今出川・北大路・北野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2023年1月25日(水)朝の11時前、鞍馬口通の西の突き当り。きぬかけの路に面した黒門から表参道(下の写真1)に進む。列をなした人の後について150mほど進むと総門に達する。境内への入口にあたる門で、門の左手前に世界遺産の説明板がある(下の写真2)。<br /><br />総門を抜けてもまだ50mほど参道が続く。突き当りに方丈(本堂)の門にあたり、正面に唐破風がついている唐門。通常は閉められている。唐門の手前右手には室町末期の明応・文亀年間(1492年-1504年)に建立された庫裏。反対側には鐘楼。梵鐘は西園寺家に由来し、鎌倉時代に作られたとされる。<br /><br />鐘楼の先には常緑高木の一つで、日本では関東南部以西から四国、九州に分布するが、京都周辺ではあまり見られない京都市指定天然記念物の櫟樫(イチイガシ)の木がある(下の写真3)。金閣寺が現在のような伽藍配置に再整備されたのは、江戸時代初期だが、この櫟樫はその頃に殖栽されたものか、あるいは既に成木となっていたものが残されたのかのいずれかであると考えられている。<br /><br />唐門は通れないので、突き当たって左に進むと隣に拝観受付。400円だが、現金しか使えないのが混雑の原因かな・・・ 拝観受付を抜けて参拝門から本格的に境内に入る。ここまでは黒門から約10分で、まだマシかな。<br /><br />参拝門を抜けても益々の大渋滞。15分経って、ようやく目的の金閣が見える。前述したように1399年に完成し、応仁の乱でも焼かれず、国宝に指定されていたが、1950年の放火で焼失し、1955年に再建されたもの。ほぼ私と同い年。<br /><br />木造3階建ての楼閣建築で、鏡湖池の畔に南面して建つ。屋根は宝形造、杮葺きで、屋頂に銅製鳳凰を置く。3階建てであるが、初層と二層の間には屋根の出を作らないため、形式的には二重三階。<br /><br />初層は金箔を張らず素木仕上げとし、二層と三層の外面は高欄を含み全面金箔張り。三層は内部も床面を除き全面金箔張り。初層と二層の平面は同形同大で、正面5間、側面4間。通し柱を用い、構造的にも一体化している。三層は一回り小さく方3間。<br /><br />初層は法水院と称し、正面の一間通りを吹き放しの広縁とし、その奥は正面5間、側面3間の1室。正面は5間とも住宅風の蔀戸。二層は鎌倉時代の武家造りの建築様式で潮音洞と呼ばれ、四周に縁と高欄をめぐらし、外面と高欄は全面金箔張り。<br /><br />三層は唐様の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれ、方3間の1室で、仏舎利を安置する。天井や壁を含め内外ともに金箔張り。初層が蔀戸を用いた寝殿造風、二層が舞良戸、格子窓、長押を用いた和様仏堂風であるのに対し、三層は桟唐戸、花頭窓を用いた禅宗様仏堂風。<br /><br />二層の高欄は和様であるのに対し、三層の高欄は逆蓮柱を用いた禅宗様。二層と三層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺で、上には鳳凰が輝いている。<br /><br />金閣の前に広がる池は、鏡のように金閣を映し出すことから鏡湖池(きょうこち)と呼ばれており、鏡湖池に写った金閣は「逆さ金閣」と呼ばれる。この池は浄土世界にある七宝の池を模して造られたと云われる。<br /><br />七宝の池は金・銀・瑠璃・水晶・珊瑚・赤真珠・深緑色の玉の7種類の宝石でできており、金の砂が敷かれ、水は8つの功徳(甘い、冷たい、柔らかい、軽い、清らか、臭くない、飲む時に喉を痛めない、飲んでお腹を壊わさない)を持っている。池には蓮の花が浮かんでいて、池の周りには金銀と宝石で飾られた回廊が巡らされ、やはり金銀と宝石で飾られた殿堂が池の縁に建っているそうだ。<br /><br />この約2千坪ある鏡湖池を中心に池泉回遊式庭園となっており、4万余坪ある境内のうち2万8千坪が鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地となっている。池には葦原島(金閣の前)、鶴島、亀島などの島々の他、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。<br /><br />雪の金閣を堪能してから鏡湖池の東側を回り込んで北に進むと本堂に相当する方丈が右手にある。単層入母屋造で桟瓦葺。江戸前期の1678年に後水尾天皇の寄進により再建されたもので、2005年から解体修理が行われ、2007年に修復工事を終えた。<br /><br />方丈北側には帆船のような形の陸舟(りくしゅう)の松の古木があり足利義満手植えと伝えられる。舟先が金閣の方向を向いており、西方浄土に向かうことを意味していると云われる。宝泉院、善峰寺の松と並ぶ京都三松の一つ。<br /><br />その先に進むと金閣に近づく。池越しの姿もいいけど、近くで見てもとてもきれい。初層は両側面(東・西面)はそれぞれ前寄り1間を板扉、後寄り2間が土壁で、背面(北面)は5間とも土壁。土壁には腰貫を通すが、北面側しか外からは見えない。西側には、池に張り出した漱清(そうせい)と称する方1間、切妻造、吹き放しの小亭が付属する。<br /><br />二層の東面と西面はすべて板壁で、北面は西から2間目(須弥壇の背後)を板扉とするほかは板壁。三層の柱間装置は東西南北とも同じで、中央間が桟唐戸で、両脇間が花頭窓。<br /><br />金閣に別れを告げて、西側から北の林の中に進んでいくと義満公がお茶の水に使ったと伝えられる銀河泉に、義満公が手洗いに用いたと伝えられる巌下水(がんかすい)が続く。<br /><br />その先の龍門滝は2mから3mの高さを一段落としにしており、龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだ鯉魚石が置かれている。いままさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷の所に斜めに傾いた動きのある石で表されている。<br /><br />龍門滝の左側山畔に石段があるが、この小さな石橋を中国の故事、虎渓三笑にちなんで虎渓橋と云う。両側の低い竹垣は右と左の組み方が違うのが特徴で、金閣寺垣と称され小竹垣の代表とされている。<br /><br />さらに奥に進むと西園寺当時の遺跡でもある安民沢と云う池。日照りが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていた。池中の小島には、白蛇の塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守とされる。池の手前には石仏が置かれ、その前の石造りの鉢に投げ入れたお賽銭が入れば弁財天さまが一つ願いを叶えてくれると云う。<br /><br />安民沢の東側に進むと貴人榻(きじんとう)。身分の高い人が座る腰掛石で、室町幕府より移設された。その先には義満公の孫、8代将軍義政公遺愛の富士型手水鉢。義政公は銀閣寺を建てる前に何度も金閣寺に来られてたそうだ。<br /><br />少し山道を上がると夕佳亭(せっかてい)。1624年に後水尾上皇を迎えるにあたって鳳林承章の依頼で茶道家の金森飛騨守宗和候が建てた茶室。夕日に映える金閣が特に佳(よ)いということからこの名が付けられた。<br /><br />南天の床柱と萩の違棚のある3畳の茶室で屋根は茅葺の素朴なたたずまいの建物。宗和が作ったものは1968年(明治初年)に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建したものを更に1997年に解体修理した。<br /><br />夕佳亭の先、東に進むと不動堂。安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、宇喜多秀家による再建。金閣寺境内に現存する最も古い。建物本尊は弘法大師が作られたと伝えられる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されている。<br /><br />最後は荼枳尼天(だきにてん)。荼枳尼天の起源であるダーキニーは、ヒンドゥー教の女神「カーリー」の眷属で、敵の血肉を食らう魔女・夜叉とされている。日本では中世以後稲荷神(自在の通力をもつ繁栄の神)として祀られるようになった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27935089902801002&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />12時前、拝観を終えて帰路に就いた。<br /><br /><br />以上

京都 北区衣笠 金閣寺境内(Precincts of Kinkaku-ji temple,Kinugasa,Kyoto,Kyoto,JP)

2いいね!

2023/01/25 - 2023/01/25

3145位(同エリア3571件中)

旅行記グループ 金閣寺

0

3

ちふゆ

ちふゆさん

2023年1月25日(水)朝の11時前、鞍馬口通の西の突き当り。きぬかけの路に面した黒門から表参道(下の写真1)に進む。列をなした人の後について150mほど進むと総門に達する。境内への入口にあたる門で、門の左手前に世界遺産の説明板がある(下の写真2)。

総門を抜けてもまだ50mほど参道が続く。突き当りに方丈(本堂)の門にあたり、正面に唐破風がついている唐門。通常は閉められている。唐門の手前右手には室町末期の明応・文亀年間(1492年-1504年)に建立された庫裏。反対側には鐘楼。梵鐘は西園寺家に由来し、鎌倉時代に作られたとされる。

鐘楼の先には常緑高木の一つで、日本では関東南部以西から四国、九州に分布するが、京都周辺ではあまり見られない京都市指定天然記念物の櫟樫(イチイガシ)の木がある(下の写真3)。金閣寺が現在のような伽藍配置に再整備されたのは、江戸時代初期だが、この櫟樫はその頃に殖栽されたものか、あるいは既に成木となっていたものが残されたのかのいずれかであると考えられている。

唐門は通れないので、突き当たって左に進むと隣に拝観受付。400円だが、現金しか使えないのが混雑の原因かな・・・ 拝観受付を抜けて参拝門から本格的に境内に入る。ここまでは黒門から約10分で、まだマシかな。

参拝門を抜けても益々の大渋滞。15分経って、ようやく目的の金閣が見える。前述したように1399年に完成し、応仁の乱でも焼かれず、国宝に指定されていたが、1950年の放火で焼失し、1955年に再建されたもの。ほぼ私と同い年。

木造3階建ての楼閣建築で、鏡湖池の畔に南面して建つ。屋根は宝形造、杮葺きで、屋頂に銅製鳳凰を置く。3階建てであるが、初層と二層の間には屋根の出を作らないため、形式的には二重三階。

初層は金箔を張らず素木仕上げとし、二層と三層の外面は高欄を含み全面金箔張り。三層は内部も床面を除き全面金箔張り。初層と二層の平面は同形同大で、正面5間、側面4間。通し柱を用い、構造的にも一体化している。三層は一回り小さく方3間。

初層は法水院と称し、正面の一間通りを吹き放しの広縁とし、その奥は正面5間、側面3間の1室。正面は5間とも住宅風の蔀戸。二層は鎌倉時代の武家造りの建築様式で潮音洞と呼ばれ、四周に縁と高欄をめぐらし、外面と高欄は全面金箔張り。

三層は唐様の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれ、方3間の1室で、仏舎利を安置する。天井や壁を含め内外ともに金箔張り。初層が蔀戸を用いた寝殿造風、二層が舞良戸、格子窓、長押を用いた和様仏堂風であるのに対し、三層は桟唐戸、花頭窓を用いた禅宗様仏堂風。

二層の高欄は和様であるのに対し、三層の高欄は逆蓮柱を用いた禅宗様。二層と三層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねた柿葺で、上には鳳凰が輝いている。

金閣の前に広がる池は、鏡のように金閣を映し出すことから鏡湖池(きょうこち)と呼ばれており、鏡湖池に写った金閣は「逆さ金閣」と呼ばれる。この池は浄土世界にある七宝の池を模して造られたと云われる。

七宝の池は金・銀・瑠璃・水晶・珊瑚・赤真珠・深緑色の玉の7種類の宝石でできており、金の砂が敷かれ、水は8つの功徳(甘い、冷たい、柔らかい、軽い、清らか、臭くない、飲む時に喉を痛めない、飲んでお腹を壊わさない)を持っている。池には蓮の花が浮かんでいて、池の周りには金銀と宝石で飾られた回廊が巡らされ、やはり金銀と宝石で飾られた殿堂が池の縁に建っているそうだ。

この約2千坪ある鏡湖池を中心に池泉回遊式庭園となっており、4万余坪ある境内のうち2万8千坪が鹿苑寺庭園として特別史跡及び特別名勝指定地となっている。池には葦原島(金閣の前)、鶴島、亀島などの島々の他、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。

雪の金閣を堪能してから鏡湖池の東側を回り込んで北に進むと本堂に相当する方丈が右手にある。単層入母屋造で桟瓦葺。江戸前期の1678年に後水尾天皇の寄進により再建されたもので、2005年から解体修理が行われ、2007年に修復工事を終えた。

方丈北側には帆船のような形の陸舟(りくしゅう)の松の古木があり足利義満手植えと伝えられる。舟先が金閣の方向を向いており、西方浄土に向かうことを意味していると云われる。宝泉院、善峰寺の松と並ぶ京都三松の一つ。

その先に進むと金閣に近づく。池越しの姿もいいけど、近くで見てもとてもきれい。初層は両側面(東・西面)はそれぞれ前寄り1間を板扉、後寄り2間が土壁で、背面(北面)は5間とも土壁。土壁には腰貫を通すが、北面側しか外からは見えない。西側には、池に張り出した漱清(そうせい)と称する方1間、切妻造、吹き放しの小亭が付属する。

二層の東面と西面はすべて板壁で、北面は西から2間目(須弥壇の背後)を板扉とするほかは板壁。三層の柱間装置は東西南北とも同じで、中央間が桟唐戸で、両脇間が花頭窓。

金閣に別れを告げて、西側から北の林の中に進んでいくと義満公がお茶の水に使ったと伝えられる銀河泉に、義満公が手洗いに用いたと伝えられる巌下水(がんかすい)が続く。

その先の龍門滝は2mから3mの高さを一段落としにしており、龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだ鯉魚石が置かれている。いままさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷の所に斜めに傾いた動きのある石で表されている。

龍門滝の左側山畔に石段があるが、この小さな石橋を中国の故事、虎渓三笑にちなんで虎渓橋と云う。両側の低い竹垣は右と左の組み方が違うのが特徴で、金閣寺垣と称され小竹垣の代表とされている。

さらに奥に進むと西園寺当時の遺跡でもある安民沢と云う池。日照りが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていた。池中の小島には、白蛇の塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守とされる。池の手前には石仏が置かれ、その前の石造りの鉢に投げ入れたお賽銭が入れば弁財天さまが一つ願いを叶えてくれると云う。

安民沢の東側に進むと貴人榻(きじんとう)。身分の高い人が座る腰掛石で、室町幕府より移設された。その先には義満公の孫、8代将軍義政公遺愛の富士型手水鉢。義政公は銀閣寺を建てる前に何度も金閣寺に来られてたそうだ。

少し山道を上がると夕佳亭(せっかてい)。1624年に後水尾上皇を迎えるにあたって鳳林承章の依頼で茶道家の金森飛騨守宗和候が建てた茶室。夕日に映える金閣が特に佳(よ)いということからこの名が付けられた。

南天の床柱と萩の違棚のある3畳の茶室で屋根は茅葺の素朴なたたずまいの建物。宗和が作ったものは1968年(明治初年)に焼失したため、現在の建物は1874年(明治7年)に再建したものを更に1997年に解体修理した。

夕佳亭の先、東に進むと不動堂。安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、宇喜多秀家による再建。金閣寺境内に現存する最も古い。建物本尊は弘法大師が作られたと伝えられる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されている。

最後は荼枳尼天(だきにてん)。荼枳尼天の起源であるダーキニーは、ヒンドゥー教の女神「カーリー」の眷属で、敵の血肉を食らう魔女・夜叉とされている。日本では中世以後稲荷神(自在の通力をもつ繁栄の神)として祀られるようになった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27935089902801002&type=1&l=223fe1adec

12時前、拝観を終えて帰路に就いた。


以上

  • 写真1 表参道

    写真1 表参道

  • 写真2 世界遺産説明板

    写真2 世界遺産説明板

  • 写真3 櫟樫の木

    写真3 櫟樫の木

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP