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春日井市玉野台の住宅地の一画に鎮座する皇大神宮 山住彦大神。<br />鎮座地は旧玉野集落の北外れに位置し玉野と聞くと、多治見から名古屋へ向かう玉野街道が思い浮かびます。<br />昔は多治見から名古屋までの物資は内津峠を越える下街道を利用し流れていた。<br />明治24年(1891)になって、庄内川(玉野川)沿いに平坦な道(玉野街道)の開削が始まり、明治28年(1895)に人馬の他、荷車なども通行可能な有料道路として開通しました。<br />しかし翌年の明治29年(1896)、 中央線の敷設工事が始まり街道は徐々に寸断され、中央線開通(1900)とともに玉野街道は使われなくなり、僅か1年程で玉野渓谷に姿を消した幻の街道。<br />ここから愛岐トンネル群のある定光寺駅に向かう川沿いの小路にはそうした趣が漂います。

皇大神宮 山住彦大神、津島神社

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2023/06/21 - 2023/06/21

198位(同エリア210件中)

azusa55さん

春日井市玉野台の住宅地の一画に鎮座する皇大神宮 山住彦大神。
鎮座地は旧玉野集落の北外れに位置し玉野と聞くと、多治見から名古屋へ向かう玉野街道が思い浮かびます。
昔は多治見から名古屋までの物資は内津峠を越える下街道を利用し流れていた。
明治24年(1891)になって、庄内川(玉野川)沿いに平坦な道(玉野街道)の開削が始まり、明治28年(1895)に人馬の他、荷車なども通行可能な有料道路として開通しました。
しかし翌年の明治29年(1896)、 中央線の敷設工事が始まり街道は徐々に寸断され、中央線開通(1900)とともに玉野街道は使われなくなり、僅か1年程で玉野渓谷に姿を消した幻の街道。
ここから愛岐トンネル群のある定光寺駅に向かう川沿いの小路にはそうした趣が漂います。

旅行の満足度
2.0
観光
2.5
交通
2.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 春日井市玉野台の住宅地の一画に鎮座する皇大神宮 山住彦大神。<br />地図の左は明治頃、右がほゞ現在の玉野台周辺。<br />当時の地図でこの辺りは玉川村玉野、庄内川(玉野川)右岸に位置し、川に向かって山が迫り、僅かな平地に玉野村集落があり、川側に水田が作られている。<br />鎮座地は青のマーカーの位置。<br />当時の田畑は今も残るけれど、玉野集落はその後の中央本線の敷設や1964年から造成が始まった高蔵寺ニュータウンにより劇的に変貌した。<br />高倉山の周囲は西から徐々に宅地化され、高蔵山の東に位置する玉野集落に押し寄せ、今では古くからの集落と団地が融合するような立地になっています。

    春日井市玉野台の住宅地の一画に鎮座する皇大神宮 山住彦大神。
    地図の左は明治頃、右がほゞ現在の玉野台周辺。
    当時の地図でこの辺りは玉川村玉野、庄内川(玉野川)右岸に位置し、川に向かって山が迫り、僅かな平地に玉野村集落があり、川側に水田が作られている。
    鎮座地は青のマーカーの位置。
    当時の田畑は今も残るけれど、玉野集落はその後の中央本線の敷設や1964年から造成が始まった高蔵寺ニュータウンにより劇的に変貌した。
    高倉山の周囲は西から徐々に宅地化され、高蔵山の東に位置する玉野集落に押し寄せ、今では古くからの集落と団地が融合するような立地になっています。

  • 鎮座地は旧玉野集落の北外れに位置し、玉野台交差点を右折したすぐ右側に社地があります。<br /><br />玉野と聞くと、多治見から名古屋へ向かう玉野街道が思い浮かびます。<br />昔は多治見から名古屋までの物資は内津峠を越える下街道を利用し流れていた。<br />明治24年(1891)になって、庄内川(玉野川)沿いに平坦な道(玉野街道)の開削が始まり、明治28年(1895)に人馬の他、荷車なども通行可能な有料道路として開通しました。<br />しかし翌年の明治29年(1896)、 中央線の敷設工事が始まり街道は徐々に寸断され、中央線開通(1900)とともに玉野街道は使われなくなり、僅か1年程で玉野渓谷に姿を消した幻の街道。<br />ここから定光寺駅に向かう川沿いの小路にはそうした趣が漂います。

    鎮座地は旧玉野集落の北外れに位置し、玉野台交差点を右折したすぐ右側に社地があります。

    玉野と聞くと、多治見から名古屋へ向かう玉野街道が思い浮かびます。
    昔は多治見から名古屋までの物資は内津峠を越える下街道を利用し流れていた。
    明治24年(1891)になって、庄内川(玉野川)沿いに平坦な道(玉野街道)の開削が始まり、明治28年(1895)に人馬の他、荷車なども通行可能な有料道路として開通しました。
    しかし翌年の明治29年(1896)、 中央線の敷設工事が始まり街道は徐々に寸断され、中央線開通(1900)とともに玉野街道は使われなくなり、僅か1年程で玉野渓谷に姿を消した幻の街道。
    ここから定光寺駅に向かう川沿いの小路にはそうした趣が漂います。

  • 社頭全景。<br />境内には参拝者駐車場はないので、生活道路のため、車で訪れる際は西側に鎮座する五社神社の参拝者駐車場に駐車、五社神社を参拝してから、こちらに向かうと近隣の方に迷惑は掛からないでしょう。<br />

    社頭全景。
    境内には参拝者駐車場はないので、生活道路のため、車で訪れる際は西側に鎮座する五社神社の参拝者駐車場に駐車、五社神社を参拝してから、こちらに向かうと近隣の方に迷惑は掛からないでしょう。

  • 境内全景。<br />境内は玉砂利が敷き詰められ、右に「皇大神宮 山住彦大神」の社標(1995)があり、裏側に神社の由緒が彫られています。<br />本殿に続く参道脇に燈籠、狛犬があり、一番奥に本殿の他に右に供養塔があります。

    境内全景。
    境内は玉砂利が敷き詰められ、右に「皇大神宮 山住彦大神」の社標(1995)があり、裏側に神社の由緒が彫られています。
    本殿に続く参道脇に燈籠、狛犬があり、一番奥に本殿の他に右に供養塔があります。

  • 庭園の様に整備された手入れの行き届いた境内。

    庭園の様に整備された手入れの行き届いた境内。

  • 社標裏側の由緒。<br />「山の神について  地主<br />今から640年ほど前の南北朝時代に小島又兵衛という人が玉野に住みついた。<br />ある時、玉野村に病が広まり大勢の人が亡くなった。<br />又兵衛はなんとかしてこの病を治そうと思い、玉野の高い峰に山の神を祀ったところ病は治まった。<br />そして時が過ぎ、いつしか村人は山の神の事を忘れてしまった。<br /><br />明治地租改正により高峰の土地の持ち主が決まったが、地主が入れかわり、後に小島家のものとなり祭礼や正月に赤飯や餅を供えて山の神の世話をした。<br />此度住友・名鉄の北山開発によってこの土地に団地が出来る事になり、山の神を他に遷す事になった。<br />そこで釜戸御嶽教の行者様に頼んで拝んでもらったところ、山の神は山住彦大神と名乗られ、他の土地に移ってもよいが今後一層神を厚く敬って拝むようとのお告げあり有志一同にて奉納しこの地にお祀りした。平成7年12月」とある。<br /><br />発端は流行病の終息を祈願し祀られたようで、もとの鎮座地についてはここからは分かりません。<br />移転の発端になった開発とは高蔵寺ニュータウン(1968年)の事を指すのだろう、移転に伴い釜戸御嶽教(瑞浪市釜戸)の行者に相談したという事です。

    社標裏側の由緒。
    「山の神について  地主
    今から640年ほど前の南北朝時代に小島又兵衛という人が玉野に住みついた。
    ある時、玉野村に病が広まり大勢の人が亡くなった。
    又兵衛はなんとかしてこの病を治そうと思い、玉野の高い峰に山の神を祀ったところ病は治まった。
    そして時が過ぎ、いつしか村人は山の神の事を忘れてしまった。

    明治地租改正により高峰の土地の持ち主が決まったが、地主が入れかわり、後に小島家のものとなり祭礼や正月に赤飯や餅を供えて山の神の世話をした。
    此度住友・名鉄の北山開発によってこの土地に団地が出来る事になり、山の神を他に遷す事になった。
    そこで釜戸御嶽教の行者様に頼んで拝んでもらったところ、山の神は山住彦大神と名乗られ、他の土地に移ってもよいが今後一層神を厚く敬って拝むようとのお告げあり有志一同にて奉納しこの地にお祀りした。平成7年12月」とある。

    発端は流行病の終息を祈願し祀られたようで、もとの鎮座地についてはここからは分かりません。
    移転の発端になった開発とは高蔵寺ニュータウン(1968年)の事を指すのだろう、移転に伴い釜戸御嶽教(瑞浪市釜戸)の行者に相談したという事です。

  • 狛犬、眼球が彩色され小振りながら勇ましい。<br />(寄進年未確認)

    狛犬、眼球が彩色され小振りながら勇ましい。
    (寄進年未確認)

  • 見世棚造の本殿。<br />本殿、玉垣始めとして境内の寄進物は新しいように見えます。<br />玉垣の左の柱に「玉野 山野神」と彫られています。<br />?と感じたのは右の柱に「京都鞍馬山由岐神社」と刻まれており、由岐神社の祭神大己貴命と少彦名命も勧請されているのだろうか。<br />ここでは祭神を山住彦大神、小島又兵衛としておこう。

    見世棚造の本殿。
    本殿、玉垣始めとして境内の寄進物は新しいように見えます。
    玉垣の左の柱に「玉野 山野神」と彫られています。
    ?と感じたのは右の柱に「京都鞍馬山由岐神社」と刻まれており、由岐神社の祭神大己貴命と少彦名命も勧請されているのだろうか。
    ここでは祭神を山住彦大神、小島又兵衛としておこう。

  • 右の供養塔。<br />病に苦しむ玉野集落を助けようと社を祀った小島又兵衛の供養塔。<br /><br />皇大神宮 山住彦大神<br />創建 / 1336年~1392年(伝)<br />祭神 / 山住彦大神、小島又兵衛<br />所在地 / 春日井市玉野台1-30<br />中央線定光寺駅から徒歩 / 下流に向かい30分

    右の供養塔。
    病に苦しむ玉野集落を助けようと社を祀った小島又兵衛の供養塔。

    皇大神宮 山住彦大神
    創建 / 1336年~1392年(伝)
    祭神 / 山住彦大神、小島又兵衛
    所在地 / 春日井市玉野台1-30
    中央線定光寺駅から徒歩 / 下流に向かい30分

  • 皇大神宮 山住彦大神から県道53号線沿いを5分程南下し名鉄バス「玉野」停方向へ。<br /><br />写真はバス停から五社神社方向の眺め。<br />玉野地内は主要道を外れると幅員が狭く、車で生活道路に入り込むのは避けた方がいい。<br />また、周辺に駐車余地はありません。

    皇大神宮 山住彦大神から県道53号線沿いを5分程南下し名鉄バス「玉野」停方向へ。

    写真はバス停から五社神社方向の眺め。
    玉野地内は主要道を外れると幅員が狭く、車で生活道路に入り込むのは避けた方がいい。
    また、周辺に駐車余地はありません。

  • 郷蔵。<br />玉野バス停前に立つ建物で、五社神社の社頭から真っすぐ伸びる道路と県道が交わる角に建つ蔵。<br />玉野郷蔵と呼ばれているもの、御蔵とは郷で収穫した米などを地区共同で保管する為の収蔵庫。<br />一年の手間をかけ収穫した作物の一部を保管するため、窓のない建物で全面白漆喰で塗られています。<br />明治初期のものとされるこの建物の妻には玉野の玉の文字が入っています。

    郷蔵。
    玉野バス停前に立つ建物で、五社神社の社頭から真っすぐ伸びる道路と県道が交わる角に建つ蔵。
    玉野郷蔵と呼ばれているもの、御蔵とは郷で収穫した米などを地区共同で保管する為の収蔵庫。
    一年の手間をかけ収穫した作物の一部を保管するため、窓のない建物で全面白漆喰で塗られています。
    明治初期のものとされるこの建物の妻には玉野の玉の文字が入っています。

  • こうした御蔵が地区ごとに作られ、凶作時には蓄えた米を地区に分配する備蓄庫の役割があったようです。<br />郷蔵はここ玉野地区のみならず、瀬戸の農村地でも見ることが出来ます。<br />今は建築物として保存されているだけかも知れませんが、隣家との接点が消え、個人が集まっているだけの都会の街中に生まれる事はない。

    こうした御蔵が地区ごとに作られ、凶作時には蓄えた米を地区に分配する備蓄庫の役割があったようです。
    郷蔵はここ玉野地区のみならず、瀬戸の農村地でも見ることが出来ます。
    今は建築物として保存されているだけかも知れませんが、隣家との接点が消え、個人が集まっているだけの都会の街中に生まれる事はない。

  • 上は五社神社でも使用した明治の玉野町とほゞ現在の玉野町地図。<br />今回訪れる津島神社は赤のマーカーになり、先程の郷蔵の南向かいに鎮座します。<br />JR中央線を越えた庄内川右岸にかけては広大な水田地帯が広がっています。

    上は五社神社でも使用した明治の玉野町とほゞ現在の玉野町地図。
    今回訪れる津島神社は赤のマーカーになり、先程の郷蔵の南向かいに鎮座します。
    JR中央線を越えた庄内川右岸にかけては広大な水田地帯が広がっています。

  • 津島神社全景。<br />名鉄バス「玉野」のバス停前に鎮座します。<br />中央の建物は看板を見忘れて定かではないですが、妻の部分に桜のマークがあり恐らく消防団詰所、左の玉野部と書かれた赤い扉の建物は消防器具の保管庫か?<br />本題の津島神社は詰所の右に祀られています。<br />こうした消防団の詰所や集会所の脇に、津島神社や秋葉神社が祀られる姿は良く見かける姿かもしれない。

    津島神社全景。
    名鉄バス「玉野」のバス停前に鎮座します。
    中央の建物は看板を見忘れて定かではないですが、妻の部分に桜のマークがあり恐らく消防団詰所、左の玉野部と書かれた赤い扉の建物は消防器具の保管庫か?
    本題の津島神社は詰所の右に祀られています。
    こうした消防団の詰所や集会所の脇に、津島神社や秋葉神社が祀られる姿は良く見かける姿かもしれない。

  • こちらの津島神社は上のマップ上に記されておらず、創建の手掛かりは掴めません。<br />明治の頃の地図では集落の西外れに位置します。

    こちらの津島神社は上のマップ上に記されておらず、創建の手掛かりは掴めません。
    明治の頃の地図では集落の西外れに位置します。

  • 覆屋正面。<br />切妻瓦葺の覆屋、大棟の鬼には紋はなく、柱に社名札がありますが脱色し辛うじて津島神社と読み取れました。

    覆屋正面。
    切妻瓦葺の覆屋、大棟の鬼には紋はなく、柱に社名札がありますが脱色し辛うじて津島神社と読み取れました。

  • 社の造りは平入切妻造。<br />御神酒も供えられ、玉野の町には今も無くてはならない存在のようです。<br />扉は開けれるようですが、扉の外から賽銭は入れられるので控えました。

    社の造りは平入切妻造。
    御神酒も供えられ、玉野の町には今も無くてはならない存在のようです。
    扉は開けれるようですが、扉の外から賽銭は入れられるので控えました。

  • 鳥衾(天狗の鼻状の出っ張り)の下の鬼紋には菊の紋、その脇に波か雲が施されている。<br />屋根を葺いている素材は杮葺のようにも見えるが、よく分からなかった。<br />いつ頃勧請され創建されたのか詳細は見当がつきません。<br />祭神は建速須佐之男命でいいかと思います。<br />

    鳥衾(天狗の鼻状の出っ張り)の下の鬼紋には菊の紋、その脇に波か雲が施されている。
    屋根を葺いている素材は杮葺のようにも見えるが、よく分からなかった。
    いつ頃勧請され創建されたのか詳細は見当がつきません。
    祭神は建速須佐之男命でいいかと思います。

  • 津島神社を参拝し、中央線の踏切を越え南に進み、一面に水が張られた田んぼの脇を歩いて次の目的地を目指します。

    津島神社を参拝し、中央線の踏切を越え南に進み、一面に水が張られた田んぼの脇を歩いて次の目的地を目指します。

  • 移動中に見かけたキジ。<br />木の陰に隠れてしまったが一羽の雛鳥が忙しなく走り回る姿があった。<br />田んぼには、羽を休める大きなアオサギの姿も見られ、かつて身近に見られた光景がいまもある。<br />家にいて出逢えるものはサギ電話か怪しいキジのチラシくらいのもの。<br /><br />津島神社<br />創建 / 不明<br />祭神 / 建速須佐之男命<br />所在地 / 春日井市玉野町(玉野郵便局向かい)<br />駐車場 / なし<br />皇大神宮 山住彦大神から津島神社 / 社頭から南へ徒歩5分

    移動中に見かけたキジ。
    木の陰に隠れてしまったが一羽の雛鳥が忙しなく走り回る姿があった。
    田んぼには、羽を休める大きなアオサギの姿も見られ、かつて身近に見られた光景がいまもある。
    家にいて出逢えるものはサギ電話か怪しいキジのチラシくらいのもの。

    津島神社
    創建 / 不明
    祭神 / 建速須佐之男命
    所在地 / 春日井市玉野町(玉野郵便局向かい)
    駐車場 / なし
    皇大神宮 山住彦大神から津島神社 / 社頭から南へ徒歩5分

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