2024/01/08 - 2024/01/08
66位(同エリア89件中)
かくちゃんさん
- かくちゃんさんTOP
- 旅行記41冊
- クチコミ40件
- Q&A回答0件
- 7,050アクセス
- フォロワー1人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
昨年、京都三条大橋から江戸日本橋まで1年かけて中山道を走破しましたので、今年は、江戸日本橋から日光東照宮まで日光街道を、東照宮から水戸まで一般道を、水戸からは水戸街道を通って江戸日本橋まで全14区間を「日光水戸駅伝単独走」と称して半年でランニングで走破する計画を立て実行に移すことにしました。
第1区は、江戸日本橋をスタートし、越ケ谷までのコースとなります。
浅草橋、浅草雷門、浅草一里塚を通過し、千住大橋を渡った後、千住やっちゃ場、千住一里塚、千住宿、六月、草加の両一里塚、浅古家の地蔵尊、草加宿、草加松原を通過し、蒲生大橋を渡った後、蒲生、越ケ谷の両一里塚、越ケ谷宿を経て、本日のゴール北越谷駅に到着。
東武伊勢崎線で新越谷まで行き、南越谷ゴールデン街の「こがね」さんで昼飲み。飲み物半額なのをいいことに昼から少し飲み過ぎてしまいました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
浅草橋。
多くの屋形船が係留されています。江戸時代、水運は重要な交通手段でしたから、かつては川べりにこのように多くの舟が係留されていたんでしょうね。浅草橋 名所・史跡
-
浅草雷門。
成人の日の午前10時過ぎでしたが、門の下はすごい人だかりでした。雷門 (風雷神門) 名所・史跡
-
日光街道 最初の一里塚 浅草一里塚があったと思われる場所周辺。
江戸時代末期の天保年間には標木のみとなっていたようです。
写真は雷門通りから雷門一之宮通りに入ってすぐにある「ふなわかふぇ浅草店」。 -
言問橋先に見る東京スカイツリー。
ここが日光街道で一番東京スカイツリーに近い場所のようです。 -
千住大橋。
徳川家康の関東入国間もない文禄3年(1594年)に最初に架けられ何度か架け替えが行われた後、昭和2年(1927年)に現在のようなアーチ式の鋼橋となったのだそうです。 -
千住やっちゃ場。
戦国時代の街道両側の青空市場から始まり、太平洋戦争中、場所を足立市場に移すまで続いていたそうです。鉄道の開通や道路拡張によって寂れ廃れた旧街道を多く見て来ましたので、戦国時代に始まった市場が昭和の初期まで発展を続けたと聞いて何だか嬉しい気持ちになりました。
なお、やっちゃ場は、問屋のセリの声が「やっちゃい、やっちゃい」と聞こえる場所というのが名前の由来なのだそうです。 -
日光街道 2番目の一里塚 千住一里塚址。
石碑には「一里塚跡」とだけ表示があり、特に案内板もなくひっそり立っています。 -
日光街道 最初の宿場町 千住宿。
中山道の板橋宿同様、旧街道は商店街として活用されており、午前中でしたがそれなりに混雑していました。 -
千住宿横山家住宅。
母屋は江戸時代後期の建造で、幕末に彰義隊が切りつけたとされる柱の傷や戦時中に焼夷弾が貫いた屋根などを残しながら、宿場町の名残を今に伝えています。横山家住宅 名所・史跡
-
日光街道 3番目の一里塚 六月一里塚があったと思われる場所周辺。
島根鷲(わし)神社の近くにあったようですが、場所は特定されていません。 -
日光街道 4番目の一里塚 草加一里塚があったと思われる場所周辺。
場所は特定できませんが、往時には一里塚付近に茶屋があったとされ、「草加」と言えば「せんべい」でもあるので、小宮のせんべいさんの辺りとさせていただきました。 -
日光街道 2番目の宿場町 草加宿。
かつて千住と越ケ谷の間は沼地が多かったため、江戸時代に入り、沼地を埋め立てた際、多くの草が用いられたためこの辺りを「草加」と呼ぶようになったのだそうです。 -
浅古家の地蔵尊。
言い伝えでは、浅古家わきを流れていた堀が増水した時に上流から流されてきた地蔵を救い祭ったところ、子宝に恵まれたのだそうです。何度か移設計画が持ち上がったようですが、今も江戸時代と同じ場所に祭られています。浅古家の地蔵堂 寺・神社・教会
-
草加松原手前の望楼。
遠くを見渡すための櫓で、江戸時代は街中の火災を発見するため見張りを置いていたのだそうです。 -
草加松原。
江戸時代から日光街道の名所とされた場所で、昭和40年代に著しく本数を減らしたようですが、平成24年(2012年)には634本の松並木が復活するに至っています。草加松原遊歩道 名所・史跡
-
蒲生大橋。
江戸時代から綾瀬川に架かる橋で、かつては土橋だったようですが、昭和51年(1976年)に永久橋に架替されています。 -
日光街道 5番目の一里塚 蒲生一里塚。
埼玉県内の日光街道に現存する唯一の一里塚となっています。 -
日光街道 6番目の一里塚 越ケ谷一里塚があったと思われる場所周辺。
何の痕跡もありませんが、この辺りではないかと思われます。 -
河内屋旅館。
一見、普通の旅館に見えますが、江戸時代から300年営業している旅館なのだそうです。 -
日光街道 3番目の宿場町 越ケ谷宿。
大きな宿場町だったようで、徳川家康や秀忠も鷹狩りのために休泊したことがあるのだそうです。所々に古い建物が残っています。 -
南越谷のゴールデン街。
お邪魔した「こがね」さんは、私が入ると満席。途中2回ほどお客さんの入店を断っていました。昼間から酒を飲む人って結構いるんですね。大衆寿司酒場こがね グルメ・レストラン
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21