2024/11/18 - 2024/11/18
1896位(同エリア6006件中)
玄白さん
仏教の信仰心はほとんど持ち合わせていないが、古美術としての仏像や仏教寺院の建築の美しさを愛でるのは楽しい。
というわけで、中学校の修学旅行以来60年ぶりに世界遺産が3つもある奈良県に3泊4日の旅へ。わずか4日の旅で、それぞれの地の歴史・文化を深く理解するのは無理で、見所のいくつかをつまみ食いのように巡る、まさしく修学旅行スタイルのせわしない旅である。
初日は、「世界遺産 古都奈良の文化遺産」の主要な構成要素である東大寺、興福寺など有名スポットが集中する奈良公園内を半日散策。奈良公園は、予想以上に広大な境内で、時間切れで当初予定していた春日大社は端折ってしまった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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自宅のある宇都宮から京都まで、久しぶりに新幹線を利用した鉄道の旅。米原駅を通過するころ、虹が見えた。
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京都駅で奈良線「みやこ路快速」で奈良駅に定刻通り11:21に到着。
中学校の修学旅行のときは、バスでの移動だったと記憶しているので、奈良駅に降り立ったのは生まれて初めてだ。 -
駅近くの日産レンタカーで、4日間乗り回す車を借りた。後日、明日香村のような地方の細い道を走ることを想定して、小型のマーチである。レンタル料金も安い。
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奈良公園周辺は駐車場を確保するのが難しいという情報があったので、あらかじめ東大寺北西の転害門近くの民間駐車場を予約しておいた。
転害門。
東大寺は、743年聖武天皇の詔により、東大寺大仏建立の国家的大事業が始まり、壮麗な多くの伽藍が建立されたが、平重衡の南都焼打ち、戦国時代の三好・松永の戦によって、伽藍の大半が焼失し、後世に再建されたものである。転害門のみ唯一兵火を免れ、東大寺創建時の姿を残している天平の生き証人なのである。 -
今はこの辺りまでは観光客は足を延ばすことはなく、静かであるが、かつては門前の道が平城宮に一直線で通じる重要な位置にあり、いわば正門に近い位置づけだったようだ。今では東大寺正門といえば南大門だが、後世になって作られた門だという。
転害門のすぐ横に観光案内所があるが、訪れる人が少なく暇なのか、頼んだわけでもないのに、スタッフが転害門について色々説明してくれた。門の柱は、材木を切り出したときの方位と同じ向きで建てられている、そうすることで木が長持ちするのだという。当時の宮大工の知恵である。 -
聖武天皇と光明皇后が愛用した品物や貴重な宝物が納められている正倉院。中には唐、西域、遠くペルシャから伝来した品もあり、奈良がシルクロード終点と言われる所以である。
残念ながら通常はそれらを見ることはできないが、毎年秋に勅封が解かれ宝物の点検が行われるので、それに合わせて宝物の一般公開が行われる。今年は11月11日で終了している。もう少し早く来れば見ることができたのだが・・・ -
イチオシ
大仏殿北西側に大仏池という池がある。イチョウがちょうど色づいている。池の畔を奈良公園の主、鹿たちがのんびり草を食んでいる。
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紅葉もほどよく色づいている
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池の畔にある大イチョウ。まだ少し青い葉も見受けられるが、もう少し秋が深まると辺りは、一面黄色の絨毯を敷いたようになる。
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東大寺境内からの若草山遠望
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戒壇堂。
当時、日本の仏教界は、戒律がおざなりで、誰でも僧侶になれたこと、僧侶には税金免除という特典があったため、ろくに仏教が分からなくても自称僧侶が増えるという問題があり、きちんとした僧侶の資格を明確にするために戒律を授けるという仕組みを取り入れたのが唐から来日した鑑真である。いわば僧侶の資格証明である。それを受戒というが、それを行う場所が戒壇堂である。 -
戒壇堂の本尊は釈迦如来と多宝如来であるが、なんといっても圧巻は、増長天、広目天、多聞天、持国天の4天王像である。4天王像は、あちこちの寺院でもお馴染みの仏像だが、ここの四天王は、顔のしわ、筋肉の盛り上がり、腰回りの曲線などが実にリアルで、見事な彫像である。本尊は国宝ではないが、四天王像は国宝に指定されているのも頷ける。
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残念ながら撮影は禁止なので、拝観料を支払ったときにもらったパンフレットの写真をコピーして載せてある。
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戒壇堂境内の庭。よく手入れされているが、京都の寺と違って庭の存在感は希薄である。
奈良時代は中国から仏教が伝来して日が浅く、国家鎮護のための仏教という位置づけであり、仏教の学びの場としての寺院なので、金堂、講堂、塔といった建物のウェイトが大きく庭に重きを置く文化にはなっていないということなのであろう。 -
戒壇堂の門 飾り気のない質素な門である。
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大仏殿の方に向かう。大仏池や正倉院がある境内北西部の静寂とは打って変わって観光客が増えてきた。
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イチオシ
中門を通って大仏殿の敷地に入ると、外国人を含めた観光客や修学旅行生たちでごった替えしている。
世界最大の木造建築として、多くの参拝客を集めていて世界遺産構成要素の中心的建造物であるが、創建当時は、横幅がさらに大きかったという。平安時代の平重衡による南都焼き討ち、戦国時代の三好・松永氏の戦いによる兵火により2度にわたり、伽藍の大部分が消失し、江戸時代に再建された建物がほとんどである。それでも世界最大の木造建築であるという地位は揺るがない。
大仏殿は、仏教寺院伽藍としては金堂という位置づけだが、大仏殿の方がすっかり一般的な名称になっている。
かつては、金堂を挟んで東西2つの七重塔があったが、いずれも落雷により焼失している。当時は避雷針の技術がなかったので、避けられない運命であったともいえる。 -
イチオシ
廬舎那仏坐像、通称、奈良の大仏である。聖武天皇の詔により745年に造営が始まり、7年後に完成、開眼供養が行われた。文献によれば、延べ260万人が工事に関わり、現在の価格にすると、約4660億円の大国家プロジェクトだったという。
奈良の寺院は、仏像はおろか、堂内の撮影は禁止というのが、ほとんどだが、大仏と大仏殿は、写真撮影OKとなっている。これだけ大勢の人が押し寄せれば、撮影禁止としたところで、撮影する輩は必ずいるし、制止しようもないので、東大寺当局もあきらめているのであろう。 -
別のアングルでもう一枚。大仏の大きさは、高さ14.7m。頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代に再建されたものである。
いうまでもなく、大仏、大仏殿ともに国宝に指定されている。 -
本尊、廬舎那仏の脇侍の虚空蔵菩薩。大仏と比べれば小さいとはいえ、高さ7mもある巨仏である。
虚空蔵菩薩とは、虚空すなわち広い宇宙にあまねく行き渡る知恵と慈悲の心を持つ仏で、丑年、寅年生まれの人に人生の知恵や集中力を授ける守護本尊だという。玄白は寅年生まれだが、あまり知恵が身についているとは思えない。信仰心が足らないということか?(笑) -
大仏の回りを守護する4天王の一人、広目天立像。
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奈良公園のいたるところにたむろしている公園の主、鹿くん
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大仏殿中門の右手前にある鏡池越しの大仏殿。鏡池のほとりのモミジが色鮮やかだ。
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広大な東大寺境内を歩き回ったので、二月堂に行く前に食事処「あぜくらや」で一休み。抹茶と焼き草餅で一息入れる。
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連れ合いは、にゅう麵と葛餅
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奈良公園の鹿は、人に近づいてお辞儀をする。鹿せんべいをねだっているのだそうだ。自然に学習して、子供に伝えているのだろうか?
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修二会(お水取り)で有名な二月堂。創建は752年と伝えられるが、現存する建物は江戸時代のものだという。特徴的な建築様式、独自の舞台造りが見られる。類似の様式としては京都清水寺がよく知られている。
修二会では、この舞台造りの回廊を巨大な松明を振りかざして走り回るのである。 -
二月堂の拝観口。ここは拝観料は無料である
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回廊の釣り灯篭
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回廊からの眺めⅠ。黄葉が日に照らされて輝いている
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回廊からの眺めⅡ 四月堂、開山堂、大湯屋などいろいろな建物が眼下に見える。
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回廊からの眺めⅢ 金色に輝く大仏殿の鴟尾(しび)が見える。
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回廊からの眺めⅣ 回廊の端から黄葉とギボシをパチリ
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予定より大分時間を使ってしまった。次の興福寺へ行くために二月堂から大仏殿の裏側を通って、駐車場に向かう。
この辺り、だいぶ傷んだ土壁の塀が続く。 -
振り返って二月堂遠望
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まだ、紅葉していないモミジもある。
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大仏殿の裏手。こちらまで足を延ばす観光客はほとんどおらず、昼下がりだが静寂に包まれている。
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ふたたび、大仏池まで来た。相変わらず、鹿たちがたむろしている。鹿が草を食べるので、雑草取りはしなくてもよさそう。
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この牡鹿はまだ角を切られていない。角が大きく育っていないので、まだ子供なのであろう。
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朝よりもたむろしている鹿が増えたようだ。
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イチョウと鹿。モミジと鹿だったら、花札の世界だが・・・
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興福寺に行く前に、近くの宿、奈良ホテルにチェックイン。
関西の迎賓館とも言われた名門クラシックホテルである。建築家、辰野金吾設計による桃山御殿風檜造りの1909年に建造された本館である。辰野は東京駅の設計をしたことで有名な建築家である。
我が家のポリシーとして旅館、ホテルにはあまり散財しない主義だが、たまにはこんな贅沢も良いかと、今回はちょっとリッチな宿泊である。 -
木造の落ち着いた風格があるロビー
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本館ロビー「さくらの間」に古いピアノが置かれている。1922年12月に、20世紀前半の天才物理学者、アインシュタインが宿泊したとき、弾いたピアノだという。
かつて一物理学徒だった玄白で、相対性理論もかじったことはあるが、アインシュタインがピアノを弾けたとは知らなかった。 -
赤いじゅうたんと木造の高い天井が文明開化の明治期の格調高い雰囲気を醸し出している。
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部屋は趣のあるシーリングライトで照明され、天井は高い。
宿泊費も高いが・・・(^ ^); -
イチオシ
チェックインして人心地ついたところで、徒歩で興福寺に向かう。
興福寺の起源は、藤原鎌足の夫人、鏡女王が、夫の病気回復の願って山科(現京都)に山科寺として建立し、のちに飛鳥→奈良と移築されたという。藤原不比等が、奈良移築の際、興福寺と改め、藤原氏の氏寺としたと伝えられている。
過去6回、焼失、再建を繰り返し、現在の中金堂は2018年に創建当時の姿のままで再建され、真新しい姿でよみがえった。 -
見たかった五重塔は、目下大修理中で、その壮麗な姿を見ることはできない。残念!修理工事完了は2031年だという。
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興福寺を代表するものと言えば、五重塔と、この国宝、阿修羅像であろう。中金堂の横の国宝館で展示されている。
彫刻カテゴリーで国宝に指定されているものは136件あるが、そのうち興福寺の仏像が18点ありNo1だそうだ。ちなみに2位は法隆寺。
その中でダントツの人気No1は、この阿修羅像。阿修羅とはもともとヒンズー教の憎悪と憤怒を司る悪神だったが、仏教に組み込まれて仏法の守護神となった。全国の寺で阿修羅像があり、いずれも怒りの形相をしているが、興福寺の阿修羅は、例外的に美少年の姿で作られている。 -
当然、撮影はできないので、記念に絵葉書を買ってみた。写真は絵葉書のコピーである。
聖武天皇の妃、光明皇后の母の菩提を弔うために作られたのだという。 -
全く時間が足りなくなり、当初訪れるつもりだった春日大社は端折ることになった。興福寺の見学も途中で切り上げ、興福寺から宿に戻る途中、荒池で日の入りを迎えた。興福寺五重塔が修理中でなければ、猿沢の池の畔に行って、池に移る五重塔を撮影するつもりだったが、それは叶わぬこととなった。
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イチオシ
奈良ホテルに戻り、車で若草山の頂上に行ってみた。目的は、夕暮れ時の奈良の夜景撮影をすることだった。
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若草山から戻り、奈良ホテルから歩いて行けるところにある町屋を改造したフレンチレストラン「Bon appettit」でディナー。ボナペティとはフランス語で召し上がれという意味。細い路地にあり、ちょっとした隠れ家的雰囲気である。
奈良ホテルといい、著名なシェフのフレンチレストランといい、初日は贅沢三昧である。
オーナーシェフの大西佳則氏は、6年間フランスで修業したのち、大阪、神戸の有名店でシェフを務めてから1993年に築90年の古い町屋を買い取り、オープンしたレストランである。 -
自分が今まで食したフランス料理でトップ3に入る美味な料理であった。
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イチオシ
小雨が降るなか、食後はワイフはそのままホテルに戻ったが、玄白は酔い覚ましを兼ねて夜の奈良公園をうろうろ。公園内の鷺沼に浮かぶ幻想的な浮御堂のライトアップを撮影してから、ホテルに帰還した。
続く
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