2024/12/17 - 2024/12/17
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lagunaさん
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鎌倉の紅葉は12月中旬以降が見ごろといわれ、「冬紅葉」といわれています。
実際に散策してみると、確かにそのとおりの「冬紅葉」を味わいました。
この日は、幸いなことに風もなく暖かな日で、まさに鎌倉散策日和でした。
もう一つラッキーなのは、外国人観光客や修学旅行の児童・生徒がおらず、元来鎌倉の静寂と風情が存分に楽しめたことでした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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JJR鎌倉駅東口4番乗場 金沢八景 鎌倉霊園方面でバスに乗り込み、浄明寺で
下車する。 -
当初の予定では、ネットで開園日を確認して「一条恵観山荘」に行く予定であったが、12月の途中から突然開園期日が変更してしまい、16日以降は閉園となってしまった。鎌倉の神社・仏閣等ではたまにこのようなことがある。
仕方ないので、近くにある報国寺に立ち寄ることにした。 -
報国寺の中に入っても、「冬紅葉」が見られます。
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今年は台風などの影響を受けず、見事な紅葉が楽しめました。
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報国寺の庭園もなかなか風情があります。
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報国寺の庭園を眺めていると、気持ちがとても和らぎます。
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整列した石仏は、お寺らしさを醸し出しています。
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鎌倉の報国寺といえば竹林が有名です。
孟宗竹は訪れた人の気持ちを落ち着かせ、静寂の空間に引き寄せてくれます。 -
竹林は見ていても、気持ちが和らぎます。時間があればいつまでも竹林の中にいたいと思います。
以前、鎌倉の宝戒寺の前を歩いていた時、外国人(白人)の女の子に道を尋ねられました。どこに行きたいのか聞くと「バンブー・テンプル」といったので、「報国寺」だと確信して、教えたことがありました。
外国人用のガイドブックにでも載っているのでしょうか。 -
報国寺のいたるところに情緒を感じます。
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報国寺のいたるところに情緒を感じます。
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木々はもう冬支度に入っているのでしょうか。
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報国寺を堪能した後は、杉本寺へ行きます。
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杉本寺にはこの階段を上っていきます。
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杉本寺の案内板を左に見ながらさらに上っていきます。
杉本寺は鎌倉最古の寺であり、鎌倉幕府が開かれる五百年近くも前に建てられている。その昔、関東地方を歩いていた行基が鎌倉の大蔵山から町を眺め、自ら彫った観音像を安置した。その後、観音様のお告げを受けたという光明皇后が本堂を建立したといわれている。 -
杉本寺山門の仁王像です。
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やはり迫力があります。
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杉本寺で有名なの苔の階段です。
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コロナが蔓延しているときは、本堂の中には入れませんでしたが、現在はまた入いれるようになりました。
本堂の奥には秘仏本尊である三体の十一面観音像(行基菩薩、慈覚大師、恵心僧都 のそれぞれが彫った十一面観音像)が安置されている。 -
杉本寺から近くにあるフレンドリー鎌倉のグランドでトイレ休憩・昼食をすませ次の目的地である理智光寺跡に向かった。
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ここには、護良親王の墓がある。そもそも、護良親王は現在の「鎌倉宮」の前身であった東光寺に幽閉されていたが、北条時行が起こした「中先代の乱」のときに鎌倉を奪還するが、鎌倉を守っていた足利直義が家来の淵野辺義博に命じて、護良親王を殺してしまう。淵野辺義博は護良親王の首を持って理智光寺付近まで行くが、護良親王の形相があまりにも恐ろしく、ここに首を投げ捨てて逃げてしまう。
ところが理智光寺の僧があまりにも護良親王がお気の毒だとして、近くの丘陵に護良親王の首を埋葬したのだという。
現在は、宮内庁管理の立派なお墓が建立されている。
参考までに、北条時行のことについて触れておく。
~「鎌倉奪還」に命を懸けた北条時行の執念~
北条時行は、鎌倉幕府14代執権・北条高時の子である。
1, 333年(元弘元年)新田義貞の鎌倉攻めによって、得宗家の北条高
時は一族とともに東勝寺で自刃し、鎌倉幕府は滅んだ。
しかし、子の北条時行は、信濃の諏訪頼重に助けられ、ひそかに鎌倉から抜け出し、諏訪大社を奉じる諏訪神党に匿われた。
そして1,335年(建武2年)に中先代の乱を引き起こし、足利直義を破って鎌倉を奪還するが、わずか20日で足利尊氏に逐われた。
その後、南北朝の内乱(1336年~1392年)では南朝方の武将として戦うことになり、後醍醐天皇から「朝敵」を赦免されることとなる。
北条時行からみると、「後醍醐天皇」より「足利尊氏」のほうがかなり憎かったと想像できる。「足利尊氏」はかつて北条家に仕え、領地や官位を授かるなどの恩恵に浴してきたのに、大恩ある北条家を裏切り「後醍醐天皇」側に味方したことや武家の棟梁を目指す行為が許せなかったと思われる。
1, 337年(延元2年・建武4年)から翌年にかけては、鎮守府大将軍・北畠
顕家や新田義興(義貞の子)と共に足利家長(斯波家長)を討って、2度目となる鎌倉奪還に成功し、顕家の遠征軍に随行して、「青野原の戦い」で土岐頼遠を破った。しかし、和泉国での「石津の戦い」では足利方の高師直(こうのもろなお)に大敗し、遠征軍の長・北畠顕家は戦死したものの、北条時行はまたしても逃亡して、再起を図ったのである。
その後、1,352年(文和元年・正平7年) 時行は再び新田義興(義貞の子)らと共に武蔵野合戦で戦い、初代鎌倉公方・足利基氏を破って、3度目の鎌倉奪還を果たした。しかし、この鎌倉奪還も短期間に終わり、逃亡を続けるも翌年、足利方に捕らえられ鎌倉龍ノ口(現在の藤沢市龍口)で処刑された。北条時行の死によって、北条得宗家は完全に滅亡してしまったのである。 -
ただし、護良親王の墓までは石の階段を上っていかねばならず、お参りするのも楽ではない。
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写真を見ても大変さが分かると思う。
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高齢者は相当膝に負担がかかる。
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呼吸も荒くなりゼイゼイという。
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帰りの階段はなおさらつらい。
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振り返ったら余計、疲労感がどっと増してきた。
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理智光寺跡の史跡案内碑です。
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この場所に行くには、よほど注意していないと素通してしまうので、気を引き締めて散策してください。
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理智光寺跡から永福寺(ようふくじ)跡の史跡に到着しました。
源頼朝の造った三大寺院(鶴岡八幡宮寺、勝長寿院、永福寺)のうちの一つです。
ここにたどり着くと
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
という歌が自然とでてきてしまいました。 -
永福寺跡にも紅葉がありました。
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この紅葉を見納めにして、JR鎌倉駅まで帰ることにしましょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。
現在、五十肩や腰痛などで医者通いが続き、掲載が遅くなったことをお詫びします。
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