2024/04/18 - 2024/04/19
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montsaintmichelさん
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賓日館(後編)は、大広間の階下にある「客室6室」、御殿の間の下の中広間「寿の間」、千鳥の間の下の「さつきの間」、それに翁の間の下にある中村左洲の作品などを集めた展示室や資料室、国名勝の一部である庭園をレポいたします。
1階の客室は「さくら」「もみじ」「うめ」「うぐいす」「まつ」「つる」と命名され、それぞれの名称に因んだ室内装飾がなされているのが特徴です。「寿の間」には蝙蝠が羽ばたく付書院の障子があり、遊び心満点です。
また回遊式枯山水庭園にも趣向が凝らされており、天然石を用いた山燈籠が2基、枯れ滝を彷彿とさせる三尊石、水琴窟が2ヶ所、鞍馬石を井桁に組んだ井筒など、建物に劣らず見所が満載です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
賓日館でいただいたリーフレットにある、1階の間取図です。
「寿の間」の下側、ほぼ中央に位置する階段を1階へ降りてきたところから今回の旅行記はスタートします。 -
中庭
ガラスに写った景色がぼんやりと揺らめく、レトロな「ゆらゆらガラス」です。 -
引戸金具が展示されています。
古いものを磨いたところ、このように新品同様になったそうです。
中央にある珍しい七宝焼のものの他、松に鶴、波に千鳥などの細工が施されたものなど多彩です。 -
廊下の一部が太鼓橋の欄干の意匠であったり、廊下の照明が二見館のシンボルマークだった千鳥をあしらった特注品であったりと、魅力に満ちています。
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松葉模様の窓ガラス
「さくらの間」と「もみじの間」の西面の窓ガラスは一面に散らされた松葉模様が幾何学的でもありモダンな感じもします。
1階は、大広間の下に客室6室、御殿の間の下には中広間、千鳥の間の下にラウンジ風の「さつきの間」、それに翁の間の下に中村左洲の作品などを集めた展示コーナーや資料室で構成されています。 -
さくらの間
さきほどの松葉模様の窓ガラスのカラクリを内側から観るとこんな具合です。 -
さくらの間
床脇を裏側から見る形になっており、床脇障子の上方には桜の花の透かしが彫られています。
光が当たると床などに桜の花が投影される仕組みです。 -
さくらの間
広縁には畳が敷かれています。
床間の脇にある明り取りの欄間にも桜木の透かし彫りがあります。 -
さくらの間
襖にも一面に桜が散らしてあり、床間の床柱は桜木をそのまま用いる大胆さです。
床脇障子にある竹のような素材を曲げて作られた風変わりな格子模様は職人の遊び心かもしれません。 -
さくらの間
床間の天井は桜木の皮を用いた市松織りの網代です。 -
もみじの間
五月人形飾りの上方に座るのは「櫛型欄間」です。
櫛型欄間は数寄屋で用いられる「塗り回し欄間」のひとつです。欄間の形を櫛型として塗り回し、そこに細木や竹の格子を組み込んで下地窓のようにしたものです。 -
うめの間
このように付書院が2畳の独立した部屋のようになっています。 -
うめの間
付書院の欄間には梅の木の透かし彫りを配する凝りようです。 -
うめの間
明り取りの欄間にも梅の透かし彫りです。 -
うめの間
「まつの間」との室境の欄間にも梅の透かし彫り。
「蓬莱五雲深」の額は東久世通禧の書になります。この言葉は茶席の掛軸に用いられる言葉のひとつで、「不老不死の霊山である蓬莱山に春が訪れて五色の雲が深く立ちこめている」と言う意味です。
通禧は、中川宮や薩摩藩、会津藩による8月18日の政変に伴う「七卿落ち」で、長州に逃れた尊王攘夷派公卿のひとりです。王政復古後、鳥羽伏見の戦いでは新政府軍の参謀を務めるなど、明治維新に貢献しました。維新後は諸職を歴任し、明治45年、伯爵枢密院副議長として現職で死去。
また茶の湯にも造詣が深く、明治時代の茶の湯界を支えた数寄者たちの「和敬会」のメンバーでもありました。流儀は宗徧流で「竹亭」または「古帆」と号しました。 -
うぐいすの間
「うめの間」と向かい合うようにあり、「梅と鶯」でセットなのでしょう。 -
うぐいすの間
この部屋には壁一面に大きな「こいのぼり」が展示されています。 -
まつの間
東久世宮さまの書です。 -
まつの間
床間、床脇、違い棚の三拍子です。 -
まつの間
こちらの床間にも日下部鳴鶴の書が掛けられています。 -
まつの間
付書院の欄間には松の木の透かし彫りがあります。 -
まつの間
床脇障子は八角形です。 -
つるの間
違い棚と丸い床脇障子の取り合わせが斬新です。 -
つるの間
裏庭には鄙びた蹲踞が置かれています。 -
つるの間
裏庭には天然石を用いた山燈籠が佇みます。 -
広縁
この突き当り、「まつの間」の所に中村左州の「杉戸絵」があります。 -
寿の間
中庭が一望できる明るい部屋で、明治20年の創建当初から構造は変わっていません。書は日下部鳴鶴の書(明治の三筆)になります。
27畳ある中広間「寿の間」では天井に注目です。通常、天井板を支える竿縁と呼ばれる細長い角材は、床間と平行に設えられますが、ここでは床間に向けて配される「床挿し天井」です。日本建築では古くから不吉とされ、武家屋敷では切腹部屋と呼ばれる類のものです。江戸時代中期以降はほぼ廃れた形式であり、現存する客間は非常に珍しいものです。
奥にある床間には、金地に力強い墨の筆致が印象的な中村左州筆『松に孔雀図』が置かれています。 -
寿の間
付書院の障子にある格子に引っ掛かっているように見えるのは「蝙蝠」です。 -
寿の間
「蝙蝠」の「蝠」の文字は「福」に似ているため縁起の良いモチーフとされ、良いことがあるようにと縁起を担いだ意匠です。 -
寿の間
その上方には三日月を配し、蝙蝠が飛び交う静寂の情緒を湛えます。 -
寿の間 違い棚
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寿の間 違い棚
床脇障子には竹を使っています。 -
寿の間
広縁の角部には木彫りの「見返り美猫」の置物が…。
ひょっとしたら「二見カエル」の彫刻家 板倉白龍の作品かと思い確認したところ、作者不明だそうです。
同様に賓日館は、英照皇太后(明治天皇の母)の行敬に合わせて建造され、重文にも指定されている建物ですが、設計者や棟梁の名が不明というのも謎めいています。敢えて名を伏せたい、あるいは名が出ては不都合ということかもしれません。 -
さつきの間
現在こちらでは賓日館の説明ビデオが流されています。
時間があれば、入館直後にここで要点を学んでから見学するのがベターです。 -
さつきの間
鯉の透かし彫りが壁に飾られています。 -
さつきの間
床間の天井は杉柾石畳網代です。 -
さつきの間
ガラス戸を照らす光は格子により柔らかな光に変換される仕組みです。
そのため、仄かに暗く感じられます。 -
さつきの間
光を柔らかくするための格子がこちらです。 -
さつきの間
廊下を挟んで奥が「寿の間」になります。 -
渡り廊下
太鼓橋を彷彿とさせる欄干が付けられています。
目の錯覚で床板も反り返っているような気がしますが、現在は平坦です。当初は床面も欄干に合わせて反り橋のように弓なりになっていたそうです。 -
渡り廊下
擬宝珠は一刀彫です。 -
中村左州 展示室
土蔵を彷彿とさせる頑丈な扉の先に展示室があります。 -
中村左州 展示室
各軸を中心にした展示で、海中を泳ぐ鯛を描いた掛け軸をはじめ、夫婦岩や二見浦の景色、魚や鳥、虫などを丁寧に描写した作品が並びます。
しかし、太っ腹なのか撮影禁止のマークはありません。
因みに、倭姫人形などには撮影禁止のマークがあります。 -
中村左州 展示室
「鯛の左州さん」の真骨頂です。
真鯛の背中にある青い輝点と呼ばれる模様が描かれており、よく観察していたことが窺えます。
左洲は、1901(明治34)年に二見館を経営する若松徳平の4女 小(こ)さいと結婚しました。賓日館は、1911(明治44)年に隣接する二見館に払い下げられ、その別館になりました。二見館別館になった後に増築された大広間の舞台に左洲が『老松図』を描くなど、若松家との関係が偲ばれます。 -
資料室
テーブルと火鉢が一体化されています。
その奥には 年季の入った「唐櫃」が置かれています。 -
資料室
旅館の中枢となる帳場を再現しています。
正面の帳簿机を取り囲むように帳場格子が置かれています。これは「結界」と呼ばれて帳簿付け等の仕事場を他と区別するための仕切り(背の低い衝立格子)である一方、盗難防止の役目も兼ねていたそうです。
その他、そろばんや硯箱、大福帳など、昔の帳場の様子を垣間見ることができます。
背後には火灯窓の形をした風流な明り取り障子があります。 -
資料室
お金などを入れておく沢山の引き出しの付いた帳簿箪笥も見所です。
商家の帳場に置かれ、金品や帳面など商売に必要な大事なものを仕舞っていた箪笥です。盗みに入られた場合、容易く貴重品が見つからないように隠し箱などのカラクリを仕込んだものが多いそうです。 -
門塀
玄関脇と庭園の間にある門塀の下部には舟の古材が用いられています。 -
庭園
「御殿の間」を仰ぎ見ます。
1階は「寿の間」です。 -
庭園
北東側は広い芝生の草地になっていますが、かつてここには1863(文久3)年に伊勢津藩第11代藩主 藤堂高猷が建造した鮫川砲台があったそうです。
賓日館は廃棄された砲台跡を1886(明治19)年に神苑会が買収し建設されました。 -
庭園
正面の建屋の1階は「寿の間」、2階が「御殿の間」です。
「寿の間」の前には蹲踞と沓脱石があり、庭園からの出入りがあったことを窺わせます。 -
庭園
広さの割に石組は少ないのですが、青石で統一された品の良い石組みは見応えがあります。また、赤い鞍馬石(花崗片麻岩)を井桁に組んだ井筒の左側は三尊石を彷彿とさせる小さな枯滝石組になっており、枯流れとなっています。井筒は庭木に水をやるために当初から設けられていたとみられています。鞍馬石は雨に濡れると赤みを増し、梅雨時には誘客の呼び水になるそうです。 -
庭園
枯池中央に架かる石橋の挾み石だけは海石のため、石橋は後付けされたものと窺えます。
庭園の東端にはかつて「翠積庵」という名の茶室があったそうです。 -
庭園
贅を尽くしたこの山燈籠は、自然石を組み合わせて燈籠の形にした野面燈籠ですが、1944(昭和19)年の東南海地震にも倒壊することはなかったそうです。また、この庭園の中央部に位置しており、庭園の守護石の役割を担うものと窺えます。素朴な中にも深い味わいのある燈籠です。 -
庭園
水琴窟にも「二見カエル」が!
水琴窟は2ヶ所あり、1つは庭園内、もうひとつは縁側にあります。 -
庭園
東棟の全景です。
屋根に2つの千鳥破風を配しているのが特徴です。 -
鬼瓦には賓日館の「賓」の字が見られます。
因みに「賓」とは、「まろうど。客人。大切な客」と言う意味です。 -
庭園
東棟の1階は右から「さくらの間」「うめの間」「まつの間」と並びます。
「梅の間」の前には沓脱石と飛石があります。飛び石は古い寺院などの礎石を転用した伽藍石ですが、その由来は明らかでないようです。
2階は大広間です。 -
庭園
裏庭にも蹲踞や山燈籠が見られます。
1階は右から「つるの間」「うぐいすの間」「もみじの間」です。
2階は大広間です。
この続きは青嵐薫風 伊勢紀行⑥二見興玉神社でお届けします。
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