2024/02/18 - 2024/03/01
13位(同エリア32件中)
youさん
これまで黄熱病の予防接種が必要とか、銀行の残高証明が必要など事前のビザ取得が面倒との理由で行けていなかった、西アフリカの国、ガーナ共和国、トーゴ共和国、ベナン共和国、ナイジェリア連邦共和国に、S旅行社の13日間ツアーで行ってきました。
日程は下記。
■2月18日 成田→ソウル経由→アディスアベバ乗換え
■2月19日 ガーナの首都アクラ→ガーナのケープコースト(泊)
■2月20日 ケープコースト・エルミナ観光→クマシ(泊)
2月21日 クマシ観光→クマシ(泊)
2月22日 クマシ→アクラ観光→アクラ(泊)
2月23日 アクラ→国境超えてトーゴの首都ロメ→ロメ(泊)
2月24日 ロメ市内観光→ソコデ(泊)
2月25日 ソコデ→国境を越えてベナンのナティディンゴ(泊)
2月26日 ナティディンゴ観光→アボメー(泊)
2月27日 アボメー→ベナンの中心都市コトヌー(泊)
2月28日 コトヌー→国境を越えてナイジェリアの最大都市ラゴス(泊)
2月29日 ラゴス→アディスアベバ乗換え
3月1日 夜成田
この旅行記は、ガーナのケープコースト観光を掲載します。
表紙の写真は、奴隷積み出し港でもあったエルミナ要塞の屋上からの眺望。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
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2月18日 成田発20時30分 ET-673便にて、ソウル経由アディスアベバに向かった機は、アディスアベバ到着が予定よりも1時間以上遅れました。
ガーナのアクラ行き乗継便は、離陸の時間8時40分を大幅に過ぎていましたが、幸いに沖止め状態で待機しており、私たちはターミナルビルに入ることなくバスで直接移動し、飛行機の後部から搭乗しました。エチオピア航空に感謝。。。 -
アディスアベバからガーナのアクラ行き飛行機は、アフリカ大陸の中央部を横切って、ギニア湾沿いに飛んで行きます。5時間40分のフライトです。
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2月19日 11時20分 ガーナの首都アクラに到着。
ガーナ国旗風のユニフォームを着たマスコットが出迎えてくれます。
アディスアベバでの乗り継ぎ時間が、20分弱でしたが、ツアー客全員のスーツケースも無事出てきました。
今回のツアーは、男性7名女性5名のベテラン揃いの旅人12名、それに若手添乗員のNさんで廻ります。 -
13時前 出迎えのツアーバスに乗り込み、空港近辺のレストランに向かいます。空港近くは、高層ビルも立ち並ぶ近代的なビジネス街の様です。
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ビジネス街にあるレストランにて、ガーナのビジネスマンらとの相席でランチをとります。前に座るネクタイ姿のビジネスマン、手づかみで食事しています。おお~ここはアフリカなのだ!!!。
アフリカの初めての食事はこんな感じ。スプーンが無いので取り寄せ、炒めライスとチキン、ヤム芋の練り玉等。。まあ~何とか食べました。野菜もありましたが、生水で洗っているかも知れませんので、手を付けません。 -
14時過ぎ アクラから海沿いを西方向に約140Kmほどドライブしてケープコートに向かいます。
交差点上信号機が3組並んでます。。。。どの信号機を見たらいいのじゃ???? -
車窓からの風景です。
初めて訪れる国。。ガーナの風景。。。新鮮で~す。 -
車窓からの風景。その2
道路脇の露店が面白い~ -
車窓からの風景。その3
カラフルなかわいいタクシー。。 -
車窓からの風景。その4
ロータリーの中央モニュメント、頭にハトが止まっているよぅ~。 -
車窓からの風景。その5
ストリート移動店のお嬢さん方、商品は頭の上の箱に入っていま~す。。 -
車窓からの風景。その6
路上・移動式スーパーマーケット嬢がウロウロ~しています。車が停車すると、さ~と、一斉に寄ってきます。 -
こちらは乗っているツアーバスです。
左側2席、右側1席シートが6列あり、1列に2人掛けで毎日1列づつ席を移動します。ツアーの最大定員12名で満席状態です。
スーツケース等の荷物は屋根上に搭載しています。
このコースのツアーは、年に2回予定されており人気の様で、3~4か月前にはキャンセル待ち状態でした。 -
小高い丘上にアムステルダム要塞(手前看板)が見えています。
ガーナの海岸沿いには、ここ以外にも、15世紀以降アフリカに進出してきたヨーロッパ人らによって、多くの城塞が築かれました。 -
16時 ガーナの世界遺産ケープ・コースト城に来ました。
1653年にスウェーデンの会社によって木造で建てられ、1663年にはデンマーク、翌1664年にはイギリスが支配して、18世紀後半に大規模な修復工事が行われました。城は初めは、金と木材の貿易を目的としていましたが、後に奴隷貿易の拠点として使用されました(S旅行社資料)。 -
ケープ・コースト城の前には、西アフリカで最初に建てられたと言う教会があります。ケープ・コースト城に駐留するヨーロッパ人らの祈りの場所だったのでしょう。
ガーナは、現在国民の約70%がキリスト教徒、教会は引き続き、地元の人たちにも使われ続けているのだと思います。 -
メインゲートからケープ・コースト城の中に入ります。
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ガーナの国旗がお出迎え。。。
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現地にあったケープコースト城のレイアウトパネル。
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中庭に入って来ました。
大砲と玉が設置されています。これらの大砲は、奴隷らを威嚇するためのものではなく、ヨーロッパ各国から攻め入られない為の武器でした。 -
中庭に城の歴代の総督らの墓石が並んでいます。
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中庭を囲んでいる建物で、兵舎としても使われていました。最盛期には城を守るための兵士らが500人ほど駐留していました。
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海に向かって多数の大砲が並んでいます。
ガーナは金の産出国でもあり、その積み出し拠点であった黄金海岸沿いでのヨーロッパ人同士の覇権争いは熾烈で、これらの武器が活躍していたのでしょう。 -
こちらは、イギリス統治時代の17世紀後半から始まった奴隷貿易で使用されていた洞窟への入口です。分厚い鉄の扉付きです。。。
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入口を入って振り返った風景。
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坂を下った先の洞窟。。。。暗い部屋が連なっています。。。
積出し用の船が到着するまでの間、人々はこの暗い部屋の中に収容されていました。彼らが死なないように、必要最低限の水と食料は与えられますが、ここで寝起きし、排泄もしますので生活環境は劣悪でした。なので病気になって命を落とす人も大勢いました。・・・人としての扱いでなく、荷物扱い~いやいやそれよりも手荒い扱いだったのです。 -
一番奥の部屋に祭壇が設けられています。
小さな窓から差し込む光が祭壇を微かに照らしていて、悲しくむなしい気持ちになります。合掌。。。。。 -
こちらは、不帰のドア(Door of No Return)。
洞窟に収容されていた人々は、ここから小舟に乗せられ、沖合で待つ積み出し船に向かいました。どんな思いで船出したのでしょうか~心が重くなります。。。。
この様な悲惨な奴隷貿易において、最初にこの地の黒人が奴隷として捉えられるのは、同じ黒人同士の部族間紛争にありました。部族の領地や権力拡大には武器となる銃が必要となります。そこに目を付けた黒人商人が、捉えた黒人を商品とし、当時男性奴隷7人とポルトガル人らが持ち込んだ銃1丁とを交換売買(女性奴隷の場合は、10人で1丁の銃と交換)したのが始まりでした(現地ガイド)。
要するに欧米諸国は、西アフリカ地域での部族間紛争をうまく利用して、銃などを欲しがっている部族らに組織的に奴隷狩りを行うように仕向けたのです。 -
不帰のドア越しに見る海側の風景です。
現在の海岸線は奥に後退しており、海岸にバラック小屋が見えています。当時はドアの下まで海岸線が迫っていました。
18時を過ぎていますが、海岸で子供たちが遊ぶ声が聞こえ、一見平和そうな風景です。 -
2月20日 ケープコーストの朝です。初めて眺めるギニア湾奥からのサンライズ。。。youにとって未踏の地、西アフリカ・ガーナ国の太陽で~す。
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宿泊は、ELMINA BEACH RESORT。部屋はバルコニーにバスタブ付きです。前庭にはブールもあります。
2月ですが、夜間も真夏状態で、冷房を使用しています。室内で蚊は見かけませんが、念のため防虫スブレーや蚊取り線香を使用して熟睡しました。 -
ホテルの敷地内に咲いていた花。。。リゾートホテル内は、街道沿いから見られた雑踏の風景とは別世界の様です。
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ホテルの前を通っている街道です。道路脇に並んでいる車は、全てレンタカーです。ホテルに宿泊していお客さんは、ここで車を借りて、近郊観光ができるようになっています。
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8時30分 ホテルを出発して、海岸沿いの漁港エルミナ観光に行きます。
途中海岸線から、小高い丘上にオランダが造ったセント・ジョージ要塞が眺められます。 -
エルミナの漁村に来ました。
魚が並ぶ市場を見る予定でしたが、この日はあいにくお休みでお魚を見ることは出来ませんでした。お魚見ずに多数の漁船を見た・・・・デシタ。
奥の小高い丘上に、来るときに眺めたセント・ジョージ要塞が見えています。 -
お休みなのに船の上には人が大勢~彼らは働いているのか、それとも団欒して遊んでいるのか・・・・旅人には分かりません。
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港の先に行くと造船所らしき場所もありました。大型漁船が骨組中のようです。
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港の端に建っている建物です。中から大音量の音楽が流れていました。漁村でお休み中の漁師らは、この建物の中で遊んでいるのかしら・・・・想像ですが・・・
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こちらは市場の建物ですが、ガラガラ状態で静かでした。
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市場の建物に見られたポスターです。
下の3枚は、いずれも亡くなられた方のもので、30代~50代と若くして天の風になられたみたいです。因みにガーナの人達の平均寿命は、最近伸びてきたと言っていましたが、それでも63歳とのことです(現地ガイド)。生活環境や医療事情などによるのでしょうが、日本に住んでいて幸せです。 -
港町エルミナにあるエルミナ城に来ました。
ここは、1482年にポルトガル人によって、ガーナ近郊で発見された金の貿易拠点として建てられた城で、ヨーロッパ人がアフリカに建設した石造建築のなかで最も古いヨーロッパ建築となっています。その後17世紀に入ると、この城は、大西洋奴隷貿易の拠点と変貌して行きます。 -
城の周囲に設けられている堀です。
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こちらは堀にかけられている城に入るための橋で、敵の侵入を防いだり、城内からの脱出を防いだりするための跳ね橋となっています。戦国時代に造られた日本の城にも、周囲を取り巻く堀や、跳ね橋などがありました。。。。万国共通のお城付随の施設です。
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城内のレイアウト説明図。
2階建ての建物が中庭を囲んでおり、角に監視塔が設けられています。破線が入っているコの字型建物は、それぞれ1階が奴隷の収容部屋、2階が兵士らの部屋となっています。左側建物は、22が女性の奴隷収容部屋、21が管理棟、23が総督の居住棟となっています。 -
城の中庭に入って来ました。
正面が管理棟、左側4階建てが総督の居住棟になっています。
これらの建物は、最初、ポルトガル人によって建てられ、その後オランダ、イギリスと持ち主が変わり、その都度手が加えられてきています。 -
こちらは管理棟側から見た風景で、中庭の中央に元ポルトガルの教会だった建物が建っています。
教会は、その後商品取引場、学校などとして使われ、現在は博物館として展示物が置かれています。 -
こちらはその博物館内の展示物の一つで、奴隷らに使用されていた足かせ、首かせ、焼き印などです。
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こちらは城主・総督の居室錬で、その中庭からの風景です。
居室の内側には、中庭を見下ろすバルコニーが設けられています。総督はここから、中庭に連れて来られた女性の奴隷を眺め、好みの女性を選んでいたのです。 -
こちらがそのバルコニー。
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バルコニーから中庭を見下ろしています。なるほど中庭に連れて来られた人達の様子がよく見られます。中庭の中央には、総督に選ばれた女性奴隷が体を洗うための井戸があります。
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これは総督の居室と中庭にある小部屋とを繋ぐ階段です。総督のお気に入りとなった女性が、この階段を登って上の階の居室に連れて行かれ、一夜をともにするのです。
余談ですが、この地はマラリア蚊等による病気感染の危険性が高いために、総督らは家族同伴ではなく、単身赴任していました。 -
こちらは中庭に設けられているドクロマークのついた牢獄です。
指示に従わない人らがここに閉じ込められ、命を落としました。何という残酷なシステムなんでしょうか。。こんな愚かな行為が、組織的におこなわれていたとは、説明を聞いていて気分が悪くなります。。。 -
総督が使用していた居室の一つです。当時は豪華なベットなども置かれていたのでしょう。。
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総督が選んだ女性に子供が出来た場合、その女性は奴隷として売られることはなく子供の世話をすることになります。。。。これで良かったのか、悪かったのか。。その後どんな人生になるのか。。波乱万丈の人生。その先何が起こるか分かりません。。。。
こちらは、城で生まれた総督の子供らが学ぶための学校です。広い空間なので何人もの子供が出来ていたのでしょう。 -
コの字状建物の1階にある奴隷収容部屋に来ました。
狭い空間に250人以上もの人々が押し込められ、劣悪の環境下で奴隷交易船が来るまでの期間を過ごしていました。 -
部屋の隅に、ここを訪れた方々が持参した品々が供えられています。
ここで亡くなった人達や惨い仕打ちを人達のことを思うと胸が締め付けられます。 -
海に面して開いている不帰のドア(Door of No Return)。
奴隷交易船がやって来ると、鎖につながれたまま、この狭い扉から横歩きで小舟に乗せられ、沖合に停泊する交易船まで連れて行かれます。
奴隷交易船でも、彼らは船底にぎゅうぎゅうに詰め込まれ、北中南米へと売られていったのです。。。。 -
エルミナ城の屋上階に来ました。ここからは美しいギニア湾が眺められます。
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こちらも。
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こちらはエルミナ港側の眺望です。
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こちらも。丘上にセント・ジョージ要塞が見えています。
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この後、1670年~1902年までの間、ガーナ内陸部にあったアシャンテ王国の都であったクマシに向かいます。
途中の道路沿いで、ガーナの名物・カカオ豆が干されているのを見かけます。 -
14時前 街道沿いの冷房無し、屋外屋根付きレストランでランチをとります。
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ランチは彼女たちがタロイモを杵で突いたフフでした。
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レストランの肝っ玉女将・・・私のカワイイ子供よぅ~ 写真撮ってちょうだい~
(写真掲載了解済)。 -
自慢の髪型なのwww。いいでしょう~♪
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レストラン隣の洋服屋さん。。。右側に立つ体格のいい白人マネキンがお店の目印です。
西アフリカ4か国の旅(2)-----ガーナのクマシとアクラ編につづく。
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