2024/02/07 - 2024/02/07
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Reiseさん
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冬の京都の特別拝観、西本願寺に続いて、東本願寺の渉成園の園林堂に行きました。
通称、枳殻邸は学生時代にも時々来ていたはずなのに、すっかりこちらも記憶がありません、、、(^^;
ひさびさ、その庭園の広さにも圧倒されます。梅の花も咲いていて、春よはやくきて~みたいな気持ちになりました。
この日は雨がぱらつき、歩きにも不便で。
禁断のタクシーも使ってしまいます。笑
でも、あちこち歩けて楽しい一日でした。
京都はあちこちに史蹟があって、あきません。。本当に探検しているみたいで。
残りの歩きは以下のようです。
左女牛井之跡→本圀寺跡→小野寺十内妻のお墓→渉成園(枳殻邸)園林堂(特別拝観)→
文子天満宮→市比賣神社→京都国立博物館
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 自家用車 徒歩
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この日は朝から行動開始で、朝早くの京都タワー、きれいでした。
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西本願寺の拝観を終えて、ひたすら歩いて、道を間違え、(-_-;)
ずいぶんと遠回りして、やってきました。
左女牛井之跡です。
さがめい、、と読みますが、こちらは京都の名水の一つの井戸がありました。 -
源頼義の館、源氏六条堀川邸内の井戸だったそう。
村田珠光が足利義政に献茶したときは、この水を汲んで、千利休も愛用したと伝わります。 -
なんだか、ひどくボロボロになった説明板がありました。
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こちらの碑を探すのに、ずいぶんと時間を費やしてしまいました。。
井戸の跡もとくにないようです。道路の拡張で、消滅したらしいです。 -
少し歩くと、大きな石塔と説明板がありました。
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こちらは本圀寺というお寺があった跡。
朝鮮通信使の時代にこちらのお寺が宿になったそう。
7回ほど。一行は400人もいたそうです。
大きな規模のお寺だったのですねぇ~。
中国や朝鮮の文化などを学んでいた徳川光圀も交流があったようで、
その光圀の帰依を受けました。
本来本国寺という名前だったそうですが、その後本圀寺という名前になったそう。
お寺はいまは、山科区に移転しているそうです。 -
少し行くと、お寺が立ち並んでいる場所があります。
そのひとつ、西方寺。
ここに、赤穂浪士のひとり、小野寺十内の奥さんの丹さんのお墓があると聞きました。 -
小野寺十内とその奥さん丹はともに、歌人です。
とてもオシドリのご夫婦だったようで、一説によると、夫の切腹のあと、泉岳寺お墓から首を掘り起こして、この西方寺に葬ったといわれています。
また、夫の四十九日を済ませ、食を絶って、自死したといわれています。 -
こちらのお寺でしょうか、、
門が閉まっており、中には入りませんでした。 -
周囲、沢山お寺があり、
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端正なお庭が見えました。
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雨が降ってきたり、、、、変な天気で、禁断のタクシーを使ってしまいます。
歩く、あるいは公共機関、、できるだけ、そんな旅をしたいのですが、
ここは仕方ありません、、ちょっとコートもぬれてしまいました。
風邪をひかないように、、、。
渉成園、むかしから枳殻邸と呼んでました、、に、来ました。 -
こちらも冬の京都の旅の特別拝観中。
園林堂、、こちらは来たことはなかったかも。。 -
渉成園は東本願寺の飛び地の境内、別邸になります。
1602年に教如上人が徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺ができました。
その後に、さらに家光から東側の土地も寄進され、宣如上人が1653年に退隠した際に隠居場所をここに決め、渉成園と名付けたといわれています。
周囲にカラタチを生垣として植えたことから、枳殻邸とも呼ばれるようになりました。
私は個人的には枳殻邸と聞き慣れていました。 -
庭園内、とても広いです。
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入ってすぐ、目に入る、高石垣。
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イチオシ
長い石橋のような切石、礎石、石臼、山石など、様々な石を組み合わせた石垣。
パッチワークのようです。
わたし的には、実はここが、一番インパクト強く感じました。
可愛いです。 -
こちらは切り崩した跡も残っています。ギザギザのところ。
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まずは、庭園をまわってみます。
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梅が咲き始めていました。
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まず、滴翠軒。
池に南面して建てられた建物、1884年に再建。 -
端正な建物でした。
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庭園の中を歩きます。
こちらは桜の樹でしょうか~。。
庭園は池泉回遊式庭園。
石川丈山の作庭といわれています。
歴代上人の隠居の場所で、詩歌や茶の湯、能狂言などを楽しむ場としても整備されたそうです。
教如上人と千利休とも親交があったようで、茶の湯との関わりがあります。
幾度かの火災にもあっています。
明治天皇の御休所にもなり、大宮御所のお車寄席が移築されています。
内仏堂である園林堂を中心として書院や座敷があります。 -
水の流れるところも。
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茶室らしき建物。
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こちらの石も切り崩した跡がありました。
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遠くに回棹廊が見えます。
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イチオシ
ここからも、京都タワーが見えます。
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周りはマンションやビルが見えますが、ここは静かな別世界。
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イチオシ
美しい橋がありました。
回棹廊です。(かいとうろう)
安政の大火(1858年)に焼失してしまいますが、それ以前は朱塗りの欄干を持つ反り橋だったそうです。
夜も灯りを灯すこともできたそうです。
優雅です。 -
渡ってみると、素朴な造りでした。
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補修の工事?を行っていました。
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茶室。
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イチオシ
碧玉の石幢(いしどう)。
一般の石燈籠とは異なるものだそうです。
笠の部分に蕨手といわれる装飾がついていないのと、竿に節がない、、という特徴らしいです、、、 -
イチオシ
木造の橋、侵雪橋。
反橋です。頼山陽も雪の積もった様子を表現しています。 -
島から島へ渡るような小さな橋があります。
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奥のほうにも、小さな島。
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大きな鳥がいました、、、、
小さな子供がペンギンと間違えたと、何かの記事で読みました、、
確かに、似ています。笑 -
茶室の下に見える、小さな手水蜂。
こちらは塩釜の手水鉢です。
オリジナルの塩釜の手水鉢だそうで、貴重なものだそうです。
石造宝塔の塔身を手水鉢に転用したものといわれています。
鎌倉時代のもの。 -
こちらの塔は、源融ゆかりの塔。供養塔といわれ、9重のもの。
鎌倉時代中期のものだそうです。
伝承では、以前、源融がこのあたりに住んでいたとのことで、庭園の中にもゆかりのものがあります。
嵯峨天皇の皇子だった源融、源氏物語の光源氏のモデルのひとりとも。
渉成園が造られる以前から、このあたりに建っていたものと伝わっているようです。 -
果てしないくらい、、広い、、庭園。
ここでも、京都タワーがひょっこり。 -
茶室の風景。
春になると、花々や緑が一面を覆うでしょう~。 -
イチオシ
石の橋。
大きな石だったのでしょう~切り崩した跡もそのまま。
お城の石垣を思い出します。 -
園林堂にむかいます。
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冬の京都の旅の特別公開です。
1957年に再建された建物。 -
明治天皇ご休息の碑もありました。
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寒い中、梅が咲きはじめて、
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健気に花ひらいていました。
良い香り~。 -
入口のあたりに、建物の説明があります。
中は撮影が禁止でした。
持仏堂です。
園林とは仏典では浄土を示す言葉だそうです。 -
このあたりは撮影が可。
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お庭を観ながら休むこともできます。
廊下でめぐらされています。
棟方志功が竣工の翌年に描き上げた「天に偲ぶ杉本」「河畔の呼吸」の題の豪快かつ繊細な襖絵が44面にありました。
圧倒されます。 -
園林堂を出ます。
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出口近く、ふと、こんなお店もあったのことに気づきました。
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文子(あやこ)天満宮にやってきました。
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天神信仰の発祥の神社の碑があります。
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説明板。
菅原道真が大宰府に左遷されますが、亡くなったあとに、乳母だった多治比文子に北野の右近の現在の場所に祀ってもらいたい、、と宣託したと伝わっています。
文子は自宅の庭に祠をつくり、道真を祀っていました。
このことが北野天満宮の創建につながったといわれています。 -
小さな神社ですが、女性らしい繊細さ。
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イチオシ
文子、、あやこやあやなどの文字の入っている人の守り神としても、その後信仰されています。
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優しい雰囲気の神社でした。
菅原道真も優しい乳母にお世話してもらったのだろうなぁ~と感じました。 -
こちらは、菅原道真が大宰府に左遷されるときに立ち寄り、腰かけたといわれる石。
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石碑と説明板がありました。
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稲荷神社もあります。
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天神信仰発祥についても説明がありました。
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イチオシ
ピンクの可愛い梅、、、
菅原道真がとても信頼していた乳母の文子さんなんですね~。
文子さんも、道真を愛していた乳母だたのですね~。
なんだか優しい神社だとおもいました。 -
そして、さらに歩いて、市比賣神社(いちひめじんじゃ)に来ました。
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ここは女性の守り神として信仰されている神社です。
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駒札の説明板があります。
795年に桓武天皇の命により、藤原冬嗣が東市・西市の官営の市場の守護神として創建した神社です。 -
朱色が可愛いです。
多くの女性の参拝の方がいました。
平安時代から皇族、公家からの崇敬も篤い神社です。 -
どこか女性らしさを感じる神社。
全ての神が女性で、女性の守り神としての信仰、また、現在も京都中央市場の守護神として信仰されています。 -
こちらにも稲荷神社があります。
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天之真名井の水があります。
歴代の天皇の産湯にも使われ、また茶の湯にも使われてきた名水です。 -
更に歩きます。
大きな山門のお寺、、、入れないようでした。
延寿寺? -
京都博物館へ来ました。
とてもひさしぶり~。 -
かつてはこちらで展示をしてました。
明治古都館。
明治30年に開館されました。
片山東熊の設計、フランス ルネサンスのバロック様式とありました。 -
説明。
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現在は中に入れません。
残念です。。
耐震の工事をするんでしょうか~。 -
イチオシ
堂々として、美しい建物です。
ここに以前は何度も見学に訪れていました。 -
新しい博物館です。
平成知新館。
とてもスマートで、現代的な建物。
谷口吉生の設計。 -
きれいなたてものです。
近代的。 -
こちらの建物、初です。
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説明板がありました。
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イチオシ
博物館、日本の歴史やアジアの歴史、考古の資料から多くの展示物で見ごたえあります。
かなりの時間を有しました。
考古資料や所蔵品、寄託品などを合わせて14600件を展示。
テーマ展も期間を決めてあります。
このときは、大阪にある泉穴師神社の神像というテーマで83躰もある神像の修復が4年の歳月をかけて行われ、修復の済んだ26躰が展示されていました。
とても表情の優しい神仏ばかりで、色合いも美しく、丁寧に保存されています。 -
園内にも展示があります。
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金堂八角燈籠。
実物大の複製。
752年に作製されたものの複製。
大きな燈籠です。 -
説明文。
奈良の東大寺にあるもの。 -
庭を散策するだけでも、かなりの時間を要します。
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ミュージアムショップもレストラン、カフェもあるようです。
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レンガ造りの美しい建物、門なども残っています。
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レンガ造りは暖かいです。
博物館まわり。
以前は、このイメージでした。。 -
この西門も確か重文。
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すぐ近くに三十三間堂。
こちらも何度も訪れている場所、、
次回はこのあたりを歩いてみたい、、と考えていました。 -
夕方、京都から一宮市に移動。
本日はこちらに泊まります。 -
快適です。
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見晴らしがとても良かった~。
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夜は京都で買ったお惣菜だけのお弁当、、というのを買ってみました。
大好きなすぐきも入っています~♪ -
翌朝はブッフェ。
手作りのカレーもあって、朝から、色々食べました。 -
清潔だし、寡黙にモクモクと食べるサラリーマン風の働く男性たちが多かった、、、。
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こんな機械も嬉しい、、温かいスープ。
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一宮市も探検してみよう、、、そのうち。
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駅ビルも大きくて、お店も沢山入ってました。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。(^^)
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