亀有・柴又旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回は、あの「フーテンの寅さん」で有名な葛飾柴又周辺を散策してみました。JR「金町駅」まで行き、京成金町線に乗り換え「柴又駅」で下車しました。主な目的地としては、「寅さん」と関連のある「帝釈天参道」、「柴又帝釈天題経寺」、「葛飾柴又寅さん記念館」、「山田洋次ミュージアム」や周辺にある「おりつ地蔵尊」、「柴又ハイカラ横丁」、「柴又八幡神社」、「良観寺」などを散策して回りました。また、テレビでも紹介された「い志い」の念願の「米米ロール」も買うことができました。まず、下車して改札口を出ると「フーテンの寅像と見送るさくら像」が出迎えてくれます。正確には、お見送りでしょうか。「フーテンの寅像と見送るさくら像」の右手にみずほ銀行のATMがあります。「おりつ地蔵尊」は、その通りの反対側にあります。京成線柴又駅前の右手にある店舗の裏側に、実父に虐待されて亡くなった律子の「おりつ地蔵尊」がひっそりと祀ってあります。そして、少し先に「柴又観光案内所」があり、「帝釈天」周辺の観光名所の説明を聞くこともできるので、散策ルートやその位置関係がよく分かります。そのすぐ近辺には、昭和レトロの「柴又ハイカラ横丁・柴又のおもちゃ博物館」があります。昔は、喫茶店などによく置いてあった机型のインベーダーゲームなど青春を彷彿させるゲーム機ですね。その向かい側には、「渥美清」が寄贈の「常夜灯」、「山田洋次監督」の自筆による映画「男はつらいよ」でおなじみのセリフが刻まれている「映画の碑」、そして道路を挟んだ反対側には、弘化2年(1845年)に建てられた「帝釈天王安置の碑」が設置されています。信号(表示名「帝釈天参道」)の横断報道を渡ると、「柴又帝釈天」の「二天門」まで200メートルほどの間に、昭和の昔を思い出させるようなレトロ商店街が軒を連ねています。参道のレトロ感を満喫しながら進むと「柴又帝釈天題経寺」の「二天門」があります。「二天門」の先には、「瑞竜の松」が覆いかぶさるように「帝釈堂」が建っています。奥に進むと「庭園・彫刻ギャラリー」があります。「彫刻ギャラリー」は、「帝釈堂内陣」の外側にある十枚の胴羽目彫刻です。「彫刻ギャラリー」を見学した後は、「邃渓園」へ進みます。「邃渓園」は、昭和40年(1965年)から昭和47年(1972年)の7年の歳月をかけて、造園師、「永井楽山」によって改修、完成されました。次は、「柴又帝釈天題経寺」の裏手にある地域を散策します。まず訪れたのは、「葛飾区山本亭」です。「山本亭」は、「山本栄之助」の自宅で、4代にわたって使われていたものを、昭和63年(1988年)に葛飾区が取得し、平成3年(1991年)4月から一般に公開しました。次が、「山本亭」に隣接し、同じ敷地内にある「葛飾柴又寅さん記念館」と「山田洋次ミュージアム」です。「葛飾柴又寅さん記念館」は、入場するや否や部屋が暗くなり、「映画男はつらいよ」の音楽がBGMで流れてきます。気分が高揚してきて、自分も「映画男はつらいよ」の世界へと引き込まれていきます。「山田洋次ミュージアム」は、ミュージアムの規模としては小さい方だと思いますが、「山田洋次」監督の想いの詰まった作品や撮影道具が所狭しと展示されていました。この後は、電車の車窓から見え、ちょっと気になった「柴又八幡神社」、「良観寺」を訪れました。取りまとめる下記のような順路になりました。<br /><br />《「葛飾柴又付近の散策」の見学順路等》<br />①《フーテンの寅像と見送るさくら像》⇒②《おりつ地蔵尊》⇒③《柴又観光案内所》⇒④《柴又ハイカラ横丁》⇒⑤《渥美清寄贈の常夜灯》⇒⑥《帝釈天王安置の碑と映画の碑》⇒⑦《帝釈天参道》⇒⑧《柴又帝釈天題経寺》⇒⑨《葛飾区山本亭》⇒⑩《葛飾柴又寅さん記念館》⇒⑪《山田洋次ミュージアム》⇒⑫《柴又八幡神社》⇒⑬<br /><br />それでは、これから詳しく「葛飾柴又付近の散策」をリポートしていきたいと思います。<br /><br />01_「フーテンの寅像と見送るさくら像」<br />京成金町線「柴又駅」の改札出口を出るとすぐ正面に「フーテンの寅像」と「見送るさくら像」が観光客を出迎えてくれます。「フーテンの寅像」は、平成11年(1999年)に柴又帝釈天参道商店街と観光客の募金などで建立されました。また、「見送るさくら像」は、「フーテンの寅」役の「渥美清」が亡くなってからの平成29年(2017年)建立されました。きっと寅さんも雲の上で除幕式を見て喜んでいたことでしょう。<br />「見送るさくら像」の台座には山田洋次監督の「ある別れ」というタイトルの短いシナリオが刻まれています。木枯らしが吹く中、いつもの通り失恋した「フーテンの寅」が柴又駅から旅立とうとする際に、「さくら」が見送る物語のシーンを表現したものです。「フーテンの寅さん」の映画は、何度も見ましたが、ほとんどの最後のシーンにこの兄弟愛溢れるシーンを見て、寅さんの明日へ活力と寂しさの中に郷愁を覚えました。それほど忘れることのできない感動的なシーンですね。<br /><br />02_「おりつ地蔵尊」<br />京成線柴又駅前には、「フーテンの寅像と見送るさくら像」以外にも「おりつ地蔵尊」が人目につかないところにひっそりと立っています。「帝釈天の参道」方向ではなく、「フーテンの寅像と見送るさくら像」の右手にみずほ銀行のATMがあります。その通りの反対側にあります。京成線柴又駅前の右手にある店舗の裏側になります。観光客に絶大な人気を誇る「振り向く寅さん像」や「見送るさくら像」が立つ駅前広場では、必ずと言っていいほどその像の前で記念撮影している観光客がいます。この「フーテンの寅像と見送るさくら像」に目を奪われてしまうからか、片隅でたたずむ「おりつ地蔵」に気付く人はほとんどいません。せっかく来たのだから是非見てください。「子育地蔵おりつ地蔵尊」という看板がありその細い道の奥に1mのところに「おりつ地蔵尊」はあります。実は、この「おりつ地蔵尊」には悲しい歴史があります。掲げられた解説板によると、昭和7年(1932年)に、この町で貧しい家庭に生まれた5歳の「律子」が実父に虐待されて亡くなりました。慈愛に恵まれずに世を去った律子への同情が近所で広まり、有志で地蔵を建てることになったと言うものです。どうしてせっかく授かった子供を虐待し、死に至らしめるのでしょうか。私には到底その親の気持ちを理解ができません。私も律子の冥福を祈って次の目的地に向かいました。次は、観光などでは欠かすことのできない情報源である「柴又観光案内所」へ向かいます。<br /><br />03_「柴又観光案内所」<br />「柴又観光案内所」は、「京成線柴又駅」改札で入口から出て、「フーテンの寅像と見送るさくら像」の前を通り過ぎ、「帝釈天参道」方面に70mほど直進すると右手にあります。「柴又観光案内所」の目印は、愛嬌のある「フーテンの寅さん」人形が手を振って迎えてくれます。「京成線柴又駅」から徒歩1分足らずという便利な位置にある葛飾区観光協会が運営する観光案内所です。「京成線柴又駅」に到着したら最初に訪れ、この辺近辺の情報をゲットすることをお薦めします。「柴又観光案内所」では、案内所前に葛飾区の様々な観光パンフレットがスタンドに常備してあります。また、「帝釈天」周辺の観光名所の説明を聞くこともできるので、散策ルートやその位置関係がよく分かります。スタッフの方は、皆さん親切で、何と驚いたことに英語の観光ガイドが常駐しているそうです。「柴又観光案内所」は小さな観光案内所ですが、土産品も「寅さん」グッズや地元葛飾区の工房でつくられた「江戸切子」などの伝統工芸品も販売しています。もちろん葛飾区観光協会が運営する観光案内所なので、無料で利用できますからご安心ください。次は、昔懐かしい思い出が蘇る「柴又ハイカラ横丁」へ向かいます。<br /><br />04_「柴又ハイカラ横丁」<br />「柴又ハイカラ横丁」は、「柴又観光案内所」から徒歩1分70mほど先の「帝釋天参道」の門の左手前にあります。「柴又ハイカラ横丁」は、あの懐かしい東京オリンピック当時に全盛期で町のいたるところにあった昭和の駄菓子屋を連想さるようなレトロな外見の建物が印象的です。「柴又ハイカラ横丁・柴又のおもちゃ博物館」は、1Fが「柴又ハイカラ横丁」、2Fが「柴又のおもちゃ博物館」になっています。歴史は意外と新しく、平成16年 (2004年)にオープンしたものです。お店の中には、駄菓子はもちろんのことブロマイド、昭和の時代のミニゲームといった商品が所狭しと並べられています。駄菓子は、小さい頃よく食べていたものが沢山あり、口の中にその味が蘇ってきます。その奥には、水鉄鉄砲やベーゴマのような子供向けのおもちゃもあり、小さな子供から大人まで楽しめるのが魅力です。むしろ私たち昭和世代にとっては、まさにお宝の玉手箱です。また、温泉地やお祭りでも人気のある射的コーナーが店内にあり、いざやってみるとエキサイトしてしまいます。そして、このゲームコナーには、今はなかなか見ることのない懐かしいゲームを体験することができます。昔は、喫茶店などによく置いてあった机型のインベーダーゲームやファミコンになる前のスーパーマリオなどでも遊ぶことができます。ここでゲームをしていると本来の目的地である「柴又帝釈天題経寺」にたどり着くことができそうにありません。次は、「渥美清寄贈の常夜灯」と「映画の碑」です。<br /><br />04_「渥美清寄贈の常夜灯」と「映画の碑」<br />「渥美清寄贈の常夜灯」と「映画の碑」は、「柴又ハイカラ横丁」の右斜め前にあります。<br />「柴又帝釈天」に行く途中の「帝釈天参道」で「渥美清寄贈の常夜灯」を発見しました。何故ここにあるかというと映画「男はつらいよ」の舞台となった柴又に、「渥美清」が「常夜灯」を寄付したそうです。よく注意してみないと見逃してしまいますのでご注意ください。ちなみに、「男はつらいよ」は、昭和44年 (1969年)の第1作から全50作品が作られ、その中で48作品の主演をしたのが「渥美清」で、最後の2作品は「渥美清」の死後に、それまでに撮影された過去の映像を使用して構成された作品だそうです。「渥美清」が出演した全48作は、「一人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されているそうです。<br />「映画の碑」は、「渥美清」が寄付した「常夜灯」と仲良く肩を並べています。「映画の碑」は、「山田洋次監督」の自筆によるもので、「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します -山田洋次-」と映画「男はつらいよ」でおなじみのセリフが刻まれています。この付近には、このような碑などが何の気なく置かれていますので、よく注意してみないと見逃してしまいますのでご注意ください。次は、参道の反対側にある「帝釈天王安置の碑」です。<br /><br />06_「帝釈天王安置の碑」<br />「帝釈天王安置の碑」は、「渥美清」が寄付した「常夜灯」、山田洋次監督自筆による「映画の碑」の道路を挟んだ反対側に設置されています。「帝釈天王安置の碑」の歴史は古く、安永8年(1779年)の「柴又帝釈天題経寺」の本堂改修工事で発見されました。「日蓮上人」が自ら彫った「帝釈天板本尊」を後世に伝えるべく弘化2年(1845年)に建てられたものだそうです。石碑の傷み具合、汚れを見ると200年近い年月の流れを感じます。この付近には、このような碑などが何の気なく置かれていますので、よく注意してみないと見逃してしまいますのでご注意ください。次は、レトロな昭和気分を味わいながら「帝釈天参道」を抜け「柴又帝釈天題経寺」へ向かいます。<br /><br />07_「帝釈天参道」<br />「帝釈天参道」は、京成金町線「柴又駅」の改札出入口を出て直進し、「柴又観光案内所」の角を右方向に進むと、「帝釈天参道」と書かれた大きな門があります。それを潜れば「帝釈天参道」が「柴又帝釈天」の「二天門」まで200メートルほどの間に、昭和の昔を思い出させるようなレトロ商店街が軒を連ねています。映画「フーテンの寅さん」に出てくるだんご屋のモデルにもなった「亀家本舗」は、合成着色料・香料などを使わない草だんごが楽しめます。店内には映画「男はつらいよ」の写真や作中に登場する「とらや」のモデルとなった亀家の旧店舗の模型なども飾られているので、寅さんファンにはたまらないでしょう。その他に「立花屋」のおせんべい、「吉野家」の草だんご、「代々喜」の矢切の渡しもなか、「船橋屋」のくず餅など見ても食べても美味しそうなお店が目白押しです。そんな中で私が狙いを定めていたのは、テレビでも紹介された「い志い」の「米米ロール」です。テレビでも紹介された後に、2度ほど足を運びましたが、注文が殺到したということで店は閉まっていましたが、今回は店も開いていたので、一か八かで聞いてみると幸いにも「米米ロール」をゲットできました。家に帰って食べるとふわふわした生地で中のクリームも甘くはなくあっさりと食べられました。また、草団子の「木屋老舗」は、映画『男はつらいよ』シリーズの撮影の際、休憩や衣装替えに部屋を貸していたのがきっかけで、主人公・車寅次郎の実家「とらや」で、のちに「くるまや」のモデルとされるようになり、こちらも寅さんとは切っても切れないゆかりの店です。ランチなら川魚料理の「川千家」、「ゑびす家」がお薦めです。何と「川千家」、「ゑびす家」も安永7年(1778年)に帝釈天信仰が盛んになったころから続く老舗だそうです。草だんごに注目が集まりがちですが、そんな「帝釈天」の歴史とともに歩んだ、ランチには川魚料理を楽しむのもいいのではないでしょうか。そうこうするうちに「二天門」前に到着したので「柴又帝釈天題経寺」を散策します。<br /><br />08_「柴又帝釈天題経寺」<br />【「柴又帝釈天題経寺」のお薦め参拝巡路】<br />①《「二天門」》⇒②《「浄行菩薩」》⇒③《「御神水」》⇒④《「瑞竜の松」》⇒⑤《「帝釈堂」》⇒⑥《「彫刻ギャラリー」》⇒⑦《「邃渓園」》 ※その他、多数石碑等もあります。<br /><br />「柴又帝釈天題経寺」境内への入り口はこの「二天門」です。この門を抜けると正面に趣のある「帝釈堂」が建っています。「二天門」は明治29年(1896年)に、江戸期建築の最後の名匠と呼ばれた大工の棟梁の「坂田留吉」によって作り上げられました。総欅造りで、建材を全てケヤキの木を使って組む手法がとられており「固く」「腐りにくい」ケヤキの性質により、建物が長持ちすると同時に芸術的な美しさも醸し出しています。そして、「二天門」には帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の「増長天」、西方守護の「広目天」が目を光らせて邪気を追い払っています。<br />「二天門」を潜り、まず「浄行菩薩」を参拝します。「浄行菩薩」は、この世を浄化し、人々の罪を洗い清め、流してくれるといわれています。続いては、「浄行菩薩」の右手にある「御神水」で手を清めす。<br />次に、「高さ」が約10.0m、「枝張」は東西約16.6m、南北約19.3 m、「目通り幹周」が1.8 mもあり、四方に枝を拡げている「瑞竜の松」の下を通り「帝釈堂」に進みます。「柴又帝釈天題経寺」には宗祖の「日蓮」が自ら彫ったとされる帝釈天の「板本尊」が安置されていたのですが、江戸時代中期に一時所在不明となっていました。その後、安永8年(1779年)に本堂の修復をした際に棟木の上から発見されたものが、この「帝釈堂」に安置されています。そして「御本尊」が発見された日が「庚申」に当たったことから、「柴又帝釈天題経寺」では60日に一度の「庚申の日」を縁日として、「帝釈天板本尊」を開帳しています。「帝釈堂」内に、東方守護の「持国天」、北方を守る「多聞天」が「帝釈天」の脇士として配置され、「帝釈天」を守護しています。<br />次に、「庭園・彫刻ギャラリー共通券」を購入し、まず、「彫刻ギャラリー」を鑑賞します。「帝釈堂」の見どころは内外に、数多くの木彫が施されています。特に有名なのは、「帝釈堂内陣」の外側にある十枚の胴羽目彫刻です。これは、仏教経典の中でも最も有名な「法華経」の説話を選び出して彫刻したものです。「法華経説話彫刻」は、「喜見域」と「帝釈堂」の外壁をめぐる10枚の胴羽目彫刻です。「法華経」は、釈迦の説法を巧みな比喩を用いて物語のように伝える経典です。その説話から抜粋した題材を、ケヤキの一枚板10枚に彫刻しました。法華経の説話を描いた細微な作品で、欅材の木彫は近世法華経美術の頂点をきわめています。「加藤寅之助」が大正11年(1922年)に最初の1枚を彫り上げ、東京在住の名人彫刻師9人に依頼し、昭和9年(1934年)に12年の歳月をかけて完成しました。この「法華経説話彫刻」は、「縦巾」が1.27m、「横巾」が2.27mあります。なお、作品の下絵にあたる彫刻原型は「大客殿」に飾られています。一つ一つの彫刻作品が丁寧に彫られたということが手に取って分かります。こんな素晴らしいものを見ることができて感激です。<br />【法華経説話彫刻の作品名と彫刻者】<br />1 塔供養図…金子光清 2 三車火宅図…木嶋江運 3 一雨等潤図…石川信光<br />4 法師修行図…横谷光一 5 多宝塔出現図…石川銀次朗 6 千載給仕図加府藤 正-<br />7 竜女成仏図山本 一芳 8 病即消滅図今関 光次 9 常不軽菩薩受難図・法華経功徳図…小林直光<br />10 法師守護図…加藤寅之助<br /><br />「彫刻ギャラリー」を見学した後は、「邃渓園」へ進みます。「邃渓園」の由来は、庭園の滝の風情がもの静かであることによるそうです。ここでの庭園鑑賞は疲れた足を休めるのにもってこいの場所です。この「邃渓園」は、昭和40年(1965年)から昭和47年(1972年)の7年の歳月をかけて、造園師、「永井楽山」によって改修、完成されました。「邃渓園」の「大客殿」に入ると、緋毛氈が敷かれた廊下が伸びています。目の前には池を配した庭園が広がっており、落ち着いたたたずまい。優雅な気分で、緑と水が調和する庭を眺めることができます。「邃渓園」の庭園内は立ち入り出来ませんが、屋根のある渡り廊下を巡り、視点を変えながら庭園の美しい景色を楽しむことができ、心も癒され、十分目の保養もできました。特に、Z字型に続く渡り廊下から100mほどの区間が「邃渓園」の一番お薦めの眺望です。次は、「柴又帝釈天題経寺」の裏側のエリアの散策です。まず、「葛飾区山本亭」へ向かいます。<br /><br />09_「葛飾区山本亭」<br />「葛飾区山本亭」へのアクセスは、京成金町線「柴又駅」の出口を出て道なりに直進します。「帝釈天参道」の門を潜り、直進して「帝釈天参道」の下町情緒あふれる風景を堪能しながら「柴又帝釈天題経寺」まで行きます。「柴又帝釈天題経寺」の「二天門」を右折し、「柴又帝釈天題経寺」の周囲を回るように進みます。約200m直進すると「山本亭」の正面入口が目の前に見えてきます。<br />「山本亭」の正面入口の門は木製の趣ある素敵な門です。門を潜り正面玄関へ進みます。こちらの正面玄関は、「山本亭」を鑑賞するための受付入口であって、「旧正面玄関」は反対側の「柴又公園」の前にあります。こちらの「旧正面玄関」には、武家屋敷に見られる伝統的な石造りの「長屋門」です。ただし、現在は結婚式などの公式行事につかわれているようで「旧正面玄関」から中へ入ることはできません。「旧正面玄関」の中には、「人力車」が置かれていました。これはもしかして新郎新婦が乗るものでしょうか。また、「旧正面玄関」の所には、立派な花ショウブの襖絵や接客用として使用されたと思われる「鳳凰の間」なるものもありました。<br />「山本亭」は、山本栄之助の自宅で、4代にわたって使われていたものを、昭和63年(1988年)に葛飾区が取得し、平成3年(1991年)4月から一般に公開しました。また、「山本亭」は、大正末期から昭和初期に増改築された、当時には珍しい二世帯住宅です。<br />受付をすませ巡路にそって進むと朱色の絨毯を敷いた長い廊下があり、左手には、「池泉」、「築山」、「滝」などを設けた典型的な「書院庭園」が目に入ってきます。さらに先に進むと「書院庭園」の美しさだけなく、建物の素晴らしさに圧倒されます。「床の間」、「違い棚」、「明かり障子」、「欄間」からなる「書院造り」、「数奇屋風の天井」などどれも豪華絢爛です。そして、建物の至る所には、当時使っていた火鉢、電話、時計、龜ツボなどが置かれて昔の面影を残しています。そして、興味をもったのが、居間の梁の上に架かっている三つの旧式の柱時計です。それぞれの時計の上に「柴又」、「北京」そして「ウィーン」と表示されていました。それは「柴又」は、「北京」と「ウィーン」と友好都市関係を結んでいるからです。目の覚めるような建物と庭園を鑑賞した後に、「柴又寅さん記念館」に向かいましたが、無料エリアと言ったら語弊がありますが、建物の周辺のきれいに手入れされた庭園、外から見た洋館のハイカラさ、何と戦時中に使用していた歴史的な防空壕までありました。<br />しかし、何より驚いたのは入館料です。素晴らしい建物と庭園も見ることができてわずか100円です。すごく得した気分になりました。ちなみに、「山本亭」、「寅さん記念館」そして「山田洋次ミュージアム」の共通券があって、600円とお得だったのでこちらを利用しました。次は、隣接してある「寅さん記念館」、「山田洋次ミュージアム」へ向かいます。<br /><br />10_「葛飾柴又寅さん記念館」<br />「寅さん記念館」へのアクセスは、京成金町線「柴又駅」の出口を出て道なりに直進します。「帝釈天参道」の門を潜り、直進して「帝釈天参道」の下町情緒あふれる風景を堪能しながら「柴又帝釈天題経寺」まで行きます。「柴又帝釈天題経寺」の「二天門」を右折し、二つ目の角を左折し、約180m直進すると「柴又公園」が正面見えてきます。その角を右折すると「寅さん記念館」で100m進み左折するとチケット売り場があります。私は、「山本亭」を鑑賞したあと「柴又公園」の階段を上り「寅さん記念館」へ行きましたが結構遠回りでした。しかし、「柴又公園」の頂上地点に到達した時に周りを見回すと「江戸川」や「柴又」の街並みをきれいに見渡すことができました。こちらもお薦めです。<br />「寅さん記念館」のチケット売り場を通り過ぎいよいよ入口に向かいます。係の方が入口の前にいて丁寧に案内してくれます。なんと驚き入口の上の方には、寅さんが館名の看板文字を取り付ける作業をしています。そして、真下の床面には、「雪駄」の片方が彫られていました。最初から驚かされました。そして、入場するや否や部屋が暗くなり、「映画男はつらいよ」の音楽がBGMで流れてきます。気分が高揚してきて、自分も「映画男はつらいよ」の世界へと引き込まれていきます。この部屋には、寅さんの衣装も展示してありました。その部屋を抜けると目の前に帝釈天が出現してきました。右側には名物草団子屋の「くるまや」があり、まさに帝釈天参道のミニュチュアの世界です。「くるまや」に入ると映画の世界そのものです。寅さんも奥の方にいました。続いては、「朝日印刷」で、タコ社長や寅さんの弟の博も印刷をしていました。次が、「帝釈天参道」の店舗が並んだ模型が遠近法で現れてきます。先ほどはミニュチュアの世界でしたがこれは本物の世界と見間違えるほど精巧に再現されています。そして、寅さんが愛してやまなかった鈍行の夜行列車、最後は、歴代のマドンのポスターなどが映像で映し出されました。どれもこれも懐かしいものばかりで感動しました。次は、おなじ敷地内にある「山田洋次ミュージアム」へ向かいます。<br /><br />11_「山田洋次ミュージアム」<br />「寅さん記念館」を見学した後に「山田洋次ミュージアム」という巡路になっているみたいです。「山田洋次ミュージアム」に入りました。入口を入ると中に係員の方がいて、チケットを提示するだけでオーケーです。入るとすぐに温和な表情をした「山田洋次像」が出迎えてくれます。ミュージアムの規模としては小さい方だと思いますが、「山田洋次」監督の想いの詰まった作品や撮影道具が所狭しと展示されていました。デビュー作から「男はつらいよ」誕生までの作品が大きなパネル形式でジャンル別に並べられていました。「幸福の黄色いハンカチーフ」、「たそがれ清兵衛」、「母べえ」、「」おとおと」などの不朽の名作が各時代の背景をテーマに紹介されています。「柴又キネマ」と称したミニシアターでは、「山田洋次」監督の全作品の予告篇が上映されていました。そして、実際に使用したカメラ、照明、録音、編集機材などの「映画撮影器材」も中央のコーナーにありました。まさに、「山田洋次」監督の映画作りに携わった器材です。そして、出口付近には「国民栄誉賞」のメダルも展示されていました。ちなみに、台東区の上野公園入口付近には、「国民栄誉賞」の手形石碑がありその中に「山田洋次」監督の手形もありますので興味のある方は是非みてください。「寅さん記念館」そして「山田洋次ミュージアム」を見て昭和の歴史の変動と人々の心の変化を思い出すことができました。そして、一番印象に残ったのは、デビュー作から「男はつらいよ」誕生までのコーナーに書かれていた「山田洋次」監督のことばです。「ぼくの作品は、必ずといっていいほど 社会からはみ出してしまった人間が主人公で、一流大学を出たエリートの技術者とか、権力者、実力者とかいう人が主人公になったことは一度もありません。」ということばです。だからこそ「山田洋次」監督は、国民から慕われた不滅の映画作品を制作できたのでしょう。次は、電車の車窓から見え気になった「柴又八幡神社」へ向かいます。<br /><br />12_「柴又八幡神社」<br />「京成金町線」で「京成金町駅」から「柴又駅」へ行く途中に、電車の窓からなにやら興味を引くお寺が目に留まりました。今日は、「帝釈天」エリアを主に散策しに来ましたが、急きょ予定を追加して「柴又八幡神社」を訪ねることにしました。「柴又八幡神社」へのアクセスは、京成金町線「柴又駅」の出口を出て道なりに直進します。「柴又観光案内所」を左折し、道なりに60m進みます。京成金町線の踏切がありますので、それを渡るとすぐ右手に「柴又八幡神社」があります。当日は、「山田洋次ミュージアム」を見て向かいました。<br />「柴又八幡神社」に入ると「鳥居」の手前左右に何やら解説板が目に入りましたので、足を止めて読んでみることにしました。左側にあるのが「柴又八幡神社の古墳石室」、右側にあるのが「柴又八幡神社の神獅子」という解説板でした。「柴又八幡神社の古墳石室」によると昭和40年(1965年)から古墳の調査が行われました。現在の社殿を中心に20mから30mの大きさの6世紀末の円墳で、遺骨や埴輪、直刀、馬具、須恵器などが出土したそうです。「柴又八幡神社の神獅子」には、昔からの伝承が記載され、10月の例大祭に奉納される神獅子舞は疫病除けの信仰で知られ、葛飾区の無形民俗文化財に指定されているそうです。いよいよ「石鳥居」を潜り参道に入ります。「鳥居」の「扁額」の写真を撮ろうと上に視線を移したところ、立派な松の枝が「鳥居」に覆いかぶさるように生えていました。その立派な松の根元付近には「鳳凰の松」という石碑が建っていました。その先には、「手水舎」がありました。さらに先に進むと「社殿」までの間には、「石灯籠」が八個ありその前を通り過ぎると「狛犬」がいます。そして、「社殿」にたどり着きました。「社殿」は「柴又八幡神社古墳」の上に建ち、「社殿」の下に「石室」が隠されています。古墳からは帽子のようなものを被った、いかにも寅さん風の埴輪が出土し、「寅さん埴輪」と呼ばれています。「寅さん埴輪」が出土した日は、偶然にも渥美清の命日だったので、マスコミ等で大きな反響を呼びました。現在、その埴輪は、「葛飾区郷土と天文の博物館」に展示されています。参拝後に、「社殿」の裏手に回ってみると途中にも「柴又用水の碑」、「柴又勧農事績碑」、「改耕碑」そして「整地碑」など農業に関連する碑がありました。裏手に回ると古墳に関連する碑で、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、その上に石畳の塚を築いたそうです。「島俣塚」というそうで、その石碑もありました。そして、「社殿」の正面に戻ってくると「社務所」そして最後に、「柴又の三匹獅子舞」が行われる「神楽殿」がありました。<br /><br />13_「良観寺」<br />やはり「良観寺」も「京成金町線」で「京成金町駅」から「柴又駅」へ行く途中に電車の窓から、お寺の境内に何やら大きな石像が目に留まり、これが旅の最後になります。「柴又八幡神社」からは、徒歩5分350mほどの距離にあります。<br />「良観寺」へのアクセスは、「柴又駅」の出口を出て道なりに進むと「柴又観光所」の先を左折し、京成金町線の線路沿いに直進すると「柴又街道」にでます。さらに直進すると左手に「良観寺」が見え、最初の踏切を渡れば「良観寺」は、葛飾区柴又にある真言宗豊山派の寺院で、弘誓山観音院と号します。「柴又七福神の宝袋尊」、「江戸川七福神」の布袋尊として祀られているほか、「南葛八十八ヶ所霊場の52番」、「西新井組中川通四箇領八十八箇所29番」のお寺としても知られています。そして、「良観寺」の歴史を紐解いてみると、「良観寺」の創建年代は不詳ですが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に「念仏堂」として建立されていたと考えられます。江戸時代初期に「両観寺」、「了観寺」として一寺となっていたといわれています。<br />「良観寺」の「山門」の所に着きます。「山門」を入ると左手に「柴又七福神」、右手に「六地蔵尊」、「子育て地蔵尊」そして100体ほどある「やすらぎの地蔵」がありそれぞれ風車に彩られています。少し進むとお目当ての電車の窓から見えた大きな「願掛け寶袋尊」がありました。小さなお寺ですが、なかなか本堂や境内も綺麗に整備されたお寺という印象を受けました。お願い事は解説板に書いてある通り、今の現実的な希望が叶うように願いました。これで安心して帰路につくことができます。<br />

葛飾柴又付近の散策~フーテンの寅さんのゆかりの地そして彫刻のお寺帝釈天を訪ねて~

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2023/12/05 - 2023/12/05

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この旅行記のスケジュール

2023/12/05

  • 北千住駅(09:08発)⇒金町駅(09:10着) ※東京メトロ千代田線我孫子行き(JR直通)

  • 京成金町駅(09:20発)⇒柴又駅(09:22着) ※京成金町線

この旅行記スケジュールを元に

今回は、あの「フーテンの寅さん」で有名な葛飾柴又周辺を散策してみました。JR「金町駅」まで行き、京成金町線に乗り換え「柴又駅」で下車しました。主な目的地としては、「寅さん」と関連のある「帝釈天参道」、「柴又帝釈天題経寺」、「葛飾柴又寅さん記念館」、「山田洋次ミュージアム」や周辺にある「おりつ地蔵尊」、「柴又ハイカラ横丁」、「柴又八幡神社」、「良観寺」などを散策して回りました。また、テレビでも紹介された「い志い」の念願の「米米ロール」も買うことができました。まず、下車して改札口を出ると「フーテンの寅像と見送るさくら像」が出迎えてくれます。正確には、お見送りでしょうか。「フーテンの寅像と見送るさくら像」の右手にみずほ銀行のATMがあります。「おりつ地蔵尊」は、その通りの反対側にあります。京成線柴又駅前の右手にある店舗の裏側に、実父に虐待されて亡くなった律子の「おりつ地蔵尊」がひっそりと祀ってあります。そして、少し先に「柴又観光案内所」があり、「帝釈天」周辺の観光名所の説明を聞くこともできるので、散策ルートやその位置関係がよく分かります。そのすぐ近辺には、昭和レトロの「柴又ハイカラ横丁・柴又のおもちゃ博物館」があります。昔は、喫茶店などによく置いてあった机型のインベーダーゲームなど青春を彷彿させるゲーム機ですね。その向かい側には、「渥美清」が寄贈の「常夜灯」、「山田洋次監督」の自筆による映画「男はつらいよ」でおなじみのセリフが刻まれている「映画の碑」、そして道路を挟んだ反対側には、弘化2年(1845年)に建てられた「帝釈天王安置の碑」が設置されています。信号(表示名「帝釈天参道」)の横断報道を渡ると、「柴又帝釈天」の「二天門」まで200メートルほどの間に、昭和の昔を思い出させるようなレトロ商店街が軒を連ねています。参道のレトロ感を満喫しながら進むと「柴又帝釈天題経寺」の「二天門」があります。「二天門」の先には、「瑞竜の松」が覆いかぶさるように「帝釈堂」が建っています。奥に進むと「庭園・彫刻ギャラリー」があります。「彫刻ギャラリー」は、「帝釈堂内陣」の外側にある十枚の胴羽目彫刻です。「彫刻ギャラリー」を見学した後は、「邃渓園」へ進みます。「邃渓園」は、昭和40年(1965年)から昭和47年(1972年)の7年の歳月をかけて、造園師、「永井楽山」によって改修、完成されました。次は、「柴又帝釈天題経寺」の裏手にある地域を散策します。まず訪れたのは、「葛飾区山本亭」です。「山本亭」は、「山本栄之助」の自宅で、4代にわたって使われていたものを、昭和63年(1988年)に葛飾区が取得し、平成3年(1991年)4月から一般に公開しました。次が、「山本亭」に隣接し、同じ敷地内にある「葛飾柴又寅さん記念館」と「山田洋次ミュージアム」です。「葛飾柴又寅さん記念館」は、入場するや否や部屋が暗くなり、「映画男はつらいよ」の音楽がBGMで流れてきます。気分が高揚してきて、自分も「映画男はつらいよ」の世界へと引き込まれていきます。「山田洋次ミュージアム」は、ミュージアムの規模としては小さい方だと思いますが、「山田洋次」監督の想いの詰まった作品や撮影道具が所狭しと展示されていました。この後は、電車の車窓から見え、ちょっと気になった「柴又八幡神社」、「良観寺」を訪れました。取りまとめる下記のような順路になりました。

《「葛飾柴又付近の散策」の見学順路等》
①《フーテンの寅像と見送るさくら像》⇒②《おりつ地蔵尊》⇒③《柴又観光案内所》⇒④《柴又ハイカラ横丁》⇒⑤《渥美清寄贈の常夜灯》⇒⑥《帝釈天王安置の碑と映画の碑》⇒⑦《帝釈天参道》⇒⑧《柴又帝釈天題経寺》⇒⑨《葛飾区山本亭》⇒⑩《葛飾柴又寅さん記念館》⇒⑪《山田洋次ミュージアム》⇒⑫《柴又八幡神社》⇒⑬

それでは、これから詳しく「葛飾柴又付近の散策」をリポートしていきたいと思います。

01_「フーテンの寅像と見送るさくら像」
京成金町線「柴又駅」の改札出口を出るとすぐ正面に「フーテンの寅像」と「見送るさくら像」が観光客を出迎えてくれます。「フーテンの寅像」は、平成11年(1999年)に柴又帝釈天参道商店街と観光客の募金などで建立されました。また、「見送るさくら像」は、「フーテンの寅」役の「渥美清」が亡くなってからの平成29年(2017年)建立されました。きっと寅さんも雲の上で除幕式を見て喜んでいたことでしょう。
「見送るさくら像」の台座には山田洋次監督の「ある別れ」というタイトルの短いシナリオが刻まれています。木枯らしが吹く中、いつもの通り失恋した「フーテンの寅」が柴又駅から旅立とうとする際に、「さくら」が見送る物語のシーンを表現したものです。「フーテンの寅さん」の映画は、何度も見ましたが、ほとんどの最後のシーンにこの兄弟愛溢れるシーンを見て、寅さんの明日へ活力と寂しさの中に郷愁を覚えました。それほど忘れることのできない感動的なシーンですね。

02_「おりつ地蔵尊」
京成線柴又駅前には、「フーテンの寅像と見送るさくら像」以外にも「おりつ地蔵尊」が人目につかないところにひっそりと立っています。「帝釈天の参道」方向ではなく、「フーテンの寅像と見送るさくら像」の右手にみずほ銀行のATMがあります。その通りの反対側にあります。京成線柴又駅前の右手にある店舗の裏側になります。観光客に絶大な人気を誇る「振り向く寅さん像」や「見送るさくら像」が立つ駅前広場では、必ずと言っていいほどその像の前で記念撮影している観光客がいます。この「フーテンの寅像と見送るさくら像」に目を奪われてしまうからか、片隅でたたずむ「おりつ地蔵」に気付く人はほとんどいません。せっかく来たのだから是非見てください。「子育地蔵おりつ地蔵尊」という看板がありその細い道の奥に1mのところに「おりつ地蔵尊」はあります。実は、この「おりつ地蔵尊」には悲しい歴史があります。掲げられた解説板によると、昭和7年(1932年)に、この町で貧しい家庭に生まれた5歳の「律子」が実父に虐待されて亡くなりました。慈愛に恵まれずに世を去った律子への同情が近所で広まり、有志で地蔵を建てることになったと言うものです。どうしてせっかく授かった子供を虐待し、死に至らしめるのでしょうか。私には到底その親の気持ちを理解ができません。私も律子の冥福を祈って次の目的地に向かいました。次は、観光などでは欠かすことのできない情報源である「柴又観光案内所」へ向かいます。

03_「柴又観光案内所」
「柴又観光案内所」は、「京成線柴又駅」改札で入口から出て、「フーテンの寅像と見送るさくら像」の前を通り過ぎ、「帝釈天参道」方面に70mほど直進すると右手にあります。「柴又観光案内所」の目印は、愛嬌のある「フーテンの寅さん」人形が手を振って迎えてくれます。「京成線柴又駅」から徒歩1分足らずという便利な位置にある葛飾区観光協会が運営する観光案内所です。「京成線柴又駅」に到着したら最初に訪れ、この辺近辺の情報をゲットすることをお薦めします。「柴又観光案内所」では、案内所前に葛飾区の様々な観光パンフレットがスタンドに常備してあります。また、「帝釈天」周辺の観光名所の説明を聞くこともできるので、散策ルートやその位置関係がよく分かります。スタッフの方は、皆さん親切で、何と驚いたことに英語の観光ガイドが常駐しているそうです。「柴又観光案内所」は小さな観光案内所ですが、土産品も「寅さん」グッズや地元葛飾区の工房でつくられた「江戸切子」などの伝統工芸品も販売しています。もちろん葛飾区観光協会が運営する観光案内所なので、無料で利用できますからご安心ください。次は、昔懐かしい思い出が蘇る「柴又ハイカラ横丁」へ向かいます。

04_「柴又ハイカラ横丁」
「柴又ハイカラ横丁」は、「柴又観光案内所」から徒歩1分70mほど先の「帝釋天参道」の門の左手前にあります。「柴又ハイカラ横丁」は、あの懐かしい東京オリンピック当時に全盛期で町のいたるところにあった昭和の駄菓子屋を連想さるようなレトロな外見の建物が印象的です。「柴又ハイカラ横丁・柴又のおもちゃ博物館」は、1Fが「柴又ハイカラ横丁」、2Fが「柴又のおもちゃ博物館」になっています。歴史は意外と新しく、平成16年 (2004年)にオープンしたものです。お店の中には、駄菓子はもちろんのことブロマイド、昭和の時代のミニゲームといった商品が所狭しと並べられています。駄菓子は、小さい頃よく食べていたものが沢山あり、口の中にその味が蘇ってきます。その奥には、水鉄鉄砲やベーゴマのような子供向けのおもちゃもあり、小さな子供から大人まで楽しめるのが魅力です。むしろ私たち昭和世代にとっては、まさにお宝の玉手箱です。また、温泉地やお祭りでも人気のある射的コーナーが店内にあり、いざやってみるとエキサイトしてしまいます。そして、このゲームコナーには、今はなかなか見ることのない懐かしいゲームを体験することができます。昔は、喫茶店などによく置いてあった机型のインベーダーゲームやファミコンになる前のスーパーマリオなどでも遊ぶことができます。ここでゲームをしていると本来の目的地である「柴又帝釈天題経寺」にたどり着くことができそうにありません。次は、「渥美清寄贈の常夜灯」と「映画の碑」です。

04_「渥美清寄贈の常夜灯」と「映画の碑」
「渥美清寄贈の常夜灯」と「映画の碑」は、「柴又ハイカラ横丁」の右斜め前にあります。
「柴又帝釈天」に行く途中の「帝釈天参道」で「渥美清寄贈の常夜灯」を発見しました。何故ここにあるかというと映画「男はつらいよ」の舞台となった柴又に、「渥美清」が「常夜灯」を寄付したそうです。よく注意してみないと見逃してしまいますのでご注意ください。ちなみに、「男はつらいよ」は、昭和44年 (1969年)の第1作から全50作品が作られ、その中で48作品の主演をしたのが「渥美清」で、最後の2作品は「渥美清」の死後に、それまでに撮影された過去の映像を使用して構成された作品だそうです。「渥美清」が出演した全48作は、「一人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されているそうです。
「映画の碑」は、「渥美清」が寄付した「常夜灯」と仲良く肩を並べています。「映画の碑」は、「山田洋次監督」の自筆によるもので、「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します -山田洋次-」と映画「男はつらいよ」でおなじみのセリフが刻まれています。この付近には、このような碑などが何の気なく置かれていますので、よく注意してみないと見逃してしまいますのでご注意ください。次は、参道の反対側にある「帝釈天王安置の碑」です。

06_「帝釈天王安置の碑」
「帝釈天王安置の碑」は、「渥美清」が寄付した「常夜灯」、山田洋次監督自筆による「映画の碑」の道路を挟んだ反対側に設置されています。「帝釈天王安置の碑」の歴史は古く、安永8年(1779年)の「柴又帝釈天題経寺」の本堂改修工事で発見されました。「日蓮上人」が自ら彫った「帝釈天板本尊」を後世に伝えるべく弘化2年(1845年)に建てられたものだそうです。石碑の傷み具合、汚れを見ると200年近い年月の流れを感じます。この付近には、このような碑などが何の気なく置かれていますので、よく注意してみないと見逃してしまいますのでご注意ください。次は、レトロな昭和気分を味わいながら「帝釈天参道」を抜け「柴又帝釈天題経寺」へ向かいます。

07_「帝釈天参道」
「帝釈天参道」は、京成金町線「柴又駅」の改札出入口を出て直進し、「柴又観光案内所」の角を右方向に進むと、「帝釈天参道」と書かれた大きな門があります。それを潜れば「帝釈天参道」が「柴又帝釈天」の「二天門」まで200メートルほどの間に、昭和の昔を思い出させるようなレトロ商店街が軒を連ねています。映画「フーテンの寅さん」に出てくるだんご屋のモデルにもなった「亀家本舗」は、合成着色料・香料などを使わない草だんごが楽しめます。店内には映画「男はつらいよ」の写真や作中に登場する「とらや」のモデルとなった亀家の旧店舗の模型なども飾られているので、寅さんファンにはたまらないでしょう。その他に「立花屋」のおせんべい、「吉野家」の草だんご、「代々喜」の矢切の渡しもなか、「船橋屋」のくず餅など見ても食べても美味しそうなお店が目白押しです。そんな中で私が狙いを定めていたのは、テレビでも紹介された「い志い」の「米米ロール」です。テレビでも紹介された後に、2度ほど足を運びましたが、注文が殺到したということで店は閉まっていましたが、今回は店も開いていたので、一か八かで聞いてみると幸いにも「米米ロール」をゲットできました。家に帰って食べるとふわふわした生地で中のクリームも甘くはなくあっさりと食べられました。また、草団子の「木屋老舗」は、映画『男はつらいよ』シリーズの撮影の際、休憩や衣装替えに部屋を貸していたのがきっかけで、主人公・車寅次郎の実家「とらや」で、のちに「くるまや」のモデルとされるようになり、こちらも寅さんとは切っても切れないゆかりの店です。ランチなら川魚料理の「川千家」、「ゑびす家」がお薦めです。何と「川千家」、「ゑびす家」も安永7年(1778年)に帝釈天信仰が盛んになったころから続く老舗だそうです。草だんごに注目が集まりがちですが、そんな「帝釈天」の歴史とともに歩んだ、ランチには川魚料理を楽しむのもいいのではないでしょうか。そうこうするうちに「二天門」前に到着したので「柴又帝釈天題経寺」を散策します。

08_「柴又帝釈天題経寺」
【「柴又帝釈天題経寺」のお薦め参拝巡路】
①《「二天門」》⇒②《「浄行菩薩」》⇒③《「御神水」》⇒④《「瑞竜の松」》⇒⑤《「帝釈堂」》⇒⑥《「彫刻ギャラリー」》⇒⑦《「邃渓園」》 ※その他、多数石碑等もあります。

「柴又帝釈天題経寺」境内への入り口はこの「二天門」です。この門を抜けると正面に趣のある「帝釈堂」が建っています。「二天門」は明治29年(1896年)に、江戸期建築の最後の名匠と呼ばれた大工の棟梁の「坂田留吉」によって作り上げられました。総欅造りで、建材を全てケヤキの木を使って組む手法がとられており「固く」「腐りにくい」ケヤキの性質により、建物が長持ちすると同時に芸術的な美しさも醸し出しています。そして、「二天門」には帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の「増長天」、西方守護の「広目天」が目を光らせて邪気を追い払っています。
「二天門」を潜り、まず「浄行菩薩」を参拝します。「浄行菩薩」は、この世を浄化し、人々の罪を洗い清め、流してくれるといわれています。続いては、「浄行菩薩」の右手にある「御神水」で手を清めす。
次に、「高さ」が約10.0m、「枝張」は東西約16.6m、南北約19.3 m、「目通り幹周」が1.8 mもあり、四方に枝を拡げている「瑞竜の松」の下を通り「帝釈堂」に進みます。「柴又帝釈天題経寺」には宗祖の「日蓮」が自ら彫ったとされる帝釈天の「板本尊」が安置されていたのですが、江戸時代中期に一時所在不明となっていました。その後、安永8年(1779年)に本堂の修復をした際に棟木の上から発見されたものが、この「帝釈堂」に安置されています。そして「御本尊」が発見された日が「庚申」に当たったことから、「柴又帝釈天題経寺」では60日に一度の「庚申の日」を縁日として、「帝釈天板本尊」を開帳しています。「帝釈堂」内に、東方守護の「持国天」、北方を守る「多聞天」が「帝釈天」の脇士として配置され、「帝釈天」を守護しています。
次に、「庭園・彫刻ギャラリー共通券」を購入し、まず、「彫刻ギャラリー」を鑑賞します。「帝釈堂」の見どころは内外に、数多くの木彫が施されています。特に有名なのは、「帝釈堂内陣」の外側にある十枚の胴羽目彫刻です。これは、仏教経典の中でも最も有名な「法華経」の説話を選び出して彫刻したものです。「法華経説話彫刻」は、「喜見域」と「帝釈堂」の外壁をめぐる10枚の胴羽目彫刻です。「法華経」は、釈迦の説法を巧みな比喩を用いて物語のように伝える経典です。その説話から抜粋した題材を、ケヤキの一枚板10枚に彫刻しました。法華経の説話を描いた細微な作品で、欅材の木彫は近世法華経美術の頂点をきわめています。「加藤寅之助」が大正11年(1922年)に最初の1枚を彫り上げ、東京在住の名人彫刻師9人に依頼し、昭和9年(1934年)に12年の歳月をかけて完成しました。この「法華経説話彫刻」は、「縦巾」が1.27m、「横巾」が2.27mあります。なお、作品の下絵にあたる彫刻原型は「大客殿」に飾られています。一つ一つの彫刻作品が丁寧に彫られたということが手に取って分かります。こんな素晴らしいものを見ることができて感激です。
【法華経説話彫刻の作品名と彫刻者】
1 塔供養図…金子光清 2 三車火宅図…木嶋江運 3 一雨等潤図…石川信光
4 法師修行図…横谷光一 5 多宝塔出現図…石川銀次朗 6 千載給仕図加府藤 正-
7 竜女成仏図山本 一芳 8 病即消滅図今関 光次 9 常不軽菩薩受難図・法華経功徳図…小林直光
10 法師守護図…加藤寅之助

「彫刻ギャラリー」を見学した後は、「邃渓園」へ進みます。「邃渓園」の由来は、庭園の滝の風情がもの静かであることによるそうです。ここでの庭園鑑賞は疲れた足を休めるのにもってこいの場所です。この「邃渓園」は、昭和40年(1965年)から昭和47年(1972年)の7年の歳月をかけて、造園師、「永井楽山」によって改修、完成されました。「邃渓園」の「大客殿」に入ると、緋毛氈が敷かれた廊下が伸びています。目の前には池を配した庭園が広がっており、落ち着いたたたずまい。優雅な気分で、緑と水が調和する庭を眺めることができます。「邃渓園」の庭園内は立ち入り出来ませんが、屋根のある渡り廊下を巡り、視点を変えながら庭園の美しい景色を楽しむことができ、心も癒され、十分目の保養もできました。特に、Z字型に続く渡り廊下から100mほどの区間が「邃渓園」の一番お薦めの眺望です。次は、「柴又帝釈天題経寺」の裏側のエリアの散策です。まず、「葛飾区山本亭」へ向かいます。

09_「葛飾区山本亭」
「葛飾区山本亭」へのアクセスは、京成金町線「柴又駅」の出口を出て道なりに直進します。「帝釈天参道」の門を潜り、直進して「帝釈天参道」の下町情緒あふれる風景を堪能しながら「柴又帝釈天題経寺」まで行きます。「柴又帝釈天題経寺」の「二天門」を右折し、「柴又帝釈天題経寺」の周囲を回るように進みます。約200m直進すると「山本亭」の正面入口が目の前に見えてきます。
「山本亭」の正面入口の門は木製の趣ある素敵な門です。門を潜り正面玄関へ進みます。こちらの正面玄関は、「山本亭」を鑑賞するための受付入口であって、「旧正面玄関」は反対側の「柴又公園」の前にあります。こちらの「旧正面玄関」には、武家屋敷に見られる伝統的な石造りの「長屋門」です。ただし、現在は結婚式などの公式行事につかわれているようで「旧正面玄関」から中へ入ることはできません。「旧正面玄関」の中には、「人力車」が置かれていました。これはもしかして新郎新婦が乗るものでしょうか。また、「旧正面玄関」の所には、立派な花ショウブの襖絵や接客用として使用されたと思われる「鳳凰の間」なるものもありました。
「山本亭」は、山本栄之助の自宅で、4代にわたって使われていたものを、昭和63年(1988年)に葛飾区が取得し、平成3年(1991年)4月から一般に公開しました。また、「山本亭」は、大正末期から昭和初期に増改築された、当時には珍しい二世帯住宅です。
受付をすませ巡路にそって進むと朱色の絨毯を敷いた長い廊下があり、左手には、「池泉」、「築山」、「滝」などを設けた典型的な「書院庭園」が目に入ってきます。さらに先に進むと「書院庭園」の美しさだけなく、建物の素晴らしさに圧倒されます。「床の間」、「違い棚」、「明かり障子」、「欄間」からなる「書院造り」、「数奇屋風の天井」などどれも豪華絢爛です。そして、建物の至る所には、当時使っていた火鉢、電話、時計、龜ツボなどが置かれて昔の面影を残しています。そして、興味をもったのが、居間の梁の上に架かっている三つの旧式の柱時計です。それぞれの時計の上に「柴又」、「北京」そして「ウィーン」と表示されていました。それは「柴又」は、「北京」と「ウィーン」と友好都市関係を結んでいるからです。目の覚めるような建物と庭園を鑑賞した後に、「柴又寅さん記念館」に向かいましたが、無料エリアと言ったら語弊がありますが、建物の周辺のきれいに手入れされた庭園、外から見た洋館のハイカラさ、何と戦時中に使用していた歴史的な防空壕までありました。
しかし、何より驚いたのは入館料です。素晴らしい建物と庭園も見ることができてわずか100円です。すごく得した気分になりました。ちなみに、「山本亭」、「寅さん記念館」そして「山田洋次ミュージアム」の共通券があって、600円とお得だったのでこちらを利用しました。次は、隣接してある「寅さん記念館」、「山田洋次ミュージアム」へ向かいます。

10_「葛飾柴又寅さん記念館」
「寅さん記念館」へのアクセスは、京成金町線「柴又駅」の出口を出て道なりに直進します。「帝釈天参道」の門を潜り、直進して「帝釈天参道」の下町情緒あふれる風景を堪能しながら「柴又帝釈天題経寺」まで行きます。「柴又帝釈天題経寺」の「二天門」を右折し、二つ目の角を左折し、約180m直進すると「柴又公園」が正面見えてきます。その角を右折すると「寅さん記念館」で100m進み左折するとチケット売り場があります。私は、「山本亭」を鑑賞したあと「柴又公園」の階段を上り「寅さん記念館」へ行きましたが結構遠回りでした。しかし、「柴又公園」の頂上地点に到達した時に周りを見回すと「江戸川」や「柴又」の街並みをきれいに見渡すことができました。こちらもお薦めです。
「寅さん記念館」のチケット売り場を通り過ぎいよいよ入口に向かいます。係の方が入口の前にいて丁寧に案内してくれます。なんと驚き入口の上の方には、寅さんが館名の看板文字を取り付ける作業をしています。そして、真下の床面には、「雪駄」の片方が彫られていました。最初から驚かされました。そして、入場するや否や部屋が暗くなり、「映画男はつらいよ」の音楽がBGMで流れてきます。気分が高揚してきて、自分も「映画男はつらいよ」の世界へと引き込まれていきます。この部屋には、寅さんの衣装も展示してありました。その部屋を抜けると目の前に帝釈天が出現してきました。右側には名物草団子屋の「くるまや」があり、まさに帝釈天参道のミニュチュアの世界です。「くるまや」に入ると映画の世界そのものです。寅さんも奥の方にいました。続いては、「朝日印刷」で、タコ社長や寅さんの弟の博も印刷をしていました。次が、「帝釈天参道」の店舗が並んだ模型が遠近法で現れてきます。先ほどはミニュチュアの世界でしたがこれは本物の世界と見間違えるほど精巧に再現されています。そして、寅さんが愛してやまなかった鈍行の夜行列車、最後は、歴代のマドンのポスターなどが映像で映し出されました。どれもこれも懐かしいものばかりで感動しました。次は、おなじ敷地内にある「山田洋次ミュージアム」へ向かいます。

11_「山田洋次ミュージアム」
「寅さん記念館」を見学した後に「山田洋次ミュージアム」という巡路になっているみたいです。「山田洋次ミュージアム」に入りました。入口を入ると中に係員の方がいて、チケットを提示するだけでオーケーです。入るとすぐに温和な表情をした「山田洋次像」が出迎えてくれます。ミュージアムの規模としては小さい方だと思いますが、「山田洋次」監督の想いの詰まった作品や撮影道具が所狭しと展示されていました。デビュー作から「男はつらいよ」誕生までの作品が大きなパネル形式でジャンル別に並べられていました。「幸福の黄色いハンカチーフ」、「たそがれ清兵衛」、「母べえ」、「」おとおと」などの不朽の名作が各時代の背景をテーマに紹介されています。「柴又キネマ」と称したミニシアターでは、「山田洋次」監督の全作品の予告篇が上映されていました。そして、実際に使用したカメラ、照明、録音、編集機材などの「映画撮影器材」も中央のコーナーにありました。まさに、「山田洋次」監督の映画作りに携わった器材です。そして、出口付近には「国民栄誉賞」のメダルも展示されていました。ちなみに、台東区の上野公園入口付近には、「国民栄誉賞」の手形石碑がありその中に「山田洋次」監督の手形もありますので興味のある方は是非みてください。「寅さん記念館」そして「山田洋次ミュージアム」を見て昭和の歴史の変動と人々の心の変化を思い出すことができました。そして、一番印象に残ったのは、デビュー作から「男はつらいよ」誕生までのコーナーに書かれていた「山田洋次」監督のことばです。「ぼくの作品は、必ずといっていいほど 社会からはみ出してしまった人間が主人公で、一流大学を出たエリートの技術者とか、権力者、実力者とかいう人が主人公になったことは一度もありません。」ということばです。だからこそ「山田洋次」監督は、国民から慕われた不滅の映画作品を制作できたのでしょう。次は、電車の車窓から見え気になった「柴又八幡神社」へ向かいます。

12_「柴又八幡神社」
「京成金町線」で「京成金町駅」から「柴又駅」へ行く途中に、電車の窓からなにやら興味を引くお寺が目に留まりました。今日は、「帝釈天」エリアを主に散策しに来ましたが、急きょ予定を追加して「柴又八幡神社」を訪ねることにしました。「柴又八幡神社」へのアクセスは、京成金町線「柴又駅」の出口を出て道なりに直進します。「柴又観光案内所」を左折し、道なりに60m進みます。京成金町線の踏切がありますので、それを渡るとすぐ右手に「柴又八幡神社」があります。当日は、「山田洋次ミュージアム」を見て向かいました。
「柴又八幡神社」に入ると「鳥居」の手前左右に何やら解説板が目に入りましたので、足を止めて読んでみることにしました。左側にあるのが「柴又八幡神社の古墳石室」、右側にあるのが「柴又八幡神社の神獅子」という解説板でした。「柴又八幡神社の古墳石室」によると昭和40年(1965年)から古墳の調査が行われました。現在の社殿を中心に20mから30mの大きさの6世紀末の円墳で、遺骨や埴輪、直刀、馬具、須恵器などが出土したそうです。「柴又八幡神社の神獅子」には、昔からの伝承が記載され、10月の例大祭に奉納される神獅子舞は疫病除けの信仰で知られ、葛飾区の無形民俗文化財に指定されているそうです。いよいよ「石鳥居」を潜り参道に入ります。「鳥居」の「扁額」の写真を撮ろうと上に視線を移したところ、立派な松の枝が「鳥居」に覆いかぶさるように生えていました。その立派な松の根元付近には「鳳凰の松」という石碑が建っていました。その先には、「手水舎」がありました。さらに先に進むと「社殿」までの間には、「石灯籠」が八個ありその前を通り過ぎると「狛犬」がいます。そして、「社殿」にたどり着きました。「社殿」は「柴又八幡神社古墳」の上に建ち、「社殿」の下に「石室」が隠されています。古墳からは帽子のようなものを被った、いかにも寅さん風の埴輪が出土し、「寅さん埴輪」と呼ばれています。「寅さん埴輪」が出土した日は、偶然にも渥美清の命日だったので、マスコミ等で大きな反響を呼びました。現在、その埴輪は、「葛飾区郷土と天文の博物館」に展示されています。参拝後に、「社殿」の裏手に回ってみると途中にも「柴又用水の碑」、「柴又勧農事績碑」、「改耕碑」そして「整地碑」など農業に関連する碑がありました。裏手に回ると古墳に関連する碑で、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、その上に石畳の塚を築いたそうです。「島俣塚」というそうで、その石碑もありました。そして、「社殿」の正面に戻ってくると「社務所」そして最後に、「柴又の三匹獅子舞」が行われる「神楽殿」がありました。

13_「良観寺」
やはり「良観寺」も「京成金町線」で「京成金町駅」から「柴又駅」へ行く途中に電車の窓から、お寺の境内に何やら大きな石像が目に留まり、これが旅の最後になります。「柴又八幡神社」からは、徒歩5分350mほどの距離にあります。
「良観寺」へのアクセスは、「柴又駅」の出口を出て道なりに進むと「柴又観光所」の先を左折し、京成金町線の線路沿いに直進すると「柴又街道」にでます。さらに直進すると左手に「良観寺」が見え、最初の踏切を渡れば「良観寺」は、葛飾区柴又にある真言宗豊山派の寺院で、弘誓山観音院と号します。「柴又七福神の宝袋尊」、「江戸川七福神」の布袋尊として祀られているほか、「南葛八十八ヶ所霊場の52番」、「西新井組中川通四箇領八十八箇所29番」のお寺としても知られています。そして、「良観寺」の歴史を紐解いてみると、「良観寺」の創建年代は不詳ですが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に「念仏堂」として建立されていたと考えられます。江戸時代初期に「両観寺」、「了観寺」として一寺となっていたといわれています。
「良観寺」の「山門」の所に着きます。「山門」を入ると左手に「柴又七福神」、右手に「六地蔵尊」、「子育て地蔵尊」そして100体ほどある「やすらぎの地蔵」がありそれぞれ風車に彩られています。少し進むとお目当ての電車の窓から見えた大きな「願掛け寶袋尊」がありました。小さなお寺ですが、なかなか本堂や境内も綺麗に整備されたお寺という印象を受けました。お願い事は解説板に書いてある通り、今の現実的な希望が叶うように願いました。これで安心して帰路につくことができます。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
12いいね!

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