2023/09/17 - 2023/09/17
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worldspanさん
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大阪から和歌山港まで南海電鉄で向かい、南海フェリーで徳島に向かった。
徳島に訪れたのは高校生時代に旅して以来のことなので、かれこれ35年ぶりくらいだろうか。
今回は徳島線沿線の穴吹を紹介する。穴吹は街道沿いの宿場町としても栄え古来より栄えていた。特に脇町は、江戸時代から明治時代の建物が今も軒を連ねており、かつての栄華を今に伝えている。
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貞光から徳島線で移動し、穴吹駅に到着した。
穴吹駅 駅
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穴吹も貞光同様に卯建が上がる町並みが残ることで知られている。
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穴吹駅
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ちょうど穴吹駅にトロッコ列車がやってきた。
藍よしのがわトロッコ 乗り物
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駅前の昔ながらの家屋
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穴吹駅を下車し、市内中心部へ向かったが、その時吉野川を歩道専用の橋を歩いて横断した。この橋の上から眺める吉野川と取り巻く自然美は心が安らぐ。ちょうどこの橋がかけられていた場所に吉野川の渡し船が通っていたのだという。河川を上から眺めると、浅瀬があったり流れが早そうな場所があったりと、難所が多そうだ。もっとも、当時の吉野5話もこの姿だったのだろうか。。
吉野川(四国三郎) 自然・景勝地
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遊歩道として作られたふれあい橋
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雄大な吉野川
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この地に渡し船があったことがわかる記念碑。一旦ホテルにチェックインし荷物をおいて、卯建が上がる脇町へ。
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1933(昭和8)年に建設されたオデオン座。建物の間口が14.5m、奥行きが27.3mの二階建てで、花道、うずら桟敷、大夫座の設備が整えられた劇場だ。戦前は歌舞伎や浪曲の上演の場として地元の人たちに親しまれた。現在は芝居公演や映画上映の他、市民の芸能文化の発表の場となっている。
脇町劇場 【オデオン座】 名所・史跡
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脇町へと続く道に南橋がかけられている
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徳島線随一のうだつの町並みが脇町にある。脇町に残された建物は江戸時代中期~昭和時代初期の建物が並び、その中でも多いのが明治時代の建物だ。町家の両端に本瓦葺きで漆喰塗りの「うだつ」が多いのが特徴だ。撫養街道と讃岐への街道が交差する交通の要衝だっただけあり、かつての栄華を見ることができる。
美馬市脇町南町地区 (うだつの町並み) 名所・史跡
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西野商店
西野商店は徳島県美馬市脇町『うだつの町並み』入口にある糀屋で昭和30年創業。県内産の厳選したお米を使用し、生糀と生甘酒の製造販売を行っている。古民家の建物を活用しており、うだつの町並みを形成する町屋の一つだ。 -
旧呉服屋「大一」の建物は1859年(安政6年)に建てられた町屋の一つだ。虫籠窓になっており、漆喰や白壁が防火のために作られている。脇町の建物の中では古い建物の一つで、間口が非常に広いため、間口税を払えるほどの豊かな呉服店だったことが判る。
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みんなの複合文化市庭 「うだつ上がる」という建物は旧呉服屋大一の横にある建物。現在この建物はカフェとしても活躍しており、脇町の入口にあるカフェなので多くの観光客でにぎわっている。築150年の古民家。
みんなの複合文化市庭 うだつ上がる ショッピングモール
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旧呉服屋「大一」
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うだつ実物模型
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美馬市脇町図書館の入口は旧呉服商だった武田氏の建物で1800年(寛政12年)に作られたものだった。現在の建物は美馬市立脇町図書館として変貌を遂げているが、当時の趣きを残しつつ現代的な建物に見事に生まれ変わっている。
美馬市立脇町図書館 名所・史跡
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野崎家住宅は1791年(寛政3年)の棟札を有する建物だ。野崎家は安政時代から呉服商を営む豪商でもあった。建物は1階には出格子造りになっており、角木を縦横に間を透かして組み合わせて作られた、典型的な商家の建物だ。二階は虫篭窓になり防火の役割を演じている。
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旧呉服店「さのぎ」は隣接する野崎家により営まれた呉服商で、屋号として「さのぎ」が使われた。1856年(安政3年)に創業した呉服店で脇町の中では最も古い呉服商の一つ。一代で財を成し、高級な呉服店として明治時代には京都の丸紅伊藤本店の特約店にもなったお店だ。入口は窓ガラスになっているが当時の趣きのまま残された建物だ。
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正木酒店は1800年ごろに建てられた旧呉服店の建物が現在お土産店や酒屋として今もなお営業を続けている。江戸時代後期の建物が今もなお営業して使われていることも特筆だが、建物の前には「書状集箱」がある。これは現在の郵便ポストに当たるものだが、1872年(明治4年)に郵便制度が導入されて作られたもので、当時のままの姿が残され、現在も使用されているのだから驚きだ。
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cafe角屋は1911年(明治44年)に建設された古民家を活用している。
cafe 角屋 グルメ・レストラン
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うだつの町並みが残る脇町には昔ながらの共同井戸が残されている。それが辻井戸。現在も手押しの井戸が残されており、伸びる棒を押したり上げたりすると、今も冷たい井戸水が出てくる。
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現在は飲料用として使われていないが、冷たい井戸水で手を洗うと気持ちが良い。井戸には記念碑も作られている。
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薬種商「うちだ屋」は明治末期、つまり1900年代に建てられたうだつが上がる建物。一階はガラス張りになっており、明治時代の特徴を残しつつ、二階は江戸時代から続く虫籠窓(むしこまど)になっており、漆喰や白壁が防火のために作られている。風通しを良くし、部屋に明かりを取り入れる役割をしている。江戸時代と明治時代の建物の特徴を残す建物だ。
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絹糸商「ヤマキチ」と「うちだ屋」のうだつ
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旧絹糸商「ヤマキチ」は1902年(明治35年)の建物だ。隣には「うちだ屋」の建物があり、二軒の建物の二階には白壁のうだつが競うように作られており、見応えがある。一階は江戸時代の建物ような出格子が作られている。江戸時代の建物と勘違いしてしまう。この周辺は寛政年間には鍛冶屋があり、火災で焼失した場所なのだそうだ。
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旧絹糸商ヤマキチの前には大きな商家があるが、建物はげんざいPAYSAGE MORIGUCHIという民宿になっている。建物は1881年(明治十四年)年に建てられた森口邸を改装されて現在の姿になっている。わずか5部屋しかないが、うだつが上がる町並みに住んでいるような気持で滞在できる。漆喰づくりの建物が美しい。
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小川鮮魚店
旧繭問屋、高吉金兵衛があった場所 -
旧油問屋の建物は、このエリアでは少し新しく1915~1916年(大正4~5年)に建てられた建物だ。特徴的なのが妻入屋根、開口鬼瓦の建物だ。一階上の建物の瓦の端を見てほしい。瓦には鬼の顔があり、東西の鬼瓦を合わせて阿吽になっている。小さな城のようにも感じられる立派な建物だ。
徳島県美馬市脇町大字脇町147
https://phototraveler.sakura.ne.jp/wordpress/2012/05/30/%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%94%BA%E4%B8%A6%E3%81%BF%E3%83%BB%E8%84%87%E7%94%BA%EF%BC%8823%EF%BC%89/ -
油問屋から少し坂道になっている
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脇町の様子
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旧油問屋の建物
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脇町の民家
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2022年にできた新しいお店。通りに面した古民家を改装した建物と蔵を改装して作られたものと二つある。夕方に蔵の建物でピザを食べたので次回に紹介したい。元々は明治中期の繭問屋だった建物のようだ。
Punta ITALIAN/CAFE グルメ・レストラン
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蔀戸(しとみど)町屋。吉田家住宅の横の長屋だ。
社寺などの建物の一番外側にはめ込んでいる戸であり、戸板の表と裏には格子が組み込まれ、上下に舞の途になっているのが特徴だ。上方の戸は長押(なげし)から吊り下げ、開けるときには跳ね上げ、先端を垂木から下がっている金具にかけて止める仕組みだ。昼間は釣りあげて夜は降ろして閉じ、障子をはめ込むことができる仕組みだ。
徳島県美馬市脇町大字脇町46
https://nishiawa.blog.fc2.com/blog-entry-1704.html -
うだつの町並み
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元々瀬戸物屋で江戸時代後期に作られたされる建物は時代屋として阿波踊り竹人形が販売されている。昔々の江戸時代には竹細工で武者人形を作っていたのだそうだが、現在は竹細工は阿波踊りの竹人形が作られて販売されている。1993年創業のお店だ
時代屋 専門店
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