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今回は、「飛鳥山公園」の3つの博物館と「渋沢栄一」がかつて居を構えた「旧渋沢庭園」、そして、「渋沢栄一」が残した歴史的建造物や庭園などを見て回りました。当日は、JR京浜東北線「王子駅」中央口を利用し、最初に「旧渋沢庭園」、「渋沢史料館」、「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」そして、番外編としてあまり注目されていない「飛鳥山1号墳」、「飛鳥山の狛犬」にもスポットをあててみました。「旧渋沢庭園」での見どころは、昭和20年(1945年)の東京大空襲の戦火を逃れた「青淵文庫」と「晩香廬」でしょう。「渋沢史料館」は、まさに「渋沢栄一」の人生の系譜が詳しく展示され、より詳しく「渋沢栄一」を知ることができます。「北区飛鳥山博物館」は、14のテーマ別に時代ごとに展示してあり、古代から現代までの北区の歴史がよく理解できます。また、「飛鳥山1号墳」に関連するコーナーもあります。「紙の博物館」は、「渋沢栄一」の思い入れのある日本の伝統的な「和紙」、近代日本の発展を支えた「洋紙」の両面から紙の歴史・文化・産業を学ぶことができます。番外編の「飛鳥山の狛犬」は、見つけるのが困難ですが、見える場所は記載しておきましたので、是非、見つけてください。それでは早速、「旧渋沢庭園」から散策開始です。<br /><br />【飛鳥山の3つの博物館と旧渋沢庭園の散策巡路】<br />※ 「②《青淵文庫》」から「⑪《渋沢栄一像》」までは、「旧渋沢庭園」にあります。<br />①《旧渋沢庭園》⇒②《青淵文庫》⇒③《青淵文庫 露台・まぐさ》⇒④《無心庵跡》⇒⑤《茶席待合跡》⇒⑥《茶席門跡》⇒⑦《兜稲荷社跡》⇒⑧《山形亭跡》⇒⑨《晩香廬》⇒⑩《渋沢栄一像》⇒⑪《渋沢史料館》⇒⑫《北区飛鳥山博物館》⇒⑬《紙の博物館》⇒⑭⇒⑮<br />【番外編の散策】<br />①《飛鳥山1号墳》⇒②《飛鳥山の狛犬》<br /><br />01_《旧渋沢庭園》<br />「旧渋沢庭園」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、「本郷通り」を左方向に500mほど直進すると三つ目の信号のところに「飛鳥山公園」へ通じる階段が左手にあります。その階段を上ると右手に「紙の博物館」があり、その隣に「北区飛鳥山博物館」、奥に「渋沢史料館」があります。「渋沢史料館」からさらに50mほど進むと左に曲がる道があるので、そこを入ると「旧渋沢庭園」の入口になります。ここまで来ると「青淵文庫」と「晩香廬」が視界に入ってきます。<br />「飛鳥山公園」の南側の一角は、「渋沢栄一」が明治12年(1879年)から亡くなる昭和6年(1931年)まで、初めは別荘として、そして後に本邸として過ごした「曖依村荘」とよばれる邸宅があった場所です。往時は8470坪(約28,000㎡)の敷地内に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在しましたが、その多くは昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失してしまいました。「曖依村荘」は、現在の「渋沢史料館」、「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」の「飛鳥山3つの博物館」と並ぶ場所に本邸や茶室があったとされています。しかし、残念ながらその多くが太平洋戦争の東京大空襲により焼失してしまいました。幸いにも大正14年(1925年)に完成したコンクリート造りの「青淵文庫」と大正6年(1917年)に完成した洋風茶室の「晩香廬」は、現在もなお「旧渋沢庭園」内に当時の姿をとどめています。いずれも平成17年(2005年)12月27日に国の重要文化財(建造物)に指定されています。「旧渋沢庭園」は、現在は「飛鳥山公園」の一部として一般に開放されています。入園は無料で、入園時間は季節によって異なり、「3月~11月」は午前9時より午後4時30分まで、「12月~2月」は、午前9時より午後4時までとなっています。<br /><br />02_《青淵文庫》<br />「旧渋沢庭園」の入口を入ると、「青淵文庫」があります。「青淵文庫」は、「渋沢栄一」の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて「竜門社」(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。大正14年(1925年)に完成し、「渋沢栄一」の書庫として、また接客の場としても使用されました。渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んだ柏の葉や、「寿」、竜門社の「竜」の字をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。当初収蔵されていた「論語」をはじめ、多くの漢籍は渋沢家から「東京都立日比谷図書館」に寄贈され、現在は「東京都立中央図書館」に所蔵されています。なお、「青淵文庫」を見学するには入場料は無料ですが、「渋沢資料館」の入場券が必要となります。<br /><br />03_《青淵文庫 露台・まぐさ》<br />「青淵文庫」に向かって左側に「青淵文庫 露台・まぐさ」があります。「旧渋沢庭園」の入口を入ると、先に「青淵文庫 露台・まぐさ」がありますが、やはり「青淵文庫」を見学した後に見ると分かりやすいと思います。説明文によると「露台基礎」は、「青淵文庫」が創建時に那智黒石が敷つめられたテラス部分の基礎の一部だそうです。建築方法は、コンクリートを打った上に煉瓦を積み基礎とし、煉瓦の上には、露台の縁石として御影石を敷き並べられていました。平成14年(2002年)の修理で、露台の基礎は、補強のため鉄筋コン クリート造に改められた。また、「まぐさ」は露台下部の堀削中に土の中より出土したものです。「まぐさ」は、扉や窓の開口部の上部の間柱の間に横に付けられる補強材のことです。発見された「まぐさ」は、形状、寸法から「控室」(台所北側)出入口の「まぐさ」であることが判明したそうです。<br /><br />04_《無心庵跡》<br />次は、「無心庵跡」です。「無&#12092;庵」は、「旧渋沢庭園」にある茶室です。「無&#12092;庵」は、「渋沢栄一」が「徳川慶喜」の名誉回復を図るため、「徳川慶喜」、「伊藤博&#12098;」、「井上馨」などが会する茶会を催し、それが「徳川慶喜」の復権のきっかけとなったという逸話もあるそうです。「曖依村荘」は民間外交の場として活用され、中でも茶室「無心庵」では膝をつき合わせた茶会が行われたそうです。そして、広間から続く邀月台(月見台)からは遠く筑波山を望むこともできたと言われています。また、「渋沢栄一」が誘致した王子製紙の工場が眼下に見えたそうです。ちなみに、「無&#12092;庵」の設計は、茶人としても有名な「益田孝」の弟である「益田克徳」と「柏木貨一郎」と言われ、京都裏千家の茶室などを参考にして明治32年(1899年)に建てられました。<br /><br />05_《茶席待合跡》<br />次は、「茶席待合跡」です。「茶席待合跡」は、「茶席門」を過ぎて茶席「無心庵」へ行く途中にあった待合です。腰を下ろすだけの簡素なものですが、気持ちを落ちつけ、茶席へ誘う重要な役割を担っていました。現在は、軒下の踏石をはじめとして、礎石などがほとんど当時の形で残されています。<br /><br />06_《茶席門跡》<br />次は、「茶席門跡」です。「茶席門跡」は、茶席「無心庵」へ向かう途中に設けられたいくつかの茶席門のうちの一つです。この門をくぐるとすぐに水の流れがあり、流れに架かる石橋を渡り、飛び石をたどっていくと、途中左手に「茶席待合」、さらにその奥に「無心庵」があったそうです。残念ながらこれらは、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失してしまいましたが、面影がわずかに残り、当時の跡をたどることができます。<br /><br />07_《兜稲荷社跡》<br />次の「兜稲荷社跡」は、「旧渋沢庭園」の東側の端にあります。「兜稲荷社」は、もともと日本橋兜町の渋沢が創設した日本最初の銀行である「第一銀行」の本店の構内にありました。明治30年(1897年)の「第一銀行」が改築されることに伴い、その時に現在地に移築されました。その後、昭和41年(1966年)に破損が激しく危険ということもあって取り壊されましたが、基壇部分や灯籠などは現在まで残されています。<br />ちなみに、「兜稲荷社」は、最初、三井組の為替座(明治初年の銀行の名称)として新築されました。その際に、三井組の守護神で向島にある「三囲神社」から分霊を勧請し、「兜社」と名付けられたものでした。その後、「兜社」は、為替座の建物と共に「第一国立銀行」に引き継がれました。<br /><br />08_《山形亭跡》<br />「兜稲荷社」から進んだすぐの所に「山形亭跡」があります。「山形亭跡」は、丸芝をはさんで本邸である西洋館と対峙した築山にあった亭です。現在は、「晩香廬」の北側にある高台といったほうが分かりやすいかもしれません。「山形亭跡」は、別名「六角堂」とも呼ばれていました。この東屋の名前は、六角形の土台の上に自然木を巧みに組んだ柱で、山形をした帽子のような屋根を支えていたところから付けられたそうです。確かに、高台の石段をのぼり、土台をみると六角形をしています。西洋館の書斎でくつろぐ「渋沢栄一」が、窓越しにぼんやりと見える「山形亭」を眺める写真も残されています。<br /><br />09_《晩香廬》<br />次が、「晩香廬」です。「晩香廬」は、玄関部分をよく見ると、壁がなく向こうの木々が見えます。淡い光と緑をふんだんに採り入れる設計で一面「嵌め殺しのガラス窓」になっています。ちなみに、「はめ殺し」とは、一般的に開閉することができない窓のことをいいます。主に採光の目的のため、玄関のドア枠や階段ホールの天井窓などに設けられています。「晩香廬」は、「渋沢栄一」の喜寿を祝って現在の「清水建設」が贈った洋風茶室です。大正6年(1917年)に完成し、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。「晩香廬」は、内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。「ばんこうろ」の名は、「バンガロー」をもじったとも言われます。<br /><br />10_《渋沢栄一像》<br />「旧渋沢庭園」のラストは、「渋沢栄一像」です。「渋沢栄一像」は、「晩香廬」のそばにあり、その「晩香廬」を見つめるように立っています。「渋沢栄一像」の正面の銘板には、「第一銀行頭取男爵澁澤榮一」と刻まれています。この銅像は「渋沢栄一」が還暦のときのもので、この銅像が建立されたときは、「子爵」ではなく「男爵」だったということですね。「渋沢栄一像」は、頭取である「渋沢栄一」の還暦を祝して、明治35(1902年)年4月3日、第一銀行本店新築落成に際して、中庭に設置されました。関東大震災等の罹災を免れ、現在の地へ移築されたのは、昭和31年(1956年)だそうです。「渋沢栄一像」は、彫刻家の「長沼守敬」の作で、「長沼守敬」はヴェネツィア美術アカデミーで彫刻学を学び、東京美術学校(現在の)東京藝術大学)の教授となりました。<br />「渋沢栄一像」は、このほかに、「飛鳥山公園」の「渋沢史料館」に「小倉右一郎」作の胸像(石像)、東京都板橋区の「東京都健康長寿医療センター公園」に銅像、千代田区大手町2丁目の「常盤橋公園」に「朝倉文夫」作の銅像、故郷の「深谷市役所本庁舎ホール」に「渡辺長男」作の胸像、深谷駅前の「青淵広場」に「田中昭」作の座像、そして、「渋沢栄一記念館」に「渡辺長男」作の立像があります。次に「渋沢史料館」へ向かいます。<br /><br />11_《渋沢史料館》<br />「渋沢史料館」は、「渋沢栄一」の活動を広く紹介する博物館として、昭和57年(1982年)に開館しました。かつて「渋沢栄一」が住んでいた旧渋沢邸跡地に建てられました。「渋沢栄一」一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示し、関連イベントなども随時開催。「旧渋沢庭園」に残る大正期の2棟の建築「晩香廬」「青淵文庫」の内部公開も行っています。「渋沢史料館」は、 鉄筋コンクリート造り、地上2階、地下1階建てす。「旧渋沢庭園」にある「晩香廬」は、 木造瓦葺き平屋建て、そして、「青淵文庫」は煉瓦及び鉄筋コンクリート造、2階建てになっています。これらの場所はいずれも民間外交の場として、第18代アメリカ大統領をつとめた「ユリシーズ・グラント」や中国の「蒋介石」など、 多くの人々が招かれた場所です。「渋沢史料館」は、令和2年(2020年)に22年ぶりに展示、内装などをリニューアルし、飛鳥山にあった、「渋沢栄一」の邸宅・飛鳥山邸の変遷をパノラマの景色で堪能できるコーナーや画像で飛鳥山邸を体験する「渋沢栄一さんぽ」、そして、関連図書を閲覧できる「青淵書屋」などが設置されました。「常設展示」では、3つのテーマ「ふれる」「たどる」「知る」で、「渋沢栄一」の生涯をひも解きます。「渋沢栄一にふれる」では、「渋沢栄一」がかつて暮らした曖依村荘での日常、思い、言葉にふれると言う面から「渋沢栄一」がどのような人物であるかを理解できます。「渋沢栄一をたどる」では、「渋沢栄一」の91年の生涯を、年齢ごとのユニットで展示してあります。各年齢のユニットには、それぞれ引き出しが付いて、引き出しの中には、渋沢栄一に関する情報がたくさん詰まっています。1段目には、「渋沢栄一」の主な活動を月ごとに紹介しています。2段目には、ユニット壁面や展示資料の関連資料のほか、付属情報や補足などがあります。「渋沢栄一を知る」では、「渋沢栄」一が携わったさまざまな事業や活動、そして多くの人々との交流に関連するコーナーです。「日本の資本主義の父」と呼ばれる「渋沢栄一」の偉業は目を見張るものばかりで、明治維新後に、約500の企業を設立・育成し、約600の社会公共事業や不平等条約の改善など、民間外交にも尽力した数多くの企業の黎明期にかかわった実績を理解することができました。次に「北区飛鳥山博物館」へ向かいます。<br /><br />12_《北区飛鳥山博物館》<br />「北区飛鳥山博物館」のエントランスホールが2Fにあります。それでは、入館してみます。2Fにある入り口ホールから階段を降りると、「常設展示」があります。「北区飛鳥山博物館」の「常設展示」は、ひとつの象徴展示と14のテーマ展示から構成されています。「象徴展示」は豊島郡衙の正倉で北区や近隣地域の考古、歴史、民俗や自然等が1つに取りまとめられています。「14のテーマ展示」は、「大地のおいたち」、「最古の狩人」、「縄文人のくらし」、「弥生人のムラ」、「古墳時代の夜明け」、「豪族と民の時代」、「律令社会と豊島郡衙」、「水と大地の支配者たち」、「名所王子・滝野川・飛鳥山」、「将軍御膳所 金輪寺(旧飛鳥山劇場・映像展示))、「日光御成道の風景」、「荒川と共に生きるくらし」、「東京近郊の野菜と種苗」、「地図にみる北区の近現代」、「荒川の生態系」となっています。<br />改めて2Fへ階段を利用して上ります。2Fは、「企画展」のコーナーで、年に2回、春と秋ごとにテーマを変えて企画展が開催されているほか、夏休みには子ども向けの企画展も開催されています。現在行われているのが、スポット展示の「ASUKAYAMAセレクション25」とパネル展示の「おがけさまで25周年 北区飛鳥山博物館の歩んできた道、歩む道」です。「ASUKAYAMAセレクション25」は、会期が5月27日(土)から6月25日(日)まで、入場は10::00~17:00となっています。「おがけさまで25周年 北区飛鳥山博物館の歩んできた道、歩む道」は、会期が、5月27日(土)から12月27日(水)まで、入場は10::00~17:00となっています。いずれも観覧無料です。次が、3階の「飛鳥山アートギャラリー」です。3階の「飛鳥山アートギャラリー」では、第1展示室では北区ゆかりの画家「大野五郎」の油絵、第2展示室では北区在住の人間国宝「奥山峰石」の鍛金工芸作品が、それぞれ定期的に作品を入れ替えながら展示されています。飛鳥山アートギャラリーへの入場は無料です。<br />ちなみに、画家の「大野五郎」は、明治43年に東京府北豊島郡岩淵町(現在の北区岩淵町)に生まれ、若くして画壇を牽引した人物です。展示作品は、北区に寄贈された数多くの油彩画から、大作・小品をまじえて展示してありました。「奥山峰石」は、平成30年(2018年)の秋に日本伝統工芸への貢献により「名誉都民」として選定され、その鍛金工芸作品を展示しています。最後に「紙の博物館」へ向かいます。<br /><br />13_《紙の博物館》<br />「紙の博物館」は、昭和25年(1950年)6月8日に、東京都北区「王子」に設立されました。「王子」は、「渋沢栄一」により明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった「抄紙会社」(後の王子製紙王子工場)が設立された地で、「洋紙発祥の地」として知られています。「紙の博物館」では、日本の伝統的な「和紙」、近代日本の発展を支えた「洋紙」の両面から紙の歴史・文化・産業を学ぶことができます。<br />現在の「紙の博物館」は、地下1階、地上4階で、建物構造は鉄筋コンクリートで、平成9年(1997年)2月に完成しました。建築面積は492.13㎡、延床面積は2,267.74㎡の広さになっています。<br />では、早速「紙の博物館」へ入館します。出入口は2Fにあります。入口から少し進むと右側に展示室「紙と産業」があります。ここでは、主に洋紙にまつわる展示を見ることができます。2Fは「受付」、「エントランスホール」、「展示室~紙と産業」、「産業遺産コレクションの機械」、「ミュージアムショップ」があります。「展示室~紙と産業」では、日本の近代製紙産業の歴史をはじめ、紙の原料と製造工程、多様な種類・用途、製紙業界の取り組みなど、私たちが日常的に使用している洋紙についてのコーナーになっています。紙を抄く機械・抄紙機の誕生と原料が木材になったことで、大量生産が可能になり、製紙産業が発展していったそうです。続いて、階段を利用して、3Fへ移動します。3Fは、「展示室~紙の教室」、「映像コーナー」、「クイズコーナー」で構成されています。紙について体感的に学ぶことができる展示室「紙の教室」があります。いろいろな紙にさわったり、クイズに挑戦したり、体験的に紙を学ぶことができます。例えば、紙の原料となるパルプが入った筒を、ハンドルを回すことで、ひっくり返したり、戻したりして、紙の作り方とリサイクルの仕組みを体験しながら学べます。他にも、原料の違う紙を実際に触り比べて、楮・綿・竹など原料による紙の違いを体感したり、パソコンのクイズで紙について学習したり、楽しく学べる工夫が凝らされています。次に、階段を利用して、4Fへ移動します。4Fは、「展示室和紙と文化」、「和紙文化コレクション」、「企画展示室」、「展望コーナー」で構成されています。「展示室和紙と文化」では、紙の誕生と伝播、和紙の歴史や製造工程、今も各地に残る和紙の産地や、多彩な種類と用途など、古くから日本文化を支えてきた和紙について紹介しています。木製の「百万塔」の中に収められた「陀羅尼」は、現存する年代のわかる最古の印刷物だそうで、無垢浄光陀羅尼経と呼ばれる経典の一部が印刷されているそうです。最後に、エレベーターで1Fへ降ります。1Fは近代製紙産業に関する「記念碑コーナー」、「産業遺産コレクション記念碑」、「イベントホール」、「図書室」になっています。現在開催中の企画展は、ミニ展示「紙博のあゆみ」で、2023年5月30日(火)から7月2日(日)まで行われる予定で、内容としては、「紙の博物館」の創立記念日6月8日にあわせて、「紙の博物館」のあゆみと重要収蔵品が数点展示してありました。そして、最後に、土日に開催される「紙すき教室」では、牛乳パックを再生した原料を使って、オリジナルはがきを作ることができます。「紙すき教室」は、これを目当てに訪れる来館者も多い人気のイベントです。参加費とかはかかりませんが、入館料は必要です。<br />これで本日の散策は終了です。やはり博物館が3つあり、じっくり見たので結構な時間がかかりました。しかし、色々なことが学べました。番外編の二箇所はあまり観光客が訪れないところです。特に、「飛鳥山の狛犬」はほとんどの人が知らない穴場のポイントです。よくは見えませんが、見つけたときの喜びは何とも言えませんでした。見ることのできる場所は、記載してありますので是非挑戦してみてください。<br /><br />【番外編】<br />01_《飛鳥山1号墳》<br />「旧渋沢庭園」の「無心庵跡」からさらに奥に入った所に「飛鳥山1号墳」があります。「飛鳥山1号墳」は、古墳時代後期の直径31mの円墳で、周囲には幅3.8mの周溝が平成元年(1989年)の調査で確認されました。また、平成5年(1994年)の埋葬施設の調査で切り石を使用した横穴式石室が確認され、石室から大刀や刀子の破片、鉄鏃、耳環、管玉、ガラス小玉などが出土したそうです。ただし、現在は、小高い丘のような感じで、石段を上ると広場になっていました。公園内では他にも1号墳の北西に2号墳、3号墳の周溝が確認されていて、一帯が古墳群(合計6基)だったことが判明しています。<br /><br />02_《飛鳥山の狛犬》<br />「飛鳥山の狛犬」は、昔、「飛鳥山」に祀られていた「飛鳥明神」の遺物と言われています。いつ頃からあるのか誰が作ったのか定かではない狛犬です。寛永10年(1633年)に「飛鳥明神」が「王子権現社」に移転した際に置き去りにされたものではないかとされています。その姿は公園北側の坂を上る途中、音無親水公園側の歩道から見ることができます。「明治通り」を渡って「音無橋信号」付近に進みます。音無親水公園側から飛鳥山公園の斜面を見ると、2基の狛犬を発見することができます。念のためですが、一見分かりにくい場所にあり、高いところに備え付けられているので、飛鳥公園沿いの歩道からは見えません。<br />

王子から駒込へのプロムナード:【第二回目】飛鳥山公園の3つの博物館と渋沢栄一の足跡を求めて

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2023/06/01 - 2023/06/01

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Lily-junjunさん

この旅行記のスケジュール

2023/06/01

  • 北千住駅(09:00発:東京メトロ千代田線)⇒西日暮里駅(JR京浜東北線乗換)⇒王子駅

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今回は、「飛鳥山公園」の3つの博物館と「渋沢栄一」がかつて居を構えた「旧渋沢庭園」、そして、「渋沢栄一」が残した歴史的建造物や庭園などを見て回りました。当日は、JR京浜東北線「王子駅」中央口を利用し、最初に「旧渋沢庭園」、「渋沢史料館」、「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」そして、番外編としてあまり注目されていない「飛鳥山1号墳」、「飛鳥山の狛犬」にもスポットをあててみました。「旧渋沢庭園」での見どころは、昭和20年(1945年)の東京大空襲の戦火を逃れた「青淵文庫」と「晩香廬」でしょう。「渋沢史料館」は、まさに「渋沢栄一」の人生の系譜が詳しく展示され、より詳しく「渋沢栄一」を知ることができます。「北区飛鳥山博物館」は、14のテーマ別に時代ごとに展示してあり、古代から現代までの北区の歴史がよく理解できます。また、「飛鳥山1号墳」に関連するコーナーもあります。「紙の博物館」は、「渋沢栄一」の思い入れのある日本の伝統的な「和紙」、近代日本の発展を支えた「洋紙」の両面から紙の歴史・文化・産業を学ぶことができます。番外編の「飛鳥山の狛犬」は、見つけるのが困難ですが、見える場所は記載しておきましたので、是非、見つけてください。それでは早速、「旧渋沢庭園」から散策開始です。

【飛鳥山の3つの博物館と旧渋沢庭園の散策巡路】
※ 「②《青淵文庫》」から「⑪《渋沢栄一像》」までは、「旧渋沢庭園」にあります。
①《旧渋沢庭園》⇒②《青淵文庫》⇒③《青淵文庫 露台・まぐさ》⇒④《無心庵跡》⇒⑤《茶席待合跡》⇒⑥《茶席門跡》⇒⑦《兜稲荷社跡》⇒⑧《山形亭跡》⇒⑨《晩香廬》⇒⑩《渋沢栄一像》⇒⑪《渋沢史料館》⇒⑫《北区飛鳥山博物館》⇒⑬《紙の博物館》⇒⑭⇒⑮
【番外編の散策】
①《飛鳥山1号墳》⇒②《飛鳥山の狛犬》

01_《旧渋沢庭園》
「旧渋沢庭園」へのアクセスは、JR京浜東北線「王子駅」中央口の出口を出て、「本郷通り」を左方向に500mほど直進すると三つ目の信号のところに「飛鳥山公園」へ通じる階段が左手にあります。その階段を上ると右手に「紙の博物館」があり、その隣に「北区飛鳥山博物館」、奥に「渋沢史料館」があります。「渋沢史料館」からさらに50mほど進むと左に曲がる道があるので、そこを入ると「旧渋沢庭園」の入口になります。ここまで来ると「青淵文庫」と「晩香廬」が視界に入ってきます。
「飛鳥山公園」の南側の一角は、「渋沢栄一」が明治12年(1879年)から亡くなる昭和6年(1931年)まで、初めは別荘として、そして後に本邸として過ごした「曖依村荘」とよばれる邸宅があった場所です。往時は8470坪(約28,000㎡)の敷地内に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在しましたが、その多くは昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失してしまいました。「曖依村荘」は、現在の「渋沢史料館」、「北区飛鳥山博物館」、「紙の博物館」の「飛鳥山3つの博物館」と並ぶ場所に本邸や茶室があったとされています。しかし、残念ながらその多くが太平洋戦争の東京大空襲により焼失してしまいました。幸いにも大正14年(1925年)に完成したコンクリート造りの「青淵文庫」と大正6年(1917年)に完成した洋風茶室の「晩香廬」は、現在もなお「旧渋沢庭園」内に当時の姿をとどめています。いずれも平成17年(2005年)12月27日に国の重要文化財(建造物)に指定されています。「旧渋沢庭園」は、現在は「飛鳥山公園」の一部として一般に開放されています。入園は無料で、入園時間は季節によって異なり、「3月~11月」は午前9時より午後4時30分まで、「12月~2月」は、午前9時より午後4時までとなっています。

02_《青淵文庫》
「旧渋沢庭園」の入口を入ると、「青淵文庫」があります。「青淵文庫」は、「渋沢栄一」の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて「竜門社」(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。大正14年(1925年)に完成し、「渋沢栄一」の書庫として、また接客の場としても使用されました。渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んだ柏の葉や、「寿」、竜門社の「竜」の字をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。当初収蔵されていた「論語」をはじめ、多くの漢籍は渋沢家から「東京都立日比谷図書館」に寄贈され、現在は「東京都立中央図書館」に所蔵されています。なお、「青淵文庫」を見学するには入場料は無料ですが、「渋沢資料館」の入場券が必要となります。

03_《青淵文庫 露台・まぐさ》
「青淵文庫」に向かって左側に「青淵文庫 露台・まぐさ」があります。「旧渋沢庭園」の入口を入ると、先に「青淵文庫 露台・まぐさ」がありますが、やはり「青淵文庫」を見学した後に見ると分かりやすいと思います。説明文によると「露台基礎」は、「青淵文庫」が創建時に那智黒石が敷つめられたテラス部分の基礎の一部だそうです。建築方法は、コンクリートを打った上に煉瓦を積み基礎とし、煉瓦の上には、露台の縁石として御影石を敷き並べられていました。平成14年(2002年)の修理で、露台の基礎は、補強のため鉄筋コン クリート造に改められた。また、「まぐさ」は露台下部の堀削中に土の中より出土したものです。「まぐさ」は、扉や窓の開口部の上部の間柱の間に横に付けられる補強材のことです。発見された「まぐさ」は、形状、寸法から「控室」(台所北側)出入口の「まぐさ」であることが判明したそうです。

04_《無心庵跡》
次は、「無心庵跡」です。「無⼼庵」は、「旧渋沢庭園」にある茶室です。「無⼼庵」は、「渋沢栄一」が「徳川慶喜」の名誉回復を図るため、「徳川慶喜」、「伊藤博⽂」、「井上馨」などが会する茶会を催し、それが「徳川慶喜」の復権のきっかけとなったという逸話もあるそうです。「曖依村荘」は民間外交の場として活用され、中でも茶室「無心庵」では膝をつき合わせた茶会が行われたそうです。そして、広間から続く邀月台(月見台)からは遠く筑波山を望むこともできたと言われています。また、「渋沢栄一」が誘致した王子製紙の工場が眼下に見えたそうです。ちなみに、「無⼼庵」の設計は、茶人としても有名な「益田孝」の弟である「益田克徳」と「柏木貨一郎」と言われ、京都裏千家の茶室などを参考にして明治32年(1899年)に建てられました。

05_《茶席待合跡》
次は、「茶席待合跡」です。「茶席待合跡」は、「茶席門」を過ぎて茶席「無心庵」へ行く途中にあった待合です。腰を下ろすだけの簡素なものですが、気持ちを落ちつけ、茶席へ誘う重要な役割を担っていました。現在は、軒下の踏石をはじめとして、礎石などがほとんど当時の形で残されています。

06_《茶席門跡》
次は、「茶席門跡」です。「茶席門跡」は、茶席「無心庵」へ向かう途中に設けられたいくつかの茶席門のうちの一つです。この門をくぐるとすぐに水の流れがあり、流れに架かる石橋を渡り、飛び石をたどっていくと、途中左手に「茶席待合」、さらにその奥に「無心庵」があったそうです。残念ながらこれらは、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失してしまいましたが、面影がわずかに残り、当時の跡をたどることができます。

07_《兜稲荷社跡》
次の「兜稲荷社跡」は、「旧渋沢庭園」の東側の端にあります。「兜稲荷社」は、もともと日本橋兜町の渋沢が創設した日本最初の銀行である「第一銀行」の本店の構内にありました。明治30年(1897年)の「第一銀行」が改築されることに伴い、その時に現在地に移築されました。その後、昭和41年(1966年)に破損が激しく危険ということもあって取り壊されましたが、基壇部分や灯籠などは現在まで残されています。
ちなみに、「兜稲荷社」は、最初、三井組の為替座(明治初年の銀行の名称)として新築されました。その際に、三井組の守護神で向島にある「三囲神社」から分霊を勧請し、「兜社」と名付けられたものでした。その後、「兜社」は、為替座の建物と共に「第一国立銀行」に引き継がれました。

08_《山形亭跡》
「兜稲荷社」から進んだすぐの所に「山形亭跡」があります。「山形亭跡」は、丸芝をはさんで本邸である西洋館と対峙した築山にあった亭です。現在は、「晩香廬」の北側にある高台といったほうが分かりやすいかもしれません。「山形亭跡」は、別名「六角堂」とも呼ばれていました。この東屋の名前は、六角形の土台の上に自然木を巧みに組んだ柱で、山形をした帽子のような屋根を支えていたところから付けられたそうです。確かに、高台の石段をのぼり、土台をみると六角形をしています。西洋館の書斎でくつろぐ「渋沢栄一」が、窓越しにぼんやりと見える「山形亭」を眺める写真も残されています。

09_《晩香廬》
次が、「晩香廬」です。「晩香廬」は、玄関部分をよく見ると、壁がなく向こうの木々が見えます。淡い光と緑をふんだんに採り入れる設計で一面「嵌め殺しのガラス窓」になっています。ちなみに、「はめ殺し」とは、一般的に開閉することができない窓のことをいいます。主に採光の目的のため、玄関のドア枠や階段ホールの天井窓などに設けられています。「晩香廬」は、「渋沢栄一」の喜寿を祝って現在の「清水建設」が贈った洋風茶室です。大正6年(1917年)に完成し、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。「晩香廬」は、内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。「ばんこうろ」の名は、「バンガロー」をもじったとも言われます。

10_《渋沢栄一像》
「旧渋沢庭園」のラストは、「渋沢栄一像」です。「渋沢栄一像」は、「晩香廬」のそばにあり、その「晩香廬」を見つめるように立っています。「渋沢栄一像」の正面の銘板には、「第一銀行頭取男爵澁澤榮一」と刻まれています。この銅像は「渋沢栄一」が還暦のときのもので、この銅像が建立されたときは、「子爵」ではなく「男爵」だったということですね。「渋沢栄一像」は、頭取である「渋沢栄一」の還暦を祝して、明治35(1902年)年4月3日、第一銀行本店新築落成に際して、中庭に設置されました。関東大震災等の罹災を免れ、現在の地へ移築されたのは、昭和31年(1956年)だそうです。「渋沢栄一像」は、彫刻家の「長沼守敬」の作で、「長沼守敬」はヴェネツィア美術アカデミーで彫刻学を学び、東京美術学校(現在の)東京藝術大学)の教授となりました。
「渋沢栄一像」は、このほかに、「飛鳥山公園」の「渋沢史料館」に「小倉右一郎」作の胸像(石像)、東京都板橋区の「東京都健康長寿医療センター公園」に銅像、千代田区大手町2丁目の「常盤橋公園」に「朝倉文夫」作の銅像、故郷の「深谷市役所本庁舎ホール」に「渡辺長男」作の胸像、深谷駅前の「青淵広場」に「田中昭」作の座像、そして、「渋沢栄一記念館」に「渡辺長男」作の立像があります。次に「渋沢史料館」へ向かいます。

11_《渋沢史料館》
「渋沢史料館」は、「渋沢栄一」の活動を広く紹介する博物館として、昭和57年(1982年)に開館しました。かつて「渋沢栄一」が住んでいた旧渋沢邸跡地に建てられました。「渋沢栄一」一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示し、関連イベントなども随時開催。「旧渋沢庭園」に残る大正期の2棟の建築「晩香廬」「青淵文庫」の内部公開も行っています。「渋沢史料館」は、 鉄筋コンクリート造り、地上2階、地下1階建てす。「旧渋沢庭園」にある「晩香廬」は、 木造瓦葺き平屋建て、そして、「青淵文庫」は煉瓦及び鉄筋コンクリート造、2階建てになっています。これらの場所はいずれも民間外交の場として、第18代アメリカ大統領をつとめた「ユリシーズ・グラント」や中国の「蒋介石」など、 多くの人々が招かれた場所です。「渋沢史料館」は、令和2年(2020年)に22年ぶりに展示、内装などをリニューアルし、飛鳥山にあった、「渋沢栄一」の邸宅・飛鳥山邸の変遷をパノラマの景色で堪能できるコーナーや画像で飛鳥山邸を体験する「渋沢栄一さんぽ」、そして、関連図書を閲覧できる「青淵書屋」などが設置されました。「常設展示」では、3つのテーマ「ふれる」「たどる」「知る」で、「渋沢栄一」の生涯をひも解きます。「渋沢栄一にふれる」では、「渋沢栄一」がかつて暮らした曖依村荘での日常、思い、言葉にふれると言う面から「渋沢栄一」がどのような人物であるかを理解できます。「渋沢栄一をたどる」では、「渋沢栄一」の91年の生涯を、年齢ごとのユニットで展示してあります。各年齢のユニットには、それぞれ引き出しが付いて、引き出しの中には、渋沢栄一に関する情報がたくさん詰まっています。1段目には、「渋沢栄一」の主な活動を月ごとに紹介しています。2段目には、ユニット壁面や展示資料の関連資料のほか、付属情報や補足などがあります。「渋沢栄一を知る」では、「渋沢栄」一が携わったさまざまな事業や活動、そして多くの人々との交流に関連するコーナーです。「日本の資本主義の父」と呼ばれる「渋沢栄一」の偉業は目を見張るものばかりで、明治維新後に、約500の企業を設立・育成し、約600の社会公共事業や不平等条約の改善など、民間外交にも尽力した数多くの企業の黎明期にかかわった実績を理解することができました。次に「北区飛鳥山博物館」へ向かいます。

12_《北区飛鳥山博物館》
「北区飛鳥山博物館」のエントランスホールが2Fにあります。それでは、入館してみます。2Fにある入り口ホールから階段を降りると、「常設展示」があります。「北区飛鳥山博物館」の「常設展示」は、ひとつの象徴展示と14のテーマ展示から構成されています。「象徴展示」は豊島郡衙の正倉で北区や近隣地域の考古、歴史、民俗や自然等が1つに取りまとめられています。「14のテーマ展示」は、「大地のおいたち」、「最古の狩人」、「縄文人のくらし」、「弥生人のムラ」、「古墳時代の夜明け」、「豪族と民の時代」、「律令社会と豊島郡衙」、「水と大地の支配者たち」、「名所王子・滝野川・飛鳥山」、「将軍御膳所 金輪寺(旧飛鳥山劇場・映像展示))、「日光御成道の風景」、「荒川と共に生きるくらし」、「東京近郊の野菜と種苗」、「地図にみる北区の近現代」、「荒川の生態系」となっています。
改めて2Fへ階段を利用して上ります。2Fは、「企画展」のコーナーで、年に2回、春と秋ごとにテーマを変えて企画展が開催されているほか、夏休みには子ども向けの企画展も開催されています。現在行われているのが、スポット展示の「ASUKAYAMAセレクション25」とパネル展示の「おがけさまで25周年 北区飛鳥山博物館の歩んできた道、歩む道」です。「ASUKAYAMAセレクション25」は、会期が5月27日(土)から6月25日(日)まで、入場は10::00~17:00となっています。「おがけさまで25周年 北区飛鳥山博物館の歩んできた道、歩む道」は、会期が、5月27日(土)から12月27日(水)まで、入場は10::00~17:00となっています。いずれも観覧無料です。次が、3階の「飛鳥山アートギャラリー」です。3階の「飛鳥山アートギャラリー」では、第1展示室では北区ゆかりの画家「大野五郎」の油絵、第2展示室では北区在住の人間国宝「奥山峰石」の鍛金工芸作品が、それぞれ定期的に作品を入れ替えながら展示されています。飛鳥山アートギャラリーへの入場は無料です。
ちなみに、画家の「大野五郎」は、明治43年に東京府北豊島郡岩淵町(現在の北区岩淵町)に生まれ、若くして画壇を牽引した人物です。展示作品は、北区に寄贈された数多くの油彩画から、大作・小品をまじえて展示してありました。「奥山峰石」は、平成30年(2018年)の秋に日本伝統工芸への貢献により「名誉都民」として選定され、その鍛金工芸作品を展示しています。最後に「紙の博物館」へ向かいます。

13_《紙の博物館》
「紙の博物館」は、昭和25年(1950年)6月8日に、東京都北区「王子」に設立されました。「王子」は、「渋沢栄一」により明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった「抄紙会社」(後の王子製紙王子工場)が設立された地で、「洋紙発祥の地」として知られています。「紙の博物館」では、日本の伝統的な「和紙」、近代日本の発展を支えた「洋紙」の両面から紙の歴史・文化・産業を学ぶことができます。
現在の「紙の博物館」は、地下1階、地上4階で、建物構造は鉄筋コンクリートで、平成9年(1997年)2月に完成しました。建築面積は492.13㎡、延床面積は2,267.74㎡の広さになっています。
では、早速「紙の博物館」へ入館します。出入口は2Fにあります。入口から少し進むと右側に展示室「紙と産業」があります。ここでは、主に洋紙にまつわる展示を見ることができます。2Fは「受付」、「エントランスホール」、「展示室~紙と産業」、「産業遺産コレクションの機械」、「ミュージアムショップ」があります。「展示室~紙と産業」では、日本の近代製紙産業の歴史をはじめ、紙の原料と製造工程、多様な種類・用途、製紙業界の取り組みなど、私たちが日常的に使用している洋紙についてのコーナーになっています。紙を抄く機械・抄紙機の誕生と原料が木材になったことで、大量生産が可能になり、製紙産業が発展していったそうです。続いて、階段を利用して、3Fへ移動します。3Fは、「展示室~紙の教室」、「映像コーナー」、「クイズコーナー」で構成されています。紙について体感的に学ぶことができる展示室「紙の教室」があります。いろいろな紙にさわったり、クイズに挑戦したり、体験的に紙を学ぶことができます。例えば、紙の原料となるパルプが入った筒を、ハンドルを回すことで、ひっくり返したり、戻したりして、紙の作り方とリサイクルの仕組みを体験しながら学べます。他にも、原料の違う紙を実際に触り比べて、楮・綿・竹など原料による紙の違いを体感したり、パソコンのクイズで紙について学習したり、楽しく学べる工夫が凝らされています。次に、階段を利用して、4Fへ移動します。4Fは、「展示室和紙と文化」、「和紙文化コレクション」、「企画展示室」、「展望コーナー」で構成されています。「展示室和紙と文化」では、紙の誕生と伝播、和紙の歴史や製造工程、今も各地に残る和紙の産地や、多彩な種類と用途など、古くから日本文化を支えてきた和紙について紹介しています。木製の「百万塔」の中に収められた「陀羅尼」は、現存する年代のわかる最古の印刷物だそうで、無垢浄光陀羅尼経と呼ばれる経典の一部が印刷されているそうです。最後に、エレベーターで1Fへ降ります。1Fは近代製紙産業に関する「記念碑コーナー」、「産業遺産コレクション記念碑」、「イベントホール」、「図書室」になっています。現在開催中の企画展は、ミニ展示「紙博のあゆみ」で、2023年5月30日(火)から7月2日(日)まで行われる予定で、内容としては、「紙の博物館」の創立記念日6月8日にあわせて、「紙の博物館」のあゆみと重要収蔵品が数点展示してありました。そして、最後に、土日に開催される「紙すき教室」では、牛乳パックを再生した原料を使って、オリジナルはがきを作ることができます。「紙すき教室」は、これを目当てに訪れる来館者も多い人気のイベントです。参加費とかはかかりませんが、入館料は必要です。
これで本日の散策は終了です。やはり博物館が3つあり、じっくり見たので結構な時間がかかりました。しかし、色々なことが学べました。番外編の二箇所はあまり観光客が訪れないところです。特に、「飛鳥山の狛犬」はほとんどの人が知らない穴場のポイントです。よくは見えませんが、見つけたときの喜びは何とも言えませんでした。見ることのできる場所は、記載してありますので是非挑戦してみてください。

【番外編】
01_《飛鳥山1号墳》
「旧渋沢庭園」の「無心庵跡」からさらに奥に入った所に「飛鳥山1号墳」があります。「飛鳥山1号墳」は、古墳時代後期の直径31mの円墳で、周囲には幅3.8mの周溝が平成元年(1989年)の調査で確認されました。また、平成5年(1994年)の埋葬施設の調査で切り石を使用した横穴式石室が確認され、石室から大刀や刀子の破片、鉄鏃、耳環、管玉、ガラス小玉などが出土したそうです。ただし、現在は、小高い丘のような感じで、石段を上ると広場になっていました。公園内では他にも1号墳の北西に2号墳、3号墳の周溝が確認されていて、一帯が古墳群(合計6基)だったことが判明しています。

02_《飛鳥山の狛犬》
「飛鳥山の狛犬」は、昔、「飛鳥山」に祀られていた「飛鳥明神」の遺物と言われています。いつ頃からあるのか誰が作ったのか定かではない狛犬です。寛永10年(1633年)に「飛鳥明神」が「王子権現社」に移転した際に置き去りにされたものではないかとされています。その姿は公園北側の坂を上る途中、音無親水公園側の歩道から見ることができます。「明治通り」を渡って「音無橋信号」付近に進みます。音無親水公園側から飛鳥山公園の斜面を見ると、2基の狛犬を発見することができます。念のためですが、一見分かりにくい場所にあり、高いところに備え付けられているので、飛鳥公園沿いの歩道からは見えません。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩
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