2024/09/26 - 2024/09/27
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ゆーちさん
この旅行記のスケジュール
2024/09/26
2024/09/27
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いつもお参りいただいているお寺の住職さんが御征忌(道元禅師の命日の法要)に導師を務める『焼香師』を拝命された縁で、曹洞宗総本山永平寺に宿泊する旅に父母の供養も兼ねて兄弟4人で参加した。さらに今年は大本山總持寺開山700回大遠忌に当たるため双方に参拝随行し、精神的に清らかな気持ちになりながら、楽しい観光も織り込んでの旅行となった。
9月26日(木)
初日は羽田から小松空港までのフライト+バスで約4時間の移動で、大本山永平寺到着16時。入浴で体を清め・作法に則った夕食・夜のおつとめ(法話、座禅の組み方練習、座禅、映画~修行僧の一日)21:00消灯 宿坊泊
9月27日(金)
緊張してか午前3時起床 まだ暗い4時に集合し法堂まで移動、法要参拝(法話、座禅、参拝、ご焼香、参拝、別室にて法話、お茶とお菓子、法堂まで移動、先祖への供養、ご焼香2回含む)すること4時間。お寺の隅々まで案内された。
8:00に 朝食 作法の説明、食事 身支度、買い物他。
9:15 永平寺を後にして、福井県立一乗谷朝倉氏博物館、遺跡巡り散策、越前そばの里で昼食 福井市へ移動して柴田神社、東尋坊を観光。
あわら温泉清風荘泊
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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羽田空港にて昼食お弁当。もうこの時点で精進料理のような和食。
羽田空港(東京国際空港) 空港
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バスで大分離れた搭乗機へ移動。13:05 小松空港へ出発
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14:10 小松空港着
小松空港 (小松飛行場) 空港
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小松空港のディスプレイ 観光ガイド付きのバスで移動 久しぶりにガイドさんの説明に感心しながら興味深く耳も眼も忙しかった。
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16:00 永平寺到着 手水社の説明には身を清めようという心は世界を清めようという心につながる。それも仏行であるとあった。
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各手水鉢には龍の口からお水が出てくる。手を洗う。
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苔むした石段をのぼる。
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永平寺は寛元二(1244)年に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である。現在は僧侶の育成と一般の人々への布教教化を行っている。ここは仏殿。七堂伽藍の中心に位置し、お釈迦様(釈迦牟尼仏)が祀られている。明治35(1902)年の改築。
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通用門(出入り口)までの階段
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通用門(玄関)からさらに奥へ行くと受付だ。
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お坊さんがいっぱいの受付で待機。ここからは全て永平寺のスケジュールに従って行動する。
曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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吉祥閣 三階の宿坊前の大きなロビーはピカピカだ。ここが集合場所となる。
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東司(とうす)トイレはロビーに続く。古いが清潔なトイレだった。
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反対側は洗面所となっている。無駄なものは一切無い。
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境内にあった永平寺山内の俯瞰図を外で撮影したもの。
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ロビーにあった一昔前,昭和6(1931)年の山内と比較すると現在はかなり広く建物が増えている。
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入浴をすませ、食堂に案内された。食事は六時から。
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箸袋に書かれた「五観の偈(ごかんのげ)」。食への感謝、食事のお作法を箸袋に書いてあるとおり僧侶が読み上げ私達が復唱する。
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「いただきます」の後は無言で一言も発せず食事をする。純粋の精進料理、お菓子もついている。最後は少し残したお茶で箸を洗ってまた箸袋に納めて持ち帰り、明朝再使用。
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食後は身支度をして法堂まで修行僧に誘導される。希望者のみということだったが、全員参加した。法堂の右側に書かれた書。
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鴨居の釘隠し。リンドウを表している。道元禅師の家紋だそう。
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法堂(はっとう)では椅子も用意されていて正座できない人は椅子に腰掛けても良い。
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静かに法話が始まるのを待つ。法話は30分「人はなぜ旅に出るのか?」。この後さらに30分ほど座禅を組む。最後に映画「永平寺の修行僧の一日」を拝聴し終了。
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宿坊の一室。この日は全国4ヶ所のお寺が参拝に参加していた。宿坊には浴衣と帯が用意され、布団カバー類も清潔なものだった。私たちは若い子も含めて女性9人一緒に宿泊した。隣の部屋とは障子一枚なので声が筒抜けだった。掃除する人は専門に雇っているらしい。
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9月27日金曜日 翌朝は4時集合だったので3時過ぎには起床し、身支度を整えた。朝のおつとめに法堂まで修行僧の後に続き歩いてこの階段を上る。永平寺山内は左側通行だった。太陽が昇る前に修行が始まる。
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赤い絨毯に正座する。お坊さんの法話を聞き、座禅を組む。昨夜と同じ部屋ではなかった。正面には松(中央)竹(左)梅(右)の絵がそれぞれ4枚の襖に描かれていた。法話を聞いて終了。
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別室(承陽殿)へ誘導される。ここではお菓子が用意されており、修行僧が熱いお煎茶を出してくれた。お茶だけいただいたが、温度も濃さも味も素晴らしくおいしかった。
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ご高齢のお坊さんの話を聞く。
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お堂で修行があり、朝の座禅を済ませてから法堂に修行僧が集まってくる。100人以上の僧侶が色々な儀式を時間をかけて執り行うのを、我々は椅子に座って拝見する。途中で今回「御征忌」で招かれた我が寺院の住職の御焼香の儀式、先祖への供養として一人一人参拝者の名前が詠まれ、ご焼香、カードで合図される経典のページをめくり、お経を唱和する。修行僧の一糸乱れぬ読経の声が境内に響き渡る。
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約4時間の修行が済み、この長い階段を降りる頃、あたりは明るくなっていた。
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法堂から仏殿の方向を写す
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朝の境内は気持ちも晴れやかに空気が澄み切っていたように感じた。
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大庫院(だいくいん)食事を司るところ。作る側には「典座教訓」いただく側には「赴粥飯法」という心構えが伝えられている。
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清々しい中庭 中雀門が見える
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案内された「傘松閣」。ここは二階で156畳敷きの「絵天井の間」。昭和5年(1930)当時の著名な画家144名による230枚の色彩画が天井に飾られている。見事な色彩が目に飛び込んできた。平成6(1994)年改築。
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午前8時、昨夜のお箸持参で集合。起床から4時間後の朝食であった。「五観の偈」を唱え「いただきます」。空腹を満たす量ではなかったが、五臓六腑に染み渡る味だった。おかゆのスプーンは自分の方へむけ、お箸の先は斜め右に向けると教わった。
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9:00 食事も終わって身支度を整え通用門の外へ出る。永平寺川にかかる橋を渡ってみる。
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坂道も風情がある。
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参道を降りて龍門の外で待つバスに乗る。
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次なる訪問地は福井県立一乗谷朝倉氏博物館。永平寺からバスで15分、福井駅から電車で15分の位置にある。
大きな屋根と右手につづく小さな屋根が特徴的。朝倉氏の歴史と遺跡発掘のあゆみについて大型映像やマップで遺跡見学の見どころを紹介している。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館 美術館・博物館
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博物館の受付
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朝倉氏の系図と年表が説明される。
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一乗谷朝倉氏遺跡の周辺地図。戦国時代の城下町全体が遺跡となって残されていることがよくわかる。
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発掘した現場をそのまま残す工夫。博物館建設の事前発掘調査で見つかった石敷遺構「川湊」がそのまま残っており真近で見学できる。
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2階に上がる。基本展示室。様々な生活用品、職人の道具、武器武具、文化財など170万点の出土品を展示。
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街の縮尺模型(遺跡の巨大ジオラマ)も精巧に作られていた。
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朝倉館原寸再現。このスペースは能楽の舞台にもなるそうだ。
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基本展示室の奥には、原寸で再現している朝倉館があった。戦国大名の暮らしぶりを体感できる。
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朝倉館の縮尺模型。
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博物館を出て、再現された街並みを歩き始める。
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道幅も復元され、発掘調査で見つかった素材を活かして約200mに渡る道路に面して整然と並ぶ町並みを再現している。このような山奥に京都と同じような街があったことが素晴らしいとガイドの説明に力が入っていた。
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礎石の上に4本の柱を立てた「藥医門」は上級武家屋敷に採用されているという。
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中級武家屋敷。お武家様の人形の後ろ姿。
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暑い日はミストシャワーで観光客にサービスすると言っていた。時期外れの桜も咲いていた。日本で初めてトイレが確認されたのが一乗谷だそう。ただ朝倉氏館跡では見つかっていないのが不思議だという。
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風鈴も無風で音がしない。
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標高473mに築かれた上城戸跡。朝倉館跡庭園もある。
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唐門。ここから朝倉館の跡に入っていく。
一乗谷朝倉氏遺跡(庭園) 名所・史跡
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唐門をデザインしたマンホールが休憩所の壁に立てかけてあった。
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南北朝時代に越前に入国し、朝倉氏の歴史が始まった。ここは朝倉義景の館跡になる。1467年の応仁の乱を契機として戦国大名となり、以後5代100余年の治政を保ち北陸の小京都と呼ばれるほどの降盛を誇った。初代当主孝景の家訓は受け継がれ越前の発展と安定に注力した。
朝倉館跡庭園 公園・植物園
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一乗谷川には曼珠沙華が咲いていた。
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遺跡全景。昭和46(1971)年、278haが国の特別史跡に指定されて以来50年以上にわたり発掘調査と整備が継続されてきた。平成3(1991)年に4つの庭園が特別名勝となり、平成19(2007)年には出土品2343点が重要文化財に指定された。国の三重指定になると次なる目標が世界遺産となる。
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お昼は越前そばの里へ行く。
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入るとすぐにそばの工場見学ができる。
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売店の隣がレストランになっている。
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越前そばは冷たい汁をかけていただく。左上は陶板焼き。おはぎが有名だというので出口で売っていたのを二つ買って4人でデザートにした。作りたての餡子がとても美味だった。
越前そばの里 グルメ・レストラン
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福井市街にある歴史街道へ。
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柴田神社にお参りする。越前は1573年に朝倉氏が滅亡した後は織田信長に統治される。一乗谷から10km離れた北庄城を北陸支配の拠点とし柴田勝家に守らせた。
柴田神社 寺・神社・教会
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北の庄城址資料館に入る。福井市の始まりからその発展の歴史と柴田勝家の偉業がよくわかるように展示されている。
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柴田神社は柴田勝家とその妻お市の方が合祀されている。3人の娘 茶々・初・お江の系図
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外に出ると、左にお市の方、右に茶々(後の豊臣秀吉の妻)・初・お江の三姉妹の可愛い銅像が迎えてくれた。
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15:00 柴田神社を後にして福井駅前を通過。福井は恐竜の発見で有名。恐竜の壁画や実物大の模型が動く。
福井駅駅 駅
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15:50 東尋坊に着いた。相変わらず強風で吹き飛ばされそうだった。しかも柱状節理の露出部は踏まれこんでいてつるつるだった。
東尋坊 自然・景勝地
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住職のご家族はこの遊覧船に乗って観光していた。所要時間は30分。聞くと遠くに橋で繋がっている雄島までは行かないそう。
東尋坊観光遊覧船 乗り物
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17:15 あわら温泉 清風荘に到着。入口近くに展示されていた越前坂井市の小杉織。浴衣の帯で有名だそう。こんなに種類があるなんて!! 美しいデザイン・柄・色彩が素晴らしい??
清風荘 宿・ホテル
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ロビー
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ロビーにはラウンジが有り、お菓子とコーヒーなどの飲み物自由のコーナーがあった。お菓子は18時半まで。
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エレベーターを降りてすぐ浴衣とアメニティを持ってゆく。
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お風呂は3か所あった。
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露天風呂は熱すぎず丁度良い湯加減でのんびり入っていられた。ホテルのHPより
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雅会席<秋>かます、鱧、あけび、いちじくなど珍しい材料を使った料理が並ぶ。
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青竹の中身は若狭牛と木ノ子の蒸し焼きだった。「かにからトマト味噌」をつけていただく。今晩は兄弟4人部屋の和室で休む。
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