・スー・テール礼拝堂に改修されて遺跡となりましたが、この聖域には、オベールの墓と、おそらくガルガーノから持ち込まれた遺物があったはずです。』
ノートルダム・スー・テール礼拝堂は、修道院教会の身廊の下にあります。やがて、功績によりオベール礼拝堂は島の北に作られました。 -
歴史博物館の一角、
看板はChasseur d'images 収集コレクター(報道写真家)
この辺りに「ノルマンディの牛」作者のシュドラーさん(パリ在留とか)のアトリエがあると聞いたんですけどあってますか? -
Musée Historique ここは歴史博物館の正面、出入口です。
-
着いた?
(まだです。)
ここを上がれば、 -
修道院です。
パブリックドメイン平面付けました。
Le Gouffre裂け目 入口と思うんですけど。
Salle des gardes 警備室(見張りの兵士の間)
Grand Degre 大階段
Logis abbatiaux 修道院居住区
左から人が下りてきました。 -
修道院入口です。
右から人が下りてきました。 -
右から人が上がっているのですが、
導線はこれでいいのでしたっけ。
(細かいことは言わない。) -
修道院 東立面1
-
修道院 東立面2
囲ったところが
châtelet 堡塁(小城塞)ですか。 -
内部階段はロープで左右に分けています。
私たちは左から上がりました。 -
セキュリティチエックがありましたが、ゲートは両側にあります。
-
右側は教会、左側は修道院の居住区です。
石造りのアーチ状の連絡橋でつながっています。 -
奥さん、そんなところから。
(わたし、元気。)
なりよりですが、そのうち疲れてくる。 -
これは木造の渡り廊下(通廊)、雨にぬれずに教会側と居住棟に往来が出来ます。
14世紀から1 6世紀にかけて修道院の居住区、修道院長の邸宅でしたが、今はモニュメントの管理、ならびに修道院・共同体としても利用されています。 -
教会側のバットレス(控え壁)がすごい。
岩盤とバットレスで支えているのでしょうか。 -
中世は雨水を貯めて蛇口から取り出しました。
Citerne(スィテルヌ)雨水を貯める貯水槽から引いているのでしょうか。 -
大階段を上って、やっと修道院付属教会が見えてきました。
-
ソーゴルティエのテラスに出ることができました。
昔、フランソワ1世の囚人が城壁から飛び降りた逸話によるテラスの名前ですか。
(しらん) -
パブリックドメイン平面付けました。「こんなルートで進んだかな。」
Église Abbatiale 修道院付属聖堂
Transept sud 南交差廊
chœur gothique ゴシック内陣 -
修道院付属教会の出入口開口は
多層アーチにしています。 -
鐘楼と尖塔、
鐘楼のネオゴシック様式の尖塔と、その上にある1897年に建てられた銅製金メッキの聖ミカエルの像です。西のテラスから見るとなおよく見えます。
ロマネスク建築側も立派な控え壁が付いてある。 -
もう一度みると?ちょっと待て。
螺旋階段塔の前に何かある。
(気のせい)
気のせいであったか。どこにも繋がっていない開廊かと思った。敵を上から攻撃するつもりか、銃眼がないから反撃されるが。 -
テラスにある付属建屋前に、
Départ des visites (start) 見学出発の看板があるんじゃが、入ります? -
当然、入りますよね。
-
模型を展示しています。
10世紀ごろの修道院、11世紀頃の修道院、現代の修道院が置いてありますが、
写真は18世紀頃の修道院です。
尖塔の模型もありました。 -
Départ des visites (start) 見学出発
ここから西のテラスに出られるようですが、インフォーメーションは矢印の方向にいけ。 何か理由があるのでしょうか。
(フランス語40年でしょう。読んでみて)
無理、過去40年のうち正味は2年、英語にあたっては過去60年のうち10年もやったのにチンプンカンプンですわ。ウェン、ハハハハ)
これから偉そうにいわない。 -
修道院付属教会に入ります。
-
また、引き返すことになりますが、
-
西のテラスは、修道院付属教会の旧広場、そして18世紀に火災で焼失した当初の身廊3区画分にあたります。1784年に、元来のファサードが再建されていますが、焼失した身廊は再建されず、テラスになりました。
-
西側にはカンカルの岩壁とブルターニュ、東側にはノルマンディーの岸壁が広がります。西側の内陸部にはモン・ドル、北側にはトンベレーヌの小島という花崗岩質の2山塊も見渡せます。沖合には、修道院・の建設に用いられた花崗岩の採掘地であるショゼー諸島がみられます。
(あれはなに)トンベレーヌ山、(あれは)水たまり
あれは(トンベレーヌ島)あれは(潮だまり)
干潟の上にあるからトンベレーヌ山、(おだまり、潮が引いて潮だまりがあるからトンベレーヌ島でしょうが)
ごめん、タイダル・アイランド(満潮時には島に、干潮時には陸繋島となる島)が一番近い? -
このテラスは、ネオゴシック様式の鐘楼尖塔を眺める絶景ポイン卜です。先端に聖ミカエルの像が付いているのが見えます。
-
(同じじゃね。)
左に振ってみました。 -
焼失した修道院付属教会の身廊の名残りでしょうか、段差がありますね。
-
(行くよ。)
-
ちょっと待て。
西のテラスで、恒例の記念写真を撮りましよう。 -
パブリックドメイン平面付けました。テラスから矢印のコースで修道院付属教会から進んでいきます。「こんなルートで進んだかな。」
Transept nord北交差廊
chemin de ronde(シュマン・デ・ローンド)巡回の道
La Merveille ラ・メルヴェイユ(3層からなるゴシック様式の建物)
Cloître( クロワトル)回廊でラ・メルヴェイユの最上階にあります。
Chartrier (シャルトリエ)古文書の保管室
Chapitre jamails construit 未施工の教会参事会室
Les 3 arches 3か所のアーチ開口(被って見えませんが)
Refectoire(レフエクトワール)食堂
cuisine(キュイズィーヌ)厨房 -
修道院付属教会
ロマネスク様式側の身廊 -
修道院付属教会
ゴシック側に向かってすすむ。 -
修道院付属教会
クロッシング(中央交差廊)から内陣を見る。 -
修道院付属教会
クロッシング(中央交差廊)からは席に座って全体を見渡せられる。
何かおかしい。 -
修道院付属教会の北トランセット(交差廊)
内陣角に聖ミカエル像
聖母マリア母子像の上部は四連窓 -
修道院付属教会の南トランセット(交差廊)
こちらの窓はアーチ窓
こんなことがあるのだろうか。
(普通にある。)
あるの。 -
修道院付属教会
ロマネスク様式側の天井
(タイトフレームで補強) -
修道院付属教会
クロッシング(中央交差廊)は吹き抜けで高くしていない。身廊と同じ高さの天井は、ゴシック様式の特徴である交差リブではあるが、交点に辻装飾がなく、穴が開いている。
(穴から垂れたあの紐は何)
螺旋階段を上るのが大変だから、手っ取り早く鐘を揺らすためですかね?
(やってみよう。)ダメ。 -
修道院付属教会
ロマネスク様式側の身廊出入口を見る。 -
修道院付属教会の内陣の説明を聞いています。
(クロッシングから東の部分は1421年に崩壊しましたが、百年戦争後の1523年にゴシック様式で再建されました。床にガラスの入った穴開口があります。)
どこ?近づけないでしょうが。 -
修道院付属教会の内陣
内陣壁で囲っていないから外陣まで見通せる。
シャルトル大聖堂には内陣と周歩廊の間に内陣壁がありました。
外陣には必ず礼拝堂が、聖母礼拝堂があるはずです。 -
修道院付属教会の内陣の天井を見上げる。
ゴシック建築の3つの特徴
1.天井にゴシック様式の特徴である交差リブが見えます。交点には辻装飾があります。
2.ランセット窓(尖頭窓)を、3連、2連にしていますね。修道院にしては明るい。
3.「外部のフライングバットレス(飛び梁控壁)があるのを確認しました。」特異な控え壁はロマネスク建築部とも建物全体にありました。ロマネスク建築側も壁を厚くして補強しているのでしょうか。
とにかく大満足です。(?) -
修道院付属教会の北トランセット(交差部)
聖母マリア様の母子像です。
下におりる階段が見えます。
壁を厚くしているようです。 -
修道院付属教会の北側廊を進みます。
-
修道院付属教会の北側廊 出口が見えます。
-
一旦修道院付属教会から
chemin de ronde(シュマン・デ・ローンド)巡回の道に出ました。 -
修道院の回廊について、インフォーメーションボードを使って説明してもらってます。フランス語の他、日本語版でも記載されています。
-
修道院付属教会の外壁です。
上部に何かあったのか、水切りらしいものが付いていますね。
北トランセット、石を附き直したように見えます。 -
修道院の回廊の入口から入っていきます。
インフォーメーションの内容
『内庭回廊』
祈りと冥想の場所である回廊は天空に通じる空間とされ、庭は天国を想起させる場所です。修道院の中で回廊は修道生活の中心となる場所で、大食堂、共同寝室、教会があり、修道士は一日に7回祈りを捧げます。回廊は1228年に完成しました。ラ・メルヴェイユと呼ばれる13世紀のゴシック建築の傑作の建物の最上階にあり、階下には食品貯蔵室、騎士の部屋などがあります。 -
設計にあたっては、木構造や漆喰塗りを使うことで荷重の軽減をはかりました。アーチ型開口部の外観は精巧です。5の目型に配置した2連の柱列を使用してアーチ部分を少なくし、実際の高さ以上にすらりとした印象を与えています。斜めに配置された巧妙な柱構造が、漆喰塗りヴォールトの推力をを支え、アーチの安定性を確保しています。
使用材料:壁と床に花崗岩、装飾アーケードに粒子の細かい石灰岩、元来の小柱に大理石加工の石灰岩、漆喰塗りのヴォールトにナラの木。 -
『回廊と庭』
260平方メートルの広さを持つ回廊の内側には、長い間庭があったと思われますが、下の階を守るために、床は防水構造になっています。19世紀に庭が取り除かれ、代わりに厨房に水を供給するための雨水収集桝が作られました。1877-1881年の改修工事では、床構造の防水性を確保したまま、花崗岩製の排水用ガーゴイルを製作しました。1965年には、重い花崗岩の床構造を、ドウゲーヌ社が開発した防水の床構造に作り替えました。モン・サン=ミシェルの新しい修道院院長ブリュノ・ド・セヌヴイルの計画に従って、薬草の庭が作られ、装飾アーケードに沿って並べられた正方形の植え込みには、23種類の植物(アブサン、アイリス、ハッカ、パセリ等)が、色の特殊性、開花時期、高さに従って配置を工夫して植えられました。 -
『漆喰塗りの木構造』
中世の時代、回廊は鉛で覆われていました。1933年に、修道士が鉛を重いスしー卜に取り替え、内側からアーチの高さぎりぎりまで、石膏で覆った木ずり下地の木組みで覆い隠しました。
19世紀末、釉薬を施した平屋根を作り直しました。山形模様のモチーフには最初は濃い青・赤・黄色、後には赤と茶色が使われました。
最後は、1962年から1963年にかけて、スレートを作り直しました。回廊のある場所で発見された古文書と遺跡をもとに、その地域で使用されているグリーンの結晶片岩の厚いスレー卜石を選びました。
「屋根は緑系のスレートです。写真が暗くてすいません。」 -
すペていい状態にあったのにもかかわらず、モン・サン・ミシェルが位置する海からの影響を受け、微生物による木の劣化、鉄の腐食、メタルの付着、一部のスレートの摩耗が進みました。改修作業は、木をきれいな状態に戻し、カパーやモルタルの固着や木釘を修理することです。
-
『三角小間の彫刻』
装飾に合わせて、明るい白が特徴のカーン産石灰岩で作られた回廊のアーケードは、その隅柱に、葉飾り、葉装飾、ブドウの枝模様が巧妙に彫られており、草木の繁茂とキリスト教の象徴と調和しています。隅柱の割形と花形装飾は、赤とグリーンで強調されています。
19世紀には、最も変質の激しかった石の取り替えが行われましたが、その後も海からの湿った風と塩分のために、劣化や微生物による腐敗が進みました。 -
改修工事では、石をはずさずに洗浄を行います。 4元素を結合させたアンモニウム塩を噴霧して、苔・地衣類・海藻・菌類を除去した後、筆と吸い込み器を使って彫刻の埃を取り除きます。
小柱はパッブ剤で塩分を除去し、きれいに仕上げます。
次に、彫刻部分には微粒子を吹き付けて滑らかにしますが、微粒子が使えない繊細な部分については、レーザーを用い光量子による水垢除去を行います。彫刻は補強されて、磨かれます。最後に、バイオ薬品による無機物化を行い、石を保護する石灰層を復元します。こうして、生きた微生物の働きによって、石の表面に炭酸カルシウムを発生させ、細孔隙で表面を覆って外層を強化します。 -
西側には、外に向かって3つの開口部がありますが。ガラスで塞いでいます。回廊と教会参事会室をつなぐためでしたが、崖になっていて3層分の建設は難しいので建設されることはありませんでした。中庭側は開放されていますが、西と北を外壁と窓でふさいでいます。屋根を軽く作ったので、吹き抜けの風で飛ばされないためです。「回廊の屋根は緑系のスレートですが、写真が暗くてすいません。」
(途中ですが、ここまででいったん休憩しましょう。)
新年あけましておめでとうございます。お疲れのところ、見てくださってありがとうございます。(本年もよろしくお願いいたします。)お願いいたします。
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