2024/04/18 - 2024/04/19
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montsaintmichelさん
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伊勢市二見町は内宮境内を流れる五十鈴川が伊勢湾へ注ぐ三角州に位置します。その二見浦は、古くは「清き渚」と呼ばれ、参宮の前に心身を清めた禊ぎの浜(浜参宮)として知られます。
伊勢神宮の創建に尽力した倭姫命が、あまりの美しさに2度見したという二見浦に鎮座するのが二見興玉神社で、祭神には猿田彦大神と宇迦乃御魂大神(=豊受大御神)を祀ります。二見興玉神社は『延喜式』など古文書には見られず、その歴史はベールに包まれています。起源は、夫婦岩に注連縄を張り、猿田彦大神の化身もしくは縁りの霊石と伝承される「興玉神石」の遙拝所を設けたことに始まります。天平年間(729~49年)には東大寺造立の責任者であった僧 行基が「神々の御魂を奮い起こす導きの神 興玉神の本地垂迹なり」と称して千手観世音菩薩を本尊として二見浦の裏山に太江寺を創建し、その境内に猿田彦大神を祀る興玉社を結んで鎮守社としました。1897(明治30)年にその興玉社を二見浦に遷座し、「天の岩屋」に宇迦御魂大神を祀る三宮神社の境内社となり、1910(明治43)年に三宮神社を合祀して二見興玉神社と改称しました。これに境内社の龍宮社の祭神 綿津見大神を加えた3柱が二見興玉神社の主祭神です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
-
第一鳥居
石造りの鳥居は1926(大正15)年に大阪せんば神榮講から奉献された神社のシンボル的存在です。手前にある社号標は僅か10年間だけ存在した幻の音無山ロープウェイの運営会社が1932(昭和7)年に奉納されたものです。山上にある展望台と遊園地へ繋がるロープウェイでしたが、太平洋戦争の資材供出のために廃止の憂き目に遭いました。この時代は神も仏もなかった時代でした。
神社の起源とされる「興玉神石」は二見町江にある立石崎の沖合約700mに鎮座する東西216m、南北108mに及ぶ平たい岩礁です。猿田彦大神縁りの霊石とされ、興玉社の信仰系譜の源流に位置付けられます。
猿田彦大神の化身との伝承から「石神」の要素が見られる一方、二見浦の守護神座、あるいは神代の昔に倭姫命が天照大御神を奉戴して二見浦に入られた時に猿田彦大神が出迎えた霊石とも伝わることから、「磐座」の位置付けでもあったようです。 -
山口誓子の句碑
「初富士の 鳥居ともなる 夫婦岩」
(冷えて澄んだ大気の中、夫婦岩のかなたに富士山が現れ眼前の夫婦岩がまるで富士山の鳥居のようだ。)
山口誓子は、東大卒業後に住友に入社したものの肋膜炎を患い、昭和16年に静養のため四日市市富田や鈴鹿市白子町鼓ヶ浦などに長い間逗留していました。また伊勢参宮を毎年欠かしたことがないほど伊勢をこよなく愛し、多くの作品に取り上げ、それでもって伊勢を再発見した近代俳句の第一人者です。
1987(昭和62)年の正月に誓子が二見興玉神社に初詣をした際、往時の宮司から「今朝、夫婦岩の間に富士山が見えました」と聞き及び、直ちに詠んだ句です。 -
さざれ石
2003年に岐阜県春日村産「さざれ石」を水屋神社の宮司さん等が奉納されたものです。さざれ石を漢字で書くと「細石」となり、長い年月をかけて小石の隙間を溶解した石灰石や水酸化鉄が埋めてひとつの大きな岩塊となったものを指します。『古今和歌集』に「天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈り此の石の如く坐しませ(読人不知)」と詠われ、後に1部が改作され国歌となりました。尚、学名は石灰質角礫岩と言います。
奉納の趣旨は、修学旅行生が減少している二見において、「君が代」に謳われているさざれ石が実在することを知ってもらうためとの由。因みに、重量は3トンだそうです。 -
第二鳥居
この鳥居は1928(昭和3)年に宇治山田市長も務め伊勢発展の基盤を築いた北岡善之助氏が奉献されたものです。また、2基の大燈籠は1938(昭和13)年に京都 先斗町丸寿組より奉献されたものです。鳥居を潜ると伊勢湾が広がり、そこはかつて天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舟で乗り付けたとされる立石浜です。
「興玉神石」は、1854(安政元)年に発生した安政の大地震「東海・南海地震」により海中に沈したため現在は暗礁となっており、海上からその姿を望むことはできませんが、1960年のチリ地震による津波で潮が引いた際、一時的にその姿を顕わにしたそうです。
時系列で考察すれば、海上に露出していた時代には「磐座」の性格が強く、地震で海中に秘匿されたことで「石神」色が濃くなったと捉えるのが自然かもしれません。
因みに中世の伊勢神道の『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』によると「興玉」は、魂魄を招き降ろしたり、死者霊を蘇生させたりする「招ぎ魂(おぎたま=おがたま)」と見做されていたようです。 -
夫婦岩が見えてきますが、ここで参拝者が吐露するのは「アレ?思ったより小さい!」です。もっと大きな岩塊を想像されていたのでしょう。
『古事記』によると、猿田彦大神は伊勢の阿邪訶(あざか:現 松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝に手を挟まれて溺死したと伝わります。
その際、
①海に沈んでいる時に、底度久御魂(そこどくみたま)
②猿田彦神が吐いた息の泡が昇る時に、都夫多都御魂(つぶたつみたま)
③泡が水面で弾ける時に、阿和佐久御魂(あわさくみたま)?
という3柱の神が生まれたと伝えます。3柱の神は阿射加神社に鎮まっているとの説もあります。 -
三宮神社遺跡(天の岩屋)
全国には「天の岩戸」や「天の岩屋」と称される場所が多々ありますが、この海食洞もそのひとつです。天照大御神が籠られた処(日の入処)のひとつとされ、奥は岩窟になっています。
この岩窟は稲や穀物、食物を司る宇迦御魂大神を祀った三宮(さんく)神社の遺跡と伝わります。古くは石神(しゃくじ)と称された宇迦御魂大神にあやかり、三宮神社の別称には「石神」「佐軍神(さぐじ)」「天の岩屋」があり、元々は漁人が祀った古代神の石神であり、洞内深くに燈火が点されていたそうです。三宮神社は三狐(さんぐ)神社とも読まれ、そこから転じて石神文化の影響が加わったものと読み取れます。 -
三宮神社遺跡(天の岩屋)
天の岩戸の手前には、裸踊りをして神々を笑わせて天照大御神を天の岩戸から導き出した天鈿女命の石像があります。一説には、胸をはだけるに留まらず、下半身も露わにして踊ったとされます。
この像はここが「天の岩屋」であることを知らしめる広告塔としての役割を担っているのでしょう。ただし、修学旅行生も多いことから、露出は控え目です。 -
三宮神社遺跡(天の岩屋)
両脇の柱には和歌が記されています。
1186(文治2)年に東大寺の僧 慶俊が筆録した『東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記』によると、法楽奉納による両宮参宮のため伊勢を訪れた僧侶60人(総計700人)の内の数人が、舟で二見浦を歴覧して歌を詠んだとの記録があり、中世以前からすでに名勝地であったと窺えます。
「おもしろく 見ゆる二見の 浦わかな 岩戸のあけし 昔ならねど」慶尊
「二見潟 天の岩戸の あけくれも ながめて世をば すきぞしぬべき」景惠
この年代は僧 重源が東大寺大仏の再建事業を引き受けた時期と重なります。再建責任者の僧が伊勢神宮に参宮するとは奇妙なことです。しかし、伊勢国 丹生の地に眠る水銀が目当てだったとすれば腑に落ちます。即ち、金銅仏の金メッキに必須である水銀の採取許可を得るのが本来の目的の伊勢参宮だったと言うことです。 -
三宮神社遺跡(天の岩屋)
岩屋の内部は、手前に小さな伊勢鳥居が建てられ、その奥は岩窟になっています。
そして「天の岩屋」と向かい合う位置に鎮座するのが夫婦岩です。夫婦岩から昇る朝日を天照大御神とした場合、日が沈む方角にあるのがこの岩屋です。つまり、「日の出と日の入り」のように「夫婦岩と天の岩屋」は対になり、ここに「天の岩屋」信仰が生まれたと考えられています。 -
三宮神社遺跡(天の岩屋)輪注連縄(わしめなわ:禊祓)
初穂料300円。輪注連縄で体をさすることで、身の穢れや体の不調な部位を輪注連縄に託して納めることができます。
平安時代の神道資料『古語拾遺』には「今の斯利久米縄、これ日輪の像也、縄をもって丸くつくり日の影をなしたるをいうなり」とあります。つまり、この輪注連縄は日の大神様「日輪」を表しており、参拝者は輪注連縄で身を祓ってから参拝し、神前に奉献します。
二見浦一帯ではこうした「禊祓」の言葉が散見されることから、罪や穢れを海に流してくれる女神 瀬織津姫の信仰が篤かったのかもしれません。瀬織津姫は『大祓詞』に「速川の瀬に坐す神(川に坐す水の神で、あらゆる罪を海に流してくれる)」と書かれている、お祓いの神様です。 -
左から獅子岩・烏帽子岩(蛙岩)・屏風岩・男岩・女岩と並んでいます。
「二見」の地名は、伊勢神宮から流れ出る五十鈴川が東西二手に分かれて伊勢湾に注いでいることから、「二水」に由来すると伝わります。それが景勝地ゆえに2度振り返る「二見」に転化し、「倭姫命がその美しさに2度振り返りご覧になった」と伝承されるようになったようです。 -
手前が屏風岩、その奥が獅子岩、最奥が烏帽子岩(蛙岩)です。
屏風岩は烏帽子岩と共に『伊勢参宮名所図会』などに記されています。 -
手水舎
上段に鎮座する3匹の大蛙は「水(願)授け蛙」と称されます。
これらの「水(願)授け蛙」から柄杓に聖水を受け、水中に潜んでいる「満願蛙」にその聖水を掛けると願いが叶うと言われています。 -
手水舎
「満願蛙」と呼ばれる蛙はこのように水の中に潜んでおり、神示により水中に鎮まったとされています。
向かって右手の「満願蛙」は男性、左手の子沢山の「満願蛙」は女性が聖水を掛けてご神恩をします。 -
手水舎
祭神 猿田彦大神は『記紀』の「天孫降臨」の段に登場し、古くから交通安全、善導の神として広く信仰されています。蛙は大神の神使とされ、「二見蛙(ふたみかえる)」と通称されています。その語呂から「無事カエル」「若ガエル」「貸したものがカエル」「お金がカエル」など縁起物としても愛される二見のキャラクターとなったようです。かつてここで旅行の帰路の無事を祈った人々が、無事に帰ることができたことを感謝して献納された蛙のようです。その歴史は古く、1920(大正9)年には奉納された蛙の姿が見られたそうです。
一方、蛙が神使となった理由には、夫婦岩の東方にある飛島に棲む白龍に雨を呼ぶ蛙を献じた、昇る朝日を龍神に喩えて谷蟆々(たにぐぐ:蛙)を献じた信仰、猿田彦大神が一度この世を去り再び「甦った」という神話の語呂合わせなど諸説紛々です。現在では「日本神話で猿田彦大神が道案内をしたこと」と「無事に帰る」の験担ぎを合わせて蛙が神使に任命されたとするのが通説です。 -
海王大和国 二見蛙
二見蛙だらけの「海王大和国」の左手に見えるのは「みひかりの奉献芳名札」です。初穂料を納めると芳名板に名前が載り、芳名札がご来光を拝むという仕掛けです。
俳人 小澤實のエッセイ『芭蕉の風景』には、「松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出る直前に二見文台を作り、また帰還直後にも二見を訪ねたのは、『無事カエル』ことを祈願そして感謝してのことだろう」とあります。
因みに『おくのほそ道』の結句は、「蛤の ふたみにわかれ 行(ゆく)秋ぞ」です。この「ふたみ」には、蛤の「蓋と身のように」別れがたきを別れるという意味と、旅を終えた後に訪れようとしていた伊勢「二見」が掛けてあります。 -
オオシャコガイ(沖縄産)
世界最大種の貝で殻長1.5m、重量230kg。1万年の年齢のものがあるそうですが、これは推定150年ものだそうです。この貝は故 杉谷名誉宮司が奉納されたものです。
『古事記』によると、猿田彦大神は阿邪訶(あざか:現 松阪市)で漁をしていた時、比良夫貝に手を挟まれて溺死したと伝えます。比良夫貝=オオシャコガイの真偽はともかく、比良夫貝に手を挟まれて溺死とは奇妙です。この神話が何らかのエピソードを暗示するものであれば、猿田彦大神は比良夫に殺害されたと読めます。つまり、天孫降臨を助けてもらった恩人である国津神の猿田彦大神を、天津神の天孫族が裏切って惨殺したとこの神話は語っています。
一方、『記紀』では出雲神族の大祖先「岐神(くなとのかみ)」と猿田彦大神を同一視しています。また「岐神」は「ちまたのかみ」とも読め、「八衢神(やちまたのかみ)」とも異名同体の関係にあります。この神の名が「八岐大蛇」に音韻が似ているのも気になるところです。つまり、出雲の首長惨殺に関するエピソードであれば、「出雲の国譲り神話」の焼き直しとも窺えます。
あるいはストレートに「伊勢の国譲り神話」とも考えられます。つまり、天照大御神が伊勢で祀られる以前から信仰されていた土着の太陽神という位置付けです。 -
ところで「比良夫」とは何を指すのでしょうか?
例えば、「黄泉比良坂(よもつひらさか)」はあの世とこの世の境界にある坂道です。また、京都と近江を隔てる「比良山地」の名の由来は「アイヌ語のピラ:急峻な山」とされます。故に、「比良」には「境界線」というニュアンスが浮かんできます。従って、「比良夫」は外来者などの侵入を防ぐ「道祖神」のようなものと窺え、猿田彦大神が比良明神と称されるのは『記紀』が記すように「岐神」や「塞の神」であるからだと思われます。そうであれば、中国から伝来した道祖神と習合したのは理に適ったことです。 -
夫婦岩
立石崎の波浪浸食作用により形成された離れ岩が「夫婦岩」です。
大注連縄で結ばれた夫婦岩は岩の間から昇る太陽(日の大神=天照大御神)と沖合700mに鎮まる猿田彦大神ゆかりの霊石「興玉神石」を拝むための「鳥居の役目」を果たしています。
古くは総称して「立石」や「天の岩門」と呼ばれ、男岩は「立石」、女岩は「根尻岩」の別称もありましたが、いつの頃からか伊邪那岐・伊邪那美命になぞらえて夫婦岩と呼ぶようになったそうです。 -
拝殿
屋根が本を伏せたような山の形状をした二重の切妻造です。猿田彦神社の「さだひこ造」を意識した構造のような気もします。1918(大正7)年の台風で半壊したことに配慮し、1996年に強固なコンクリート造にして海側に新築された縦拝殿です。祭神 猿田彦大神は「道開きの神」として知られ、交通安全・災難除け・家内安全などの神徳があります。
旧社格は村社でしたが、現在は神社本庁の別表神社です。三重県下では2番目に参拝者の多い神社とされ、年間約265万人が訪れます。 -
本殿
本殿も1996年に新築され、入口を軒先側に配した平入の神明造です。千木は内削、鰹木は6本の偶数、つまり内宮同様に女神を祀る様式です。しかし、祭神 宇迦乃御魂大神(=豊受大御神)はともかくとして、主役である猿田彦大神は男神のはずです。これは、元々は宇迦乃御魂大神を主祭神としていた名残とも考えられます。今では完全に脇役でしかないのですが…。
江戸時代の地誌『勢陽五鈴遺響』によると、神社の名称にある「興玉」とは海中の神霊を意味する「澳魂(おきたま)」に語源を発します。また鎌倉時代成立の『神名秘書』や同『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』によると、「興玉神」は猿田彦大神またはその子孫とされる大田命の別名ともされ、五十鈴川上流の大宮處の地主神であり、外宮にある土宮の地主神 大土御祖神であるとも称しています。猿田彦大神は天照大御神に土地を譲った伊勢の地主神とされ、伊勢国一宮の椿大神社や奈加等神社などでも祀られています。
一方、神道学者 中西正幸氏は「二見浦の夫婦岩から望まれたという興玉神石を海霊、皇大神宮の御垣内に鎮まる興玉神を地霊、五十鈴川を見下ろす興玉ノ森を祖霊」と位置付けています。 -
烏帽子岩(蛙岩(親子蛙))
夫婦岩の周囲にはリアス式海岸特有の奇岩が見られます。大きな蛙の背中に小蛙が乗っている姿を彷彿とさせる奇岩が「蛙岩」です。
昔はこの岩は「烏帽子岩」と呼ばれていたそうですが、「二見蛙」の神威の現われ故か、上部まで浸食によりこの神社の神使である蛙の姿に似てきたそうです。
2014年には奉納された「蛙像」が台風の影響で海に転落しました。クレーン車も出動して救出したそうです。まさに「ひっくりカエル!」事件簿でした。 -
神紋は「陰花菱」です。
伊勢神宮の神紋「花菱」を裏から見て輪郭のみで描いた紋章で、中央に萼があります。
神紋が見られる場所としては、拝殿の屋根や第一鳥居の笠木の下にある「貫」などに控え目に施されています。目立たないせいか、知らない方が多いようです。 -
絵馬
絵柄には夫婦岩と龍神。
絵馬に書かれた願い事を読んでみると、縁結びや夫婦円満を祈願されている方が多いようです。 -
絵馬
もうひとつの絵柄には夫婦岩からの日の出。
実際は、水平線からではなく、富士山の上からの御来光だそうです。 -
日の神・皇居遥拝所
正面には夫婦岩があり、その延長線上にある皇居を遥拝する場所です。これは地理的にも適っており、このレイライン上には皇居-富士山-夫婦岩-伊勢神宮-霧島が並びます。
夏至の日には、夫婦岩の間に位置する富士山から昇る太陽を拝む「夏至祭」が行われます。かつて猿田彦大神は土着の太陽神として祀られていたともされ、その信仰の名残かもしれません。
気になるのは、鳥居の中央から見ると真正面が「男岩」に重なることです。 -
立石浜
夫婦岩のある岬を立石崎と呼び、夫婦岩周辺の浜を立石浜と言います。立石浜は常世の国から打ち寄せる波が最初に届く「聖なる浜」と信じられており、古くから伊勢神宮に参拝する前に心身を清める禊の場として尊ばれ大切にされてきました。
尚、お祓いを受けるために興玉神社に参ることを「浜参宮」と言います。 -
夫婦岩
江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』にも大注連縄を張った夫婦岩の絵が載っています。また、650年前には既に大注連縄が張られており、「結界の縄」と称されていたそうです。因みに大注連縄は「神界と俗界の結界」を意味し、5月5日、9月5日、12月下旬の年3回張り替えられます。
約9mの間隔を置いて大小2つの岩が仲睦まじく寄り添うその姿から、縁結びや夫婦円満のパワースポットとしても知られています。岩の大きさは、男岩が高さ9m、女岩が高さ4mと意外に小振りです。小学校の修学旅行で見た時にはもっと大きかったような印象がありましたが…。 -
夫婦岩
「男岩」は西南日本外帯中央構造線の三波川変成帯に属する結晶片岩の一種で、海底の玄武岩が低温高圧型変成作用を受けた緑色片岩から成り、薄い板を重ねたミルフィーユ状の岩です。「女岩」はチャートや石英砂岩を原岩に変成した石英片岩でやや白っぽく見えます。岩質が異なるとは想定外でしたが、表面の縞々の向きも両者で異なります。こうしたことが「女岩は人工物」との憶測を呼ぶのでしょう。ただし後者については、元々は同じ向きでしたが1918年の台風で女岩が根元から折れ、1921年に鳥羽の坂手島から運んだ土台の岩と鉄筋で繋いでコンクリートで固定修復した際、岩の向きを変えて据え付けたとの説もあります。
古くは「陰陽石」の類の奇岩として崇敬され、五穀豊穣・子孫繁栄・安産祈願などの対象だったと窺えます。このように岩質や地質時代が異なっても類似した形状を呈する事例も多々あるようですので、「女岩」の人工物説は否定しておきましょう。
因みに「日本3大夫婦岩」は、岩手県千厩(花崗岩)・岐阜県中津川(花崗岩)・宮崎県小林(火砕岩)にあります。 -
烏帽子岩(蛙岩(親子蛙))
地質学者でもあった当時家出中の宮沢賢治も、父 政次郎に連れられて夫婦岩を訪ね、岩石の標本を遺しています。因みに賢治は、小学生の頃から川原で石拾いに熱中し、家人から「石コ賢さん」と呼ばれたほどです。やがて盛岡高等農林学校に進み、地質調査や土性調査を行っています。自費出版した『春と修羅』には鉱物学・地質学のエッセンスが網羅されています。
賢治が日蓮宗に固執し、父の浄土真宗信仰に反発するあまり家出した経緯から、賢治の宗教的視野を広げて冷静にさせるべく、伊勢神宮→比叡山延暦寺→法隆寺という関西周遊プランを立てたようです。もし政次郎が二見興玉神社のご利益が「無事帰る」だと知っていたとすれば、賢治をここへ連れてきた必然性が見えてきます。政次郎は、後に日蓮宗に改宗したそうです。 -
夫婦岩
男岩の右裾にある白っぽい部分が1968(昭和43)年に修復された場所です。
賢治が二見浦で詠んだ歌が「ありあけの 月はのこれど 松むらの そよぎ爽かに 日は出んとす」です。「ありあけの月」と詠んだ大正10年4月4日の月齢を調べると二十六夜でしたので、関西旅行の翌年に上梓した童話『二十六夜』はこの時の体験が題材と窺えます。童話には、その月を「金色の鎌の形の月」と具的に描写し、北上川沿いの松林に住む梟の群に起こったエピソードを記しています。弱肉強食の世界に生きることを嘆く梟が、自らを犠牲にして仏と化した雀に救いを求めるというストーリーです。 -
禊橋
2015年に竣工した禊橋を渡ります。 -
契りの松
江戸時代末期、阿波国の男女が二見浦の浜で着物を浜の松に掛けて結び、身を海水に浴び塩垢離(みそぎ)をし、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したとの伝承があります。 -
契りの松
元々の松は1953(昭和29)年の台風13号により流されたため、現在の松は1991年に約40年ぶりに再現された2代目です。
また、この辺りは『男はつらいよ 寅次郎物語』のロケ地にもなりましたが、2代目「契りの松」は映画撮影当時は存在しなかったそうです。 -
本居宣長の歌碑
「かはらじな 波はこゆとも 二見がた 妹背の岩の かたき契りは」
夫婦の契りは二見浦の夫婦岩のように堅固で変わるものではない、と悟ったという意味です。1987年に建立された歌碑です。
1800(寛政12)年に二見浦の絵の賛として詠まれた歌です。二見浦と言えば日の出が定番ですが、これを有名にするのに一役も二役も買ったのがこの歌でした。
山口誓子の句碑も同様でしたが、大きな岩(歌碑)の右横に小さな岩を配し、2つをセットで見ると夫婦岩を彷彿とさせます。恐らく、そのような意図があるのでしょう。 -
阿波野青畝の石碑
龍宮社の手前にあります。
「大初日 二見の巌を 抱擁す」
初日の出をバックにした夫婦岩の荘厳さを太陽に抱擁された岩塊と見做して詠んでいます。
1987(昭和62)年建立とありますが、文字が読み難くなっています。
石碑の脇には紫陽花が植えられています。梅雨時には目を愉しませてくれることでしょう。 -
龍宮社
神紋は龍神大神を祀ることから、「三つ鱗」です。
「三つ鱗」を構成する三角文様は世界中で古代より存在し、古代エジプトやインドでは炎や火を表し、西欧では三位一体の象徴とされます。この三角文を「鱗」と解釈するのは中国から東南アジア、朝鮮半島一帯に限られます。古代より死者や祖先の霊は蛇の姿で現れると信じられており、大蛇を龍という神獣と見做し、その鱗を象った三角文様を呪術的な魔除けとしてきた背景があります。 -
龍宮社
絵馬の絵柄は龍神と夫婦岩です。 -
龍宮社
小振りですが、目にも鮮やかな朱塗りが映える神社です。また社号標の文字が独特で、味があります。
二見興玉神社の境内社で、祭神には海の守り神 綿津見大神(わたつみのおおかみ)と龍神大神を祀ります。海人族の王 綿津見大神は「山幸彦・海幸彦伝承」の豊玉姫の父親(豊玉彦)であり、神武天皇の祖父に当たります。
寛政年間(1792年)の大津波被害からの復興と海の安全を祈願して江川(五十鈴川の派流)河口に龍神大神を勧請したのが龍宮社のはじまりです。その後、1938(昭和13)年に二見輿玉神社の境内に遷移して現在に至ります。現在の建物は1971(昭和46)年に新築されたものです。拝殿は横拝殿、本殿は神明造です。 -
龍宮社
海岸線が迫っており手前のスペースがないため、鳥居が社殿のすぐ前方に立っています。
海の守護神を祀ることから、漁業の安全の他、交通安全、心願成就、開運、商売繁盛などのご利益があります。実際に「寛保の荒浪」や「明治の高潮」などの際には神威の霊顕があり、被害を最小限に留めたそうです。
陰暦5月15日の祭典では、「津波が急に来たら、見るな、待つな、おごるな」の先人の教えを今に伝え、きゅうり・なす・みる・おご・まつ菜などを供えるそうです。「急」にはキュウリ、「みる」はミル(海藻)、「待つな」は小松菜、「おごるな」はおご(海藻)でしょうか? -
龍宮社
龍宮社の手水舎ゆえ、龍口から聖水が流れています。 -
龍宮社
阿吽の狛犬の後方を「狛龍」が守ります。 -
龍宮社
「狛龍」は阿吽ではなく、どちらも口を開けられております。 -
龍宮社
軽く口を開けているので「吽形」とは言えません。
他眷属型は、狐や狼、兎、猪など色々ありますが、蛙と龍は珍しいです。
また、それらがひとつの社に同居しているというのは希少です。 -
龍宮社
ご神体は「鏡」です。
社殿の前には阿吽の狛犬ならぬ「狛蛙」が鎮座しています。この神社の性格から「二見蛙」とは趣が異なるものと察し、由来を調べてみました。
古代中国において、蛙は、雨水の神と崇められており、雨乞いの対象とされました。また蛙は龍の異形ともされており、宋時代の葉廷珪著『海録砕事』巻22によると、龍には5つの形態があり、その5つ目が「蛤蟆(ひきがえる)」だと言います。更に、蛙は龍の化身だとも言われます。
確かに狛蛙には蛤蟆のようなイボイボがあります。
子どもの頃、「イボガエルに触るとイボができる」と言われて敬遠していましたが、これは誤りです。イボガエルは皮膚や耳腺から有毒な液体を出すため、触らない方が身のためという教えのようです。 -
龍宮社側の朱の鳥居
二見興玉神社には入口が2ヶ所あり、こちらの伊勢シーパラダイス側からも参拝できます。時間的余裕がなく夫婦岩だけを拝みたい方は、こちらからショートカットで参拝されることをお勧めします。
混み合っていなければ、今回のルートの所要時間は40分ほどです。
三重交通バス停 夫婦岩東口1番乗場(シーパラダイスの先)から12分ほどで鳥羽バスセンター(近鉄鳥羽駅前)に到着します。尚、近鉄お得きっぷ「まわりゃんせ」のパスポートで三重交通バスとCANバスは乗り放題です。 -
鳥羽グランドホテル
今回お世話になったホテルです。
風光明媚な小浜湾(鳥羽湾)の高台に聳え建つ全室オーシャンビューのホテルです。尚、一部の部屋は愛犬(小型犬のみ可)と宿泊ができます。
近鉄電車利用の場合のアクセスは、鳥羽駅1番出口を地上に降りた所からホテルへの無料シャトルバスが出ます。通常、14:50~18:00の間、約15分毎のピストン輸送です。ホテルから鳥羽駅へは8:00から30分毎に出発します。
この画像は次のサイトから引用させていただきました。「掲載許可承諾済」
https://jgh.jp/ (鳥羽グランドホテル HP) -
鳥羽グランドホテル
シャトルバスが乗り付ける5階がロビーフロアになり、露天風呂は1階にあって潮騒の音をBGMにゆったりと湯船に浸かれます。露天風呂は温泉ですが、泉質は単純泉(三重県津市からの運び湯)です。
夕食のバイキングは平日でも混雑を避けるため2部制でした。時間は17:15~19:15と19:30~21:30から選びます。
朝食も同様に3交代制になり、入場時間が7:00、8:00、9:00となります。
ホテル予約後、食事時間はメール等で指定できます。繁忙期はすぐに満席になるため、早目に時間指定されることをお勧めします。
夕食のメニューは季節により異なりますが、今回は伊勢海老の陶板焼き、にぎり寿司、牛ヒレステーキなどが人気で、他の料理も美味しく、大満足でした。 -
鳥羽グランドホテル パノラマロビー
海を眺めるために設計されたパノラマロビーからは、鳥羽の景勝「三ツ島」が眼下に望めます。新「鳥羽10景」のひとつでもあり、こうして見ると映画館のスクリーンを彷彿とさせます。
チェックイン後、ここでウェルカムドリンクを飲みながら、暫し観光の余韻に浸りながら贅沢な時間が過ごせます。尚、お酒類やビスケットなどのスナックもあり、種類も豊富です。また傍らにはシャンプーバーもあり、どれにしようか迷うほど種類があります。カラフルな絵柄の付いた浴衣は1000円で借りられます。
更に、部屋の冷蔵庫にはウェルカムフルーツも用意されており、ライチ、オレンジ、パイナップルを美味しくいただきました。チェックアウト時には、ジュレのお土産まで付きます。 -
山口誓子の句碑
山口誓子もこの風光明媚な「三ツ島」を讃えて一句詠んでいます。
その句碑がホテルの中庭にあり(男性用露天風呂の外側)、これもこのホテルを選んだ理由のひとつです。
鞍馬石と思しき赤黒い石に白文字で刻んであります。
「初日出て 三つ島が置く 三つの影」
誓子は伊勢参宮を毎年欠かさず、志摩賢島で年を越した後、伊勢神宮に初詣をするのを常としていたそうです。伊勢神宮 内宮前のおかげ横丁には「誓子記念館」があります。
このホテルのもうひとつの魅力は、近鉄お得きっぷ「まわりゃんせ」のパスポートを提示すると、無料で手荷物を自宅まで宅配してもらえることです。売店で「まわりゃんせ」専用の宅配伝票をもらい、事前に記入しておくと便利です。尚、売店は7:15にオープンしますので、早い出立でも対応可能です。こうした宅配提携ホテルは他にもありますので、チェックしてみてください。手ぶらで観光できるのはありがたいことです。 -
鳥羽グランドホテル おかげ参り犬 「おさん」
ロビーに置かれたぬいぐるみの傍らには、楠木勝俊著『おかげ参り犬 おさん』がそれとなく置かれています。
犬のおかげ参りは、江戸時代後期に流行ったとされ、首に道中のお金と伊勢参りをする旨を書いたものを注連縄で括り付けて送り出したそうです。これが「犬の代参」と呼ばれるものです。『御陰参宮文政神異記(おかげまいりぶんせいしんいき)』にも、「おさん」と言う名の犬がおかげ参りをしたとの記述があります。
江戸時代、徳島から主人に代わり伊勢参りした忠犬が「おさん」です。1830(文政13)年に徳島から人々に助けられながら苦難を乗り越えて参宮した後、無事に主人のもとへ戻ったそうです。
因みに、おかげ犬のほとんどはこのような白い犬だったそうです。その理由は、白は神聖な色であることからおかげ参りに適していたとする説や、代表的なおかげ犬の中でも広く人々に知られている「シロ」が白い犬だったからなど諸説あります。 -
鳥羽グランドホテル パノラマロビー
翌朝の夜明け前、パノラマロビーから望んだブルーモーメントに寝静まる三ツ島です。
三ツ島の右奥が小高い丘を持つ賢島、左端にちらりと見えるのが答志島、その奥に霞んで見えるのが神島です。 -
ホテルの駐車場の脇から撮影した画像です。
赤く染まり始めたグラデーションを帯びた蒼い空と、それに対峙する海のさざ波や海に浮かぶ真珠筏と島々が色彩を放つ前のモノトーンの静謐な時間です。小浜湾に整然と並ぶ真珠筏は伊勢志摩地域特有の風物詩です。
微かに赤く染まる辺りから朝日が昇ると読め、運が良ければ三ツ島の間から御来光が拝めそうです。マップで確認すると、日が昇るのは方角的には静岡県浜松市辺りです。これなら、地球は丸いため、ほぼ地平線からの御来光が期待できそうです。
穏やかな鳥羽湾内に周囲150~300m程の小さな3つの島が程よい間隔で並び、鳥羽湾を代表する景勝のひとつとなっています。島一帯の岩石は玄武岩や泥質岩、石英などが地下約30kmで強い圧力とマントルの熱を受けて堅い泥質片岩になった三波川変成岩が主体です。 -
御来光を拝める適当な場所を求め移動します。
ホテル入口前にある急勾配な坂を下り、鳥羽駅から続く自動車道を左に折れてすぐの所に浜辺に降りられる獣道があります(結構急勾配です)。その浜辺から、三ツ島を夫婦岩に見立てて御来光を狙うことにします。凶と出るか吉と出るかは、神様に委ねるほかありません。
左から1番目と2番目の島の間にある石英片岩の岩礁には「木の葉」に乗る陶器製の観音像が建てられています。高さ約2.4mあり、その名を「一葉観音(ひとつばかんのん、別名:真珠観音)」と言います。1938(昭和13)年に「観音様の清風さん」と親しまれた愛知県常滑市の陶彫家 柴山清風氏が初めて手掛けられた大型陶彫を鳥羽観光協会に寄贈されたものです。因みに、像を支えている土台は丸い「土管」だそうです。航海の安全や水難防止の意味を込め、水産関係者や船舶関係者の信仰を集めています。 -
思った通り、三ツ島の間からぼんやりとした太陽が昇り始めました。地平線付近に海霧が発生しているのかもしれませんが、遮るものがない絶好のロケーションです。
一葉観音は、三十三観音の宰官身に当たり、道元禅師に由来します。道元が中国での修行を終えて帰国する折、嵐に遭い「観世音菩薩普門品偈(かんぜおんぼさつふもんぽんげ)」を唱えると、目の前に一枚の蓮の葉に乗った観音さんが現れ、荒波も静まり無事帰国できたとの逸話があります。また、一葉観音は永平寺に代表されるように全国のお寺で見ることができます。 -
幸運なことに、答志島と賢島の間から太陽が昇りました。
こうした自然が奏でるグラデーションの妙には、いつも息を飲みます。 -
三ツ島の左端の島には砲台跡もあるそうです。
幕末期には外国船が来航した際にそれを攻撃したと伝わりますが、その威力については定かではないようです。ペリー来航時、江戸湾にある砲台場からの砲撃は全く脅威にならなかったそうですから、推して知るべしでしょう。 -
御来光と鳥羽グランドホテルのツーショットです。
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朝日と穏やかな海原が織りなす幻想的な「光の道」が出現しました。
こうした光の道ができるのは、波による水面の角度変化に伴う現象です。つまり、太陽との間の水面上に反射条件が整った場所が連続的にできることによって光の道ができます。 -
光の反射による現象ですから、誰であっても自分の方へ向かって一筋の光が伸びて来るのですが、自分だけ特別なように思えて嬉しくなれるものです。
これが海から昇る御来光の醍醐味です。
太陽と自分が繋がる神々しさを肌身で感じられる刹那です。 -
波穏やかな小浜湾に浮かぶ真珠筏もよいアクセントになってくれています。
モノトーンの海景とオレンジ色の朝焼けが織り成すコントラストに心ときめかせた贅沢なひと時でした。 -
鳥羽グランドホテル パノラマロビー
ここからだと三ツ島の真ん中にある島から日が昇る位置関係になります。 -
鳥羽グランドホテル パノラマロビー
日が高くなり、その陽光を潤沢に浴びた三ツ島を囲む海原は、また違った表情を魅せてくれます。
キラキラと光り輝く眩いほどの水光です。
この続きは青嵐薫風 伊勢紀行⑦伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)でお届けします。
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