2023/10/26 - 2023/10/26
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しにあの旅人さん
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鳥居峠。ヤマトタケルが東征の帰り、ここで亡き愛妻乙橘姫を偲んだという伝承があります。
碓氷峠は実は鳥居峠だった!
その麓には嬬恋村、タケルが妻を恋うた村。
ちょっと北の草津温泉には、タケルが温泉を見つけたという開湯伝説があり、タケルを祀る白根神社が温泉を見下ろしています。
吾妻郡はヤマトタケルのロマンに満ちているのです。古いお話しではありません。現代に息づいている、現役のロマンです。
タケルの観光誘致ぽいけど。
行ってきました。2022年4月と23年10月。
参考書は下記に並べました。
引用では僭越ながら敬称を略させていただきます。
「ヤマトタケル空白の旅路 金鑚神社1 華奴蘇奴国、卑弥呼登場!?」
https://4travel.jp/travelogue/11887487
今回特にお世話になったのは、
「群馬県吾妻郡誌」群馬県吾妻教育会/1929年(昭和4年)/国会図書館デジタルコレクション(引用では「吾妻郡誌」とします。)
「上野名跡志」(こうずけめいせきし)冨田永世/1853年(嘉永6年)/活字版1885年(明治18年)/国会図書館デジタルコレクション
引用のあとに「102コマ」とかあるのは、デジタルコレクションのコマ番です。PDFですから、原本のページ番号よりこちらの方が分かりやすい。
投稿日:2024/07/20
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
鳥居峠の群馬県側は、深い森で眺めはよくありません。ここで嬬恋のキャベツ畑でも一望できれば、タケルの気分に浸れるのですが、残念。
一書に曰く、
峠というのは、しばしば県境、国境にされます。
地球は丸いのだから、奥の奥。先の先。どん詰まりというのは、ないのです。どんどん、どんどん行くと、元に戻ってしまう。
とすると。
国境、県境というのが、その国のどん詰まりってことですか。
鳥居峠、寒かったからか、そのどん詰まり感、むちゃくちゃありました。
鳥居あたりの、ちいさな広場に居ると、突然、トラックが、ぶわーっと、迫ってきます。
長野県側に坂が下っているので、来るトラックは、突然浮き上がってきたって感じだし、行く車は、ふっと消えてしまう感じ。
峠の先は、未知のくに、暗闇のブラックホール。
By妻
「吾妻郡誌」によると、かつてここには木製の大鳥居がありました。1929年以前です。いまは跡形もなし。
いつの時代からこの峠を「鳥居峠」というか。
「上野名跡志」によると「関東古戦禄」(著者槇島昭武、江戸時代の軍記作家)という1726年成立の本に「鳥居峠」の名が出てくるので、この頃までには鳥居峠と呼ばれていたことが分かります。天文21年(1552年)4月上杉景虎(謙信)が鳥居峠を越えて上州松井田に着いた、と書いてあるそうです。 -
この写真は4月4日。旧暦だと5月ですが、場合によってはこんなふうに雪だったかも。なんたって標高1362mです。
-
鞭声粛々昼峠を越えて、謙信さんが「ものども、鳥居峠を越えるのじゃ!越後に比べれば、こんな雪へでもない!」とか叫んでいたのであります。
謙信「上州焼きまんじゅう、食い放題じゃ」
雑兵「お館様、焼き饅頭はかんべん」
謙信「じゃあ、こんにゃく」
雑兵「・・・」
一書に曰く、
焼き饅頭を、by夫は、目の敵にしております。
中に、あんこが入っていなかったというのが気にいらないらしい。
私は、さっぱりして好きですよ。
By妻
「上信日記」(著者:清水浜臣/しみず・はまおみ、1776年―1824年、刊行年不明)という本に、峠から吾妻郡田代(現在の嬬恋村田代)まで約6km、神社なし、家5軒だけだそうです。田代でやっと人家2,30軒。すごいド田舎。
実はこれ、現在と変わりません。
吾嬬はや
▲▼▲▼
日本書紀ヤマトタケルの東征で、ダントツのサビは碓氷峠の絶唱です。
★日本武尊は常に弟橘姫を思い出される心があって、碓日の峯にのぼり、東南の方を望んで三度嘆いて「吾嬬はや、ああ」と言われた。それで碓日の峯より東の諸国を吾嬬国(あずまのくに)という★(日本書紀P169)
碓日坂は軽井沢近く、旧中仙道の碓井峠というのが通説です。古代東山道は碓氷峠、または近くの入山峠を越えていたことは確実だそうです。
国道144号上、嬬恋から上田に抜ける、群馬、長野県境の鳥居峠を碓日坂に比定する説もあります。
「吾妻郡誌」はこの説を力説しております。なにがなんでも日本武尊はここをこえたんだ!
ものすごい郷土愛です。
しかしながら。
古来、鳥居峠を越えたとき、書紀の絶唱を思い出した旅人がいたのではないか。峠を越えると東国はもう見えないのです。生き別れにしろ死に別れにしろ、旅人は吾妻国に残した最愛の女に最後の別れを告げた。
鳥居峠を越えた往古の旅人が、タケルの絶唱に自らの思いを重ねたとすると、この峠を碓氷峠としたい気持ちも分からないでもありません。
しかも鳥居峠は、かつて碓氷峠と呼ばれていたという説もあるのです。
一書に曰く、
鳥井峠に来て、吾妻郡には、吾妻教という宗教があるらしいと、思えてきました。
だって、ここからは、浦賀水道は、見えませんよ。
ま、見えなくたって、思い出して「つまよ!」でもいいけれど。
なら、ヤマトタケルでなくてもいいことになりませんか。
ヤマトタケルは、あまりにもあちこち行き過ぎ。
ヤマトタケル、多過ぎ。
でも、「妻よ!」って、言いたい人が居て、言わせたい人が、この上野国にはいたんですね。
そもそも、どういうときに、「我がつまよ!」なんて詠んだのだろう。
妻は、生きているのか、もう死んでしまったのか。
とにかく、彼といっしょではないみたいです。離れているのは確かです。
死んだ妻への、愛と感謝の言葉。
万葉集の防人の歌のように、心ならずも、妻と引き離される嘆きのことばかもしれません。
自分から、妻に別れを告げねばならなかった男の懺悔の言葉かもしれません。
世の中に、妻と夫が存在する限り、
「わがつまよ!」
嬉しいにつけ、悲しいにつけ、叫ぶ場合も、つぶやく場合も数限りなくあるのではないでしょうか。
生活環境が厳しければ、お互いをいたわり、助け合う気持ちは強かったのでしょう。
By夫も時々つぶやきます。
「わが妻よ、もう少し静かにしておくれ。」
By妻 -
★日本武尊ノ越玉ヒシハ、吾妻郡ノ鳥居峠ナラント云説アリ★
(上野名跡志102コマ)
碓氷峠=鳥居峠説は、富田永世(とみた・ながよ、1777-1856、歌人、国学者)が、嘉永6年(1853年)発表の「上野名跡志」で、紹介したものです。
★大笹田代ノ奥信州大日向ヘ越ル峰ヲ鳥居峠ト云ヒテ、石ノ鳥居アリ。石ノ祠二社アリ。日本武尊橘姫ヲ祀リテ吾妻権現ト称奉ル。此所コソ日本武尊ノ越エ玉ヒシ道ノ真跡也ト云。太古ハ此アタリ迄碓氷也シヲ、吾嬬者耶ノ御言ヨリ吾妻郡トナリシナルベケレバ、ケニモイニシエノ碓氷ノ峠ハ、コナタニテアリケン★(同113コマ、句読点挿入は筆者)
カタカナで読みにくいですが、概略の意味は、
大笹田代の奥信州大日向へ越える峠を鳥居峠という。石の鳥居があって、石の祠が2社あり、日本武尊と橘姫を祀り、吾妻権現といった。こここそ日本武尊が越えた真の道筋といわれる。太古はこのあたりまで碓氷であり、吾嬬者耶の言葉より吾妻郡となったので、いにしえの碓氷峠はここであったのだろう。
富田は「こういう説があるよ」という書き方をしているので、彼以前からこの地域に伝わっている伝承を紹介したのです。秩父生まれ、上野国藤岡の飛脚問屋の支配人だそうで、特に吾妻郡のご当地びいきでもなさそうです。
彼以前、おそらくすでに18世紀には、吾妻郡では流布していた伝承だということです。 -
鳥居峠の道標から長野県側に歩いて数分、右側。
-
「石ノ鳥居アリ。石ノ祠二社アリ。日本武尊橘姫ヲ祀リテ吾妻権現ト称奉ル」
-
現在も石の鳥居があります。
19世紀の地誌に書いてあるとおり。 -
わっと喜ぶBy夫。
鳥居の周りをくるくる回ります。
当時のままかな? -
扁額は「四阿山」(あずまやま)
「吾妻郡誌」でも「四阿山」ですから、20世紀初頭でも同じ。 -
普通柱の裏側に建立年月日が彫ってあるのですが、摩耗して読めない。
「吾妻郡誌」より助け船。
★これ本郡関係書類に和銅元年創立と称せられるものなるべし。而(しかれど)も今は明治三十九年十一月修繕石工飯村峯吉の文字を見るのみ★
和銅元年(708年)創立という「本郡関係書類」は見つけられませんでした。
古いことは古いらしい。1906年(明治39年)修復なら、そんなものかと。
現在はその修復記録も読めません。 -
たしかに鉄片による修繕のあとがあります。ただこれが1906年の修繕かどうかは分からない。
-
「石ノ祠二社アリ」
ある! -
ころびまろびつ写真を撮るBy夫。
興奮しております -
♪
-
もはや遺跡調査の気分!
-
右の祠。
-
「白鳥大明神」と彫ってある。
上野名跡志では「日本武尊」です。白鳥大明神は日本武尊の別名ですが、違うことは違う。 -
向かって右の側面に、
「上州我妻郡
上沢渡村
福田本(大?)右衛門」
現在の群馬県吾妻郡中之条町に上沢渡という地名があります。大字ですから、かつての村です。彫りが摩耗せずはっきり読めます。そんなに古くはないかもしれません。
たぶん、18世紀の「日本武尊」と彫られていた祠を、後年上沢渡村の福田さんが再建したのではないかな。 -
左の祠。
「上野名跡志」では「橘姫」のはずですが・・・ -
「道祖神」だった。
う~~~ん、「日本武尊」→「白鳥神社」は許容範囲ですがね・・・
「橘姫」→道祖神、う~~~ん -
背面です。なにか彫ってあるけれど、全然読めない。もしかすると「橘姫」かな。
-
右側面。
★
信州埴科(はにしな)郡
欠(かけ)村中
★
現在の長野県埴科郡には、かつて信州松代藩欠村というのがありました。鳥居峠から現在の道路で約30kmです。これでしょうね。
文字の摩耗ぐあいからいうとお隣より古いっぽい。
もしかしたら上野名跡志のころのままかも。 -
祠はだいぶ傷んではいますが、
-
真新しい紙垂。
いまでもどなたか、こまめにお参りする方がいるということです。 -
上野名跡志のころ、ここに鳥居と祠があったことはまちがいない。
まったく同じものかどうかはわかりません。
その後、ちゃんとお守りした方がいらっしゃった。
200年の時を超えて、現在につながっております。
私は、200年前の本のウラがとれる、それが目の前にある、こういうのが大好きなのです。
これぞ旅の醍醐味。
「それがなにか?」と言われると困りますが。
200年前のガイドブック、りっぱに役に立ちました。
富田永世さん、清水浜臣さん、槇島昭武さん、ありがとう。
4トラブログの大先輩です。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 前日光さん 2024/09/28 22:58:30
- 鳥居峠!
- しにあさん、こんばんは。
「鳥居峠」については、実はユーチューブで、旧中山道を自転車で辿るというのを見まして。
旧道が山中に入り込んでいると、山中の道なき道を自転車で行くのです(@_@)
私は画面を見ながら、バス酔い状態になってしまいました。
自転車で山中の道なき道を走るというのは、本当に並大抵のことではありません!
前後左右に揺れるのです。
あまり真剣に眺めていて、酔ってしまったのです。
旅のブログで有名な「スーツ」という名の若造の作ですが、これはすごかったです!
その中でもこの「鳥居峠」は群を抜く厳しい場所で、ただただ感心しながら眺めたのです。
私は、鳥居峠が碓氷峠なのかよりも、あの峠のハンパない傾斜に驚嘆しました。
そうではありますが、
「私は、200年前の本のウラがとれる、それが目の前にある、こういうのが大好きなのです。
これぞ旅の醍醐味。
「それがなにか?」と言われると困りますが。」
↑
この部分には、大いに共感します!(^^)!
旅の醍醐味は、まさにこういうところにあると思います!
アニメオタクの聖地巡礼と同じだと思っています。
アニメなのか古代史なのか、その違いであって、私もしにあさんも要するに「古代史オタク」なのでしょうね(^_-)-☆
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2024/09/30 11:11:33
- Re: 鳥居峠!
- 縦の旅をして、本の中の記述が、目の前に現物として立ち現れる、これは最高です。
記紀、出雲風土記、平家物語、まだまだありそう。
古代オタクの聖地巡礼、まさに言い得て妙であります。
今回はたかだか200年ですが、マイナーな本だったので、事実を自分だけで独り占めしたのではないかと、イケズな感慨に浸りました。
スーツくんの「鳥居峠」見ました。
よくもまあ、あんなところを自転車で走ろうと思ったものです。たしかに見ているだけで目が回ります。
この鳥居峠は長野県塩尻市奈良井から長野県木祖村に抜ける鳥居峠ですね。旧中仙道です。
タケルくんが越えたことになっている、私たちの群馬長野県境の鳥居峠も、一度スーツくんに通ってもらいたいものです。
ただ、旧東山道や中仙道みたいな一級国道に相当する街道は走っていない田舎でしたから、今でも田舎ですが、自転車で走っても面白くないかも。
スーツくんがやたらに熊におびえているのが面白かった。でも人ごとではなくて、私たちも阿久原牧址碑に行ったときは、真面目に熊警戒でした。
千葉県には熊はいないことになっていますが、そちらはいかがですか。最近は周囲が山だと、市街地にもクマさんが出るのですよね。
-
- 横浜臨海公園さん 2024/07/21 09:55:52
- 鳥居の補助鉄板板について
- しにあの旅人さま、おはようございます。
旅行記、篤と拝見させて頂きました。
さて、旅行記に投稿されておられます鳥居写真での補助鉄板は、関東大震災での被災被害の結果ではないかと思います。
旧信越本線熊ノ平駅構内に保存されている、碓氷鉄道碑横にも同様の鉄板修復痕が残っておりますが、かの碑は軽井沢駅前に建立されていたものが関東大震災振動震動と同時に倒壊し真っ二つに折損したものが15年程放置状態だったものを修復したものが移転保存されていることから、同様の修理痕から被災被害修復と判断しました。
関東大震災では南関東の震動が著しいものでしたが、実は、軽井沢も強い揺れが発生したらしく、倒壊家屋なども多数出た様です。
如何でしょうか!!!
横浜臨海公園
- しにあの旅人さん からの返信 2024/07/23 08:12:27
- Re: 鳥居の補助鉄板板について
- お説の通り関東大震災後の修理ではないかと思います。
吾妻郡誌による明治39年(1906年)の修理は、石工の名を鳥居に残す本格的なものだったようです。そういう石工が鉄片による修理をするとは思えないのです。
鳥居の笠木、額束とそれ以外の部材の摩耗がかなり違います。全くの想像ですが、飯村による修繕は鳥居本体で、笠木、額束はオリジナルのまま、それが震災で破損したと考えると、つじつまは合います。
特に「四阿山」の額束の欠損が目立ちます。風雨による摩耗より、落っこちたので欠けたという感じです。
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