2023/09/25 - 2023/09/25
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川越市小仙波町鎮座 浄楽院 光西寺。
JR川越駅東口から北東方向へ徒歩20分程に位置し、東口から西武バスで最寄りの喜多院入口まで移動する事も出来ます。
光西寺の前を北に伸びる道筋は、830年に淳和天皇の勅願により円仁が建立した中院や、仙波東照宮、南院遺跡、喜多院など狭い範囲に鎮座します。
仙波東照宮、喜多院が目的でここを通りかかりましたが、山門の彫飾りに目がとまり光西寺と中院にも立ち寄って見ました。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
-
JR川越駅東口から北東方向へ徒歩20分程に位置し、東口から西武バスで最寄りの喜多院入口まで移動する事も出来ます。
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光西寺山門。
正式名は緇田山浄楽院光西寺、浄土真宗本願寺派の寺院で本尊は阿弥陀如来です。
山門は木造切妻の四脚門で木鼻や脇障子など手の込んだ意匠が施されています。 -
山門扉と山号額。
左は寺紋の五七の桐、右に浄土真宗本願寺派の宗紋の下り藤が彫り込まれています。 -
山号額。
-
細部にわたる繊細な彫りと流麗な美しさを持つ脇障子の装飾。
江戸木彫刻を代表する彫刻家、北澤一京氏が手掛けたものという。 -
山門左の略歴。
「光西寺は、永禄九年(1566)に石州浜(島根県浜田市)に、恵誓法師を開基として寺が建立されたのに始まる。
浜田藩士の菩提寺として尊崇されていたが、天保七年(1836)、十代藩主康爵の時、藩は日本海の孤島「竹島」を根拠地として外国との貿易(当時は禁制)を行って、幕府の政策に違反した。
ことは幕府の密偵 間宮林蔵の調べで露見し、藩は本来ならばお家取り潰しになるところ、徳川家の親藩の故をもって減刑、重臣の岡田頼母、松井図書の二人が責任をとって切腹、船頭が処刑され、藩は奥州棚倉(福島県)に左遷転封されるにとどまった。
家臣ともども光西寺も棚倉に転住し東林寺に仮住まいした。
棚倉在住三十余年、維新の危機に直面した幕府は、城主松平周防守康英の英明と外交的手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封させ国内国外の重要政務の責任者とした。
慶応二年(1866)十月、光西寺も家臣とともに川越に転地し、南町養寿院門前の千手院を仮寺とした。
その翌々年は明治元年、明治維新となったので、寺領も貰えず寺の建立もならず、漸く大正の末に現在の場所に小堂を建立したのである。
藩についてきた寺ということで士族寺とかお供寺とかよばれている。」
大正2年に記された入間郡誌では光西寺について以下のように記されていました。
「南町にあり。
養壽院門前にあり。
元養壽院所屬千壽院の寺地なりしが、松平周防守川越へ入城するに當て、寺も随伴して、此地に来れる也。
然れば寺の川越町に建てられたるは五十年を出でずと云ふべし。」とあった。
養壽院(川越市元町2-11-1)は、ここから北西に20分程の「時の鐘」の西に位置し、そこに仮寺を設けていたが、仮寺のまま江戸時代から激動の明治維新を迎え、大正時代になってようやくこの地に落ち着いたようです。
藩と共に浜田藩士の菩提寺は何度もお供し、川越に落ち着いた光西寺、お供寺とは言い得て妙だ。 -
歴史のある光西寺ですが、安住の地に落ち着いたのが大正期のため、伽藍自体は比較的新しいもので、
この山門も同時期のものだろう、目立った傷みはなく木鼻の獅子の白い歯も綺麗なものです。 -
重い屋根を支える蟇股の力士像、まだ〃表情には余裕がある。
-
本堂。
後方の墓苑内には松平周防守家廟所があるというが、ここで次の中院に向かう。
緇田山 浄楽院 光西寺
宗派 / 浄土真宗西本願寺派
創建 / 永禄九年(1566)、(天保7年(1836)福島県棚倉に移転、慶応二年(1866)川越に移転)
開基 / 恵誓法師
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 埼玉県川越市小仙波町5丁目4-7
JR川越駅から光西寺 / 北東へ徒歩20分程 -
川越市小仙波町の浄楽院 光西寺から北側の道路を隔てた先に鎮座する「中院」
正式名は星野山 無量寿寺 中院と号し阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院。
光西寺を過ぎると、最初に現れるのが竹垣の参道奥に建つこの鐘楼門。 -
入母屋瓦葺の屋根を持つ二層の門で、四本の柱が支える二層部分は回縁が付き高欄で囲まれています。
参道脇に桜が植えられ、花の時期になると趣のある門も艶やかな印象になるだろう。 -
門直下から梵鐘を見上げる。
現在の鐘楼門の建立時期は良く分からなかったが、梵鐘は元禄三年(1609)鋳造のもので、戦時中の供出を免れ大晦日には梯子で二階に上がり撞くことができると聞きます。
小江戸川越に鳴り響く鐘の音はどのような音色なんだろう。 -
門をくぐった左の六地蔵、この後方に島崎藤村の義母、太陽寺一族、釈迦堂大先達の墓がある。
-
参道の先の建物は本尊の釈迦牟尼如来を祀る釈迦堂、昭和61年(1986)に比叡山延暦寺西塔の釈迦堂を模して再建されたもの。
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鐘楼門から少し北に風格が漂う中院山門が建つ。
天長七年(830)、慈覚大師円仁により創立された中院の歴史を感じさせる四脚の山門。 -
門の左に「天台宗別格本山」、右に「元関東八箇壇林」の木札が掛けられている。
門から望む参道の先に中院本堂の姿がある。 -
境内で見かけた解説。
「中院
所在地 川越市小仙波町五丁目
中院は、かつて星野山無量寿寺仏地院と称し、天長七年(830)に、慈覚大師によって創立された。
当初の中院は、喜多院の隣にある東照宮の地にあったが、寛永十年(1633) 東照宮建造の折に現在地に移されたものである。
境内には、川越城主秋元侯の家老であった太陽寺一族の墓、島崎藤村の義母・加藤みきの墓などがある。 太陽寺一族の墓は、山門を入ってすぐ左側にある三基の墓で、川越の地誌「多濃武の雁」を著わした太陽寺盛胤の祖父盛昌・父盛方及び妻のものである。
また、加藤みきは、文久三年(1863)に川越松平藩蔵前目付の次女としてこの地に生まれ、四歳の時に母に伴われて上京し、以後大正十二年に再び川越に戻り、昭和十年五月に七十三歳の生涯を閉じた。
墓石に「蓮月不染乃墓」と彫られており、この墓銘は藤村が書いたものである。」
「市指定史跡 中院
中院創立の縁起は喜多院と全く同じで、 天長七年(830) 慈覚大師によって創立された。
元来星野山無量寿寺のなかに北院・中院南院の三院があり、それぞれ仏蔵院、仏地院、多聞院と称していたものである。
当初の中院は、現在の東照宮の地にあったが、寛永十年(1633)東照宮建造の折りに現在地に移されたものである。
喜多院に天海僧正が来住する以前は、むしろ中院の方が勢力をもっていたことは正安三年(1301)勅願所たるべき口宜の写しや、慶長以前の多数の古文書の所蔵によって知られる。
秋元侯の家老太陽寺一族の墓、島崎藤村の義母加藤みきの墓などがある。」
中院沿革(wikipediaより)
・830年(天長7)円仁は淳和天皇の勅許により、仏地院(中院)を建立する。
・941年(天慶4)天慶の乱で焼失する。
・1296年(永仁4)尊海は成田氏の外護により伽藍を再建。
・1296年(永仁4)仙波談義所が開かれる。
・1537年(天文6)北条氏の侵攻により焼失。
・1632年(寛永9)伽藍を再建する。
・1638年(寛永15)川越大火により焼失。
・1639年(寛永16)現在の地に移転。
・1733年(享保18)本堂を再建。
・1945年(昭和20)釈迦堂・薬師堂、焼失。
・1983年(昭和58)釈迦堂を再建する。
・2012年(平成24)薬師堂を再建する。 -
本堂。
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赤門。
弁柄で塗られた瓦葺四脚門で左の柱に「天台宗中院」、右の柱に「特別保護建造物 此門四百年前建物取調書編入 明治十六年六月十九日 埼玉県」と記された木札が掛けられています。 -
赤門の傍らの掲示板の「皆んな元気で100歳迎えましょう」の言葉には自然に笑みがこぼれる。
下は蕾の自分が100まで生きるための十一則、やめられない事ばっかり。
そこまでして100を目指す事も無かろう。 -
赤門から眺める境内。
一般参拝客はこちらから境内に入る事になります。
どこの神社仏閣でも同じですがペットお断りの看板を目にします、それは「動物は穢れ」としてとらわれ、そうした理由から神社仏閣ではペットは抱っこしようが外で「待て」してもらうしかない。
たま〃だろうがそうした光景を目にすると、人化したお犬様に限らないが、ペットブーム以降「うちの子」がアレルゲンであることを自覚していない飼い主が増えている気がする。 -
入母屋瓦葺の本堂全景。
手入れされた庭園には四季折々の草花が植えられ、特に枝垂れ桜が多く桜の時期に訪れたいところ。
この時期は紅葉にも早く、苔の緑と彼岸花が印象に残りました。
喜多院にくらべ中院を訪れる参拝客は少ないようで、静かで落ち着いた佇まいの古刹でした。
星野山 無量寿寺 中院。
宗派 / 天台宗
創建 / (伝)天長7年(830)
開山 / (伝)円仁
開基 / 淳和天皇
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 埼玉県川越市小仙波町5-15-1
光西寺から北へ / 徒歩1分程
参拝日 / 2023/09/25
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