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 東京都新宿区のSOMPO美術館で開催されたカナレット展を見てきました。ヴェドゥータ(景観画)の巨匠カナレットの全貌を紹介する、日本初の展覧会とのことです。18世紀の景観画を通じて、2024年5月に訪れたヴェネツィアの景色(本文中にリンクを挿入しました)が思い出されました。美術館所蔵作品である、ゴッホの「ひまわり」も見ることができました。<br /><br />※ 公式ホームページ<br />https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/canaletto/

2024 秋・『カナレットとヴェネツィアの輝き』展

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2024/11/01 - 2024/11/01

2622位(同エリア2851件中)

旅行記グループ 2024 秋旅行

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T.バイソン

T.バイソンさん

 東京都新宿区のSOMPO美術館で開催されたカナレット展を見てきました。ヴェドゥータ(景観画)の巨匠カナレットの全貌を紹介する、日本初の展覧会とのことです。18世紀の景観画を通じて、2024年5月に訪れたヴェネツィアの景色(本文中にリンクを挿入しました)が思い出されました。美術館所蔵作品である、ゴッホの「ひまわり」も見ることができました。

※ 公式ホームページ
https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/canaletto/

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 徒歩
  •  新宿駅西口から、徒歩で10分弱

     新宿駅西口から、徒歩で10分弱

  • SOMPO美術館<br /><br /> 西新宿にある東郷青児の美術作品コレクションを中心とする美術館で、約53億円で落札したゴッホの『ひまわり』を所蔵、展示していることで有名です。<br /><br /><br /> ヴェドゥータ(景観画)の巨匠カナレットの全貌を紹介する日本初の展覧会『カナレットとヴェネツィアの輝き』が開催。カナレットと同時代及び継承者の作品を、5つの章に構成して紹介されていました。第1章「カナレット以前のヴェネツィア」は残念ながら写真撮影不可でしたので、第2章以降を紹介します。<br /><br /><br /><br />第2章 カナレットのヴェドゥータ

    SOMPO美術館

     西新宿にある東郷青児の美術作品コレクションを中心とする美術館で、約53億円で落札したゴッホの『ひまわり』を所蔵、展示していることで有名です。


     ヴェドゥータ(景観画)の巨匠カナレットの全貌を紹介する日本初の展覧会『カナレットとヴェネツィアの輝き』が開催。カナレットと同時代及び継承者の作品を、5つの章に構成して紹介されていました。第1章「カナレット以前のヴェネツィア」は残念ながら写真撮影不可でしたので、第2章以降を紹介します。



    第2章 カナレットのヴェドゥータ

    SOMPO美術館 美術館・博物館

  •  カナレットは、本名をジョヴァンニ・アントーニオ・カナールといい、1697年に劇場の舞台美術家を父にヴェネツィアに生まれ、1719年にオペラの舞台美術の仕事のために父に伴いローマに赴きましたが、1720年までにヴェネツィアに帰り、陽光煌めく都市景観を鮮やかに描き出した景観画「ヴェドゥータ」で名を馳せ、とりわけ英国のパトロンに恵まれて英国のグランドツアー客に人気を博しました。1746年からは英国に長期滞在し、現地の景観も描いています。<br /><br /> 写真は、カナレットの肖像(第3章で紹介されていました)で、1735年、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタの原画、アントニオ・ヴィゼンティーニの彫版によるエッチング(一部分)です。

     カナレットは、本名をジョヴァンニ・アントーニオ・カナールといい、1697年に劇場の舞台美術家を父にヴェネツィアに生まれ、1719年にオペラの舞台美術の仕事のために父に伴いローマに赴きましたが、1720年までにヴェネツィアに帰り、陽光煌めく都市景観を鮮やかに描き出した景観画「ヴェドゥータ」で名を馳せ、とりわけ英国のパトロンに恵まれて英国のグランドツアー客に人気を博しました。1746年からは英国に長期滞在し、現地の景観も描いています。

     写真は、カナレットの肖像(第3章で紹介されていました)で、1735年、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタの原画、アントニオ・ヴィゼンティーニの彫版によるエッチング(一部分)です。

  • カナレット《サン・ヴィオ広場から見たカナル・グランデ》1730年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> <br /> 画面右手前がサン・ヴィオ広場で、隣接するバルバリゴ宮の向こうに見える大きな円蓋がサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。画面左端の建物はコルネール宮(↓参照)。しかし、広場がこのように見える実際の場所から対岸の建物はこれほど近くには見えず、また、広場からは建物に遮られて運河の入口方向は全く見渡せないとのこと。カナレットは、付近の名所を一望できるように組み合わせたんです。<br /> 解説のボードには、広場の端で壁に向かっている男は、一体何をやっているのであろうかとのユニークなコメントもありました。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/33/src_82743319.jpg?1727422845

    カナレット《サン・ヴィオ広場から見たカナル・グランデ》1730年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵

     
     画面右手前がサン・ヴィオ広場で、隣接するバルバリゴ宮の向こうに見える大きな円蓋がサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。画面左端の建物はコルネール宮(↓参照)。しかし、広場がこのように見える実際の場所から対岸の建物はこれほど近くには見えず、また、広場からは建物に遮られて運河の入口方向は全く見渡せないとのこと。カナレットは、付近の名所を一望できるように組み合わせたんです。
     解説のボードには、広場の端で壁に向かっている男は、一体何をやっているのであろうかとのユニークなコメントもありました。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/33/src_82743319.jpg?1727422845

  • カナレット《サン・マルコ広場》1732-33年頃制作/東京富士美術館所蔵<br /><br /> 画面左端はサン・マルコ大聖堂で、その奥にドゥカーレ宮殿、向こうの対岸にサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の丸屋根が見えます。サン・マルコ小広場を挟んで図書館があり、画面ほぼ中央には鐘楼がそびえています(↓参照)。画面右端の白いファサードは、後にナポレオンによって破壊されたサン・ジェミニアーノ聖堂。この広々とした眺めを得るために画家は、実際にはあり得ない位置まで下がった構図を採っています。現代でもマンション等の完成予想図に見られる手法です。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/198/252/src_19825236.jpg?updated_at=1732934627

    カナレット《サン・マルコ広場》1732-33年頃制作/東京富士美術館所蔵

     画面左端はサン・マルコ大聖堂で、その奥にドゥカーレ宮殿、向こうの対岸にサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の丸屋根が見えます。サン・マルコ小広場を挟んで図書館があり、画面ほぼ中央には鐘楼がそびえています(↓参照)。画面右端の白いファサードは、後にナポレオンによって破壊されたサン・ジェミニアーノ聖堂。この広々とした眺めを得るために画家は、実際にはあり得ない位置まで下がった構図を採っています。現代でもマンション等の完成予想図に見られる手法です。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/198/252/src_19825236.jpg?updated_at=1732934627

  • カナレット《カナル・グランデのレガッタ》1730-39年頃制作/ダラム、ボウズ美術館所蔵<br /> <br /> ヴェネツィアのイベントの中でもひと際エキサイティングなのが、レガッタと呼ばれるボート競漕で、14世紀以来、カーニバルの催し物の一つでしたが、時には賓客を歓迎するためにも開催されたようです。画面左の建物は、カナレットのパトロンだったジョセフ・スミスが住んでいたバルビ宮(↓参照)で、その手前に描かれているのは、カ・フォスカリ運河を塞ぐ浮き台の上に設置された、マッキナと呼ばれるきらびやかに装飾された仮設の建物で、競争の勝者はこの下で優賞旗を授与されました。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/31/src_82743103.jpg?1727422845

    カナレット《カナル・グランデのレガッタ》1730-39年頃制作/ダラム、ボウズ美術館所蔵
     
     ヴェネツィアのイベントの中でもひと際エキサイティングなのが、レガッタと呼ばれるボート競漕で、14世紀以来、カーニバルの催し物の一つでしたが、時には賓客を歓迎するためにも開催されたようです。画面左の建物は、カナレットのパトロンだったジョセフ・スミスが住んでいたバルビ宮(↓参照)で、その手前に描かれているのは、カ・フォスカリ運河を塞ぐ浮き台の上に設置された、マッキナと呼ばれるきらびやかに装飾された仮設の建物で、競争の勝者はこの下で優賞旗を授与されました。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/31/src_82743103.jpg?1727422845

  • カナレット《昇天祭、モーロ河岸に戻るプチントーロ》1738-42年頃制作/ノーフォーク、レスター伯爵及びホウカム・エステート管理委員会所蔵<br /><br /><br /> 「海との結婚の儀式」が行われるキリスト昇天祭は、数多くのヴェネツィアの祝祭の中でも重要なもの。この儀式で、ドージェは、プチントーロという御座船でアドリア海に出て、「海よ、汝と結婚する」と唱えながら、金の指輪を海に投げ入れます。サン・マルコ広場(小広場)の向こうに鐘楼がそびえ、手前に聖マルコと聖テオドーロの円柱、左にマルチャーナ図書館(↓参照)、右にドゥカーレ宮殿という定番の景色です。<br /> なお、サン・マルコ広場に面した河岸は、スキアヴォーニ河岸でななく、モーロ河岸というんですね。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/76/72/src_82767202.jpg?1732671627

    カナレット《昇天祭、モーロ河岸に戻るプチントーロ》1738-42年頃制作/ノーフォーク、レスター伯爵及びホウカム・エステート管理委員会所蔵


     「海との結婚の儀式」が行われるキリスト昇天祭は、数多くのヴェネツィアの祝祭の中でも重要なもの。この儀式で、ドージェは、プチントーロという御座船でアドリア海に出て、「海よ、汝と結婚する」と唱えながら、金の指輪を海に投げ入れます。サン・マルコ広場(小広場)の向こうに鐘楼がそびえ、手前に聖マルコと聖テオドーロの円柱、左にマルチャーナ図書館(↓参照)、右にドゥカーレ宮殿という定番の景色です。
     なお、サン・マルコ広場に面した河岸は、スキアヴォーニ河岸でななく、モーロ河岸というんですね。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/76/72/src_82767202.jpg?1732671627

  • カナレット《昇天祭、モーロ河岸のプチントーロ》1760年制作/ロンドン、ダリッジ美術館所蔵<br /><br /> 前の作品と同様、昇天祭の日のモーロ河岸、プチントーロ、そしてサン・マルコの船溜まりの様子を描いた作品ですが、こちらは少し視点を西に移し(↓参照)、プチントーロやその周辺のゴンドラの光の煌めきを表すのに、明るい色点を散りばめる描写を用いています。もっとも明るい部分を点で描くこのやり方は、晩年に近づくにつれて見られるようになりました。色調も少しずつ暗さを加え、明暗のコントラストも強くなっています。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/76/73/src_82767398.jpg?1732671627

    カナレット《昇天祭、モーロ河岸のプチントーロ》1760年制作/ロンドン、ダリッジ美術館所蔵

     前の作品と同様、昇天祭の日のモーロ河岸、プチントーロ、そしてサン・マルコの船溜まりの様子を描いた作品ですが、こちらは少し視点を西に移し(↓参照)、プチントーロやその周辺のゴンドラの光の煌めきを表すのに、明るい色点を散りばめる描写を用いています。もっとも明るい部分を点で描くこのやり方は、晩年に近づくにつれて見られるようになりました。色調も少しずつ暗さを加え、明暗のコントラストも強くなっています。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/76/73/src_82767398.jpg?1732671627

  • カナレット《ロンドン、テムズ川、サマセット・ハウスからロンドンのザ・シティを遠望する》1750年頃制作/個人蔵<br /><br /> 画面左手前がサマセット・ハウス。川沿いに見えるセント・ポール大聖堂の円蓋から画面右奥に向かって、ロンドンの商取引の中心ザ・シティが描かれています。画面左のテラスの欄干を川に沿って急激に奥へと引っ込ませ、そこから川向うへと遠景を拡げています。

    カナレット《ロンドン、テムズ川、サマセット・ハウスからロンドンのザ・シティを遠望する》1750年頃制作/個人蔵

     画面左手前がサマセット・ハウス。川沿いに見えるセント・ポール大聖堂の円蓋から画面右奥に向かって、ロンドンの商取引の中心ザ・シティが描かれています。画面左のテラスの欄干を川に沿って急激に奥へと引っ込ませ、そこから川向うへと遠景を拡げています。

  • カナレット《ロンドン、北側からウェストミンスター橋を望む、金細工師組合マスターの行進》1750年頃制作/個人蔵<br /><br /> 前の作品と対となる作品で、イギリスの政治の中心地ウェストミンスター付近を、テムズ川に架かる橋越しに眺望した作品です。ウェストミンスター橋が完成した1750年、新市長が5月の就任日に青屋根の大型平底船に乗り、ウェストミンスター・ホールへ宣誓のために向かう様子を描いたものと思われます。画面右手、新市長の船に並走する赤屋根の船は、金細工師組合の船と思われ、場面を華やかなものとするため、多くの船を追加しています。しかし、橋の工事完成は実際は11月なので、この眺めはフィクションらしいです。

    カナレット《ロンドン、北側からウェストミンスター橋を望む、金細工師組合マスターの行進》1750年頃制作/個人蔵

     前の作品と対となる作品で、イギリスの政治の中心地ウェストミンスター付近を、テムズ川に架かる橋越しに眺望した作品です。ウェストミンスター橋が完成した1750年、新市長が5月の就任日に青屋根の大型平底船に乗り、ウェストミンスター・ホールへ宣誓のために向かう様子を描いたものと思われます。画面右手、新市長の船に並走する赤屋根の船は、金細工師組合の船と思われ、場面を華やかなものとするため、多くの船を追加しています。しかし、橋の工事完成は実際は11月なので、この眺めはフィクションらしいです。

  • カナレット《ロンドン、ヴォクス・ガーデンズの大歩道》1751年頃制作/ウォリックシャー、コンプトン・ヴァー二ー所蔵<br /><br /> ヴォクス・ガーデンズは、18世紀のロンドンで人気のあった遊園地で、貴族も平民も料金を払えば入場できました。画面右側には道沿いに楽団のパヴィリオン、オルガン・ハウス、トルコ風の食事を提供するテント等が並んでいまう。実際には道幅はここまで広くなく、これは発注者が望んだ遊興の場面をいわば忖度して表したものらしいです。

    カナレット《ロンドン、ヴォクス・ガーデンズの大歩道》1751年頃制作/ウォリックシャー、コンプトン・ヴァー二ー所蔵

     ヴォクス・ガーデンズは、18世紀のロンドンで人気のあった遊園地で、貴族も平民も料金を払えば入場できました。画面右側には道沿いに楽団のパヴィリオン、オルガン・ハウス、トルコ風の食事を提供するテント等が並んでいまう。実際には道幅はここまで広くなく、これは発注者が望んだ遊興の場面をいわば忖度して表したものらしいです。

  • カナレット《ロンドン、ラネラーのロトンダ内部》1751年頃制作/ウォリックシャー、コンプトン・ヴァー二ー所蔵<br /><br /> ラネラーは、ヴォクス・ガーデンズと並んで人気のあったロンドン市内の遊興施設です。このロトンダはその目玉で、直径は約46m。画面左で階段状に突き出ているのは、楽団等の演奏席で、周囲を囲んだボックス席では飲食が提供されたようです。中央の柱に囲まれた部分には暖炉と煙突が仕込んでありました。主な出し物は音楽で、幼い日のモーツァルトもここで演奏したとか。窓や戸口から差し込む光が大きな柱をくっきりと照らす場面が描かれています。

    カナレット《ロンドン、ラネラーのロトンダ内部》1751年頃制作/ウォリックシャー、コンプトン・ヴァー二ー所蔵

     ラネラーは、ヴォクス・ガーデンズと並んで人気のあったロンドン市内の遊興施設です。このロトンダはその目玉で、直径は約46m。画面左で階段状に突き出ているのは、楽団等の演奏席で、周囲を囲んだボックス席では飲食が提供されたようです。中央の柱に囲まれた部分には暖炉と煙突が仕込んでありました。主な出し物は音楽で、幼い日のモーツァルトもここで演奏したとか。窓や戸口から差し込む光が大きな柱をくっきりと照らす場面が描かれています。

  • カナレット《ローマ、パラッツォ・デル・クイリナーレの広場》1750-51年頃制作/東京富士美術館所蔵<br /><br /> 画面の大部分を占めるこの館は、1592年にクレメンス8世が定めて以降1870年まで教皇公邸となったもので、現在は大統領官邸となっています。

    カナレット《ローマ、パラッツォ・デル・クイリナーレの広場》1750-51年頃制作/東京富士美術館所蔵

     画面の大部分を占めるこの館は、1592年にクレメンス8世が定めて以降1870年まで教皇公邸となったもので、現在は大統領官邸となっています。

  • カナレット《ナヴォナ広場の景観》1750-51年頃制作/東京富士美術館所蔵<br /><br /> 前の作品と同様、ローマの景観画で定番の名所を描いた作品です。広場の中央に立つオベリスク付きの大きな噴水が、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』の舞台となったことで有名な、ジャンロレンツォ・ベルニーニによる四大河の噴水。画面の中央近くにそびえ立つサン・タニェーゼ聖堂の円蓋が整然と並ぶ他の建物に対してやや唐突で、透視図法的にはおかしいようですが、見上げる感覚を強調しているようです。<br /><br /><br /><br /><br />第3章 カナレットの版画と素描 - 創造の周辺<br /><br /> 版画や素描を通してカナレットの創造の過程を辿ります。

    カナレット《ナヴォナ広場の景観》1750-51年頃制作/東京富士美術館所蔵

     前の作品と同様、ローマの景観画で定番の名所を描いた作品です。広場の中央に立つオベリスク付きの大きな噴水が、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』の舞台となったことで有名な、ジャンロレンツォ・ベルニーニによる四大河の噴水。画面の中央近くにそびえ立つサン・タニェーゼ聖堂の円蓋が整然と並ぶ他の建物に対してやや唐突で、透視図法的にはおかしいようですが、見上げる感覚を強調しているようです。




    第3章 カナレットの版画と素描 - 創造の周辺

     版画や素描を通してカナレットの創造の過程を辿ります。

  • カナレット《河岸の眺め》1744年以降に刊行/町田市立国際版画美術館所蔵<br /><br /> ブレンタ水路上流で分岐するブレンタ・ノヴァのドーロ付近の眺めだと思われます。手前の土手の植生や樹を密に描き込むことで、中景の岸辺や川面、そして対岸の建物や遠景の鐘楼等と、段階的に空間を構成しています。画面の中央に樹がわざと目立つように描いてあるのは、画面の奥まで入り込んだ視線がこの樹木を枝先から根本へと辿ることで手前の土手に戻ってくるように意図されたものということです。

    カナレット《河岸の眺め》1744年以降に刊行/町田市立国際版画美術館所蔵

     ブレンタ水路上流で分岐するブレンタ・ノヴァのドーロ付近の眺めだと思われます。手前の土手の植生や樹を密に描き込むことで、中景の岸辺や川面、そして対岸の建物や遠景の鐘楼等と、段階的に空間を構成しています。画面の中央に樹がわざと目立つように描いてあるのは、画面の奥まで入り込んだ視線がこの樹木を枝先から根本へと辿ることで手前の土手に戻ってくるように意図されたものということです。

  • カナレット《サン・マルコ大聖堂の内部》1766年頃制作/ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵<br /><br /> サン・マルコ大聖堂の袖廊を南側から北側に向かって描いた素描です。画中に書かれた文字は、制作のためのメモ。画面奥、祭壇の下に階段と燭台があり、その更に右脇に黒い点があるが、この絵の透視図法上の消失点で、カナレットはここから定規で何度も線を引いたため、目立つ点ができたとのことです。

    カナレット《サン・マルコ大聖堂の内部》1766年頃制作/ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵

     サン・マルコ大聖堂の袖廊を南側から北側に向かって描いた素描です。画中に書かれた文字は、制作のためのメモ。画面奥、祭壇の下に階段と燭台があり、その更に右脇に黒い点があるが、この絵の透視図法上の消失点で、カナレットはここから定規で何度も線を引いたため、目立つ点ができたとのことです。

  • 1800年頃のロンドン、ジョーンズ製のレフレックス・カメラ・オプスキュラ/東京富士美術館所蔵<br /><br /> カナレットが創作に用いていたもので、光を利用して外の景色を投影する仕組みを備えた、いわばカメラの元祖ともいえる機器です。<br /><br /><br /><br /><br />第4章 同時代の画家たち、継承者たち ー カナレットに連なる系譜の展開<br /><br /> カナレットの影響を受けた18世紀のヴェネツィアの画家たちと、英国の後継者たちの作品が紹介されます。<br />

    1800年頃のロンドン、ジョーンズ製のレフレックス・カメラ・オプスキュラ/東京富士美術館所蔵

     カナレットが創作に用いていたもので、光を利用して外の景色を投影する仕組みを備えた、いわばカメラの元祖ともいえる機器です。




    第4章 同時代の画家たち、継承者たち ー カナレットに連なる系譜の展開

     カナレットの影響を受けた18世紀のヴェネツィアの画家たちと、英国の後継者たちの作品が紹介されます。

  • ミケーレ・マリエスキ《リアルト橋》1740年頃制作/ブリストル市立博物館・美術館所蔵<br /><br /> 南側から見たリアルト橋でしょう(↓参照)。マリエスキは、活気に満ちたこの街の商業活動の中心地の日常風景を、華やかな色彩を駆使して描いています。こちらに背を向けて船を漕ぎ出す中央手前の水夫、その右隣りの船に乗る大仰な身振りの男たち、岸辺の二人の貴族が一段と目を引きますが、このような演劇的ともいえる構成は、作者が舞台デザインをてがけたことと関連するようです。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/78/03/src_82780357.jpg?1726363555<br />

    ミケーレ・マリエスキ《リアルト橋》1740年頃制作/ブリストル市立博物館・美術館所蔵

     南側から見たリアルト橋でしょう(↓参照)。マリエスキは、活気に満ちたこの街の商業活動の中心地の日常風景を、華やかな色彩を駆使して描いています。こちらに背を向けて船を漕ぎ出す中央手前の水夫、その右隣りの船に乗る大仰な身振りの男たち、岸辺の二人の貴族が一段と目を引きますが、このような演劇的ともいえる構成は、作者が舞台デザインをてがけたことと関連するようです。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/78/03/src_82780357.jpg?1726363555

  • 作者不詳《カナル・グランデ:サンタ・ルチア聖堂とスカルツィ聖堂、ヴェネツィア》1740-60年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> 画面左が1861年に駅舎を建設するために取り壊されたサンタ・ルチア聖堂。中央右にサンタ・マリア・ディ・ナザレ聖堂(スカルツィ教会)(↓参照)が描かれていますが、その前には、1858年に建設されたスカルツィ橋は描かれていません。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/197/869/src_19786930.jpg?updated_at=1726366750

    作者不詳《カナル・グランデ:サンタ・ルチア聖堂とスカルツィ聖堂、ヴェネツィア》1740-60年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵

     画面左が1861年に駅舎を建設するために取り壊されたサンタ・ルチア聖堂。中央右にサンタ・マリア・ディ・ナザレ聖堂(スカルツィ教会)(↓参照)が描かれていますが、その前には、1858年に建設されたスカルツィ橋は描かれていません。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/197/869/src_19786930.jpg?updated_at=1726366750

  • ベルナルド・ベロット《ルッカ、サン・マルティーノ広場》1742-46年頃制作/ヨーク・ミュージアム・トラスト(ヨーク美術館)所蔵<br /><br /> 彼は、カナレットの甥に当たる人物で、伯父に倣ってカナレットを名乗っていたこともあったとか。ポーランド王に重用され、宮廷画家として活躍したため、ポーランドでは、カナレット=ベルナルド・ベロットとして知られています。1742年、ベロットがローマ旅行の際に立ち寄ったルッカで取材した成果物としての作品です。<br />

    ベルナルド・ベロット《ルッカ、サン・マルティーノ広場》1742-46年頃制作/ヨーク・ミュージアム・トラスト(ヨーク美術館)所蔵

     彼は、カナレットの甥に当たる人物で、伯父に倣ってカナレットを名乗っていたこともあったとか。ポーランド王に重用され、宮廷画家として活躍したため、ポーランドでは、カナレット=ベルナルド・ベロットとして知られています。1742年、ベロットがローマ旅行の際に立ち寄ったルッカで取材した成果物としての作品です。

  • フランチェスコ・グアルディ《小さな広場と建物のあるカプリッチョ》1759年制作/東京富士美術館所蔵<br /><br /> グアルディは、1712年に画家の家に生まれ、当初は兄ジャン・アントニオとともに宗教画を手掛けましたが、1760年に兄が死去した後、ヴェドゥータに集中します。初期の作品にはカナレットの影響がみられますが、次第に活発な筆遣いと自由に想像された建築を特徴とする自由なスタイルを採用するようになります。本作でも虚実が入り混じる空間を創造しています。画面右の正面が崩れかかった建物はヴェネツィア最古とされるサン・ジャコメット聖堂から着想したイメージの改変で、実際の聖堂の前の広場は建築物に取り囲まれており、河岸やその先の風景が望めるわけではありません。<br />

    フランチェスコ・グアルディ《小さな広場と建物のあるカプリッチョ》1759年制作/東京富士美術館所蔵

     グアルディは、1712年に画家の家に生まれ、当初は兄ジャン・アントニオとともに宗教画を手掛けましたが、1760年に兄が死去した後、ヴェドゥータに集中します。初期の作品にはカナレットの影響がみられますが、次第に活発な筆遣いと自由に想像された建築を特徴とする自由なスタイルを採用するようになります。本作でも虚実が入り混じる空間を創造しています。画面右の正面が崩れかかった建物はヴェネツィア最古とされるサン・ジャコメット聖堂から着想したイメージの改変で、実際の聖堂の前の広場は建築物に取り囲まれており、河岸やその先の風景が望めるわけではありません。

  • フランチェスコ・グアルディ《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂》1770年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> グアルディが軽やかなタッチと色彩によって景観を捉える方向へと徐々に変化していく移行期を物語る作品です。<br />

    フランチェスコ・グアルディ《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂》1770年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵

     グアルディが軽やかなタッチと色彩によって景観を捉える方向へと徐々に変化していく移行期を物語る作品です。

  • フランチェスコ・グアルディ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂》1770年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> 前の作品と対になる作品で、ヴェネツィアの東端、サンテレナ島側からカナル・グランデに入るときに左手に見える、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂です。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/84/06/25/src_84062501.jpg?1732671672

    フランチェスコ・グアルディ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂》1770年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵

     前の作品と対になる作品で、ヴェネツィアの東端、サンテレナ島側からカナル・グランデに入るときに左手に見える、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂です。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/84/06/25/src_84062501.jpg?1732671672

  • ウィリアム・ジェイムズ《スキアヴォーニ河岸、ヴェネツィア》制作年不詳/東京富士美術館所蔵<br /><br /> この画家の記録は少ないですが、英国滞在時のカナレットの弟子か助手だったと言われています。画面右では河岸に立ち並ぶ建物の前を人々が行き交い、中央から左では様々な船が岸壁から湾までを埋め尽くしています。カナレットの落ち着いたタッチとは対照的に、船や建物から人物や波紋にいたるまで明瞭な色彩で描き分けていますが、硬質で味気ないとも評されたようです。<br /><br /><br /><br /><br />第5章 カナレットの遺産<br /><br /> 風景画の世紀とも言える19世紀の英仏の画家たちに焦点を当て、カナレット以後のヴェネツィアの表象の変遷をたどります。

    ウィリアム・ジェイムズ《スキアヴォーニ河岸、ヴェネツィア》制作年不詳/東京富士美術館所蔵

     この画家の記録は少ないですが、英国滞在時のカナレットの弟子か助手だったと言われています。画面右では河岸に立ち並ぶ建物の前を人々が行き交い、中央から左では様々な船が岸壁から湾までを埋め尽くしています。カナレットの落ち着いたタッチとは対照的に、船や建物から人物や波紋にいたるまで明瞭な色彩で描き分けていますが、硬質で味気ないとも評されたようです。




    第5章 カナレットの遺産

     風景画の世紀とも言える19世紀の英仏の画家たちに焦点を当て、カナレット以後のヴェネツィアの表象の変遷をたどります。

  • ウィリアム・ジェイムズ・ミュラー《ヴェネツィアのカナル・グランデ、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を望む》1837年制作/丸紅株式会社所蔵<br /><br /> ミュラーは、1834年に初めてヴェネツィアを訪れて2か月ほど滞在。画面右にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、その奥の白い横長の壁面は「海の税関」と呼ばれたドガーナで、塔の上には2体のアトラス像が支える球体の上に立つ、運命の女神像も小さく見えています。画面左の建物は、カヴァッリ=フランケッティ宮です。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/84/10/39/src_84103986.jpg?1732936989

    ウィリアム・ジェイムズ・ミュラー《ヴェネツィアのカナル・グランデ、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を望む》1837年制作/丸紅株式会社所蔵

     ミュラーは、1834年に初めてヴェネツィアを訪れて2か月ほど滞在。画面右にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、その奥の白い横長の壁面は「海の税関」と呼ばれたドガーナで、塔の上には2体のアトラス像が支える球体の上に立つ、運命の女神像も小さく見えています。画面左の建物は、カヴァッリ=フランケッティ宮です。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/84/10/39/src_84103986.jpg?1732936989

  • ウィリアム・ミラー《ヴェネツィア、ピアツェッタ》1854年制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> ミラーは、1796年にエディンバラに生まれ、1814年に版画家ウィリアム・アーチボルトの弟子となり、1819年にロンドンに移ってジョージ・クックの下で働き、1821年にエディンバラに戻っています。J.M.W.ターナーが自作を基に版画を制作するにあたり彫版を任せた彫版師の一人で、本作は、ターナー没後、遺作に基づき制作された版画の一つです。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/197/916/src_19791694.jpg?updated_at=1727151535

    ウィリアム・ミラー《ヴェネツィア、ピアツェッタ》1854年制作/スコットランド国立美術館所蔵

     ミラーは、1796年にエディンバラに生まれ、1814年に版画家ウィリアム・アーチボルトの弟子となり、1819年にロンドンに移ってジョージ・クックの下で働き、1821年にエディンバラに戻っています。J.M.W.ターナーが自作を基に版画を制作するにあたり彫版を任せた彫版師の一人で、本作は、ターナー没後、遺作に基づき制作された版画の一つです。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/197/916/src_19791694.jpg?updated_at=1727151535

  •  今回、ターナーの作品展示はありませんが、ヴェネツィアとの繋がりについてのパネルが展示されていました。

     今回、ターナーの作品展示はありませんが、ヴェネツィアとの繋がりについてのパネルが展示されていました。

  • リチャード・パークス・ボニントン《ヴェネツィア、カナル・グランデ》1826年制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> さわやかな青空が広がる春のヴェネツィア。中央には、陽光を受けて白く輝くサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。ボニントンは、カナレット流の細部描写に拘泥することなく、生来の優れた色彩感覚と水彩画のような透明感を持つ独特の優美でなめらかな油彩技法によって、煌めくような色彩の画面に詩情を吹き込んでいます。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/33/src_82743337.jpg?1732936912

    リチャード・パークス・ボニントン《ヴェネツィア、カナル・グランデ》1826年制作/スコットランド国立美術館所蔵

     さわやかな青空が広がる春のヴェネツィア。中央には、陽光を受けて白く輝くサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。ボニントンは、カナレット流の細部描写に拘泥することなく、生来の優れた色彩感覚と水彩画のような透明感を持つ独特の優美でなめらかな油彩技法によって、煌めくような色彩の画面に詩情を吹き込んでいます。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/33/src_82743337.jpg?1732936912

  • ウィリアム・エティ《溜息橋》1833-35年頃制作/ヨーク・ミュージアム・トラスト(ヨーク美術館)所蔵<br /><br /> ヴェネツィアには1822~23年に滞在し、描くスピードと巧みさから「イル・ディアボロ(悪魔)」とあだ名されました。画面右の牢獄の一階では、水面と同じ高さに開いた戸口から、裸の人物画ひっそりと運び出されようとしていますが、エティは、この牢獄を訪れたとき、ガイドから「処刑された囚人は、真夜中、ゴンドラに乗せられて人知れず遠くのラグーナ(潟)に運ばれていく」という噂話を聞き、詩的造像力を膨らませたのでしょう。夜空に輝く星だけが哀れな囚人を見守っています。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/197/917/src_19791716.jpg?updated_at=1727153215

    ウィリアム・エティ《溜息橋》1833-35年頃制作/ヨーク・ミュージアム・トラスト(ヨーク美術館)所蔵

     ヴェネツィアには1822~23年に滞在し、描くスピードと巧みさから「イル・ディアボロ(悪魔)」とあだ名されました。画面右の牢獄の一階では、水面と同じ高さに開いた戸口から、裸の人物画ひっそりと運び出されようとしていますが、エティは、この牢獄を訪れたとき、ガイドから「処刑された囚人は、真夜中、ゴンドラに乗せられて人知れず遠くのラグーナ(潟)に運ばれていく」という噂話を聞き、詩的造像力を膨らませたのでしょう。夜空に輝く星だけが哀れな囚人を見守っています。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/197/917/src_19791716.jpg?updated_at=1727153215

  • ヘンリー・ウッズ《サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場、ヴェネツィア》1895年制作/ロンドン、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ所蔵<br /><br /> 1876年に初めてヴェネツィアを訪れたウッズは、その魅力に取りつかれ、この街に定住。彼が惹かれたのは、大運河や古い建物の景観ではなく、人々の生活でした。温かく親しみやすい描写には一定の美化も施されてはいますが、描写の正確さに定評があった彼の作品は真実のヴェネツィアを記録したものと受け止められていました。2024年5月の旅行時、訪れた広場の風景が思い起こされました。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/92/22/src_11922212.jpg?updated_at=1729086807<br /> 

    ヘンリー・ウッズ《サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場、ヴェネツィア》1895年制作/ロンドン、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ所蔵

     1876年に初めてヴェネツィアを訪れたウッズは、その魅力に取りつかれ、この街に定住。彼が惹かれたのは、大運河や古い建物の景観ではなく、人々の生活でした。温かく親しみやすい描写には一定の美化も施されてはいますが、描写の正確さに定評があった彼の作品は真実のヴェネツィアを記録したものと受け止められていました。2024年5月の旅行時、訪れた広場の風景が思い起こされました。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/album/src/11/92/22/src_11922212.jpg?updated_at=1729086807
     

  • ウォルター・リチャード・シッカート《サン・マルコ大聖堂の一角、ヴェネツィア》1901年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵<br /><br /> ミュンヘンに生まれたシッカートは、1868年にロンドンに移住。俳優を志すも大成せず、1882年からホイッスラーの助手となり、彼を通じて出会ったドガに影響を受けます。絵画教師としても活動し、1972年にチャーチルのレッスンも担当しました。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/198/238/src_19823839.jpg?updated_at=1732673232<br />

    ウォルター・リチャード・シッカート《サン・マルコ大聖堂の一角、ヴェネツィア》1901年頃制作/スコットランド国立美術館所蔵

     ミュンヘンに生まれたシッカートは、1868年にロンドンに移住。俳優を志すも大成せず、1882年からホイッスラーの助手となり、彼を通じて出会ったドガに影響を受けます。絵画教師としても活動し、1972年にチャーチルのレッスンも担当しました。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/tips/pict/src/198/238/src_19823839.jpg?updated_at=1732673232

  • ウォルター・リチャード・シッカート《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》1901年頃制作/ロンドン、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ所蔵<br /><br /> 前の作品とともに、シッカートは、建築物を意外なアングルで捉えたり、その一部を切り取って描いたりすることで、伝統的なヴェドゥータとは異なる景観を生み出しました。濃密な色彩とドラマチックな明暗のコントラストは、建物の装飾彫刻を描き出す大胆な筆遣いと相俟って、小さな画面に重厚な存在感を与えています。2024年の旅行時には、修復のため正面ファサードは幕に覆われていました。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/84/00/60/src_84006067.jpg?1732329446<br />

    ウォルター・リチャード・シッカート《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》1901年頃制作/ロンドン、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ所蔵

     前の作品とともに、シッカートは、建築物を意外なアングルで捉えたり、その一部を切り取って描いたりすることで、伝統的なヴェドゥータとは異なる景観を生み出しました。濃密な色彩とドラマチックな明暗のコントラストは、建物の装飾彫刻を描き出す大胆な筆遣いと相俟って、小さな画面に重厚な存在感を与えています。2024年の旅行時には、修復のため正面ファサードは幕に覆われていました。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/84/00/60/src_84006067.jpg?1732329446

  • ウジェーヌ・ブータン《カナル・グランデ、ヴェネツィア》1895年制作/東京富士美術館所蔵<br /><br /> ジュデッカ運河から本島を望む眺めで、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の背面を画面中央に、右端には金の球体を頂くドガーナやサン・マルコ広場の鐘楼を捉えています。カナル・グランデを挟んで隔たっているはずのドルソドゥーロ地区とサン・マルコ地区を連続する一つの対岸のように捉えながら、帯状に密集する建物の連なりを画面下方に設定し、薄雲に覆われた空を画面内に大きく取り込んでいます。

    ウジェーヌ・ブータン《カナル・グランデ、ヴェネツィア》1895年制作/東京富士美術館所蔵

     ジュデッカ運河から本島を望む眺めで、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の背面を画面中央に、右端には金の球体を頂くドガーナやサン・マルコ広場の鐘楼を捉えています。カナル・グランデを挟んで隔たっているはずのドルソドゥーロ地区とサン・マルコ地区を連続する一つの対岸のように捉えながら、帯状に密集する建物の連なりを画面下方に設定し、薄雲に覆われた空を画面内に大きく取り込んでいます。

  • クロード・モネ《サルーテ運河》1908年制作/ポーラ美術館所蔵<br /><br /> サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の西側を流れるサルーテ運河を、南から北向きに捉えた眺め。ゴンドラに乗った画家の視線は、両側を背の高い建物に挟まれた運河を進み、中景の橋、次いでサン・グレゴリオ聖堂の後陣に行き着いたところで、屋根と樹木の間にのぞく青空へと抜けます。対岸風景を望む開けた空間を描いた作品が多い中でもその特異さが際立つ構図。アドリア海の強い日差しは、建物の壁を鮮やかなオレンジやピンクに染め上げ、湿潤な大気に包まれた建物の堅牢さを、所々渦を描く闊達なストロークの中に溶解しています。<br />

    クロード・モネ《サルーテ運河》1908年制作/ポーラ美術館所蔵

     サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の西側を流れるサルーテ運河を、南から北向きに捉えた眺め。ゴンドラに乗った画家の視線は、両側を背の高い建物に挟まれた運河を進み、中景の橋、次いでサン・グレゴリオ聖堂の後陣に行き着いたところで、屋根と樹木の間にのぞく青空へと抜けます。対岸風景を望む開けた空間を描いた作品が多い中でもその特異さが際立つ構図。アドリア海の強い日差しは、建物の壁を鮮やかなオレンジやピンクに染め上げ、湿潤な大気に包まれた建物の堅牢さを、所々渦を描く闊達なストロークの中に溶解しています。

  • クロード・モネ《パラッツォ・ダーリオ、ヴェネツィア》1908年制作/カーディフ、ウェールズ国立美術館<br /><br /> 写真撮影が認められていなかったので、購入した絵葉書の画像です。<br /> モネは、1908年10月から12月にかけてヴェネツィアを訪れ、ダリオ宮をモチーフに連作を描いています。2024年の旅行時に、これがデヴィッド・ヒューソンの『ヴェネツィアの悪魔』にも登場し、モネが描いた建物かと眺めたことが思いだされます。<br /><br />※5月に撮影した画像<br />https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/33/src_82743320.jpg?1727422845

    クロード・モネ《パラッツォ・ダーリオ、ヴェネツィア》1908年制作/カーディフ、ウェールズ国立美術館

     写真撮影が認められていなかったので、購入した絵葉書の画像です。
     モネは、1908年10月から12月にかけてヴェネツィアを訪れ、ダリオ宮をモチーフに連作を描いています。2024年の旅行時に、これがデヴィッド・ヒューソンの『ヴェネツィアの悪魔』にも登場し、モネが描いた建物かと眺めたことが思いだされます。

    ※5月に撮影した画像
    https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/82/74/33/src_82743320.jpg?1727422845

  • ポール・シニャック《ヴェニス、サルーテ教会》1908年<br />制作/Miyazaki Prefectural Art Museum所蔵<br /><br /> シニャックは、1904年と1908年の2度、ヴェネツィアを訪れており、本作は1908年にドゥカーレ宮殿にほど近いカーサ・フォンタナに約1か月半滞在した間に描かれたものでで、プラゴッツォと呼ばれる伝統的な漁船の合間にそびえるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の堂々たる姿を捉えています。湿潤な大気の中で乱反射する光に照らされた眺めが彩度の高い色彩の集合で表現されており、聖堂があたかも蜃気楼の中に立ち現れるようで、きわめて装飾性が高い作品です。<br /><br /><br /><br />SOMPO美術館収蔵品コーナー

    ポール・シニャック《ヴェニス、サルーテ教会》1908年
    制作/Miyazaki Prefectural Art Museum所蔵

     シニャックは、1904年と1908年の2度、ヴェネツィアを訪れており、本作は1908年にドゥカーレ宮殿にほど近いカーサ・フォンタナに約1か月半滞在した間に描かれたものでで、プラゴッツォと呼ばれる伝統的な漁船の合間にそびえるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の堂々たる姿を捉えています。湿潤な大気の中で乱反射する光に照らされた眺めが彩度の高い色彩の集合で表現されており、聖堂があたかも蜃気楼の中に立ち現れるようで、きわめて装飾性が高い作品です。



    SOMPO美術館収蔵品コーナー

  •  7点(現存は6点)制作された、花瓶のひまわりを描いたゴッホの《ひまわり》のうち、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する4番目の作品を基に描いたとされる最後の《ひまわり》。全部黄色のひまわりと言われるロンドン・バージョンとは背景の色や筆遣いに違いが見られます。過去に贋作の疑いもかけられ、また、元の所有者の相続人から返還と損害賠償請求がなされたいわくつきの作品です。

     7点(現存は6点)制作された、花瓶のひまわりを描いたゴッホの《ひまわり》のうち、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する4番目の作品を基に描いたとされる最後の《ひまわり》。全部黄色のひまわりと言われるロンドン・バージョンとは背景の色や筆遣いに違いが見られます。過去に贋作の疑いもかけられ、また、元の所有者の相続人から返還と損害賠償請求がなされたいわくつきの作品です。

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