2022/12/02 - 2022/12/02
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ちふゆさん
2022年12月2日(金)午前中、月に一度の連れ合いの定期診察の後、奈良に足を伸ばして紅葉を見に出掛けた。
11時過ぎ、奈良市の北西部に位置する秋篠町にある秋篠寺に到着。秋篠町は元々は郡山藩に属した秋篠村だった。1889年(明治22年)の町村制の施行により、周辺の4村と合併し平城村となったが、1951年に奈良市に編入され、消滅した。
平城京の北西端にあった西大寺の北側に広がる地域で、現在の皇室の秋篠宮の宮号の由来の名前。奈良時代末期の782年に土師(はじ)安人が八色の姓の上から3番目の宿禰(すくね)から一つ上の朝臣(あそん)に改められた際に「居住地にちなんで」秋篠安人と改名しており、古くから土地の名前だったようだ。和歌の歌枕としても著名。
奈良市と奈良県については以前書いた。
https://4travel.jp/travelogue/11784269
秋篠寺は鎌倉時代の文書によると、奈良時代の776年に光仁天皇の勅願により、法相宗の僧・善珠が創建したとある。平安時代初期の806年には、崩御した桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われた記録もあり、皇室とも関連の深い寺院であったことが分かる。
その後、真言宗寺院となり、平安後期からは寺領を増大させて南に位置する西大寺との間にたびたび寺領をめぐる争論があった。鎌倉時代の1135年には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。明治時代以降は浄土宗に宗旨を変更していたが、現在は単立寺院となっている
東門から境内に入る。入口の紅葉がきれい。入ってそのまま西に進み、突き当りを左に曲がると、左手すぐにあるのが香水閣。通常は非公開だが、中に香水井と呼ばれる井戸がある。
平安初期に常暁律師がその香水井に大元帥明王の姿を感じ、838年から翌年に掛けて唐に渡って修得した後に日本に伝えたのが真言密教における大法(呪術)の1つの大元帥法。851年から1871年(明治4年)まで千年以上、宮中からの使者が持ち運んだ香水井の霊水が、京都御所で正月に国の安泰を願う大元帥法による祈とうに使われていた。
香水閣の前を進むと左手に十三社(下の写真1)。春日社や稲荷社、牛頭天王社などの小さな社殿がその名の通り、十三社祀られている。往時の神仏習合を如実に物語っている。
十三社の先の三差路を右に曲がり、西に進む。この道の北側には金堂が、南側には西塔が建っていたが、今は礎石しか残っておらず、一面に美しい苔の庭となっており、この道は苔の径と呼ばれる(下の写真2)。また、道沿いには赤いクチナシの実が沢山あり、可愛い(下の写真3)。
金堂跡の先を右に曲がり拝観受付へ(下の写真4)。ここから有料拝観エリアになる。受付を抜けるとすぐ左手に大元堂。毎年6月6日のみ開扉されるお堂で、国を守り、外敵を退散させると云う大元帥明王の秘仏像が安置されている。像は鎌倉時代の作と推定されており、国の重文に指定されている。
先に進むと右手に国宝の本堂。鎌倉時代の建立で、講堂の跡地に建てられた。当時の和様仏堂の代表作の1つ。正面5間、側面4間で、屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間としている。
正面の柱間5間は中央3間を格子戸、左右両端の間を連子窓としており、全体に保守的で簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式を示している。堂内には本尊薬師三尊像を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像、帝釈天立像、伎芸天立像などを安置する。十二神将像以外は国の重文。堂内も拝観したが、堂内撮影禁止で写真はない。
本堂前の広場の奥に長方形の平たい石があり、横に「かミ奈り石」と刻まれた標石が立っている。平安時代の840年、上述の常暁律師が雷獣を捕らえ、ヘソを取って封じ込んだ場所とか。以後、この秋篠の地に雷は落ちないそうだ。雷にヘソを取られると云う話は、このことから雷がヘソを取り戻そうとしていることから来ているそうだ。そこから本堂の東側に回り込むと鐘楼がある。
本堂と参道を挟んで東側には開山堂。この寺を開山したと伝わる善珠僧正を祀るお堂。奥には霊堂。開山堂の北には十三重石塔があり、隣には1919年(大正8年)に建てられた欧州大乱戦病難死萬霊供養塔がある。第一次大戦中戦死者の慰霊塔。
拝観を終えて、十三社のところまで戻り、右手に折れて南に進み、正門である南門から外に出る。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27399906429652688&type=1&l=223fe1adec
南門を出てすぐ左手に八所御霊神社がある。由緒沿革は定かでないが、秋篠寺の鎮守として創建され、当初御霊神社だったものが、後に八所御霊神社と改称された。京都の上御霊、下御霊両神社など全国各地にある御霊信仰の神社。
八所とは、非業の死や不慮の死に見舞わた早良親王・伊予親王・藤原夫人・橘逸勢・文屋宮田麻呂・藤原広嗣・吉備大臣・火雷神のことで、都に災厄を及ぼさぬよう、慰霊の意味を込めて信仰されてきた。
小ぶりだが、鳥居から玉砂利が綺麗に敷かれ、三間社流の本殿も美しく建っている。室町時代の造立と云われ、奈良県指定文化財。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27399924536317544&type=1&l=223fe1adec
せっかくここまで来たので、近くの五社神古墳へ向かうが、続く
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