2024/03/09 - 2024/03/10
194位(同エリア214件中)
れむさん
十番札所 切幡寺から、九番札所 法輪寺、八番札所 熊谷寺を経て、七番札所 十楽寺へ、逆打ちの形での歩き遍路。この区間は前日と同様、のどかな田園風景の中をのんびりと散策気分で歩くことができる。
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9:10頃に切幡寺を出発し、九番札所 法輪寺を目指す。途中通ったのは秋月城跡。
古代より土豪秋月氏が居を構え、南北朝から室町時代に細川氏の元で栄え、その後三好氏の支配の後、1579年に長宗我部元親に攻められ落城、廃墟となって今に至るとのこと。またも長宗我部元親か、、、。 -
10時過ぎに九番札所 法輪寺に到着。切幡寺とは打って変わって、田園風景の中に佇むのどかな寺院という風情である。仁王門も奥ゆかしく、荒々しさというよりは素朴さを感じさせる。
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本堂と大師堂もややこじんまりとしていて、ほぼ並んで建てられている。
元々はここから北に4キロくらいの位置にあってもっと大きなお寺だったが、またまた長宗我部元親に攻められて兵火に遭い焼失、江戸時代にこの地に再建されたようだ。その後再び焼失し、現在のお堂は明治のものとのこと。 -
そうした移転や再建の歴史もあってのことなのだろうが、ここのお寺は全体が素朴であり、手水舎も同様。
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鐘楼は納経所の隣、少し入ったところに位置している。これもまさにザ・鐘楼という感じ。
手水舎で清めの後、鐘楼で鐘を撞き、本堂、大師堂と参拝する。 -
最後は納経所で御朱印をいただく。これで七つ目の御朱印をいただくことができた。
真ん中に釈迦如来、右に法輪寺と書いてある。このあたりからわかってきたが、真ん中に書いてあるのが本尊、右に書いてあるのがお寺の名前のようだ。左上に書いてあるのは読めないが、基本的に、奉納と書いてあるらしい。 -
時刻は午前10:50、九番札所 法輪寺を後にし、八番札所 熊谷寺を目指す。熊谷寺までは2.4km。ほぼ平坦な道のりで、田園風景の中を歩く散策というところである。
昼に近くなり気温も上がってきて、朝と比べるとだいぶ歩きやすくなってきた。 -
のどかな田園風景が広がり、平和な感じである。ただ、朝が早かったのでそろそろお腹が空いてきたのだが、食事をできるところがない。
法輪寺の前に遍路道のお休み処があり、草餅などを売っていることもあるようなので期待していたのだが、この日はみかんしか置いておらず、あまりお腹の足しにならなさそうだったので買わなかった。
田舎道だから仕方ないのだが、全体的に食べるところは少なく、ちょっと頬張れるものはあった方がよさそうだ。 -
再び徳島自動車道の下を潜ると、向こうに立派な山門が見えてきた。あそこが次の八番札所 熊谷寺のようである。
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熊谷寺の山門は立派な仁王門である。1687年の建立で、四国霊場の中で最大級の山門のようだ。側には木蓮の花も咲いていて、とても美しいのだが、境内から少し下ったところにあって、車で来る場合通らないため、足を運ぶ人はほとんどいない。
とてももったいないのだが、そのように人がいないために風情が保たれ、歩き遍路ならではの贅沢を味わえる。 -
山門を過ぎると整備された車道を通って熊谷寺境内へ。熊谷寺はこれまで見た中で一番整備されていて、駐車場も広い敷地が設けられている。どこかの観光地のお寺という風情。入口付近にある多宝塔が名刹らしい存在感を放つ。
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御朱印は最後にいただくが、入口の駐車場のそばに納経所がある。早咲きの桜が満開に咲いていて青空に映え、多くの参拝客が写真に収めていた。
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多宝塔を過ぎると再び仁王門が現れる。こちらは下の仁王門と比べると質素で、山中の寺への入口という感じである。
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仁王門を潜って石段を少し登ると、手水舎と鐘楼、そして本堂が建つ。閼於ヶ谷という谷に位置し、熊野権現を祀るので熊谷寺というらしい。何度か火事に遭い、大師堂や多宝塔は江戸時代、本堂及びご本尊は昭和の再建とのこと。
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大師堂は本堂からもう一段登ったところに位置する。左手は鐘楼だが、ここの鐘楼は鐘は撞くことはできず。
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石段を登った先にある大師堂。いつもと同様に本堂、大師堂の順に参拝する。
この日は天気は良いが風が強く、ロウソクの火がすぐに消えてしまうのが少々苦労した。 -
一連の参拝を終えて御朱印をいただく。やはりここは大きなお寺のようで、御朱印をいただく受付も窓口が2つあった。千手観音 熊谷寺と書かれているようだ。
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お寺のそばには貯水池があって、その周りにも桜が多く咲いている。蜂須賀桜という早咲きの桜で、特にこのお寺はこの桜で有名ということがあるらしい。ちょうど良い時期に訪れることができた。
蜂須賀というのは織田信長に仕えた蜂須賀小六を初めとする蜂須賀家で、秀吉の天下統一の際に阿波国を治めることとなったようだ。 -
再びふもとの仁王門を潜り、正午前に八番札所 熊谷寺を出発、次の七番札所 十楽寺を目指す。
十楽寺までは4.2km。平坦な道だが少し距離がある。正午をまわり、だいぶ空腹だが、歩き遍路の道中にほとんどお店がない。
熊谷寺の付近にも残念ながら食事できるところはなかった。 -
とりあえず十楽寺を目指して遍路道を進むが、牛舎があって牛が飼育されていた。のどかな牧歌的風景だが、食事できるところはなさそうである。
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続いて、昭和の首相だった三木武夫氏の生家があったとされる場所を通りかかる。
現在はお遍路用のおもてなし公園として、トイレや休み処として整備されていた。 -
ここから少し先に吉本屋という良さそうなお店があったのだが、残念ながらこの日は貸切営業と看板が出ていた。
結局、吉本屋から300mほど歩き国道に出て、ファミリーマートでパンとコーヒーを買ってお腹を満たした。また道中何か売っていたら買い食いするなり、市内に戻ってまた何か食べようかと思う。 -
道中、立派なお地蔵様が。板野十六地蔵四番札所とある。
ということは十六地蔵があるということと思われるが、残念ながらネットで調べてもその由来などの詳しいことはよくわからず。 -
13時、第七番札所 十楽寺に到着。平野部にあり、ここも結構大きなお寺である。右側が入口の山門で、左側の大きなお堂が本堂。さらに山門の右側の大きな白い建物は宿坊であり、納経所もこの中に併設されている。
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入口の山門はコンクリート?のがっちりした門構えで、なんとなく中国寺院にありそうな、少しこれまでの各お寺とは趣の異なった門である。鐘楼にもなっているが、残念ながら鐘は撞けない。
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更にその先に同じような形の中門が続く。中門を潜ったところの左右に入口があり、一方から入ると縁が結ばれ、もう一方から入ると縁を切ることができる、とある。
一人旅で縁を結ぶも切るもなかったので入らなかったのだが、どうやらこの中に愛染明王という仏様が祀られていたようである。とりあえず縁を結ぶ側からでも、やはり入っておけばよかったか。 -
元々は3キロほど北にあったのが、ここもまた長宗我部元親の兵火に遭い焼失、江戸時代初期にいまの場所に再建されたものとのこと。弘法大師が彫った阿弥陀如来が御本尊で、それは住職が抱えて逃げたので無事だったようだ。
それにしても毎度毎度の長宗我部元親である。四国統一を目指しての侵攻であろうが、よくもまあ、ここまで破壊してくれたものである。 -
眼病に効くというお地蔵様。大師堂に登る階段の手前にある。
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少し石段を登ったところにある大師堂。
参拝を終えて、宿坊併設の納経所へ向かう。宿坊はビジネスホテルとして完備されておりバストイレ付きの個室、ネット予約できて便利。前日昼頃から歩き始めたので五番札所までしか行けなかったが、もう少し早くから歩いてここ七番札所で一泊、というのが歩き遍路としては良いのかもしれない。 -
ここの御朱印は非常に力強い書きぶりである。おそらく阿弥陀如来 十楽寺と書かれている。
七番札所 十楽寺の参拝を終え、続いて六番札所 安楽寺へと向かう。
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