2024/07/28 - 2024/08/01
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yeyetravelerさん
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東京でのイベント出席後7/28(日)PM再び京都へ行き伏見の親族宅に宿泊。翌29日京阪沿線の宝塔寺、石峰寺を訪問。京阪→地下鉄と乗り継ぎ日向大神宮を参拝、更に山を登り遥拝所で伊勢神宮を遥拝。三条まで戻り瑞泉寺を拝観し伏見へ戻った。30日に行事があり、翌8/1昼前の新幹線で帰京した。
[行程概略]
7/28(日)PM新幹線で東京→京都。京都在住の友人と京都駅烏丸口近くの居酒屋で一献を傾けた後、伏見親族宅へ。
7/29(月)AM京阪電車で中書島→龍谷大前深草。駅を出て東へ10分程度歩き宝塔寺へ。参詣後北へ数分の石峰寺へ。駅へ戻り、深草→三条(地下鉄へ乗り換え)→蹴上。三条通にある鳥居をくぐり疏水を越え日向大神宮を参拝。更に山道を登り伊勢神宮遥拝所へ行き伊勢神宮を遥拝。山を下り蹴上→京都市役所前と地下鉄に乗車、木屋町通の瑞泉寺を参拝。三条大橋を渡り遅めの昼食をとったのち京阪電車で伏見へ戻った。
7/30(火)所用
8/1(水)昼前の新幹線で帰京
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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京阪電車龍谷大前深草駅 京阪電車は伏見区では殆ど濠川沿いを走る。よって駅を出るとすぐに橋がある。
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宝塔寺総門 四脚門 深草駅から東南へ10分ほどで到着する。この日も朝から酷暑。
宝塔寺 寺・神社・教会
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四脚門をくぐると左右の塔頭の白壁と仁王門が見える。
宝塔寺 寺・神社・教会
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迫力ある仁王門 1711年再建とのこと。
宝塔寺 寺・神社・教会
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仁王像
宝塔寺 寺・神社・教会
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本堂 慶長13年(1608年)再建 宝塔寺の前身は899年開山の極楽寺とあった。源氏物語にも登場するとのこと。
宝塔寺 寺・神社・教会
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応仁の乱で建造物はこの多宝塔を除き全焼した。室町時代1439年以前の建立とあった。
宝塔寺 寺・神社・教会
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宝塔寺から北へ数分で石峰寺入口に着く。
石峰寺 寺・神社・教会
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石峰寺山門 黄檗宗なので萬福寺と同様中国スタイル。
石峰寺 寺・神社・教会
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正面が本堂、左が庫裡 拝観料500円、伊藤若冲の五百羅漢像は撮影禁止。
石峰寺 寺・神社・教会
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本尊の釈迦如来 本堂は昭和の再建。
石峰寺 寺・神社・教会
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伊藤若冲の墓 大火で家が焼け、門前で庵を営んだとのこと。若冲の生家は錦市場に案内板があるが、画業にいそしんだ時代の家も生家のそばだったのだろうか?
石峰寺 寺・神社・教会
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竹林の中に若冲がデザインして10年以上かけて作らせた羅漢像が多数ある。大正14年に椿山荘へ20体ほど移された。
石峰寺 寺・神社・教会
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羅漢参道にも門がある。
石峰寺 寺・神社・教会
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地下鉄蹴上から三条通を大津方面へ歩くとすぐに日向大神宮の鳥居がある。安養寺は参道途中にある寺。
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参道を上って行くと疏水に架かる大神宮橋が出現。大神宮橋の左には疏水船溜、右には旧御所水道ポンプ室のレンガ造り建物。
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更に参道を上っていくと鳥居が見えてくる。
日向大神宮 寺・神社・教会
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外宮の鳥居 案内板に外宮は「げく」とかなが振ってあった。正面奥が内宮、外宮は右側にある。5世紀末、日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建された。応仁の乱で社殿、古記録は焼失したが、慶長年間に再建された。
日向大神宮 寺・神社・教会
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外宮本殿 屋根両端のX状の木は千木(チギ)、千木の間の木は鰹木、堅魚木(カツオギ)と言うそうだ。外宮のご祭神は、天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)と天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。
日向大神宮 寺・神社・教会
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外宮の横を更に行くと、小川を渡った一段高いところに内宮がある。山と一体になった素晴らしい神域を感じた。
日向大神宮 寺・神社・教会
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内宮の鳥居と拝所 拝所の奥が本殿 内宮は「ないく」と振ってあった。天照大神と宗像三女神を祀っている。内、外宮二棟の本殿は伊勢神宮と同様の神明造。
日向大神宮 寺・神社・教会
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左側の山道を行くと天岩戸がある。くぐってお参りしたので、心身の穢れが落ち、開運・厄除けのご利益があるはずだ。
日向大神宮 寺・神社・教会
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境内社が数社あった。
日向大神宮 寺・神社・教会
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境内社そばを通り伊勢神宮遥拝所へ行く。山道を登ることになった。踵ベルト付サンダルではきつかった。途中でベルトを締めなおした。
日向大神宮 寺・神社・教会
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伊勢神宮遥拝所で伊勢神宮を遥拝。8分ほどで到着した。Tシャツが汗まみれとなった。
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遥拝所で振り返ると京都の町が望めた。中央に平安神宮の朱色の鳥居が小さく見えた。その奥は京都御苑、御所。御所-平安神宮-(遥拝所)-伊勢神宮が一直線に並ぶことになる。平安神宮の位置はこれを意識して場所選定したのだろうか?
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東山トレイルの案内があった。急こう配の下りの方がきつかった。
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「この鳥居は御山全体(神体山)を拝むために建てられています。神域につきここから先は立入禁止です。」と書いてある看板が立ててあった。拝礼した。
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大神宮橋の袂、疏水船溜の前にある義経地蔵。案内板によると、義経が奥州遠征の際すれ違った平家の一団の馬が泥水を蹴り上げ、義経の衣服を汚したが謝らず通過したので、義経一行が九人全員を切り殺した。村人が菩提を弔うため地蔵を祀った。異説では義経が自らの行為を悔み村人に菩提を弔うよう頼んで奥州行きを続けたとも。「蹴上」の由来の一つの説となっている。
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船溜にはインクラインを上下した台車と舟が展示されている。明治時代にトンネルを通し琵琶湖の水を京都まで引き、発電しインクラインを造り舟荷をそのまま京都まで運ぶとは、構想力と実行力に驚くばかり。先人の努力に感服。奥の橋が大神宮橋。
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359 船溜からインクラインを見る。桜の名所。
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本願寺水道水源 義経地蔵の隣。疏水と東本願寺の高低差を利用した防火用水が1897年(明治30年)に完成した。ベルギー製の鋳鉄管を埋設した。48mの高低差の自然水圧で吹き上げることができた。現在は老朽化で利用されてないが、修復、再生して地域防災に役立てようとする運動があるとのこと。
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蹴上から地下鉄に乗り京都市役所で降り、木屋町通を三条通まで歩くと瑞泉寺が見えてきた。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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瑞泉寺山門 高野山で自害した秀次に続きこの地三条河原で斬首された秀次の子供、妻妾を弔っている。角倉了以が高瀬川を開削した際、鴨川氾濫で埋もれていた墓石を発見し堂を建てた。これが瑞泉寺の起源と案内板にあった。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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境内は広くはない。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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秀次の墓
瑞泉寺 寺・神社・教会
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墓石の下は秀次の首を納めた中空の石びつ と書いてある。慶長16年創建時のもの。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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1740年(元文5年)に建てられた秀次一族の供養塔。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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秀次一族処刑の時、四条大雲院の貞安上人がこの像を運び込んで打たれる子女に引導を渡し続けた。極楽浄土へ導く引導地蔵尊と呼ばれる。像の周りには刑死した子女の小像が置かれている。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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瑞泉寺本堂 本尊阿弥陀如来が安置されている。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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旧山門の消された菊花紋の瓦 明治維新の廃仏毀釈の際、天皇家に憚って菊花紋を自主的にセメントで消した と書いてある。
瑞泉寺 寺・神社・教会
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三条大橋 左の大木の奥に瑞泉寺本堂の屋根瓦が見える。
三条大橋 名所・史跡
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三条大橋を東へ渡った三条通に面した、浄土宗だん王の石碑がある檀王法林寺。日本最古の招き猫伝説がある寺らしい。
檀王法林寺 寺・神社・教会
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檀王法林寺楼門 四隅に四天王像が安置されている。
檀王法林寺 寺・神社・教会
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本堂 境内には子供遊具、保育園があった。
檀王法林寺 寺・神社・教会
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壇王法林寺近くのレストランで遅めの昼食。暑くてビール+ざるそば以外は考えられず。
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