2020/11/05 - 2020/11/07
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ミズ旅撮る人さん
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コロナ元年の2020年11月に、GO TO トラベルで佐渡に行きました。
2泊3日の最終日。尖閣湾では荒天のためグラスボートには乗れませんでした。でも、荒天だからこその波しぶきや、紅葉が彩る先鋭的な海岸線を見られました。
その後は、佐渡の二大代名詞、金山とトキです。先ずは、「きらりうむ佐渡」で金山についてのお勉強。そして「北沢浮遊選鉱場」採掘した金銀を取り出す巨大な施設です。「佐渡金山」では、実際の坑道に入って行きます。
昼食を挟んで、今度はトキです。「トキの森公園」で保護されているトキを間近に見ます。最後に「トキのテラス」で佐渡に暮らすトキを探します。佐渡は大きな島なので、たくさんの観光資源がギュッと詰まっています。金山とトキしか知らなかったけれど、随分たくさんの佐渡を体験しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 観光バス 船 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「佐渡金銀山ガイダンス施設きらりうむ佐渡」
世界遺産を目指すために作られた佐渡金銀山を理解するための施設です。
2010年11月22日、佐渡金銀山は、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」としてユネスコの世界遺産暫定リストに記載されました。
2024年6月13日ユネスコの諮問機関は補足説明などを求める「情報照会」を勧告しました。佐渡金山は今回、「(登録を)考慮するに値する価値を有する」と評価されました。その上で、「明治以降の遺産が多い一部地域の除外」「遺産保護のための緩衝地帯の拡大」「商業採掘を再開しない確約」の3点について補足説明を求められました。佐渡金銀山ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」 名所・史跡
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エントランスを入るとビデオシアターが連なる部屋を視聴しながら歩いて行きます。
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中には4つのシアターがあり、自動で映写が始まります。
1.豊穣の島佐渡 奉行が見たこがねの島 8分
2.西三川砂金山 大流し-山を掘り崩す砂金採り- 5分
3.鶴子銀山・相川金銀山 見えない金を取り出す 7分
4.佐渡鉱山 近代鉱山の幕開け 4分 -
佐渡島の金山は、「相川鶴子(つるし)金銀山(相川金銀山と鶴子銀山で構成)」と「西三川(にしみかわ)砂金山」があります。
手工業による純度の高い金の生産システムを発展させ、17世紀には世界最大級の金生産地となった点で世界遺産に推薦されています。 -
相川金銀山の近代産業遺産群
相川金銀山は日本最大の金銀山で坑道は総延長400キロとされます。坑道や排水路だけでなく、一帯には鉱山集落や奉行所跡といった生産体制を示す遺構も良好な状態で残っています。幕府直轄地だったため、作業の様子や技術を伝える史料も豊富です。 -
平成元年(1989)に操業を中止するまでの間、多くの鉱山技術が導入され、関連する施設が建設されて来ました。現在でも明治から昭和に至る鉱山施設群の多くが残されており、日本の近代化の歴史を物語るものと言えます。
この後、「北沢浮遊選鉱場」に向かいます。 -
北沢浮遊選鉱場は奥行きの深い施設で、その前は広い芝生の広場になっています。右端にはレンガ造りの旧北沢火力発電所があります。
イギリス積レンガ造、出力500キロワットの火力発電所で、各工場の動力であった蒸気機関を電化するため、明治41年(1908)に建設されました。現在残されている建物は、3棟あった施設のうち発電機室棟として使われていたものです。 -
浮遊選鉱場は、北沢地区に昭和12~15(1937~194)年にかけて建設・拡張されました。
北沢浮遊選鉱場 名所・史跡
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間ノ山搗鉱場から排出された泥状となった鉱石にわずかに含まれる金銀を浮遊剤によって抽出することを目的とした施設です。月間5万tに及ぶ鉱石の処理が可能でした。
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もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功しました。日中戦争下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で5万t以上の鉱石を処理できることから「東洋一」と謳われました。
しかし、1952年(昭和27年)鉱山の縮小に伴って施設は廃止となりました。 -
広場にあった北沢地区の昭和10年代の写真です。
浮遊選鉱場には、屋根が覆いかぶさっていたのですね。今はコンクリートの骨組みだけ。 -
どこかで似たような場所を見た気がすると思ったら、島根県の石見銀山でした。あちらは山の中で、佐渡に比べたら規模は小さかったですが。
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紅葉した蔦が綺麗です。
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無味乾燥な廃墟を、植物が彩ってくれています。
瀬戸内の大久野島などは「毒ガスを作っていた島」として有名ですが、その怖い施設を植物が覆って、戦争当時とはまったく違う景色になっていました。そういうところが、ここを「ラピュタの世界」だと言うのでしょうか。 -
つわぶきの黄色い花が咲いています。植物って優しいなあ。
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北沢地区工作工場群は、濁川を挟んだ北沢浮遊選鉱場の対岸に位置し、佐渡鉱山の各施設で使用する機械部品の製造や修理のために作られた施設です。
この場所には、明治20年代には既に選鉱・製錬施設の他に、器械製作場や鍛冶場などが設置されていました。更に昭和10年代の大増産時代になると、木工工場や鋳造工場、仕上工場、製缶工場、分析所など複数棟の施設が造られ、昭和27(1952)年まで稼働しましたが、時間の経過とともに数多くの施設が撤去されました。 -
北沢地区工作工場群は、平成20年に発掘調査が行われ、当時の建物の基礎部分が残っていることが判明しました。
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当時の配置図です。下部の濁川を挟んだ向こう側に浮遊選鉱場があります。
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工場群側から見た浮遊選鉱場です。ベンチの向こう側に柵が2本続いているのが濁川です。
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鋳造工場跡。建っている建物は鉄を溶かすためのキューポラ(溶銑炉)です。
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鋳造工場は、木型工場で組まれた木型を基に作られた鋳型へ溶けた金属を流し込み、様々な種類の機械部品を製造する施設であった。鋳造工場や鍛造工場などで製造された機械部品は、仕上工場で最終的な加工作業が行われた。発掘調査によって、鋳造工場のコンクリート製の柱や巨大な地下穴、レンガ敷きの床面などが見つかった。
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そして一番奥に、シックナーがあります。
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昭和15(1940)年に完成した直径50mの円形の沈殿槽です。
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濁川上流にある間ノ山(あいのやま)搗鉱場から排出された泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で水分を分離する行程を経たのち、対岸の浮遊選鉱場に送られました。そこで他の金銀原料と一緒に処理されて精鉱が産出されました。
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発電所の横にある階段を上がってみます。
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選別されて要らなくなった鉱石などを運んでいたのでしょうか。
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発電所の中には入れませんが、浮遊選鉱場の真横に来られました。
北沢浮遊選鉱場はライトアップを実施しています。
期間: 令和6年4月19日(金)~令和7年1月5日(日)
ライトアップ時間:4月~9月 19:00~22:00
10月~1月 17:00~22:00 -
秋の紅葉はいいですよ。
世界遺産登録を申請している佐渡金山ですが、ユネスコから補足説明などを求める「情報照会」を勧告されました。その中で「相川鉱山町の中で明治時代以降の影響が強い北沢地区は除外すべき」と指摘されており、地元(市・県)も国も登録実現のため北沢地区を候補から削除することを決めました。2024年に世界遺産に認定されても、この北沢浮遊選鉱場は含まれません。
「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に認められたものは23施設もあるのにねえ。 -
バスで出発して大佐渡スカイラインを上がって行くと、佐渡奉行所跡があります。
佐渡は「天領」と呼ばれる江戸幕府の直轄領でした。統括管理のため、相川に奉行所を設置しました。ここには、金銀山の管理と行政を行う役所(御役所)と、金や銀を選鉱する工場(勝場)、奉行の住まい(御陣屋)がありました。平成13年に復元されています。佐渡奉行所 名所・史跡
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ここも金銀山の施設の跡でしょう。
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道遊の割戸(どうゆうのわりと)
慶長期の開発初期の露天掘り跡で、252mの山頂部に幅30m深さ74mの削られた跡が残っています。この斧で叩き切ったような岩は、麓からも良く見えます。佐渡金山を象徴する景色となっています。 -
高任(たかとう)貯鉱舎(ちょこうしゃ)
高任貯鉱舎は、粗砕場で砕かれた鉱石をベルトコンベアーで運び一時保管するため、昭和13年(1938)に建てられた施設です。2,500トンの鉱石を貯めることができ、平成元年(1989)まで使用されました。 -
屋根付きの廻廊がベルトコンベアードで、手前の建物が中尾変電所です。
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高任(たかとう)粗砕場(そさいば)
高任粗砕場は、昭和12年(1937)頃に建てられた鉱石の一時破砕を行う施設で、平成元年(1989)まで使用されました。坑内からトロッコで運ばれた鉱石を上から落下させ、機械による鉱石の分級・破砕が行われました。ここで破砕された鉱石はベルトコンベアーで貯鉱舎へ運ばれました。 -
佐渡金山の坑道見学にやって来ました。道遊の割戸のすぐ裏手です。
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ここが坑道入口です。一つの入り口で、宗太夫坑と道遊坑の2種類に入って行かれます。前者が江戸金山絵巻コースで、後者は明治官営鉱山コースで、割戸を間近に見られます。
他に山師ツアーというガイドツアーがあって、無名異坑と大切山坑をヘルメットとライトを頼りに探検することが出来ます。宗太夫間歩(佐渡金山遺跡) 名所・史跡
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国指定史跡 宗太夫坑
宗太夫坑は、坑口の高さが約3m、幅2m、坑道の断面が大きい江戸初期に開坑された大型坑道である。鉱石の運搬機能と採掘技術が発達した1690年代の主力間歩の1つであった。大形の斜坑は緩やかな傾斜で海面下まで延びている。 -
水上輪(すいじょうりん)
江戸前期の1653年に佐渡金山にもたらされた坑内排水ポンプ。紀元1世紀頃、ギリシャの哲学者アルキメデスが考案したポンプが祖形とされている。これを佐渡金山に伝えたのは京都にいた水学宗甫(すいがくそうほ)。 -
穿子(ほりこ)たちの出入り改め
坑道の出入口には検問所があり、鉱石や物資の不正持ち出しを防止するとともに、運搬人の出入りを記帳して、賃金支払いの目安とする。坑内に持ち込まれる物資は、留木・油・たがねなどであり、穿子が坑内に運ぶ。穿子とは坑内の雑役夫で、運搬から作業の手元まで、現場の作業内容に応じて5種類に分けられていた。 -
排水・通気・照明
水上輪や手繰りの桶で汲み上げた水は、掛樋を通して排水坑道に集められ、抗外に排出されていた。灯火からの油や煙、石粉の立ち込めた坑内に、新鮮な空気を送るために風廻し唐箕(とうみ)が使われていた。照明は、初め松蝋燭や紙燭であったが、1681年代には、鉄製の柄の付いた「釣」が登場し、携帯用照明として広く使われた。
背を向けている人の右側にあるのが唐箕。本来は農機具ですが、転用したのですね。釣は、唐箕の右側の壁に掛かっています。 -
金穿(かなほり)大工の生活
佐渡金山では、鑚(たがね)と鎚(つち)で鉱石を掘る坑夫のことを金穿大工と呼ぶ。金穿大工は、坑内の労働者の中では、技術者として賃金も良く、優遇されていた。採掘は4時間ごとの交替制で食事や休憩時間もあり、筵(むしろ)の上で横になることもできた。しかし、労働環境は悪く、一般に短命の者が多かった。 -
採掘作業
金穿大工は、鑚(たがね)を上田箸ではさみ、鎚で打つ。上田箸は、短くなった鑚を掴むことが出来、しかも手元の安全を守るのにも役立った。鑚は2日で1本消費する。短くなった鑚は、抗外の鍛冶小屋に運ばれ再生される。掘った鉱石は、大工頭が品質を確認し、区分けして運び出される。 -
間切改め(けんきりあらため)
間切とは、長さ・幅・高さを決め、見積もりを立て掘った大規模な探鉱坑道のことで、奉行所が請負業者に発注する。掘られた間切は、発注通りか、またどれだけ進んだかを検査する。この検査を間切改めという。間切改めは、諸役人、山師、振矩師(ふりがねし)で行う。紙のこよりを固くよって作った「てへん」という被り物をしているのが、役職を持つ者。 -
間歩(採掘坑)開きの祝い
背後の壁面の縞模様が立合(鉱脈)。金銀を多量に含む黒い縞がくっきりと浮かぶ富鉱帯を大発見した。前途を祝し、今まさに、間歩開きの祝いが始まったところである。採掘を請け負った山師と金児が見守る中、棚の上では、佐渡金山に伝わる独特の祭礼「やわらぎ」が演じられている。 -
勝場(せりば)と選鉱
勝場は比重を利用し金銀粒をとる選鉱場。鉱石を粉砕し、それを石磨で泥粉状になるまで挽き、比重の違いを利用して選鉱作業をする。 -
大小様々な大判小判
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佐渡に現存する唯一の鑑定書付き小判及び一分金。
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享保年間(1716~1724)に製造されたものと言われています。
量目:小判17.78g、一分金4.43g -
売店でGO TO トラベルの商品券を使ったら、紅葉の下をくぐってバスに戻ります。確か、小判型のチョコレートがお薦め商品だったと思います。
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よく考えつくなと感心するポストです。ここは「トキの森公園」
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子供たちが石にトキの顔を書いています。
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訪問客に参加してもらえばもっとたくさん出来るよ。
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トッキッキは、平成21年に開催された「トキめき新潟国体・トキめき新潟大会」のマスコットキャラクターとして、県民からの公募により、平成17年11月17日に誕生しました。
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トキふれあいプラザで、こんなに間近にトキを見ることが出来ました。
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顔の赤さが足りないので、幼鳥と思われます。
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これだけ近くで見られて感激です。
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繁殖期に自分で羽根の色を変えるのは世界でもトキだけです。
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世界のトキ。ショウジョウトキ。南アメリカ北部・海岸や川岸のマングローブ林に生息。
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色々な卵。日本のトキの最後の卵がありました。
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ニッポニア・ニッポンNipponia nippon(トキの学名)の最後に捕獲された5羽のうち唯一のオスだった「ミドリ」
1981年に佐渡島に残っていたトキをすべて捕獲して人工飼育をすることになりました。個体を識別する為につけられた足環の色から,4羽のメスはそれぞれ「キ(キイロ)」「アカ」「アオ」「シロ」,オスは「ミドリ」と名づけられました。先に飼育されていた「キン」と合わせて6羽です。しかし、オスが1羽だけなのが致命的でした。トキは一夫一妻制なので、メスがたくさんいても繁殖できるのは1羽だけなのです。結局、繁殖は失敗に終わり、ミドリは1995年、最後の日本のトキであるキンは2003年に亡くなりました。 -
「キン」の剥製
佐渡トキ保護センターだけで飼育すると、鳥インフルエンザなどの病気などで一気に全滅する恐れがあることから、トキは日本国内に散らばって非公開で飼育されています。
野生生物保全センターがある多摩動物公園では、2007年12月からトキを飼育し、毎年繁殖に成功しています。2023年10月には前年に多摩動物公園で誕生したトキ4羽を含む計7羽を、佐渡トキ保護センターへ移動しました。その翌日佐渡から新たなペアが2組やって来ました。
「東京ズーネット」のサイトに多摩動物公園のトキに関する記事があります。
https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=&link_num=28418
日本国内(除く佐渡島)の飼育状況(2023年8月8日現在。放鳥した個体を除く)
多摩動物公園 10羽(うち2023年生 4羽)
いしかわ動物園 17羽(うち2023年生 7羽)
出雲市トキ分散飼育センター 14羽(うち2023年生 3羽)
長岡市トキ分散飼育センター 12羽(うち2023年生 3羽) -
屋外に出ると飼育・繁殖用のケージがずらっと並んでいます。
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ケージには近寄れないし、金網が邪魔なのでまともに撮れません。
ここで放鳥が始まったのは2008年です。2011年まで毎年放鳥が行われましたが、卵が孵化することはありませんでした。2012年に初めて8個の卵が孵化し、巣立つことが出来ました。
以来、毎年春と秋に放鳥が行われ、2017年までで計289羽を放しています。
環境省によると、2023年の生息数は、55羽が巣立ち、532羽になりました。前年より生息数が13羽減りました。減少したのは放鳥開始以来初めてです。 -
「キン」の慰霊碑
「キン」という名前は佐渡金山の金ではなく、1968年に捕獲した宇治金太郎の名前から取ったのだそうです。 -
「トキの森公園」を出て少し行くと、野生のトキがいました。左側に4羽、右の木の下に1羽です。佐渡には500羽以上生息しているようになったので、こうして何気なく見掛けることが多くなるかもしれません。
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「トキのテラス」にやって来ました。野生トキ観察・展望施設です。
トキのテラス 名所・史跡
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右側の階段を上がって、テラスに行きます。
トキのテラス 名所・史跡
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テラスは大きな窓が一面にあって、いくつか双眼鏡も置いてあります。
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テラスから見える風景です。小雨模様で残念ながら、トキの姿は見られませんでした。
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テラスの中の展示です。
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2008年9月25日に行われた最初の放鳥のビデオが流されています。個別にケージに入れて放鳥場所まで連れて行き、蓋を開けて放つ方式(ハードリリース)はこの時だけで、2回目以降は、順化用の大きなケージで生活し、扉を開放して自ら外へ出て行くのを待つ(ソフトリリース)方式にしています。そのため、放鳥が完了するまで6日も掛かった年もあります。春と秋の年2回の放鳥で、38羽程度を放ちます。
記念すべき第一回目の放鳥シーンだから、これを放映するのでしょうが、観光客は今もこの方式なのだと勘違いしそうです。 -
放鳥されたトキには、アニマルマーカーが付いています。
羽根の一部に着色して、足環と合わせて個体を識別します。
GPSを装着したトキもいるそうです。 -
最後の最後で飛んでいるトキに会えました。朱鷺色の羽根が綺麗です。
盛り沢山のツアーだったので、両津港からフェリーが出たのが16:05。新潟駅で新幹線に乗ったのが19:36。上野駅到着は21:47でした。
初めて佐渡を訪れてみて、予想以上に見どころが多く、観光地の数だけでなく、質も高いし多岐にわたるし、充実した観光が出来ました。世界遺産に登録されようがされまいが、訪れる事をお勧めします。
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旅行記グループ 佐渡ヶ島
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