2023/12/12 - 2023/12/12
4258位(同エリア4343件中)
BO/Mさん
駒形堂、浅草寺(せんそうじ)の西詰に位置するのでしょうか、綺麗に普請された社が目に入って来たので撮りました。
これも、八丁堀から東日本橋、新川、浅草橋、蔵前と歩き、行き着いた先の浅草一歩手前、向かって右側には筋斗雲サントリーのスタルクやスカイツリーが見え、大きな隅田川と首都高を隔て両国国技館はじめ墨田区が見える場所です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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こんな感じで見えて来ました(後ろが浅草橋、この建物の奥に広がって見えるのが墨田区、隣地は「むぎとろ」です。
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手水舎
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金龍山浅草寺駒形堂
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こうしてみると、浅草寺(せんそうじ)の広さを感じる事が出来そうです。雷門、その周辺、せいぜい仲見世通りを往復する程度、がインバウンド含め観光のルートですが、その奥に広がる部分・・・私も今回は夕暮れ迫る時間となったので、次回はしっかりとここだけを見て回るのもアリだなと感じました。
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駒形堂は浅草寺の伽藍の一つで、浅草寺本尊の聖観世音菩薩隅田川から発見された霊地である。このため元禄5年(1692年)、当地を魚烏殺生禁断の地とする法度が出された。これを記念して、翌年(元禄6年・1693年)浅草寺第四世権正宜存が願主となり、戒殺碑が建てられた。殺生禁断の範囲は駒形堂を中心に、南は諏訪町より北は聖天岸に至る十町余の川筋だった。「御府内備考」によると、諏訪町・聖天町にも高札が建てられたという。
戒殺碑が建てられた駒形堂の堂宇は、江戸時代に何度か焼失している。戒殺碑も倒壊し、宝暦9年(1759年)堂宇とともに再建された。現在の碑は関東大震災後の昭和2年(1927年)に土中より発見され、同8年(1933年)の駒形堂債権と同時に修補されたものである。元禄当初の碑か、宝暦再建のものか定かでない。
碑身は石造(安山岩)で、長方形円頭板状。正面及び両側面を研磨し、背面は野面のままである。台石は昭和8年修補時のもので、上面・正面・両側面・背面の五面を研磨してある。総高183.5㎝正面幅61㎝。銘文は「浅草寺誌」や「江戸名所図会」にも収戴される。元禄期当時の信仰及びその周辺の状況を明らかにする貴重な資料である。(銘板説明書きより) -
本堂向かって左側、「麦とろ」隣接側の石碑
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ご本尊ご示現の聖地 駒形堂
駒形堂は、浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩さまが、およそ1400年前、墨田川よりご示現なされ、はじめて泰安された地に建つお堂。
昔、この辺りは船着き場で、私や船宿もあり大変な賑わいを見せ、船で浅草寺参詣に訪れた人々は、まずこの地に上陸して駒形堂をお参りして、観音堂へと向かった。
このお堂のご本尊さまは馬頭観音さまで、今も昔も、この地を行き交う人々をお守りくださっている。
現在のお堂は平成15年に再建されたもの。
今もこの地はご本尊ご示現の聖地として、人々の篤い信仰に支えられ、毎月の19日の馬頭観音さまのご縁日には、多くの参詣者でにぎわう。
馬頭観音様のご真言・・・「おん あみりとどはばうんはった」
金龍山 浅草寺
ここまでです、有難うございました。
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