2024/05/30 - 2024/05/30
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mom Kさん
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始まりはこの一冊・・・・・
今日も雨
この頃ずっと閉じこもり
歩きたいなあ
本棚を眺めていた
ああ、これはお返ししないといけない本だったかもしれない
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
友人の会社を訪れた。
先代社長である彼の父上が、「○○はん、コレ読んでみて。」
手渡された。
裏表紙に
和歌山県有田郡湯浅町中町 紀州文化研究会
昭和32年10月発行 非売品 筆者名が記載
私にも読める文章だったのでほっとした。史実を列記しながらも、合間にみえる風景の描写、地名の謂れとその変化に筆者の郷土愛が感じられた。 -
ようやく晴れた二日目。湯浅から宮原への熊野古道と決めた。
湯浅駅も周辺も15年前と激変。建物がことごとく消えている。 -
道町の立石
「市街の中央を南北に通ずる街路を道町と称し、昔路の熊野街道である。その中程の四辻に道標の立石がある。天保九年(1838)5月の建立で、紀三井寺、熊野、伊勢、高野等への参詣街道を標示したものである。」 -
シャッターです。
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ここもシャッター。
9年前古いカメラや用途の分からない器具が並んでいたのを、ガラス越しに眺めたお店。 -
この町は、小路が身上と知っている。
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行灯に立ち止まり、入る。
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突き当り。
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さあ、どっちだ。
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川の方だから、こっちだ。
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さらに細い小路。
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おおおーーー
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行き止まりを左右みて、目指す方向へ。
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伝統建築物メインストリート
この魚屋さん、店頭に見るからに美味しそうな竹串焼鯖が並び、買って帰ったことを思い出す。
みんなで車で訪れた夏の日。 -
これは、変わらない。塗り直されて若返ってる。
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人生最初の頃の記憶の一つ。祖母の弟が、10キロ近く離れた彼女の実家から頑丈な自転車で節季事や我が家の行事毎によく訪れていた。鶏やウナギを裏庭でさばいていたのをしゃがんで見ていた私。にこやかで寡黙なおじいさんだった。帰りに私はこんな籠に入れられ、連れられていった。私は、3歳くらい。弟はまだ赤ん坊だった頃。
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桶の形のシェード
太田久助吟製 専門店
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湯浅の町を出るとすぐに川。
船の係留が多いのは、栖原湾に続く河口。
橋を渡る。 -
現役、銭湯。
”宝栄湯” -
この川は、しじみ取りをしないのだろうか。
ちょうど海からこれぐらい離れた川が家の近くにあった。バケツを持って長靴履いて、小学生の頃、近所の遊び仲間と今頃の季節によく行った。春先には土筆の生える土手だった。“はかま”は、土手で剥いで持ち帰った。子どもの頃のユートピアの遊び。
現在は、我が国の愚策=河川三面張りでその川には降りられない。多分生き物たちも追いやってしまっただろう。土筆の土手もなくした。
そんなことを思い出しながら、川面を見ていたら、1メートル近い魚が三匹も戯れ泳いでいるのを発見。(右上2匹) -
熊野古道の標識を確かめ、いよいよ峠に向かう。
お洒落な建物。外壁レンガのカーヴも素敵だけど・・・ -
住んでいる人の気配無し。勿体ないなあ。
荒れているというわけでもないし・・・
テレビのアンテナもある。 -
左右みかん畑が続いて
わりあい早く最初の峠に到達。 -
釣瓶のバケツが新しい。
「弘法井戸」
脇の紫陽花が見頃。周囲もよく手入れされている。 -
吉川到着
「方寸峠を北に下りこむと、吉川の細流が西から東に流れている。この渓流をもと逆川といったのも、他の流れとは反対の方向に流れているからであろう。・・・後世に至って逆の字を忌みて逆川を吉川と改めたという。」 -
「旧街道の左に逆川王子跡がある。今もなお庁や社殿が残っていて、素晴らしく大きな椎の老樹がある。」
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「熊野御行幸記にはここの王子を『サカサマ王子』としている。」
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街道の家々の植栽は植木屋さんの手が入り、立派な屋敷が多い。
家並みがとぎれた時に振り返る。ここまでは緩やかな坂道。 -
ため池のダムを左手に見て、急こう配になり始めた山道に入っていく。
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両脇全てみかん畑。
八朔ぐらいの大きさの蜜柑がたった一つぶら下がっているのを見かけた。
あれは、きっと取り忘れなんかじゃないなあ。
見渡す限り、みかん色はどこにも見えない。 -
息が切れ出し、木陰に入ったのを機に休憩。
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ほととぎすが鳴いている。
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高い位置の石垣。農家だけで築ける形状と規模でないのでぐるりを見渡してみる。
下の部分に苔むした古い石積みが残されていた。 -
右手向こうに、栖原湾を望む。
左手の家並みは、湯浅の町だろう。
ずいぶん歩いた実感。 -
糸我峠
万葉集巻七にあるという歌が刻まれている。
「・・・糸我峠にのぼる一帯の山は、糸鹿山と称し、古来、歌枕として歌われた名高い名所である。・・・」 -
案内板は、みかん畑の中になっていた。
ー万葉の熊野古道 歩きたくなる道500選 栖原海岸へ約5.5㎞ー
明恵上人さまが通われた道にちがいない。 -
これも柵越し。
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峠の上は、登ってきた今の道が最も広く、左右に尾根を歩くような細い山道。
そして下るのはここ。最も狭いが、竹製の手すりに招かれるように入ってみた。 -
注意深く下る。
蜘蛛の巣がはり、左右から倒れた枝が道をふさいでいる。
まだそれほど全国区ではない熊野古道かもしれない。
田辺には世界中から押し寄せていると、古道歩きガイドの知人が教えてくれていた。
♂「聞いたことのない国からの人もいて、驚いたよ。」と。 -
コンクリートでなし。ガードレールでなし。
繋ぎも竹で、素晴らしいお仕事に見とれる。 -
湯浅駅から1時間半。のんびり歩きも案外早かった。
有田市の管轄に入りました。
新しそうな幟で驚く。 -
木立のあちこちから鳥の声がにぎやか。この道を道長クンも歩いたのかしら。帝はおそらく御輿だから、担ぐ人の難儀を想う。ここは、その幅も有りません。
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踏みしだく熊野古道は、竹の手すりのところだけでした。
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左は、土。右が、石。どちらが最初の古道なんだろう。
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ここで視界が開き、
糸我集落が見えました。あの本で最も惹かれた地名。この地を見たくて歩きたくなった。 -
左右全て、みかん畑です。野に出ている人影もなし。
-
周りを見ても何もありません。
「平家物語に、白河法皇熊野行幸の途次此処にご休憩中、平忠盛が竹藪のぬかごを袖にもり入れて、聖覧に供じ、打ち興ぜられたことが記載されている。」
平坦な道に入りました。 -
少し歩いて、後世の糸我王子社にでました。
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集落内を歩き始めます。
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文久4年の道しるべ
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境内前の道を挟んで、設置されています。
背に立派な参道に社。 -
「・・・塚の上に立つ老松とが残っている。・・・松の周囲四.八五メートル、塚と松とが完全に残っている代表的な一里塚である。」
60数年後の今、どこにも老松も基底面積12坪と郷土誌に記載されている塚さえ見当たらない。 -
またもや広い敷地の大きなお寺。
「右大臣、藤原豊成の娘、中将姫に絡んだ伝説をもっているので、中将姫のお寺として一般に知られている。同じような伝説は、大和の当麻寺にもある。・・・」
ああ、山の辺の道だ。姫の名も記憶にある。後世のお伊勢参り同様、熊野参詣は列をなしてだったかもしれないなあ。奈良と和歌山がむすびつく。 -
高野山の行事行列にも目を見張ったが、この静かな糸我の里でこれほどの祭事ですか。
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はい。
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門前から歩き始めようと振り返ったら、恰好の場所に!
糠喜び。ドア前にcloseの札がかかっていました。
今日は、木曜日でした。
国道に出れば、きっと見つかるはずと自分を励ます。 -
すぐに交通量が多い現代の”街道”に出た。
有田川を渡る橋は、どっちだ。左、かなり向こうに道路標識と信号が見えた。
殺風景な国道だなあと思っていたら、質素な建物に小さな看板の中華料理店。
入店してみたら、意外と客席多く清潔感のある店内。
メニュー表紙に ” 大人気 糸我ブラック ” が踊ってる。
糸我を冠したネーミングには魅かれるが、ラーメンはねえ。
開くと、「国産小麦平打ち麺、茹でてから炒めます」とあった。
キマリ! -
筍もきくらげも入った、濃くないお味に弾力のある麺。
ぱらりと仕上がり、予想もしない美味。調理場で一人奮闘している店主に、常連さんが「ごちそうさん!」と声をかけていく。糸我万歳。 -
国道を車がビュンビュン。この交差点を右に上がると、堤防と橋。
振り返って、糸我の山に別れを告げる。
有田川は広かった。橋上を歩く人は、私だけだった。
渡り終え、どちらに降りようか、堤防からきた自動車は右の方に降りて行く。そっちらしい。
正解。向こうに線路が見えました。ゴールは近い。 -
横壁に創業昭和元年と大書の畳屋さん。現役みたいです。
来年100年!
駅までの距離目視。5分で行けそう。まだ30分以上時間があります。
糸我から見えた看板のビルが気になり、行って確かめてみよう。
[橘屋]
料理旅館のようです。併設している寿司店は閉まっていました。
そのお隣に、 -
大きな荒物屋さん。農作業に使うような麦わら帽子に古い懐かしいような模様のお茶碗。立ち止まって、道路から見ていたら、どこかから、声がかかった。
「入ってよう。」きょろきょろ。お店の奥にも人影無し。
また「はいってよう。」
主なき声に私は、「いいえ、用ではありませんので。」と応えたところに、商品棚向こうから小柄なオカアサン登場。「入ってよう。」私、もごもごお断り。
私の腕を掴む意外な強さ。
♀「お茶飲んでいって。私、一人。何、飲みたい。何がいい・・・」私、おろおろ。いきなりの展開が怒涛のよう。
♀「私、〇△歳。あなた・・・四十・・・娘ぐらいかな。」と顔を覗き込む。あわあわあわ、大胆過ぎる発言。
去りそびれていると、おしゃべりしながらオカアサン、大急ぎでおうちに引っ込んで、写真額を抱えて登場。オカアサンとお父さんの良き時代の写真が並んでいた。 -
この辺りの高校生の熊野古道歩きも教えて下さった。とうとう、お嬢さんのお話も出てきた。
私、「汽車の時間がありますので・・。」と気がきではない。♀「1本(JR)遅らせてよう。」1時間に一本の列車です。振り切らねば。焦る。
「一本遅らせてよう。」繰り返すオカアサン、私がお店を出ても縋りつく。
カメラをずっと右手に持っていたので、写真を撮ろうとしたら、今日の顔はダメだというので、断って、足元を。それを機に離れられた。 -
駅に向かう曲がり角で振り返ったら、オカアサンはゆっくりお店に戻っていた。
右手にタクシー手配の建物もあり、数台待機中。もうすぐ列車が到着。
ここも今や無人駅。駆け込んできた男性一人に列車を待つ人、他に3人。
駅舎は可愛く、すぐにホームへつながっていました。紀伊宮原駅 駅
-
オカアサンのお店の前を通って蕪坂を越えて熊野古道が続いている。
早生みかんの生るころに歩いてみたいなあ。
全山オレンジ色!圧巻だろう。
オカアサン、喜んでくれるかなあ。
御髪を整え、品よくお化粧されていたのも、私は見逃していませんよ。
熊野街道の商家の現役女将さん。
峠の向こうには、どんな出会いが待っているだろう。紀伊宮原駅 駅
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