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2019年4月の火災で失われたノートルダム・ド・パリの尖塔は以前のままに再建され、クリスマス前の12月6日には頭頂部に十字架が設置された。<br />さらにその10日後には十字架の上に金の雄鶏が戻された。<br />これで4年8ヶ月ぶりに、焼失前の姿が蘇ったことになる。<br /><br />とは言っても、周囲に工事用足場が組まれているので、その実像を目にすることはまだできない。それでも目を凝らして眺めれば、かろうじて工事用パイプの間から十字架の形が認められる。<br /><br />今後は屋根材を組み立て、鉛の皮膜や装飾を施し、さらに内部の修復や復元作業を進めて、2024年12月8日の一般公開が予定されている。<br />当初の計画であった2024年4月の再開も、パリオリンピックまでにという願いも叶わなかったが、コロナ下の制約があったことを考えれば称賛に値する進捗ぶりだと思う。もちろん、この世界的な名所に寄せられた多額の寄金が裏付けとはなっているのだが。<br /><br />大聖堂前広場の地下には「エスパス・ノートルダム Espace Notre-Dame」と名付けられた展示施設が設けられ、主に技術的な面の解説が用意されていて、修復工事の一部始終をつぶさに知ることができる。<br /><br />世界の各地で軍事侵略による破壊と殺戮が続き、あるいは自然災害による甚大な被害が報じられる中で、人びとを絶望的な気持ちにさせたあの火災からの復活は、何はともあれ喜ばしい出来事であることに間違いない。<br /><br /><br />

ありし日の姿を取り戻しつつあるノートルダム・ド・パリ

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2023/12/06 - 2023/12/23

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ばねお

ばねおさん

2019年4月の火災で失われたノートルダム・ド・パリの尖塔は以前のままに再建され、クリスマス前の12月6日には頭頂部に十字架が設置された。
さらにその10日後には十字架の上に金の雄鶏が戻された。
これで4年8ヶ月ぶりに、焼失前の姿が蘇ったことになる。

とは言っても、周囲に工事用足場が組まれているので、その実像を目にすることはまだできない。それでも目を凝らして眺めれば、かろうじて工事用パイプの間から十字架の形が認められる。

今後は屋根材を組み立て、鉛の皮膜や装飾を施し、さらに内部の修復や復元作業を進めて、2024年12月8日の一般公開が予定されている。
当初の計画であった2024年4月の再開も、パリオリンピックまでにという願いも叶わなかったが、コロナ下の制約があったことを考えれば称賛に値する進捗ぶりだと思う。もちろん、この世界的な名所に寄せられた多額の寄金が裏付けとはなっているのだが。

大聖堂前広場の地下には「エスパス・ノートルダム Espace Notre-Dame」と名付けられた展示施設が設けられ、主に技術的な面の解説が用意されていて、修復工事の一部始終をつぶさに知ることができる。

世界の各地で軍事侵略による破壊と殺戮が続き、あるいは自然災害による甚大な被害が報じられる中で、人びとを絶望的な気持ちにさせたあの火災からの復活は、何はともあれ喜ばしい出来事であることに間違いない。


同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2023年12月6日、サンジェルマン・デ・プレ。<br />小雨続きの日々の中で、久しぶりに晴れた1日。

    2023年12月6日、サンジェルマン・デ・プレ。
    小雨続きの日々の中で、久しぶりに晴れた1日。

  • 教会の横では毎年恒例となっているマルシェ・ド・ノエルが開設されていた。

    教会の横では毎年恒例となっているマルシェ・ド・ノエルが開設されていた。

  • 11月下旬頃から、街はクリスマスムードをかきたてる宣伝やら飾りつけで賑々しい雰囲気を増してきているが、マルシェに立ち寄る人はさすがにまだ少ない。

    11月下旬頃から、街はクリスマスムードをかきたてる宣伝やら飾りつけで賑々しい雰囲気を増してきているが、マルシェに立ち寄る人はさすがにまだ少ない。

  • サンジェルマン大通り沿いのカフェの入り口には、コロナ下で活躍したテディベアが客待ち顔に座っていた。<br />最近はどの店も「ハッピーアワー」と銘打って、アペロのためのメニューを店頭に出している。<br />この日はここからシテ島のノートルダムまで歩いて向かった。

    サンジェルマン大通り沿いのカフェの入り口には、コロナ下で活躍したテディベアが客待ち顔に座っていた。
    最近はどの店も「ハッピーアワー」と銘打って、アペロのためのメニューを店頭に出している。
    この日はここからシテ島のノートルダムまで歩いて向かった。

  • シテ島の手前、サンミッシェル広場でも恒例のマルシェ・ド・ノエルが軒を連ねていた。

    シテ島の手前、サンミッシェル広場でも恒例のマルシェ・ド・ノエルが軒を連ねていた。

  • 観光客が多く行き交う場所だけに、こちらは人通りがかなり多い。<br />

    観光客が多く行き交う場所だけに、こちらは人通りがかなり多い。

  • シェイクスピア書店を過ぎ、その先のルネ-ヴィヴィアンヌ公園前から眺めたノートルダム。<br />この日は再建された尖塔に十字架が取り付けられたというので見にやって来た。<br /><br />

    シェイクスピア書店を過ぎ、その先のルネ-ヴィヴィアンヌ公園前から眺めたノートルダム。
    この日は再建された尖塔に十字架が取り付けられたというので見にやって来た。

  • 大聖堂近くまでやって来て尖塔を見上げても、工事用足場が複雑に組まれていて、その姿をとらえることは難しいのだが、頭の中に残っている以前のイメージを重ねてみると何となく見えた気持ちになる。

    大聖堂近くまでやって来て尖塔を見上げても、工事用足場が複雑に組まれていて、その姿をとらえることは難しいのだが、頭の中に残っている以前のイメージを重ねてみると何となく見えた気持ちになる。

  • ノートルダム・ド・パリのもともとの尖塔は、1250年に建てられたものが老朽化のため1786~1797年に解体され、その後しばらくは存在していなかった。<br />その後、1859年にウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュツクが新たに、そして従前よりも立派な形で建てたものが2019年の火災まで存続していた。<br /><br />焼失後の尖塔の再建にあたっては、まったく新たなプランも一時検討されたが、結局、ヴィオレ・ル・デュツクと同一の形、同一の仕様で復元されることになった。<br /><br />12月6日は、その頭頂部に金属製の十字架が付けられた。<br />さらに16日には十字架の上に金色の雄鶏が戻された。<br />「戻された」と記したのは、以前のニュースで「大聖堂の尖塔のコケコッコーは無事であった」とあったのを憶えていたためで、それが正しければ多少の手を加えて元の位置に帰ったことになる。<br />これで焼失前と同じ形になったことになる。あとは年月に耐える鉛の皮膜を施す作業になるという。

    ノートルダム・ド・パリのもともとの尖塔は、1250年に建てられたものが老朽化のため1786~1797年に解体され、その後しばらくは存在していなかった。
    その後、1859年にウジェーヌ・ヴィオレ・ル・デュツクが新たに、そして従前よりも立派な形で建てたものが2019年の火災まで存続していた。

    焼失後の尖塔の再建にあたっては、まったく新たなプランも一時検討されたが、結局、ヴィオレ・ル・デュツクと同一の形、同一の仕様で復元されることになった。

    12月6日は、その頭頂部に金属製の十字架が付けられた。
    さらに16日には十字架の上に金色の雄鶏が戻された。
    「戻された」と記したのは、以前のニュースで「大聖堂の尖塔のコケコッコーは無事であった」とあったのを憶えていたためで、それが正しければ多少の手を加えて元の位置に帰ったことになる。
    これで焼失前と同じ形になったことになる。あとは年月に耐える鉛の皮膜を施す作業になるという。

  • 大聖堂前の広場に置かれた奇跡の母子像のレプリカ。<br />よく知られたこの像は、火災で尖塔や屋根が崩落する真下にありながら不思議と無傷であったことからさらに有名になった。<br />自分のようにまるで信仰心のない人間でも奇跡的だと思うのだから、信仰のある者にはさらに信仰心を深める存在になった。<br /><br />

    大聖堂前の広場に置かれた奇跡の母子像のレプリカ。
    よく知られたこの像は、火災で尖塔や屋根が崩落する真下にありながら不思議と無傷であったことからさらに有名になった。
    自分のようにまるで信仰心のない人間でも奇跡的だと思うのだから、信仰のある者にはさらに信仰心を深める存在になった。

  • 当時の写真を見れば、火災で落下した多量の屋根材や骨組みが周囲に散乱する中でこの母子像はよく難を逃れたものだと驚く。<br /><br />数日前にTV放映されていたパレスチナのベツレヘムの教会の印象的な画像が重なって思い起こされる。<br />クリスマスを前に、今までのような宗教的なレイアウトとは異なり、幼子イエスを抱いたマリア像の周りには破壊された建物の瓦礫や有刺鉄線が巡らされていた。<br />それは抗議を込めたメッセージなのだが、同時にまるで立ちすくんでいるような母子の姿にも見えた。<br /><br />ウクライナでは、これまでロシア正教と同じ1月7日をクリスマスとしてきたが、ロシアへの反発から、12月25日をクリスマスとする暦に正式に変更し、24日には各地でクリスマス・イブの礼拝が行われたという。<br /><br />いずれも歴史に刻まれる出来事として残るだろう。<br /><br />

    当時の写真を見れば、火災で落下した多量の屋根材や骨組みが周囲に散乱する中でこの母子像はよく難を逃れたものだと驚く。

    数日前にTV放映されていたパレスチナのベツレヘムの教会の印象的な画像が重なって思い起こされる。
    クリスマスを前に、今までのような宗教的なレイアウトとは異なり、幼子イエスを抱いたマリア像の周りには破壊された建物の瓦礫や有刺鉄線が巡らされていた。
    それは抗議を込めたメッセージなのだが、同時にまるで立ちすくんでいるような母子の姿にも見えた。

    ウクライナでは、これまでロシア正教と同じ1月7日をクリスマスとしてきたが、ロシアへの反発から、12月25日をクリスマスとする暦に正式に変更し、24日には各地でクリスマス・イブの礼拝が行われたという。

    いずれも歴史に刻まれる出来事として残るだろう。

  • 大聖堂前の広場に設けられた観覧台に上り、少し高い位置から正面を眺めてみた。<br />火災以来、ぽっかりと穴の開いたような空間であった双塔の間には、以前と同じように再建された尖塔が工事足場に囲まれて聳えている。<br />ここからは新たに設置された十字架も認めることができた。<br /><br />大事なものを失ってしまったという喪失感が形として復元され、あるべきものがあるべき位置に戻ったという安堵感のような思いを少し感じるが、やがて足場が外され、実像を見ることでその思いは確かなものになるような気がする。<br /><br />

    大聖堂前の広場に設けられた観覧台に上り、少し高い位置から正面を眺めてみた。
    火災以来、ぽっかりと穴の開いたような空間であった双塔の間には、以前と同じように再建された尖塔が工事足場に囲まれて聳えている。
    ここからは新たに設置された十字架も認めることができた。

    大事なものを失ってしまったという喪失感が形として復元され、あるべきものがあるべき位置に戻ったという安堵感のような思いを少し感じるが、やがて足場が外され、実像を見ることでその思いは確かなものになるような気がする。

  • 大聖堂前の広場の地下では、ノートルダム・ド・パリの再建工事の様子を詳しく知ることのできる体験型展示が開設されていた。

    大聖堂前の広場の地下では、ノートルダム・ド・パリの再建工事の様子を詳しく知ることのできる体験型展示が開設されていた。

  • 広場の地下に設けられた「エスパス・ノートルダム Espace Notre-Dame」。<br />入場は無料で、まさに進行中の工事現場に隣接して、その工事内容を説明するという技術的な部分に重点を置いた展示になっていた。

    広場の地下に設けられた「エスパス・ノートルダム Espace Notre-Dame」。
    入場は無料で、まさに進行中の工事現場に隣接して、その工事内容を説明するという技術的な部分に重点を置いた展示になっていた。

  • 展示はいくつかのテーマごとに分けられているが、共通しているのは作業のすべての段階が理解できるように工夫され、再建にあたって取り組むべき課題とそれを解決した方法が具体的に分かりやすく示されていること。<br />世界の各都市でも同様の展示が予定されていてTOKYOの文字もあったが、なぜか日時場所は空白であった。

    展示はいくつかのテーマごとに分けられているが、共通しているのは作業のすべての段階が理解できるように工夫され、再建にあたって取り組むべき課題とそれを解決した方法が具体的に分かりやすく示されていること。
    世界の各都市でも同様の展示が予定されていてTOKYOの文字もあったが、なぜか日時場所は空白であった。

  • 来場者を会場の入り口近くで迎えてくれる母子像。<br />2022年にパリ5区にあるノートルダムと同時代の旧神学校コレージュ・デ・ベルナルダンで開催された「ノートルダム・ド・パリ (NOTRE-DAME DE PARIS, L’EXPOSITION AUGMENTÉE)」展でも入り口にこの母子像が置かれていた。<br /><br />

    来場者を会場の入り口近くで迎えてくれる母子像。
    2022年にパリ5区にあるノートルダムと同時代の旧神学校コレージュ・デ・ベルナルダンで開催された「ノートルダム・ド・パリ (NOTRE-DAME DE PARIS, L’EXPOSITION AUGMENTÉE)」展でも入り口にこの母子像が置かれていた。

  • 大聖堂の1/55 スケールのモデル。

    大聖堂の1/55 スケールのモデル。

  • こうして俯瞰して眺めると大聖堂の全体像や建物の構造がより一層理解できる。<br />尖塔は、下から眺めた印象以上に大きいという感じがする。<br />

    こうして俯瞰して眺めると大聖堂の全体像や建物の構造がより一層理解できる。
    尖塔は、下から眺めた印象以上に大きいという感じがする。

  • ステンドグラスの窓や壁画は炎による直接的損傷は免れたものの、火災による粉塵による影響が大きく、根気のいる慎重な洗浄作業と細かな修復を必要としている。<br /><br />写真は聖具室の回廊のステンド グラスで、パリ市の守護聖人である聖ジュヌヴィエーヴの伝説を表現している

    ステンドグラスの窓や壁画は炎による直接的損傷は免れたものの、火災による粉塵による影響が大きく、根気のいる慎重な洗浄作業と細かな修復を必要としている。

    写真は聖具室の回廊のステンド グラスで、パリ市の守護聖人である聖ジュヌヴィエーヴの伝説を表現している

  • 大聖堂の上に置かれていた4体の天使像のうちのひとつで火災を免れた頭部。<br /><br />12人の使徒と4人の福音伝道師を表す16体の銅像も尖塔を取り巻くようにしてあったのだが、火災の4日前に修復のために取り外されていてすべてが無事だった。<br />このことも偶然とはいえ、驚きをもって語られている。<br />屋根上にあったままであれば、高熱で溶解したり崩落していたはずだ。

    大聖堂の上に置かれていた4体の天使像のうちのひとつで火災を免れた頭部。

    12人の使徒と4人の福音伝道師を表す16体の銅像も尖塔を取り巻くようにしてあったのだが、火災の4日前に修復のために取り外されていてすべてが無事だった。
    このことも偶然とはいえ、驚きをもって語られている。
    屋根上にあったままであれば、高熱で溶解したり崩落していたはずだ。

  • 再建工事にあたり強固な足場を確保する必要から、大聖堂の地下も発掘された。<br />その時に二体の人型鉛製石棺(石と鉛で作られている)が発見され、中に納められている人物を巡って大きな話題を呼んだ。<br />その後、数か月に及ぶ調査の結果、一つはアントワーヌ・ド・ラ・ポルト大司祭(1627-1710)の棺であることが確認された。<br />二人目の人物の身元についてはまだ謎のままである。<br />推定では、ド・ラ・ポルトの前の時代に生きていたと思われる25歳から40歳の貴族の男性で、骨盤の形状から乗馬を好んだとみられている。<br />さらに骨の分析から、彼は亡くなる前の数年間は闘病生活を送っていて、死因はおそらく結核が原因の慢性髄膜炎であろうと推測されている。<br /> 何だか歴史推理小説の格好の題材になりそうな気がする。

    再建工事にあたり強固な足場を確保する必要から、大聖堂の地下も発掘された。
    その時に二体の人型鉛製石棺(石と鉛で作られている)が発見され、中に納められている人物を巡って大きな話題を呼んだ。
    その後、数か月に及ぶ調査の結果、一つはアントワーヌ・ド・ラ・ポルト大司祭(1627-1710)の棺であることが確認された。
    二人目の人物の身元についてはまだ謎のままである。
    推定では、ド・ラ・ポルトの前の時代に生きていたと思われる25歳から40歳の貴族の男性で、骨盤の形状から乗馬を好んだとみられている。
    さらに骨の分析から、彼は亡くなる前の数年間は闘病生活を送っていて、死因はおそらく結核が原因の慢性髄膜炎であろうと推測されている。
    何だか歴史推理小説の格好の題材になりそうな気がする。

  • さて、ノートルダム・ド・パリの再建工事と並んで、自分にはもう一つ気になる被災現場があって、その現在の様子を確めに出かけてみた。<br />

    さて、ノートルダム・ド・パリの再建工事と並んで、自分にはもう一つ気になる被災現場があって、その現在の様子を確めに出かけてみた。

  • 2023年6月にガス爆発で死傷者が出たパリ5区サンジャック通り沿いの建物。<br />手前はヴァル・ド・グラース教会の敷地。<br />

    2023年6月にガス爆発で死傷者が出たパリ5区サンジャック通り沿いの建物。
    手前はヴァル・ド・グラース教会の敷地。

  • 隣り合うヴァル・ド・グラース教会にも外柵の損壊等被害は及んだが、幸い建物躯体、内部の損傷はなかったようである。<br />爆発で崩壊した建物は周囲を工事用フェンスに囲まれていたが、半年前の事故からの復旧はあまり進んでいる様子は見られなかった。<br /><br />

    隣り合うヴァル・ド・グラース教会にも外柵の損壊等被害は及んだが、幸い建物躯体、内部の損傷はなかったようである。
    爆発で崩壊した建物は周囲を工事用フェンスに囲まれていたが、半年前の事故からの復旧はあまり進んでいる様子は見られなかった。

  • このヴァル・ド・グラース教会のすぐ近く、旧ポールロワイヤル修道院の前を通りかかった時に偶然にも貴重な目撃をした。<br />ちょうど、強い西陽が低い位置にきて、旧修道院の向こう側から手前のステンドグラスの色彩と図柄を浮かび上がらせたのだ。<br />これまで幾度となくここを通りながら、外からは黒色にしか見えず、内部の立ち入りもできないため、初めて目にする光景だった。<br />しばらく眺めていて、慌ててカメラを出したのだが、通りかかった婦人は横に並んで感嘆しながら十字を切っていた。<br /><br />

    このヴァル・ド・グラース教会のすぐ近く、旧ポールロワイヤル修道院の前を通りかかった時に偶然にも貴重な目撃をした。
    ちょうど、強い西陽が低い位置にきて、旧修道院の向こう側から手前のステンドグラスの色彩と図柄を浮かび上がらせたのだ。
    これまで幾度となくここを通りながら、外からは黒色にしか見えず、内部の立ち入りもできないため、初めて目にする光景だった。
    しばらく眺めていて、慌ててカメラを出したのだが、通りかかった婦人は横に並んで感嘆しながら十字を切っていた。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • mistralさん 2024/01/26 23:11:32
    パリでの奇跡。
    ばねおさん

    こんばんは。
    コメントをお送りするのはお久しぶりです。
    大変ご無沙汰しておりました。
    それでも、いつもフランスからのお便りを楽しませていただいておりました。

    ノートルダム大聖堂の火災にまつわる報道は、本当に衝撃的でした。
    讃美歌をうたいながら周辺を歩くパリ市民の方々の悲しそうな様子は、数々の
    報道で目にしました。
    その前年の秋、大聖堂の塔に上り、キマイラたちに対面したばかりでしたから
    にわかには信じられないほどでした。
    鎮火したあとの聖堂内部の惨状は目を覆うほどで、そんななかですっくと佇む
    聖母子像の姿は印象的で、よく無事だったと安堵したものでした。
    12使徒像たちも、火災の数日前には塔から降ろされていたとのことですから
    恐らくキマイラたちも無事だったことと想像しております。
    火災で失った文化財はたくさんあったことでしょうが、それでも無事であったものたち
    もあったことを思いますと、やはり何やら大きな力によって守られていたかのように
    思われます。

    ばねおさんの今回の旅行記で、大聖堂もだいぶ復旧が進んだことがわかりました。
    この3月後半、久々にフランスに参りますので、対面するのが楽しみです。

    この旅行記の最後のお写真、旧修道院の窓のステンドグラス
    普段は真っ黒にしか見えなかったのに、おりからの西陽でその色柄が浮かび上がって
    見えた、とのコメントがありました。
    こんな光景を目の当たりにしますと、不思議なことに偉大な存在のことを
    思い浮かべてしまいます。
    信仰のある方でしたら、やはり十字を切るのでしょうね。

    mistral

    ばねお

    ばねおさん からの返信 2024/01/27 05:41:33
    Re: パリでの奇跡。
    こんばんは

    いつもコメントをお寄せいただきありがとうございます。

    私は火災当時は日本に帰国していましたが、現地から伝えられてきたノートルダムの尖塔が崩落する場面を見て本当に驚愕しました。

    信仰を持たない自分ですら大きな衝撃を受けたのですから、カトリック教国のフランスでは我が身の一部が失われたような喪失感を抱いた人は多かったと思います。

    それでも従前の姿に復元することが決まり、再建作業の進捗の様子もさまざまな形で公開されてきたことで希望と安堵感が定着してきたように感じます。

    それにしても多くの偶然、好運が重なり、大聖堂の貴重な事物が数多く救われたことは奇跡的でした。

    通りかかったポールロワイヤルの修道院で、低い位置にある冬の西陽が、建物の反対側の窓を通して差し込み、建物内を通ってこちら側のステンドグラスを浮かび上がらせるということは少なからぬ驚きでした。
    思わずカメラを取り出してシャターを切りましたが、通りがかりのご婦人は十字を切りました。
    これが信仰の有無の違いでしょうか。

    さて、mistralさんは3月後半にフランスに来られるとのことですね。久々のパリはどのように映るでしょうか、いずれ旅行記で拝見できることを楽しみにしています。

    実は私は、日本で専念しなければならない事柄もあって、足かけ6年近いパリ生活を一旦切り上げて1月末に帰国します。
    次の来仏時には、工事足場の外されたノートルダムに再会できるものと思います。

    ばねお


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