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一度は善光寺でお参りがしたかったので、この機会にお邪魔。<br />戸隠からバスで戻ってくる時、善光寺大門で降りようと思ったら、放送で「ここが便利です」みたいなのがあり、慌てて降車。<br />同じような人が多かったです。<br />本堂の裏から入ったような感じになりました。<br />表の方に回り、お参りをしてから、御朱印を頂きました。<br />時間が終わりかけていて、中を見るにも15分ほどしかなく、料金が発生するので、パス。<br />胎内くぐりがあったことは後で知りました。<br />写真撮りしながら、ぐるっと回り、善光寺大門からバスに乗って長野駅まで。<br />大宮駅からの新幹線はたぶん、混んでるし、座れないと思ったから、指定席をえきねっとから予約。<br />なんと、二つしか席が空いていませんでした。

初の善光寺参り

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2024/02/28 - 2024/02/28

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miruku

mirukuさん

一度は善光寺でお参りがしたかったので、この機会にお邪魔。
戸隠からバスで戻ってくる時、善光寺大門で降りようと思ったら、放送で「ここが便利です」みたいなのがあり、慌てて降車。
同じような人が多かったです。
本堂の裏から入ったような感じになりました。
表の方に回り、お参りをしてから、御朱印を頂きました。
時間が終わりかけていて、中を見るにも15分ほどしかなく、料金が発生するので、パス。
胎内くぐりがあったことは後で知りました。
写真撮りしながら、ぐるっと回り、善光寺大門からバスに乗って長野駅まで。
大宮駅からの新幹線はたぶん、混んでるし、座れないと思ったから、指定席をえきねっとから予約。
なんと、二つしか席が空いていませんでした。

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
新幹線 JRローカル

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  • 戸隠神社から戻ってくる時、城山公園でバスを降りたような?<br />そこが一番近いとか・・・。<br />本堂の裏に当たります。<br /><br />高さ約27m間口約24m奥行約54mという東日本最大級の国宝木造建築。<br />宝永四年(1707)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として昭和二十八年(1953)に国宝に指定されています。<br />中は撮影禁止。<br />最初にお出迎えしてくれたのはびんずる(賓頭廬)尊者。<br />自分の悪い所をなでなでしてきました。

    戸隠神社から戻ってくる時、城山公園でバスを降りたような?
    そこが一番近いとか・・・。
    本堂の裏に当たります。

    高さ約27m間口約24m奥行約54mという東日本最大級の国宝木造建築。
    宝永四年(1707)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として昭和二十八年(1953)に国宝に指定されています。
    中は撮影禁止。
    最初にお出迎えしてくれたのはびんずる(賓頭廬)尊者。
    自分の悪い所をなでなでしてきました。

    善光寺(長野県長野市) 寺・神社・教会

  • 大香炉。<br />煙は服について、この先も公共交通機関を使用するので、迷惑かなとやめました。<br />

    大香炉。
    煙は服について、この先も公共交通機関を使用するので、迷惑かなとやめました。

  • 本堂から見えた山門。<br />夕方近いのに、これから、お参りに訪れる人がいっぱいです。

    本堂から見えた山門。
    夕方近いのに、これから、お参りに訪れる人がいっぱいです。

  • 本堂の前に置かれた釜。<br />二つありました。

    本堂の前に置かれた釜。
    二つありました。

  • お百度参りもありました。

    お百度参りもありました。

  • とても古い木のようですが、成長しているようです。<br />松の木などもあり、庭師さんが手入れされていました。

    とても古い木のようですが、成長しているようです。
    松の木などもあり、庭師さんが手入れされていました。

  • 経蔵。<br />宝暦九年(1759)に建立された五間四方宝形【ほうぎょう】造りのお堂。<br />昭和四十九年(1974)に江戸時代を代表する経蔵建築として重要文化財に指定されています。<br /><br />

    経蔵。
    宝暦九年(1759)に建立された五間四方宝形【ほうぎょう】造りのお堂。
    昭和四十九年(1974)に江戸時代を代表する経蔵建築として重要文化財に指定されています。

  • こちらも木の上はなく、横に伸びている木にびっくり。

    こちらも木の上はなく、横に伸びている木にびっくり。

  • にゃんこがいました。<br />皆さん、何を撮っているんだろうと見ると、意外とにゃんこが多かったです。

    にゃんこがいました。
    皆さん、何を撮っているんだろうと見ると、意外とにゃんこが多かったです。

  • 護摩堂。<br />時間が遅かったので閉まっていました。

    護摩堂。
    時間が遅かったので閉まっていました。

  • 剣の像のようですが、調べても出てこなかったです。

    剣の像のようですが、調べても出てこなかったです。

  • 松の木?<br />とても立派です。

    松の木?
    とても立派です。

  • 大勧進の所にも自分の悪い所をさするといいという木彫りの像がありました。

    大勧進の所にも自分の悪い所をさするといいという木彫りの像がありました。

  • 延命地蔵。

    延命地蔵。

  • 放生池の欄干。<br />よく見ると文字が書かれていました。

    放生池の欄干。
    よく見ると文字が書かれていました。

  • 山門。<br />江戸時代中期の寛延三年(1750)に建立されて以来、大勢の参拝者を本堂に迎え入れてきた歴史ある門。<br />様式は五間三戸二階二重門、屋根は入母屋【いりもや】造りの栩葺【とちぶき】で、国の重要文化財に指定されています。

    山門。
    江戸時代中期の寛延三年(1750)に建立されて以来、大勢の参拝者を本堂に迎え入れてきた歴史ある門。
    様式は五間三戸二階二重門、屋根は入母屋【いりもや】造りの栩葺【とちぶき】で、国の重要文化財に指定されています。

  • ぬれ仏または延命地蔵。<br />享保七年(1722)に善光寺聖・法誉円信【ほうよえんしん】が、全国から喜捨を集めて造立しました。<br />江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという言い伝えがあるため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれ火伏せの意味合いから通称「ぬれ仏」と呼ばれています。

    ぬれ仏または延命地蔵。
    享保七年(1722)に善光寺聖・法誉円信【ほうよえんしん】が、全国から喜捨を集めて造立しました。
    江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという言い伝えがあるため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれ火伏せの意味合いから通称「ぬれ仏」と呼ばれています。

  • 地蔵。<br />宝暦九年(1759)に浅草天王町祐昌が願主となって造立されましたが、昭和十九年(1944)に軍需物資のための金属供出に出されました。<br />現在の六地蔵は昭和二十九年(1954)に再興されたもの。<br />六地蔵とは、私たちが輪廻転生するといわれる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で、我々衆生を救ってくださる菩薩様。

    地蔵。
    宝暦九年(1759)に浅草天王町祐昌が願主となって造立されましたが、昭和十九年(1944)に軍需物資のための金属供出に出されました。
    現在の六地蔵は昭和二十九年(1954)に再興されたもの。
    六地蔵とは、私たちが輪廻転生するといわれる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界で、我々衆生を救ってくださる菩薩様。

  • 本堂周辺の案内図。<br />最後にこれを見ることになりました。

    本堂周辺の案内図。
    最後にこれを見ることになりました。

  • 世尊院、釋迦堂。<br />隣の蓮華院にお参りしてきました。<br />出世に関係するみたいで、サラリーの方がいらしていました。<br />

    世尊院、釋迦堂。
    隣の蓮華院にお参りしてきました。
    出世に関係するみたいで、サラリーの方がいらしていました。

    釈迦堂釈迦涅槃像 名所・史跡

  • 仲見世通りに延命地蔵。

    仲見世通りに延命地蔵。

  • 仁王門。<br />宝暦二年(1752)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、大正七年(1918)に山形村永田兵太郎翁の寄進により高さ約14m間口約13m奥行約7mのケヤキ造りで再建されました。

    仁王門。
    宝暦二年(1752)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、大正七年(1918)に山形村永田兵太郎翁の寄進により高さ約14m間口約13m奥行約7mのケヤキ造りで再建されました。

  • 仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に近代彫刻家として著名な高村光雲・米原雲海による作。<br />仁王像は一般的な配置と逆になっています。<br />右に吽形(総高617.2cm)左に阿形(総高595.1cm)が安置されています。

    仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に近代彫刻家として著名な高村光雲・米原雲海による作。
    仁王像は一般的な配置と逆になっています。
    右に吽形(総高617.2cm)左に阿形(総高595.1cm)が安置されています。

  • 宿坊の建物の立派。<br />歴史観溢れてます。

    宿坊の建物の立派。
    歴史観溢れてます。

  • 39の宿坊のひとつ「白蓮坊」の玄関先には、ユニークなフォルムのむじな地蔵。

    39の宿坊のひとつ「白蓮坊」の玄関先には、ユニークなフォルムのむじな地蔵。

  • 全国的にも有名な寺院の善光寺。<br />“一生に一度は善光寺参り”や“牛に引かれて善光寺”など、善光寺参詣に関わることわざが残るほどだったので、一度、お邪魔したいと思っていたのが実現しました。<br /><br />この後、バスに乗車して長野駅へ。<br />ようやく、お昼ご飯。<br />大宮までの新幹線は自由席のある、はくたかにしました。<br />早目に並んでいたので座ることが出来ました。<br />長野駅で大宮からの指定席を予約してしまったので、大宮駅に早くに到着してしまい、待合室で二時間程待つことに。<br />窓際の席にしたのはいいけど、降りる時、真ん中の席の人、イヤホンかけて寝てしまって、起きてくれそうにもなく、恥ずかしいけど、跨がせてもらいましたが、ようやく、気がついてくれました。<br /><br />よく歩いた一日で足がパンパンになりました。

    全国的にも有名な寺院の善光寺。
    “一生に一度は善光寺参り”や“牛に引かれて善光寺”など、善光寺参詣に関わることわざが残るほどだったので、一度、お邪魔したいと思っていたのが実現しました。

    この後、バスに乗車して長野駅へ。
    ようやく、お昼ご飯。
    大宮までの新幹線は自由席のある、はくたかにしました。
    早目に並んでいたので座ることが出来ました。
    長野駅で大宮からの指定席を予約してしまったので、大宮駅に早くに到着してしまい、待合室で二時間程待つことに。
    窓際の席にしたのはいいけど、降りる時、真ん中の席の人、イヤホンかけて寝てしまって、起きてくれそうにもなく、恥ずかしいけど、跨がせてもらいましたが、ようやく、気がついてくれました。

    よく歩いた一日で足がパンパンになりました。

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