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伊勢神宮 内宮付近の観光スポットと言えば、縁日気分が味わえる「おはらい町・おかげ横丁」が定番です。地元グルメやユニークな特産品などを扱う店が軒を連ねており、何をメインに観光するかテーマを決めて臨まないと捉えどころがありません。今回は「伊勢特有の建築様式」と「瓦」、「猫」にテーマを絞って挑みました。<br />伊勢独特の建築様式の代表格は妻入りの町屋造です。その他、おはらい町の街並み景観を形成する上で欠かせない「軒がんぎ板」や「張り出し南張り囲い」、「杉赤味のきざみ囲い(ささら子下見板張り)」にスポットを当てました。<br />「瓦」については、飾り瓦や軒丸瓦にはお店独自の遊び心が反映されており、それを見ながら物語を紡ぐだげで愉しい気分にさせられました。<br />「猫」は軒先の飾り瓦とも重複しますが、お店に置かれた「猫の造形」にほっこりさせられてまいりました。特に、造形作家 もりわじん氏が制作された作品たちは愛嬌が溢れており、思わず頬が緩みました。<br />荘厳な神宮参拝後の息抜きにはもってこいのリフレッシュ・スポットです。<br />

青嵐薫風 伊勢紀行⑩おはらい町・おかげ横丁

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2024/04/18 - 2024/04/19

5位(同エリア3071件中)

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

伊勢神宮 内宮付近の観光スポットと言えば、縁日気分が味わえる「おはらい町・おかげ横丁」が定番です。地元グルメやユニークな特産品などを扱う店が軒を連ねており、何をメインに観光するかテーマを決めて臨まないと捉えどころがありません。今回は「伊勢特有の建築様式」と「瓦」、「猫」にテーマを絞って挑みました。
伊勢独特の建築様式の代表格は妻入りの町屋造です。その他、おはらい町の街並み景観を形成する上で欠かせない「軒がんぎ板」や「張り出し南張り囲い」、「杉赤味のきざみ囲い(ささら子下見板張り)」にスポットを当てました。
「瓦」については、飾り瓦や軒丸瓦にはお店独自の遊び心が反映されており、それを見ながら物語を紡ぐだげで愉しい気分にさせられました。
「猫」は軒先の飾り瓦とも重複しますが、お店に置かれた「猫の造形」にほっこりさせられてまいりました。特に、造形作家 もりわじん氏が制作された作品たちは愛嬌が溢れており、思わず頬が緩みました。
荘厳な神宮参拝後の息抜きにはもってこいのリフレッシュ・スポットです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
  • おはらい町<br />宇治橋から続く約800mの真っ直ぐな通りが鳥居前町にある「おはらい町」です。昔ながらの門前町の風情を色濃く残す切妻造、妻入り様式の土産物屋や飲食店が軒を連ね、江戸時代の人々が「一生に一度は」と憧れたおかげ参りの雰囲気が、建物だけでなく、ごった返した人波でも味わえます。平日でもこの混雑ぶりです。

    おはらい町
    宇治橋から続く約800mの真っ直ぐな通りが鳥居前町にある「おはらい町」です。昔ながらの門前町の風情を色濃く残す切妻造、妻入り様式の土産物屋や飲食店が軒を連ね、江戸時代の人々が「一生に一度は」と憧れたおかげ参りの雰囲気が、建物だけでなく、ごった返した人波でも味わえます。平日でもこの混雑ぶりです。

  • おはらい町<br />手前の建物はおはらい町では希少価値のある入母屋造です。<br />伊勢路の民家には切妻、妻入りの町屋造が多く、のこぎり歯を彷彿とさせる連なった三角屋根はリズムを感じさせます。妻入りの理由は、神宮の正殿が平入り故、神宮と同じでは「畏れ多い」ためとか、道路に面する関係上、間口が狭く奥行きの深く細長い敷地が多かったことが挙げられます。妻入りの木造建築の柱などの主要部は、硬く木目の美しい伝統的な国産トガ(栂)材で精密に再現しています。昔から関西では「栂普請」と称し、格調の高い和風建築の高級材として扱われてきた歴史があります。<br />屋根は「伊勢瓦」で葺かれ、妻面の2階部には外壁を30cm程張り出した「張り出し南張り囲い」と呼ばれる外囲いが設けられています。雨風の強い伊勢地方では雨が下から吹き上がってくるため、張り出させることで屋根と外壁の境目から雨が染み込むのを防ぐ知恵です。尚、外壁を木で囲う「杉赤味のきざみ囲い(ささら子下見板張り)」には白木の杉板を使用しています。

    おはらい町
    手前の建物はおはらい町では希少価値のある入母屋造です。
    伊勢路の民家には切妻、妻入りの町屋造が多く、のこぎり歯を彷彿とさせる連なった三角屋根はリズムを感じさせます。妻入りの理由は、神宮の正殿が平入り故、神宮と同じでは「畏れ多い」ためとか、道路に面する関係上、間口が狭く奥行きの深く細長い敷地が多かったことが挙げられます。妻入りの木造建築の柱などの主要部は、硬く木目の美しい伝統的な国産トガ(栂)材で精密に再現しています。昔から関西では「栂普請」と称し、格調の高い和風建築の高級材として扱われてきた歴史があります。
    屋根は「伊勢瓦」で葺かれ、妻面の2階部には外壁を30cm程張り出した「張り出し南張り囲い」と呼ばれる外囲いが設けられています。雨風の強い伊勢地方では雨が下から吹き上がってくるため、張り出させることで屋根と外壁の境目から雨が染み込むのを防ぐ知恵です。尚、外壁を木で囲う「杉赤味のきざみ囲い(ささら子下見板張り)」には白木の杉板を使用しています。

  • おはらい町<br />1階の軒庇の垂木の先端には「軒がんぎ板」という垂木の鼻隠しが垂直方向に据えられ、店先に雨や雪が入り込むのを防ぐ役割を果たしています。<br />また、これが連続性のある美しい街並み景観を演出する重要な視覚的要素にもなっています。

    おはらい町
    1階の軒庇の垂木の先端には「軒がんぎ板」という垂木の鼻隠しが垂直方向に据えられ、店先に雨や雪が入り込むのを防ぐ役割を果たしています。
    また、これが連続性のある美しい街並み景観を演出する重要な視覚的要素にもなっています。

  • おはらい町<br />おはらい町には明治時代初期まで「御師」と呼ばれる下級神官である御祈祷師(おんいのりし)の館が軒を連ねていました。御師は、各地を巡って伊勢参宮を勧誘し、参宮者にはその案内を行う他、宿舎も提供していました。今でいう旅行代理店やツアコンに近い職業であり、全国的な伊勢参宮ブームを巻き起こしたプロデューサーでもありました。御師は、江戸末期に内宮が309軒、外宮が555軒もあったとされ、その動員力も凄かったようです。<br />また御師が「大夫(だゆう)」を称するのは、権禰宜(ごんねぎ:禰宜の下位)になると五位の位を授かったこと(五位の人を大夫と言う)に由来します。

    おはらい町
    おはらい町には明治時代初期まで「御師」と呼ばれる下級神官である御祈祷師(おんいのりし)の館が軒を連ねていました。御師は、各地を巡って伊勢参宮を勧誘し、参宮者にはその案内を行う他、宿舎も提供していました。今でいう旅行代理店やツアコンに近い職業であり、全国的な伊勢参宮ブームを巻き起こしたプロデューサーでもありました。御師は、江戸末期に内宮が309軒、外宮が555軒もあったとされ、その動員力も凄かったようです。
    また御師が「大夫(だゆう)」を称するのは、権禰宜(ごんねぎ:禰宜の下位)になると五位の位を授かったこと(五位の人を大夫と言う)に由来します。

  • おはらい町<br />御師は庶民へのお祓いや神楽も行っており、「お祓い」をする館が立ち並んでいたことから「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。<br />しかし、1871(明治4)年に御師の活動が明治政府により禁じられ、廃絶の憂き目に遭いました。そのために財産の切り売り等がなされ、御師邸がほとんど残らず、関係資料の多くが失われました。おはらい町では2ヶ所に残る立派な門だけが住時の繁栄を偲ぶよすがとなっています。

    おはらい町
    御師は庶民へのお祓いや神楽も行っており、「お祓い」をする館が立ち並んでいたことから「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。
    しかし、1871(明治4)年に御師の活動が明治政府により禁じられ、廃絶の憂き目に遭いました。そのために財産の切り売り等がなされ、御師邸がほとんど残らず、関係資料の多くが失われました。おはらい町では2ヶ所に残る立派な門だけが住時の繁栄を偲ぶよすがとなっています。

  • おかげ横丁のマップです。<br />https://okageyokocho.com/main/picture-map/

    おかげ横丁のマップです。
    https://okageyokocho.com/main/picture-map/

  • おはらい町 すし久<br />おはらい町通りの中ほどにあり、ひときわ大きく存在感のある佇まいを魅せます。この建物の吹き抜けの梁は1869(明治2)年の宇治橋遷宮時の古欅材が使われており、民間で神宮の古材を下賜された唯一の事例です。現在の建物は1989(平成元)年に往時の面影を残して復元改装されたものです。<br />店先の看板も昔ながらで、内部の復元も帳場や竈、水屋箪笥、梁の上に寝そべる猫と鼠の彫像など郷愁を誘うものばかりです。その意味では「おはらい町」修景の方向性を示す建築物のひとつと言っても過言ではありません。

    おはらい町 すし久
    おはらい町通りの中ほどにあり、ひときわ大きく存在感のある佇まいを魅せます。この建物の吹き抜けの梁は1869(明治2)年の宇治橋遷宮時の古欅材が使われており、民間で神宮の古材を下賜された唯一の事例です。現在の建物は1989(平成元)年に往時の面影を残して復元改装されたものです。
    店先の看板も昔ながらで、内部の復元も帳場や竈、水屋箪笥、梁の上に寝そべる猫と鼠の彫像など郷愁を誘うものばかりです。その意味では「おはらい町」修景の方向性を示す建築物のひとつと言っても過言ではありません。

  • おはらい町 すし久<br />創業は天保年間と伝わり、初代 森田久造が寿司屋を開業したのが始まりです。その後、料理旅館として明治~昭和時代初期にかけて繁栄を極め、勅使の宿も兼ねていました。太平洋戦争後はGHQの接待場ともなり、神宮を視察したウィリアム・K・バンス宗教課長一行が接待を受けています。その後は一時休業しましたが、1989年に伊勢志摩の田舎料理店として蘇りました。<br />1889(明治22)年に発行された『伊勢参宮道中独案内』には「旅館業」の項に「宇治 鮓屋久蔵」とあります。また、『伊勢道中細見記』には「すし久は、有名なる仕度所なり。料理飲食宿泊の業を兼ねて営むところにして…」とあります。

    おはらい町 すし久
    創業は天保年間と伝わり、初代 森田久造が寿司屋を開業したのが始まりです。その後、料理旅館として明治~昭和時代初期にかけて繁栄を極め、勅使の宿も兼ねていました。太平洋戦争後はGHQの接待場ともなり、神宮を視察したウィリアム・K・バンス宗教課長一行が接待を受けています。その後は一時休業しましたが、1989年に伊勢志摩の田舎料理店として蘇りました。
    1889(明治22)年に発行された『伊勢参宮道中独案内』には「旅館業」の項に「宇治 鮓屋久蔵」とあります。また、『伊勢道中細見記』には「すし久は、有名なる仕度所なり。料理飲食宿泊の業を兼ねて営むところにして…」とあります。

  • おはらい町 すし久<br />最も人気がある料理は伊勢志摩の郷土料理のひとつである「てこね寿し」です。<br />昔、鰹漁に出たこの地方の漁師たちが、釣った鰹の身を船上で醤油漬けにし、あらかじめ用意していた酢飯と手で豪快に混ぜて食べたことからこの名が付きました。

    おはらい町 すし久
    最も人気がある料理は伊勢志摩の郷土料理のひとつである「てこね寿し」です。
    昔、鰹漁に出たこの地方の漁師たちが、釣った鰹の身を船上で醤油漬けにし、あらかじめ用意していた酢飯と手で豪快に混ぜて食べたことからこの名が付きました。

  • おはらい町 赤福本店<br />創業が1707(宝永4)年の富士山噴火で宝永山ができた年まで遡ると聞くと、その歴史の長さを感じずにはいられません。初代 浜田治兵衛が五十鈴川川畔に伊勢神宮参拝客をもてなすために開いた餅屋が始まりです。現 本店は台風による五十鈴川の氾濫を機に1877(明治10)年に建てられました。<br />かつての伊勢の町並みを再現した建物の特徴は切妻、妻入りの町家造であり、赤福本店はその特徴をよく伝えています。妻入りにしている理由は、伊勢神宮の正殿と同じ「平入り」では畏れ多いからだそうです。<br />鬼瓦や軒丸瓦には「あか福」とあります。また正面に揚げた大きな看板には、金色で「赤福」と「創業 宝永四年」と書かれています。この金看板は1887(明治20)年に創業180周年を記念して作られました。

    おはらい町 赤福本店
    創業が1707(宝永4)年の富士山噴火で宝永山ができた年まで遡ると聞くと、その歴史の長さを感じずにはいられません。初代 浜田治兵衛が五十鈴川川畔に伊勢神宮参拝客をもてなすために開いた餅屋が始まりです。現 本店は台風による五十鈴川の氾濫を機に1877(明治10)年に建てられました。
    かつての伊勢の町並みを再現した建物の特徴は切妻、妻入りの町家造であり、赤福本店はその特徴をよく伝えています。妻入りにしている理由は、伊勢神宮の正殿と同じ「平入り」では畏れ多いからだそうです。
    鬼瓦や軒丸瓦には「あか福」とあります。また正面に揚げた大きな看板には、金色で「赤福」と「創業 宝永四年」と書かれています。この金看板は1887(明治20)年に創業180周年を記念して作られました。

  • おはらい町 赤福本店<br />五十鈴川に架かる「新橋」からの眺めです。<br /><br />伊勢参りが盛んだった江戸時代、神宮街道沿いには旅人の疲れを癒すための茶店が幾つも立ち並び餅でもてなしたことから、「餅街道」と呼ばれたと伝えます。「餅」の語源については、『和名類聚抄 』では「毛知比( もちひ)」としています。「毛知比」は持ち歩くことのできる飯、つまり持飯(もちいひ)が詰まったものであり、やがて「もち」 に転化しました。赤福餅は、その餅の上にこし餡を載せた餅菓子です。独特な形は伊勢神宮神域を流れる五十鈴川のせせらぎを象っており、餡に付けられた三筋の文様は清流を、白い餅は川底の小石を表しています。<br />「赤福」の名の由来は、創業の頃、京都から伊勢参詣に来た茶の宇匠が残した「赤心慶福(せきしんけいふく:赤子のような偽りのない真心を持って自分や他人の幸せを喜ぶ)」の言葉が参詣者の心を表すとされたことに因むとされます。<br />一方、『神都名勝誌 巻4』(明治28年)には「 餡を入れた餅を大福と呼ぶのに対し、赤色の餡を付けた餅故に赤福と呼ぶようになった」とあります。

    おはらい町 赤福本店
    五十鈴川に架かる「新橋」からの眺めです。

    伊勢参りが盛んだった江戸時代、神宮街道沿いには旅人の疲れを癒すための茶店が幾つも立ち並び餅でもてなしたことから、「餅街道」と呼ばれたと伝えます。「餅」の語源については、『和名類聚抄 』では「毛知比( もちひ)」としています。「毛知比」は持ち歩くことのできる飯、つまり持飯(もちいひ)が詰まったものであり、やがて「もち」 に転化しました。赤福餅は、その餅の上にこし餡を載せた餅菓子です。独特な形は伊勢神宮神域を流れる五十鈴川のせせらぎを象っており、餡に付けられた三筋の文様は清流を、白い餅は川底の小石を表しています。
    「赤福」の名の由来は、創業の頃、京都から伊勢参詣に来た茶の宇匠が残した「赤心慶福(せきしんけいふく:赤子のような偽りのない真心を持って自分や他人の幸せを喜ぶ)」の言葉が参詣者の心を表すとされたことに因むとされます。
    一方、『神都名勝誌 巻4』(明治28年)には「 餡を入れた餅を大福と呼ぶのに対し、赤色の餡を付けた餅故に赤福と呼ぶようになった」とあります。

  • おはらい町 赤福本店<br />店頭で目立つのが朱塗りの竈です。独特の形をした竈は三宝荒神と言い、かつて伊勢参宮の折に足の弱い婦人らに愛用された、馬の背の左右に格子枠を付けて3人乗りできるようにした馬の鞍「三宝荒神」を造形化したものです。<br />三宝荒神には別の意味もあり、三宝を守る火の神を「三宝荒神」と言い、竈の神様として祀られています。因みに本店で給仕される番茶は、この竈で沸かしたお湯を使っています。その番茶は、三重県産の伊勢茶です。無農薬栽培した茶葉を、赤福餅に合う様にスペシャルブレンドしたものを本店で焙じ、全ての茶屋に配給しています。伊勢茶とは三重県で生産されるお茶の総称です。三重県のお茶の栽培面積・生産量・生産額は静岡県・鹿児島県に次ぐ第3位です。尚、伊勢茶は「煎茶」「かぶせ茶」「深蒸し茶」が主流であり、他に「玉露」や「碾茶」も若干生産されています。<br />古文書によると、900年代(延喜年間)の初め頃、飯盛山浄林寺(現 水沢町一乗寺)で茶が栽培されたとの記録があります。また『背書国誌』には「京都高山寺の僧 明恵上人は鎌倉時代の建久2年(1191 年)に栄西禅師が宋から持ち帰った茶実をもらい受け、伊勢の川上に茶樹を分植」と記されていることからも、伊勢茶には古い歴史があることが窺えます。

    おはらい町 赤福本店
    店頭で目立つのが朱塗りの竈です。独特の形をした竈は三宝荒神と言い、かつて伊勢参宮の折に足の弱い婦人らに愛用された、馬の背の左右に格子枠を付けて3人乗りできるようにした馬の鞍「三宝荒神」を造形化したものです。
    三宝荒神には別の意味もあり、三宝を守る火の神を「三宝荒神」と言い、竈の神様として祀られています。因みに本店で給仕される番茶は、この竈で沸かしたお湯を使っています。その番茶は、三重県産の伊勢茶です。無農薬栽培した茶葉を、赤福餅に合う様にスペシャルブレンドしたものを本店で焙じ、全ての茶屋に配給しています。伊勢茶とは三重県で生産されるお茶の総称です。三重県のお茶の栽培面積・生産量・生産額は静岡県・鹿児島県に次ぐ第3位です。尚、伊勢茶は「煎茶」「かぶせ茶」「深蒸し茶」が主流であり、他に「玉露」や「碾茶」も若干生産されています。
    古文書によると、900年代(延喜年間)の初め頃、飯盛山浄林寺(現 水沢町一乗寺)で茶が栽培されたとの記録があります。また『背書国誌』には「京都高山寺の僧 明恵上人は鎌倉時代の建久2年(1191 年)に栄西禅師が宋から持ち帰った茶実をもらい受け、伊勢の川上に茶樹を分植」と記されていることからも、伊勢茶には古い歴史があることが窺えます。

  •  おはらい町 赤福本店<br />創業時の赤福餅の餡は「塩味」だったそうです。それは、伊勢参りは徒歩や馬での長旅であり、疲れ切った旅人にとり塩餡の赤福餅は食事代わりだったからです。今でも赤福餅を箸で食べるのは、食事代わりであった頃の名残だそうです。<br />その後、徳川吉宗のサトウキビ栽培奨励により黒砂糖の餡に変わり(黒餅)、それが約200年続きました。この時代の俗謡 に「伊勢を流れるのが五十鈴川、赤福包むのは竹の皮、女郎の誠は嘘の皮」とあり、黒餅を竹の皮に包んでいたようです。現在の味になったのは1911(明治44)年に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)からご用命を賜わったことに始まります。従来の黒砂糖餡では少し甘味が強いと案じ、往時は稀少だった極上白砂糖を用いた餡で献上したところ好評だったことから、「ほまれの赤福」と名付け、竹皮から箱入りに替えて一般販売に至ったそうです。

    おはらい町 赤福本店
    創業時の赤福餅の餡は「塩味」だったそうです。それは、伊勢参りは徒歩や馬での長旅であり、疲れ切った旅人にとり塩餡の赤福餅は食事代わりだったからです。今でも赤福餅を箸で食べるのは、食事代わりであった頃の名残だそうです。
    その後、徳川吉宗のサトウキビ栽培奨励により黒砂糖の餡に変わり(黒餅)、それが約200年続きました。この時代の俗謡 に「伊勢を流れるのが五十鈴川、赤福包むのは竹の皮、女郎の誠は嘘の皮」とあり、黒餅を竹の皮に包んでいたようです。現在の味になったのは1911(明治44)年に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)からご用命を賜わったことに始まります。従来の黒砂糖餡では少し甘味が強いと案じ、往時は稀少だった極上白砂糖を用いた餡で献上したところ好評だったことから、「ほまれの赤福」と名付け、竹皮から箱入りに替えて一般販売に至ったそうです。

  • おはらい町 赤福本店 山口誓子句碑<br />「巣燕も 覚めゐて四時に 竈焚く」<br />誓子が伊勢の赤福本舗を訪れた際に詠んだ句です。女将は、毎朝5時の開店に備えて4時に竈の火を焚いて皆の出勤を待ちました。その時には土間の梁に巣を作っている燕も目覚めていることだろう、と上に立つ者の心意気を詠んでいます。<br />誓子が赤福を詠んだ別の句もあります。<br />「この家に 福あり燕 巣をつくる」<br />毎年、春になると赤福本店の軒先に燕がやってきます。昔から燕が巣をつくる家は、商いが繁盛し縁起が良いと言われています。その様子を詠んでいます。

    おはらい町 赤福本店 山口誓子句碑
    「巣燕も 覚めゐて四時に 竈焚く」
    誓子が伊勢の赤福本舗を訪れた際に詠んだ句です。女将は、毎朝5時の開店に備えて4時に竈の火を焚いて皆の出勤を待ちました。その時には土間の梁に巣を作っている燕も目覚めていることだろう、と上に立つ者の心意気を詠んでいます。
    誓子が赤福を詠んだ別の句もあります。
    「この家に 福あり燕 巣をつくる」
    毎年、春になると赤福本店の軒先に燕がやってきます。昔から燕が巣をつくる家は、商いが繁盛し縁起が良いと言われています。その様子を詠んでいます。

  • おはらい町 赤福本店 山口誓子句碑<br />「到来の 赤福餅や 伊勢の春」正岡子規<br />1900(明治33)年の春、病に臥しがちだった子規を気遣って弟子が「赤福餅」を手土産に見舞いに来たそうです。それを見た子規は、かつて元気だった頃に伊勢に参宮したのも春であったこと、その際に立ち寄った「赤福」を懐かしみ、伊勢の春を偲びつつこの句を詠んだと伝えます。<br />子規がこの句を詠んだ折、同席していた河東碧梧桐が次のように続けています。<br />「伊勢の春 赤福餅の 店一つ」<br />「春永く 赤福餅の 栄うらん」<br />また、その場に居合わした子規の高弟 高浜虚子も1934(昭和9)年に「赤福」に立ち寄り、子規が「到来の~」の句を詠んだのを懐かしみ、ありし日を偲び次のように詠みました。<br />「旅は春 赤福餅の 店に立つ」

    おはらい町 赤福本店 山口誓子句碑
    「到来の 赤福餅や 伊勢の春」正岡子規
    1900(明治33)年の春、病に臥しがちだった子規を気遣って弟子が「赤福餅」を手土産に見舞いに来たそうです。それを見た子規は、かつて元気だった頃に伊勢に参宮したのも春であったこと、その際に立ち寄った「赤福」を懐かしみ、伊勢の春を偲びつつこの句を詠んだと伝えます。
    子規がこの句を詠んだ折、同席していた河東碧梧桐が次のように続けています。
    「伊勢の春 赤福餅の 店一つ」
    「春永く 赤福餅の 栄うらん」
    また、その場に居合わした子規の高弟 高浜虚子も1934(昭和9)年に「赤福」に立ち寄り、子規が「到来の~」の句を詠んだのを懐かしみ、ありし日を偲び次のように詠みました。
    「旅は春 赤福餅の 店に立つ」

  • おはらい町 赤福本店 <br />縁側席は五十鈴川に面し、川向うには伊勢の最高峰 朝熊山(標高555m)が聳え、神様のご用材を養う神路山(標高286m)の緑の山並の借景を飾ります。<br />「神路山 月さやかなる 誓ひありて 天が下をば 照らすなりけり」<br />これは神路山の上から地上を照らす清らかな月光を詠んだ西行の歌です。神の存在をその景色に重ねるように、美しい月明かりに癒され、心の拠り所とした感情が読み取れます。<br />因みに朝熊山の山頂には、弘法大師の開創とされ、伊勢神宮の鬼門を守る金剛証寺があり、信仰の山として栄えました。「あさま」の地名は、火山や温泉に関係するとの説がありますが、富士の浅間信仰などとの結び付きも考えられるそうです。地元では「岳(たけ)」と呼び、死者の魂が岳に宿るとし、鎮魂のための「岳参り」が盛んだったそうです。芭蕉は「此山の かなしき告よ 野老掘」、支考は「ほととぎす 啼ぬ夜白し 朝熊山」と詠んでいます。

    おはらい町 赤福本店
    縁側席は五十鈴川に面し、川向うには伊勢の最高峰 朝熊山(標高555m)が聳え、神様のご用材を養う神路山(標高286m)の緑の山並の借景を飾ります。
    「神路山 月さやかなる 誓ひありて 天が下をば 照らすなりけり」
    これは神路山の上から地上を照らす清らかな月光を詠んだ西行の歌です。神の存在をその景色に重ねるように、美しい月明かりに癒され、心の拠り所とした感情が読み取れます。
    因みに朝熊山の山頂には、弘法大師の開創とされ、伊勢神宮の鬼門を守る金剛証寺があり、信仰の山として栄えました。「あさま」の地名は、火山や温泉に関係するとの説がありますが、富士の浅間信仰などとの結び付きも考えられるそうです。地元では「岳(たけ)」と呼び、死者の魂が岳に宿るとし、鎮魂のための「岳参り」が盛んだったそうです。芭蕉は「此山の かなしき告よ 野老掘」、支考は「ほととぎす 啼ぬ夜白し 朝熊山」と詠んでいます。

  • おはらい町 魚春<br />内宮の鳥居前町おはらい町にて1931(昭和6)年に「魚春」の屋号で魚商を創業したのが始まりです。<br />現在は昔ながらの製法で丁寧に織られる伊勢木綿も取り扱われています。<br />かつて温暖な気候に恵まれたこの地は、良質の木綿の一大産地でした。撚りが弱く切れやすい糸を、澱粉糊で固め、慎重にゆっくり織り上げていく伊勢木綿は、ひとつの布として織り上げるとしっとりと強くなりますが、1本1本の糸が繊細なため、着れば着るほどしなやかで柔らかい風合いが出るのが特徴です。<br />伊勢木綿は、シワになりにくく、保温性や通気性にも優れているため、日常着として江戸を中心に全国に知れ渡るようになり、伊勢商人の経済的基盤をつくりました。しかし、戦後の生活様式の変化や化学繊維の普及により機屋(はたや)は減少し、今では津市一身田の臼井織布株式会社一軒となりました。

    おはらい町 魚春
    内宮の鳥居前町おはらい町にて1931(昭和6)年に「魚春」の屋号で魚商を創業したのが始まりです。
    現在は昔ながらの製法で丁寧に織られる伊勢木綿も取り扱われています。
    かつて温暖な気候に恵まれたこの地は、良質の木綿の一大産地でした。撚りが弱く切れやすい糸を、澱粉糊で固め、慎重にゆっくり織り上げていく伊勢木綿は、ひとつの布として織り上げるとしっとりと強くなりますが、1本1本の糸が繊細なため、着れば着るほどしなやかで柔らかい風合いが出るのが特徴です。
    伊勢木綿は、シワになりにくく、保温性や通気性にも優れているため、日常着として江戸を中心に全国に知れ渡るようになり、伊勢商人の経済的基盤をつくりました。しかし、戦後の生活様式の変化や化学繊維の普及により機屋(はたや)は減少し、今では津市一身田の臼井織布株式会社一軒となりました。

  • おはらい町 魚春 さめのたれ<br />「さめのたれ」とは「たれ塩した鮫の干物」です。語源は定かではありませんが、一説には「たれ」は「吊るして垂らして干したことから」や「干している時の垂れ下がった姿」が由来とされます。<br />鮫は古名を「鰐(わに)」とも言い、『古事記』などの神話にも登場し、神代の時代から日本人にとって身近な存在でした。「さめのたれ」には、古代そのままの「塩干し」と大正時代からの「味醂干し」とがあり、日常的な伊勢地方の郷土食でした。<br />ただし全国的には鮫を食べるのは珍しく、鮫の干物が伊勢神宮に神饌として供えられることから、この地方に広まったと伝えます。神宮では今日でも神饌として供えられるだけでなく、古くには朝廷への貢納物として皇室や斎王の御膳にも給じられた御料でした。

    おはらい町 魚春 さめのたれ
    「さめのたれ」とは「たれ塩した鮫の干物」です。語源は定かではありませんが、一説には「たれ」は「吊るして垂らして干したことから」や「干している時の垂れ下がった姿」が由来とされます。
    鮫は古名を「鰐(わに)」とも言い、『古事記』などの神話にも登場し、神代の時代から日本人にとって身近な存在でした。「さめのたれ」には、古代そのままの「塩干し」と大正時代からの「味醂干し」とがあり、日常的な伊勢地方の郷土食でした。
    ただし全国的には鮫を食べるのは珍しく、鮫の干物が伊勢神宮に神饌として供えられることから、この地方に広まったと伝えます。神宮では今日でも神饌として供えられるだけでなく、古くには朝廷への貢納物として皇室や斎王の御膳にも給じられた御料でした。

  • おかげ横丁 太鼓櫓<br />「おはらい町」の中央から脇道へ折れる形で1993年に開丁した街並みが「おかげ横丁」です。おはらい町が徐々に活気を失っていくのを危惧した(株)赤福が、伊勢路の伝統的な街並みを再現しました。名の由来は「お伊勢さんのおかげ」という感謝の気持ちに因むそうです。<br />時代設定を赤福本店が建てられた明治10年前後として江戸~明治時代の伊勢路の伝統的な建物を移築・再現した、風情を湛えた町並みも魅力のひとつです。昔の雰囲気を大切にした土産物店は切妻造や入母屋造ですが、入口は平入りではなく全て妻入りです。<br />おかげ横丁の中心に聳えるのが太鼓櫓です。一見、 相撲の土俵の上に櫓を組んだような雰囲気です。土日と祝日にはこの下で「神恩太鼓」の演奏が催されます。「神恩感謝」の言葉を太鼓の音で表現するものです。<br />ただし平日は、このようにベンチが置かれて休憩場所になっています。

    おかげ横丁 太鼓櫓
    「おはらい町」の中央から脇道へ折れる形で1993年に開丁した街並みが「おかげ横丁」です。おはらい町が徐々に活気を失っていくのを危惧した(株)赤福が、伊勢路の伝統的な街並みを再現しました。名の由来は「お伊勢さんのおかげ」という感謝の気持ちに因むそうです。
    時代設定を赤福本店が建てられた明治10年前後として江戸~明治時代の伊勢路の伝統的な建物を移築・再現した、風情を湛えた町並みも魅力のひとつです。昔の雰囲気を大切にした土産物店は切妻造や入母屋造ですが、入口は平入りではなく全て妻入りです。
    おかげ横丁の中心に聳えるのが太鼓櫓です。一見、 相撲の土俵の上に櫓を組んだような雰囲気です。土日と祝日にはこの下で「神恩太鼓」の演奏が催されます。「神恩感謝」の言葉を太鼓の音で表現するものです。
    ただし平日は、このようにベンチが置かれて休憩場所になっています。

  • おかげ横丁 太鼓櫓<br />太鼓櫓の天辺で羽を広げて雄たけびをあげているのは「鳳凰」です。<br />鳩にも見えますが、羽の大きさから「鳳凰」と判ります。<br />

    おかげ横丁 太鼓櫓
    太鼓櫓の天辺で羽を広げて雄たけびをあげているのは「鳳凰」です。
    鳩にも見えますが、羽の大きさから「鳳凰」と判ります。

  • おかげ横丁 ふくすけ<br />伊勢市民のソウルフードと言えば「伊勢うどん」です。伊勢では離乳食が伊勢うどんと言われるほどです。たまり醤油と鰹節をベースに昆布や椎茸などの天然出汁の旨味が効いた濃厚な自家製つゆを太い緬に絡めて食します。通常の3倍ほどある太麺はもっちりした食感ですが、柔らかくなるまで時間をかけて茹でるのが特徴です。<br />「ふくすけ」は、江戸時代に人気だった伊勢街道沿いのうどん屋「豆腐六(どぶろく)」をロールモデルとし、「食べると福がある」と言われたことに因んだ店名です。豆腐六は中里介山の長編小説『大菩薩峠』にも登場します。「豆腐六のうどんは雪のやうに白くて玉のやうに太い、それに墨のやうに黒い醤油を十滴ほどかけて食ふ。『このうどんを生きているうちに食わなければ、死んで閻魔に叱られる』と、土地の人に斯う云い噺されている名物」とあり、好きな人は5~6杯もたいらげたと言います。

    おかげ横丁 ふくすけ
    伊勢市民のソウルフードと言えば「伊勢うどん」です。伊勢では離乳食が伊勢うどんと言われるほどです。たまり醤油と鰹節をベースに昆布や椎茸などの天然出汁の旨味が効いた濃厚な自家製つゆを太い緬に絡めて食します。通常の3倍ほどある太麺はもっちりした食感ですが、柔らかくなるまで時間をかけて茹でるのが特徴です。
    「ふくすけ」は、江戸時代に人気だった伊勢街道沿いのうどん屋「豆腐六(どぶろく)」をロールモデルとし、「食べると福がある」と言われたことに因んだ店名です。豆腐六は中里介山の長編小説『大菩薩峠』にも登場します。「豆腐六のうどんは雪のやうに白くて玉のやうに太い、それに墨のやうに黒い醤油を十滴ほどかけて食ふ。『このうどんを生きているうちに食わなければ、死んで閻魔に叱られる』と、土地の人に斯う云い噺されている名物」とあり、好きな人は5~6杯もたいらげたと言います。

  • おかげ横丁 ふくすけ<br />店内には福助の置物がある他、鬼瓦にも徳力富吉郎がデザインした福助があしらわれています。<br />ここは自家製手打ち伊勢うどんが名物です。 三重県産の小麦に拘り、職人が粉から手打ちした麺を使っています。<br />「伊勢うどん」の歴史は江戸時代以前に遡り、米作の少なかった伊勢の農民たちが自作の小麦を粉に曳いてうどんを打ち、地味噌の上澄み液である「みそたまり」を少しかけて食していたのが始まりです。こうした土着の味を約360年前に浦田町橋本屋7代目 小倉小兵さんがうどん屋を開業して広めたと伝えます。<br />麺の柔らかな食感にも意味があり、直ちに参拝客に提供できるように常に茹で続け、必要量を釜揚げすることで茹で時間に気を遣わなくてよい「コシのない」うどんが適していたとの説があります。また、神宮へ長旅をしてきた客に対する気遣いから、消化の良い柔らかい麺にしたとの説もあります。これが「伊勢のおもてなし」です。<br />余談ですが、1917(大正)6年創業の宇治山田駅近くにある「ちとせ」は「伊勢うどん」命名のきっかけになったお店です。1970年代の初めの頃、公演に来ていた永六輔氏が「ちとせ」で食べたうどんに惚れ込み、それをラジオ番組や書籍で「伊勢うどん」と紹介しました。それを受けて1972(昭和47)年に伊勢市麺類飲食業組合が名称を「伊勢うどん」に統一しました。それまでは「うどん」や「素うどん」、「並うどん」と呼ばれていたそうです。

    おかげ横丁 ふくすけ
    店内には福助の置物がある他、鬼瓦にも徳力富吉郎がデザインした福助があしらわれています。
    ここは自家製手打ち伊勢うどんが名物です。 三重県産の小麦に拘り、職人が粉から手打ちした麺を使っています。
    「伊勢うどん」の歴史は江戸時代以前に遡り、米作の少なかった伊勢の農民たちが自作の小麦を粉に曳いてうどんを打ち、地味噌の上澄み液である「みそたまり」を少しかけて食していたのが始まりです。こうした土着の味を約360年前に浦田町橋本屋7代目 小倉小兵さんがうどん屋を開業して広めたと伝えます。
    麺の柔らかな食感にも意味があり、直ちに参拝客に提供できるように常に茹で続け、必要量を釜揚げすることで茹で時間に気を遣わなくてよい「コシのない」うどんが適していたとの説があります。また、神宮へ長旅をしてきた客に対する気遣いから、消化の良い柔らかい麺にしたとの説もあります。これが「伊勢のおもてなし」です。
    余談ですが、1917(大正)6年創業の宇治山田駅近くにある「ちとせ」は「伊勢うどん」命名のきっかけになったお店です。1970年代の初めの頃、公演に来ていた永六輔氏が「ちとせ」で食べたうどんに惚れ込み、それをラジオ番組や書籍で「伊勢うどん」と紹介しました。それを受けて1972(昭和47)年に伊勢市麺類飲食業組合が名称を「伊勢うどん」に統一しました。それまでは「うどん」や「素うどん」、「並うどん」と呼ばれていたそうです。

  • おかげ横丁 味匠館<br />おかげ横丁の中心部にあり、全国の美味しいものが一堂に揃う土産物店です。<br />干物をはじめ、お菓子や麺類、調味料など種類も豊富です。<br />ここのビューポイントは屋根です。<br />

    おかげ横丁 味匠館
    おかげ横丁の中心部にあり、全国の美味しいものが一堂に揃う土産物店です。
    干物をはじめ、お菓子や麺類、調味料など種類も豊富です。
    ここのビューポイントは屋根です。

  • おかげ横丁 味匠館<br />軒の上には「伊勢瓦」と呼ばれる伊勢特有の瓦が用いられており、そこには猿が3匹佇んでいます。しかしよく見ると、日光東照宮の3猿を模した「見ざる、言わざる、聞かざる」の姿とは異なります。望遠鏡を覗き込む猿、耳に手を当てて聞き耳を立てている猿、それをじっと見ている猿、いわば「見る猿、言う猿、聞く猿」です。

    おかげ横丁 味匠館
    軒の上には「伊勢瓦」と呼ばれる伊勢特有の瓦が用いられており、そこには猿が3匹佇んでいます。しかしよく見ると、日光東照宮の3猿を模した「見ざる、言わざる、聞かざる」の姿とは異なります。望遠鏡を覗き込む猿、耳に手を当てて聞き耳を立てている猿、それをじっと見ている猿、いわば「見る猿、言う猿、聞く猿」です。

  • おかげ横丁 味匠館<br />軒丸瓦に書かれている文字は「これが別れの盃と思えば 涙が先に立つ 」という、道中伊勢音頭『別れの唄』の一節 です。<br />江戸時代は外宮から内宮へ向かうには「古市街道」を通りました。そこは尾根伝いの道で「間の山(あいのやま)」とも呼ばれ、江戸時代の5大歓楽街のひとつであると共に、古市歌舞伎や伊勢音頭など文化の発信拠点でもありました。おはらい町はその雰囲気を湛えているようですが、往時の参拝者が外宮参拝後にそこで散財してしまい、内宮では奉納を控えざるを得なかったとの事情がよく呑み込めました。

    おかげ横丁 味匠館
    軒丸瓦に書かれている文字は「これが別れの盃と思えば 涙が先に立つ 」という、道中伊勢音頭『別れの唄』の一節 です。
    江戸時代は外宮から内宮へ向かうには「古市街道」を通りました。そこは尾根伝いの道で「間の山(あいのやま)」とも呼ばれ、江戸時代の5大歓楽街のひとつであると共に、古市歌舞伎や伊勢音頭など文化の発信拠点でもありました。おはらい町はその雰囲気を湛えているようですが、往時の参拝者が外宮参拝後にそこで散財してしまい、内宮では奉納を控えざるを得なかったとの事情がよく呑み込めました。

  • おかげ横丁 山口誓子記念館・徳力富吉郎版画館<br />1902(明治35)年に京都で西本願寺絵所を務める家系の12代目として生まれた富吉郎は、日本画や版画に頭角を顕し、やがて華麗な多色刷りの木版画を完成させてその第一人者となりました。<br />伊勢をこよなく愛した版画家で、伊勢志摩を中心とした三重県内の四季折々の行事や風景、神宮の祭事などを描いた「伊勢連作」の縁で伊勢の地に版画館を設けたようです。赤福餅の中に日替わりで入っている栞「伊勢だより」は、この版画が元になっています。富吉郎は、版画を作る時、必ず現地に赴きスケッチをしました。伊勢での滞在中に差し入れられた赤福餅が縁となり、十数年に亘る版画「伊勢だより」の制作が始まったそうです。

    おかげ横丁 山口誓子記念館・徳力富吉郎版画館
    1902(明治35)年に京都で西本願寺絵所を務める家系の12代目として生まれた富吉郎は、日本画や版画に頭角を顕し、やがて華麗な多色刷りの木版画を完成させてその第一人者となりました。
    伊勢をこよなく愛した版画家で、伊勢志摩を中心とした三重県内の四季折々の行事や風景、神宮の祭事などを描いた「伊勢連作」の縁で伊勢の地に版画館を設けたようです。赤福餅の中に日替わりで入っている栞「伊勢だより」は、この版画が元になっています。富吉郎は、版画を作る時、必ず現地に赴きスケッチをしました。伊勢での滞在中に差し入れられた赤福餅が縁となり、十数年に亘る版画「伊勢だより」の制作が始まったそうです。

  • おかげ横丁 山口誓子記念館・徳力富吉郎版画館<br />鬼瓦は「扇子に徳」です。<br />おかげ横丁の初期の頃の建物には富吉郎がデザインした鬼瓦と軒先瓦がふんだんに使われています。<br />

    おかげ横丁 山口誓子記念館・徳力富吉郎版画館
    鬼瓦は「扇子に徳」です。
    おかげ横丁の初期の頃の建物には富吉郎がデザインした鬼瓦と軒先瓦がふんだんに使われています。

  • おかげ横丁 山口誓子記念館・徳力富吉郎版画館<br />軒には可愛らしい「リス」も数匹います。<br />また丸軒瓦には、十返舎一九の東海道中膝栗毛にも登場した伊勢音頭「お伊勢七たび熊野へ三たび あたごさまへは月まいり」とあります。

    おかげ横丁 山口誓子記念館・徳力富吉郎版画館
    軒には可愛らしい「リス」も数匹います。
    また丸軒瓦には、十返舎一九の東海道中膝栗毛にも登場した伊勢音頭「お伊勢七たび熊野へ三たび あたごさまへは月まいり」とあります。

  • おかげ座 神話の館<br />おかげ横丁の入口に鎮座していた名物石像「巨大招き猫」は、「吉兆 招福亭」と「孫の屋三太」の店舗の間でお散歩中でした。右手を挙げている猫は「金運」を招き、左手を挙げている猫は「人(客)」を招くとされる縁起物です。<br />正面にある「神話の館」は、天照大神が登場する日本神話の「国生み」から「天孫降臨」までのあらましを判り易い映像と展示物で学ぶことができる施設です。<br />生憎、改修のため休館中でした。

    おかげ座 神話の館
    おかげ横丁の入口に鎮座していた名物石像「巨大招き猫」は、「吉兆 招福亭」と「孫の屋三太」の店舗の間でお散歩中でした。右手を挙げている猫は「金運」を招き、左手を挙げている猫は「人(客)」を招くとされる縁起物です。
    正面にある「神話の館」は、天照大神が登場する日本神話の「国生み」から「天孫降臨」までのあらましを判り易い映像と展示物で学ぶことができる施設です。
    生憎、改修のため休館中でした。

  • おかげ座 神話の館<br />鬼瓦には「三弁火焔宝珠」、妻の懸魚には「鶴」をあしらった豪華な造りです。<br />三弁火焔宝珠は如意宝珠を表現するひとつの手段です。平安時代には神道の影響を受け、稲を持った豊穣の女神 宇迦之御魂神(うかのみたま=伏見稲荷大社の主祭神)が、富裕の神として如意宝珠を持った姿で描かれています。伊勢神宮では、古くから御倉神(みくらのかみ)として祀られていたことに因むものと窺えます。<br />一方、鶴と神宮の関係については、鎌倉時代の編纂『倭姫命世記』に記されたエピソードに因むものと窺えます。倭姫命が内宮を定めた翌年、真鶴が大声で鳴くので大幡主命らを派遣して調べると、志摩国の伊雑の葦原の中に根元は1本で千本の穂が実った稲があり、白い真鶴がそれを咥えて飛んでいた。それを伊佐波登美神に抜かせ、神宮の御前に懸けさせ、伊雑には摂宮(伊雑宮)を設けたとあります。またその翌年の秋、真鶴が内宮で日夜鳴くので倭姫命が調べさせると、「佐佐牟江宮の前の葦原」に根元が1本で8百本の穂がある稲を咥えて鳴いており、吉祥として天照大御神の御前に懸けさせ、真鶴のいた所に八握穂社を造らせたというものです。<br />恐らく「神話の館」の中にこれらの種明かしがなされているのではないでしょうか?

    おかげ座 神話の館
    鬼瓦には「三弁火焔宝珠」、妻の懸魚には「鶴」をあしらった豪華な造りです。
    三弁火焔宝珠は如意宝珠を表現するひとつの手段です。平安時代には神道の影響を受け、稲を持った豊穣の女神 宇迦之御魂神(うかのみたま=伏見稲荷大社の主祭神)が、富裕の神として如意宝珠を持った姿で描かれています。伊勢神宮では、古くから御倉神(みくらのかみ)として祀られていたことに因むものと窺えます。
    一方、鶴と神宮の関係については、鎌倉時代の編纂『倭姫命世記』に記されたエピソードに因むものと窺えます。倭姫命が内宮を定めた翌年、真鶴が大声で鳴くので大幡主命らを派遣して調べると、志摩国の伊雑の葦原の中に根元は1本で千本の穂が実った稲があり、白い真鶴がそれを咥えて飛んでいた。それを伊佐波登美神に抜かせ、神宮の御前に懸けさせ、伊雑には摂宮(伊雑宮)を設けたとあります。またその翌年の秋、真鶴が内宮で日夜鳴くので倭姫命が調べさせると、「佐佐牟江宮の前の葦原」に根元が1本で8百本の穂がある稲を咥えて鳴いており、吉祥として天照大御神の御前に懸けさせ、真鶴のいた所に八握穂社を造らせたというものです。
    恐らく「神話の館」の中にこれらの種明かしがなされているのではないでしょうか?

  • おかげ座 神話の館<br />造形作家 もりわじん氏が制作された、「大眠りじいさん」と命名されている老猫です。「お腹いっぱいだから一休み 起こさないで」とあります。<br />招き猫の店「吉兆 招福亭」からお昼寝しに抜け出してきたのでしょうか?<br />もりわじん氏は創作招き猫のトップアーティストです。猫をモチーフに平面・立体を問わずあらゆる手法でアート制作を手掛けられています。「猫神様」「大頭猫命」「渾沌神」「猫王」など、猫を神仏の領域まで高めた他に類を見ない大作を発表する一方、「大ねむり」「うき猫」「猫のおばん」「あたまが温泉」など観る人を和ませる軽妙洒脱な作品も数多く、型に嵌らない多面的な魅力を放つアーティストです。

    おかげ座 神話の館
    造形作家 もりわじん氏が制作された、「大眠りじいさん」と命名されている老猫です。「お腹いっぱいだから一休み 起こさないで」とあります。
    招き猫の店「吉兆 招福亭」からお昼寝しに抜け出してきたのでしょうか?
    もりわじん氏は創作招き猫のトップアーティストです。猫をモチーフに平面・立体を問わずあらゆる手法でアート制作を手掛けられています。「猫神様」「大頭猫命」「渾沌神」「猫王」など、猫を神仏の領域まで高めた他に類を見ない大作を発表する一方、「大ねむり」「うき猫」「猫のおばん」「あたまが温泉」など観る人を和ませる軽妙洒脱な作品も数多く、型に嵌らない多面的な魅力を放つアーティストです。

  • おかげ横丁 煙草屋「つぼや」<br />江戸後期から明治にかけて、現在の斎宮(宮川手前辺り)にあった煙草屋の屋号を受け継ぐ「煙草屋」です。つぼやオリジナルの「蝉丸マッチ 」はレトロ感たっぷりのお土産です。建屋の左端にある「季節屋台」では懐かしい「射的」ができます。<br />

    おかげ横丁 煙草屋「つぼや」
    江戸後期から明治にかけて、現在の斎宮(宮川手前辺り)にあった煙草屋の屋号を受け継ぐ「煙草屋」です。つぼやオリジナルの「蝉丸マッチ 」はレトロ感たっぷりのお土産です。建屋の左端にある「季節屋台」では懐かしい「射的」ができます。

  • おかげ横丁 煙草屋「つぼや」<br />唐破風の下には宝くじ売り場があります。<br />この建物は築百年超の老舗旅館「五鈴館」の屋根瓦を使用していることも相俟って、巷の宝くじ売り場とは趣を異にします。ここは年末ジャンボ宝くじの2等1億円が当たったことで注目されるようになったそうです。

    おかげ横丁 煙草屋「つぼや」
    唐破風の下には宝くじ売り場があります。
    この建物は築百年超の老舗旅館「五鈴館」の屋根瓦を使用していることも相俟って、巷の宝くじ売り場とは趣を異にします。ここは年末ジャンボ宝くじの2等1億円が当たったことで注目されるようになったそうです。

  • おかげ横丁 煙草屋「つぼや」<br />店頭に鎮座する「福カエル」の頭の上に宝くじを載せて拝むとご利益があるそうです。

    おかげ横丁 煙草屋「つぼや」
    店頭に鎮座する「福カエル」の頭の上に宝くじを載せて拝むとご利益があるそうです。

  • おかげ横丁 煙草屋「つぼや」<br />唐破風にある虹梁の下には木彫りの「眠り白猫」がいます。<br />こちらも「福」を呼び寄せる招き猫として崇敬されています。

    おかげ横丁 煙草屋「つぼや」
    唐破風にある虹梁の下には木彫りの「眠り白猫」がいます。
    こちらも「福」を呼び寄せる招き猫として崇敬されています。

  • おかげ横丁 煙草屋「つぼや」<br />日向ぼっこをしている猫たちです。<br />左は「キセル男」、右はそのお世話をする「お三毛さん」という設定です。

    おかげ横丁 煙草屋「つぼや」
    日向ぼっこをしている猫たちです。
    左は「キセル男」、右はそのお世話をする「お三毛さん」という設定です。

  • おかげ横丁 吉兆 招福亭<br />大きな招き猫が出迎えてくれるこの店は、「吉兆 招福亭」と言う縁起のいい名の土産物屋です。<br />店内は造形作家 もりわじん氏の作品をはじめ、招き猫が1000種類以上も所狭しと並んでいます(撮影禁止)。縁起物とはいえ、夥しい数の目線を浴びると恐怖心さえ抱きます。<br />よく観ると「招福亭」の赤い看板の右上には「ネズミ」が1匹います。

    おかげ横丁 吉兆 招福亭
    大きな招き猫が出迎えてくれるこの店は、「吉兆 招福亭」と言う縁起のいい名の土産物屋です。
    店内は造形作家 もりわじん氏の作品をはじめ、招き猫が1000種類以上も所狭しと並んでいます(撮影禁止)。縁起物とはいえ、夥しい数の目線を浴びると恐怖心さえ抱きます。
    よく観ると「招福亭」の赤い看板の右上には「ネズミ」が1匹います。

  • おかげ横丁 吉兆 招福亭<br />飾り瓦にはストーリー性を持たせており、この猫は身を身を屈めて「ネズミ」を待ち構えています。

    おかげ横丁 吉兆 招福亭
    飾り瓦にはストーリー性を持たせており、この猫は身を身を屈めて「ネズミ」を待ち構えています。

  • おかげ横丁 浪曲茶屋<br />店名の通り、浪曲を聴きながら伊勢産具材が入った天然だしの三輪手延べそうめんと地酒が味わえるお店です。<br />「浪曲」とは明治時代初期に生まれて流行した日本芸能のひとつで、三味線を伴奏にして物語を節と啖呵で演じる語り芸です。

    おかげ横丁 浪曲茶屋
    店名の通り、浪曲を聴きながら伊勢産具材が入った天然だしの三輪手延べそうめんと地酒が味わえるお店です。
    「浪曲」とは明治時代初期に生まれて流行した日本芸能のひとつで、三味線を伴奏にして物語を節と啖呵で演じる語り芸です。

  • おかげ横丁 浪曲茶屋<br />店の角に置かれた、踊る招き猫が目印です。<br />こちらも、もりわじん氏が制作された「踊るおじいちゃん」です。<br />因みに、「おばあちゃん猫」は店内に潜んでいます。<br />このおじいちゃん猫は、「神話の館」の前で昼寝を決め込んでいた「大眠りじいさん」と同じ猫です。

    おかげ横丁 浪曲茶屋
    店の角に置かれた、踊る招き猫が目印です。
    こちらも、もりわじん氏が制作された「踊るおじいちゃん」です。
    因みに、「おばあちゃん猫」は店内に潜んでいます。
    このおじいちゃん猫は、「神話の館」の前で昼寝を決め込んでいた「大眠りじいさん」と同じ猫です。

  • おかげ横丁 浪曲茶屋<br />軒瓦には『伊勢音頭』の一節「雨も十日も降ればよい」が並んでいます。<br />

    おかげ横丁 浪曲茶屋
    軒瓦には『伊勢音頭』の一節「雨も十日も降ればよい」が並んでいます。

  • おかげ横丁 浪曲茶屋<br />屋根には鬼瓦ならぬ「猫瓦」が幾つか安置されています。<br />その一部を紹介します。<br />「猫に小判(招福)」や「扇子を手に躍る化け猫」はユニークな作品です。

    おかげ横丁 浪曲茶屋
    屋根には鬼瓦ならぬ「猫瓦」が幾つか安置されています。
    その一部を紹介します。
    「猫に小判(招福)」や「扇子を手に躍る化け猫」はユニークな作品です。

  • とうふや<br />五十鈴川の河畔、大きな銀杏の木の下にある「豆腐とあなご料理」の店です。<br />おはらい町の街道筋から「松谷の世古」という趣のある細い小径に入った突き当り、五十鈴川べりに位置した隠れ家的な雰囲気の店です。まるでおはらい町の喧噪を忘れたかのような静かな場所に佇みます。<br />因みに「松谷の世古」は、祭主職舎の前から五十鈴川へと抜ける美しい白壁沿いの道です。かつてここに住んでいた松谷家の名を冠した小径です。

    とうふや
    五十鈴川の河畔、大きな銀杏の木の下にある「豆腐とあなご料理」の店です。
    おはらい町の街道筋から「松谷の世古」という趣のある細い小径に入った突き当り、五十鈴川べりに位置した隠れ家的な雰囲気の店です。まるでおはらい町の喧噪を忘れたかのような静かな場所に佇みます。
    因みに「松谷の世古」は、祭主職舎の前から五十鈴川へと抜ける美しい白壁沿いの道です。かつてここに住んでいた松谷家の名を冠した小径です。

  • とうふや<br />五十鈴川の河川敷から眺めた姿です。<br />軒丸瓦をよく見ると、「と」「う」「ふ」と書かれています。<br />職人が作る自家製豆腐は、風味豊かな寄せ豆腐、旬の素材を合わせた季節豆腐などで味わえます。豆腐は「豆腐には旅をさせるな」と言われるほど鮮度が命だそうです。他にも国産穴子料理も名物です。また、昔ながらの日本建築の建物と五十鈴川などの自然が織りなす景色は景観賞を受賞しています。<br />次のサイトからWEB予約ができます。尚、「まわりゃんせ」のパスポートを会計の際に提示すれば飲食代の5%が割引になります。<br />https://okageyokocho.com/main/tenpo/tofuya/

    とうふや
    五十鈴川の河川敷から眺めた姿です。
    軒丸瓦をよく見ると、「と」「う」「ふ」と書かれています。
    職人が作る自家製豆腐は、風味豊かな寄せ豆腐、旬の素材を合わせた季節豆腐などで味わえます。豆腐は「豆腐には旅をさせるな」と言われるほど鮮度が命だそうです。他にも国産穴子料理も名物です。また、昔ながらの日本建築の建物と五十鈴川などの自然が織りなす景色は景観賞を受賞しています。
    次のサイトからWEB予約ができます。尚、「まわりゃんせ」のパスポートを会計の際に提示すれば飲食代の5%が割引になります。
    https://okageyokocho.com/main/tenpo/tofuya/

  • とうふや<br />五十鈴川の眺めの良い中2階の半個室風の部屋や濡れ縁のある離れ座敷など、好みに合わせてゆっくりと食事が愉しめます。<br />今回は予約の際に「中2階の窓際席」をオーダーしました。

    とうふや
    五十鈴川の眺めの良い中2階の半個室風の部屋や濡れ縁のある離れ座敷など、好みに合わせてゆっくりと食事が愉しめます。
    今回は予約の際に「中2階の窓際席」をオーダーしました。

  • とうふや<br />中2階の自慢はこの景観にあります。<br />五十鈴川の奥には伊勢の最高峰 朝熊山がそのなだらかな勇姿を横たえています。<br />江戸時代に一世を風靡した「お伊勢参り」ですが、往時のお伊勢参りの定番参拝ルートは、まず二見浦で禊をして身を清め、外宮と内宮を参拝し、最後に朝熊山の山上にある朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)へ参詣するのが習わしでした。金剛證寺は、昔から伊勢神宮の鬼門を守る寺として「伊勢神宮の奥之院」とも呼ばれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭に唄われるほどでした。

    とうふや
    中2階の自慢はこの景観にあります。
    五十鈴川の奥には伊勢の最高峰 朝熊山がそのなだらかな勇姿を横たえています。
    江戸時代に一世を風靡した「お伊勢参り」ですが、往時のお伊勢参りの定番参拝ルートは、まず二見浦で禊をして身を清め、外宮と内宮を参拝し、最後に朝熊山の山上にある朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)へ参詣するのが習わしでした。金剛證寺は、昔から伊勢神宮の鬼門を守る寺として「伊勢神宮の奥之院」とも呼ばれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭に唄われるほどでした。

  • とうふや<br />お膳が運ばれ、「豆乳を最初に飲んで下さい」と言われ飲んでみると、マッタリとして濃厚かつ甘みの中にもコクのある大豆の旨味そのものでした。「がんもどき」は薄口の出汁が良く滲みこんでおり、これも大豆の味がしっかりします。<br />店の代名詞ともなる「寄せ豆腐」は、三重県産の大豆「ふくゆたか」を使い、作りたてで生温かく、口の中で蕩けるような食感の中に風味や香りといった大豆本来の魅力を引き出した絶品です。またボリュームも満点で、そのまま、天然塩、薬味+特製醤油ダレと3通りの味が堪能できます。<br />また、+100円で「白米」から「味付けご飯」に変更できるのは嬉しい サービスです。豆腐は淡白な味ですので、味付けご飯との相性は抜群です。

    とうふや
    お膳が運ばれ、「豆乳を最初に飲んで下さい」と言われ飲んでみると、マッタリとして濃厚かつ甘みの中にもコクのある大豆の旨味そのものでした。「がんもどき」は薄口の出汁が良く滲みこんでおり、これも大豆の味がしっかりします。
    店の代名詞ともなる「寄せ豆腐」は、三重県産の大豆「ふくゆたか」を使い、作りたてで生温かく、口の中で蕩けるような食感の中に風味や香りといった大豆本来の魅力を引き出した絶品です。またボリュームも満点で、そのまま、天然塩、薬味+特製醤油ダレと3通りの味が堪能できます。
    また、+100円で「白米」から「味付けご飯」に変更できるのは嬉しい サービスです。豆腐は淡白な味ですので、味付けご飯との相性は抜群です。

  • とうふや<br />自家製味噌ダレを塗り、炭火でじっくりと焼き上げる「田楽」は、フワフワで甘めの味噌ダレとマッチして美味しかったです。<br />厳選された国産大豆と天然にがりを使い、毎朝職人が作る自家製豆腐は、作りたての濃厚な味わい、大豆の香りや甘みが特徴です。隣接する工房で、その日の気温や湿度による微妙な変化に合わせ、ほとんどの工程を昔ながらの手作業でなされています。作りたての濃厚な味わい、大豆の香りや味、口当たりを堪能できます。<br />もめん豆腐は、令和元年に一般財団法人全国豆腐連合会が主催した第5回全国豆腐品評会 中部・北陸地区大会の木綿豆腐部門にて金賞を受賞しています。<br /><br />この続きは、青嵐薫風 伊勢紀行⑪猿田彦神社・月読宮でお届けします。

    とうふや
    自家製味噌ダレを塗り、炭火でじっくりと焼き上げる「田楽」は、フワフワで甘めの味噌ダレとマッチして美味しかったです。
    厳選された国産大豆と天然にがりを使い、毎朝職人が作る自家製豆腐は、作りたての濃厚な味わい、大豆の香りや甘みが特徴です。隣接する工房で、その日の気温や湿度による微妙な変化に合わせ、ほとんどの工程を昔ながらの手作業でなされています。作りたての濃厚な味わい、大豆の香りや味、口当たりを堪能できます。
    もめん豆腐は、令和元年に一般財団法人全国豆腐連合会が主催した第5回全国豆腐品評会 中部・北陸地区大会の木綿豆腐部門にて金賞を受賞しています。

    この続きは、青嵐薫風 伊勢紀行⑪猿田彦神社・月読宮でお届けします。

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