2024/05/19 - 2024/05/21
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Fuyuyamaさん
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鞍馬寺の途中から雨が降り出すという生憎の天気となりました。いつもの旅行ならガッカリする天気ですが、今回は不思議なことに嫌ではありません。雨に濡れ黒々とした屋根瓦や生き生きとした木々の緑、そして土の匂いなど、しっとりとした京都の街並みが思っていた以上に風情があって素敵だからです。
さて、京都編②では5月19日の午後に巡った「京都御所」・「二条城」・「平安神宮」と、最終日5月21日に巡った「養源院」・「三十三間堂」・「豊国神社」・「方広寺」の様子などをお届けします。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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貴船口駅から電車とバスを乗り継いで「京都御所」へやってきました。2年前に訪れたときは定休日だったので、今回はそのリベンジです。御所へは通年公開している出入り口「清所門」から入ります。
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午前中の貴船神社を奥宮まで行かず途中で切り上げたのには理由があります。午後1時半からのガイドツアー(無料)に参加したかったからです。案内してくれるのは宮内庁の方で、この日は20名くらい参加しました。因みに英語や中国語のガイドツアーもあるそうです。
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ツアーは御所の中を反時計回りで巡ります。これは御所に6カ所ある門の一つ「宜秋門」です。御所に参内する公家が使用したことから「公家門」とも呼ばれます。
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屋根からくる荷重を支える部材の一つである「蟇股(かえるまた)」ですが、平安時代後期以降は装飾材としての役割が重視されていたそうです。
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「御車寄」は、高位の貴族などが参内した際に、儀式や天皇との対面のために使用した玄関です。
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「諸大夫の間」は、正式な御用で参内した公家や将軍家の使者の控えの間です。身分に応じて部屋が決まっており、写真右奥に行くほど身分が高い人が使う控えの間になっています。
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諸大夫の間は三つ部屋に分かれており、身分に応じて襖の絵や畳縁の色の違いなどに反映されています。
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「御新車寄」は、大正天皇の即位の礼が紫宸殿で行われるのに際し、馬車による行幸に対応する玄関として新設されたものです。
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紫宸殿を取り囲む朱塗りの回廊と「月華門」です。
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南側の回廊の中央にある「承明門」から紫宸殿をパチリ。
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「紫宸殿」は京都御所において最も格式の高い正殿であり、即位の礼などの重要な儀式が行われました。前庭には、紫宸殿上から見て左側に「左近の桜」、右側には「右近の橘」が植わっています。
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紫宸殿の中央部分をアップで。
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この紫宸殿の中には、中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その脇に皇后の「御帳台(みちょうだい)」がこの様に置かれているそうです。
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「建礼門」は御所の南にある正門で、かつては即位の礼など紫宸殿で行われる重要な儀式のときに開かれた門です。現在は、天皇陛下や国賓が来られた際にのみ使用される格式高い門だそうです。
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「春興殿」は大正天皇の即位の礼に合わせて造営され、式の際、皇位とともに継承される三種の神器の一つ「御鏡」を安置し賢所大前の儀を行った建物です。
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「清涼殿」は、平安時代中期から天皇の日常のお住まいとして定着した御殿です。政治・祭事などの重要な儀式もここで行われました。
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現在、NHKで放送されている大河ドラマ「光る君へ」の中でも度々この場所が登場します。
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「小御所」は、江戸時代には将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用されました。明治維新の際には、将軍に対する処置を定めた「小御所会議」が行われたことでも知られています。
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「御池庭」は名のとおり池を中心とした回遊式庭園です。前面は洲浜で、その中に舟着への飛び石を置いています。
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小御所と御学問所の間にある庭は「蹴鞠の庭」と呼ばれており、この場所で行われた蹴鞠の催しを天皇が御学問所からご覧になったという記録があるそうです。
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「御内庭」は所々に石橋などを架け、灯籠や庭石を配置した風雅なお庭です。
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「御常御殿」は、天正18年に天皇が日常を過ごす独立した御殿として新しくつくられました。天皇のお住まいであるとともに、南側に上段・中段・下段の間を備えて儀式や対面の場として使われました。内部は、神器を納める剣璽の間や天皇が寝室として使用された御寝の間など15室から成り立っています。
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御常御殿には雅楽を画いた杉戸絵がありました。
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京都御所の見学を終え、清所門を出たところにある「檜垣茶寮」で京風きつねうどんをいただきました。お出汁がきいていて冷えた身体に染み渡りました。
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次の見学地は「二条城」です。ここへ来るのも中学の修学旅行以来。どんなところだったか記憶がありません。閉館時間が迫っているということで、まずは「国宝二の丸御殿」に入場します。
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振り返ると、二の丸御殿入り口の「唐門」が豪華絢爛!凄い造りです。
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二の丸御殿入り口の欄間?にも凄い彫刻が施されています。しかし、残念ながら御殿の中は撮影禁止でした。
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御殿内部の見学を終え二の丸庭園に出てきました。二の丸御殿は全6棟の建物から構成されており、現在、国内の城郭に残る唯一の御殿だそうです。内部は襖絵や欄間彫刻、飾金具などにより豪華絢爛な空間となっていました。
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順路に従い東橋を渡って「本丸御殿」へ向かいます。
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本丸御殿を取り囲む内堀と石垣です。本丸御殿は保存修理工事により見学できません。本丸庭園を通り抜け天守閣跡を目指します。
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天守閣は1626年に伏見城から移築され、1750年の落雷により焼失し再建されること無く現在に至っているそうです。
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高さ18mの天守閣跡に上り本丸御殿を眺めます。
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本日最後に向かったのは「平安神宮」。確か中学校の修学旅行で行ったはずですが、どんなところだったか全く覚えていません。二条城からは地下鉄東西線一本で来られました。駅から歩くこと約10分で大鳥居が見えてきました。
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入口の応天門です。この門は第4回内国勧業博覧会のモニュメントとして、平安遷都1100年にあたる明治28年に大極殿等とともに造営されたそうです。
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大極殿(外拝殿)は、平安京の大内裏の正庁である朝堂院の正殿で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われた中枢だったそうです。
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時刻は5時半過ぎ。午前中の鞍馬山がキツかったのかさすがに疲れました。これで京都駅に戻りますが、バスはぎゅうぎゅう詰めの超満員。ニュースで見ていたとおり途中の停留所で乗れない人がたくさんいました。
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5月21日、京都最終日は「養源院」からスタートします。この養源院は豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の菩提を弔うため創建したお寺ですが、目的はこれではありません。
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お目当ては「血天井」。この天井には、徳川方の武将「鳥居元忠」と数百名の侍の血がしみついた伏見城の床板が使われているとのこと。昨年の大河ドラマで、石田三成率いる大軍勢と伏見城を死守する鳥居元忠ほか約2千人の守備隊との攻防戦を取り上げていたので、それを見に来たのです。特に、本堂への入り口を入ったすぐのところの天井をよく見ると、鳥居元忠本人の体と顔のあとを見ることができるとのことで興味津々です。
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しかし、何とこの日は特別法要があり拝観は中止との張り紙が....ツキがありません。
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養源院の向かいは「三十三間堂」です。白壁に朱塗りの柱が美しい塀が続いています。
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入口で拝観料を払い中に入ります。
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三十三間堂は、南北約120メートルの長大な本堂の中に1,001体の観音像が立ち並ぶ姿が圧巻ですが、残念なことに写真撮影は禁止でした。
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仕方ないのでお庭をパチリ。
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次にやってきたのは「豊国神社」。三十三間堂から歩いて5分の距離にありました。今日は午後の新幹線で帰らなければならないので、1カ所に纏まって回れるところを選びました。
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豊国神社は、豊臣秀吉を祭神としてお祀りしている神社です。鳥居をくぐると唐門に向かって参道が一直線に延びています。
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唐門の手前には豊臣秀吉の座像もありました。
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国宝の「唐門」から本殿にお参りします。なお、この唐門は秀吉の居城の一つであった伏見城の城門だったと伝えられています。
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京都巡りの締め括りは「方広寺の鐘」。場所は豊国神社の一画にありました。鐘に刻まれている銘文の「国家安泰」・「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から何癖を付けられ、大坂冬の陣の導火線となった曰く付きの鐘です。
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銘文をアップします。問題の箇所は分かりやすいよう白い枠で囲ってありました。妻にとっては、これで昨年1月から続いた大河ドラマ「どうする家康」の旅もコンプリートです。
(奈良編に続きます)
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