2023/11/13 - 2023/11/13
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hijunoさん
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兵庫区を歩いています。
平清盛に関しての遺蹟も多いですが、そのほか、知らなかった遺蹟が沢山。
歩いて、ひとつずつ探していくのは面白いです。
歩いた順番は以下のとおり。
八王寺(松右衛門帆布発明の工楽松右衛門の顕彰碑があります。)→金光寺(平清盛が海中から金色に輝く阿弥陀像を引き上げさせた伝承があります。)
真光寺(一遍上人のお墓があります)→兵庫城跡・兵庫県庁発祥の地→御崎厄除八幡宮(神功皇后が三韓をめぐり、帰りに立ち寄ったといわれる伝承の場所)→薬仙寺(福原遷都の際に、平清盛が後白河法皇を幽閉したといわれる萱の御所の石碑があります。また、後醍醐天皇が病気平癒したといわれる水の湧き出る井戸や、幕末にオールコックが宿泊したといわれるお寺、そのほか、歴史の遺蹟の多いお寺です。)→阿弥陀寺(阿弥陀維持、、、と呼びます。
ここには、平清盛が魚の供養のために建てた御堂の礎石があります。
赤い色で、明石の語源にもなったとか。湊川の戦いで敗れた楠木正成の首あらためにも使われたそうで、いまは、お寺の池の中に大切に供養されていました。また、お寺の中には、大阪城に運ばれる予定であった、残念石があります。加藤清正の息子が献上しようとしたもので、刻印がはっきり残っています。
このあたりは、とても歴史的な遺蹟が多いのです。
歩くたびに何かを発見します。
とても奥深い歴史の場所だと感じました。
続いて、歩いてみたいと考えています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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突然ですが、、、電車で移動中に車内で見かけて、思わず共感です。
たのし。
これくらいが一番なのかもしれません。
ゆるーい感じが心地よいです。
最近、いろんなことを重く感じすぎるので、ちょっと軽めに生きたいです。 -
兵庫区を周っています。
とても奥深い遺蹟が多くて、知らないことがたくさん。
歩くのが楽しくなります。
ここは八王寺というお寺。
兵庫の駅から歩いて10分くらいです。 -
境内。
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お寺の説明があります。
江戸時代にこちらに創建されたお寺です。 -
鎮守堂とありました。
稲荷神社のようです。 -
鎮守堂の説明。
お寺の大切な礎とあります。 -
そして、八王寺を訪れた理由のひとつは、こちらの工楽松右衛門の顕彰碑でした。
帆布を巻いた形の供養塔。 -
説明にもありますが、工楽松右衛門は兵庫県高砂市の出身ですが、
海運業や海の工事で活躍した人です。遠くは蝦夷などでも活躍した人物。
そして、今も伝わっている松右衛門帆という帆布を発明した人物です。
海運業といえば、高田屋嘉兵衛が有名ですが、工楽松右衛門も忘れてはいけないとおもいます。 -
境内、古い石灯篭も配されていて、端正です。
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そして、さらに歩いて、金光寺へ。
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お寺の説明にもありますが、ひとつの伝承があります。
平清盛の枕元に、童子が現れ、海中にある仏像を引き上げてほしいと、、
はたして、海中を探して、金色のまばゆい薬師尊が出てきて、その後大切に祀られたとのこと。
その薬師尊は現在の薬師如来の中に納められているそうです。 -
平清盛に関わる伝承、言い伝えの多い地です。
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広い公園に出てきました。
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和田の笠松という説明板があります。
和田の笠松は昔、入江の浜にそびえ、入港の船の目印になっていたそう。
藤原為家も歌に詠んでいます。
明治期まで待つの下に稲荷もあり、その後住吉神社へ移されました。 -
残念なことに、戦災で焼失してしまい、現在は石碑のみがあります。
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そのお隣へ。
大壇林の意味は、仏教寺院の僧侶の養成機関、学問所を意味します。
大きな石に刻まれてモノ、、明治29年のものだそうです。 -
真光寺です。
現在の本堂は昭和37年に再建されたもの。 -
こんな説明板が。
こちらも平清盛との関わりのあるお寺。
もともと清盛が勧請した、安芸の厳島明神、七弁財天の一つがあったそうですが、神戸空襲で焼けてしまったそうです。 -
観音堂。
書面中央に観音像、右横に弁財天が祀られています。 -
広い境内です。
わかりやすい案内があります。 -
大きな石。
亀の形をしているそうです。 -
こちらも伝承で、昔、龍がいて、人々を悩ましていましたが、その後、
退治されて、その後は池に亀がすむようになったとか。
その池には亀の形をした石があったそうです。 -
遊行柳の碑があります。
謡曲の遊行柳でも知られていますが、柳の木のゆかりのある碑。
遊行の際のゆかりのある下野の柳を移し替えたものだそうで、現在3代目、句碑があります。 -
井戸。
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説明にもあります。
平清盛が弁財天を勧請したときに僧がこの井戸のお水でお茶をたてて献上したとのこと。
清盛と深いつながりのあるお寺です。 -
境内には、多くの句碑。
こちらは、河野静雲の句碑です。 -
望月華山の句碑。
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イチオシ
小さな佛の像。
細やかな雰囲気のお寺です。
外側の石も切り出した跡もあります。 -
立派な石塔もありました。
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そして、こちらは一遍上人の御廟所です。
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説明板。
一遍上人は遊行の生涯をこの兵庫の観音堂、現在の真光寺で終えます。
最期の言葉は、
葬礼は必要なく、野辺に捨てて獣に施すように、、、とのことです。
その人柄が偲ばれます。 -
御廟所。
五輪塔のある玉垣内は文化財となっています。
阪神・淡路大震災で倒壊したそうですが、その後再建されています。 -
六地蔵は昭和55年のもの、金佛地蔵尊はy総和11年に祀られたもの。
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広い境内。
鐘楼も阪神・淡路大震災で倒壊、その後再建されたもの。 -
兵庫城の跡です。
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運河沿い。
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最初に兵庫県庁が置かれた場所でもあります。
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1580年に池田信輝・輝政父子によって築城された兵庫城。
その後尼崎藩領になり、大阪町奉行所に属し、同心や与力が置かれます。
1868年には兵庫県庁が初めて置かれています。
初代県知事には伊藤博文が任命されています。 -
可愛い実が沢山なってました。
秋です。 -
大輪田橋を渡りますが、その渡ったたもとに、戦災で亡くなった方々の供養塔があります。
戦争で、大輪田橋のあたりで多くなくなった人々の霊を慰めています。 -
すぐ近くの阿弥陀寺へ。
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本堂。
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お寺の説明がありました。
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とても美しく整えられたお庭です。
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古い地蔵尊像。
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小さな池があり、鯉もいました。
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お庭を一巡してもらいました。
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とても大きな石があります。
こちらは、加藤清正の長男の刻印のある石です。
大阪城で使うこともなかったようです。 -
刻印らしきものが見えました。
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海は近く。
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橋を渡って和田岬方面へ向かいます。
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橋に、兵庫運河とあります。
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清盛橋といいます。
橋には、平家物語のような画のレリーフ。 -
表示がありました。
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御崎厄除八幡宮へ。
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由緒ある八幡宮。
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小さな本堂があります。
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小さな神社のお社も。
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説明板があります。
創建は860年。
祭神は応仁天皇、神功皇后、姫大神とありました。
由緒によると、神功皇后が三韓遠征の帰りにこのあたりで船が進まなくなり、上陸し、暫くとどまったそうです。
その時に、地元の人が馬に秣(まぐさ)を与えたという伝承があります。 -
そして、そのすぐ近くに、有るのが薬仙寺というお寺です。
門のあたりに、この碑が立ってました。
平の清盛が後白河法皇を幽閉したという萱の御所の跡があるとのこと。 -
お寺の説明。
こちらも由緒あるお寺です。
行基が開いた時宗のお寺で、法然も講和を開いたそうで、幕末にはオールコックも宿泊したことのある歴史あるお寺。 -
境内の広いです。
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後白河法皇が幽閉されたとされる萱の御所の跡の碑があります。
実際には、兵庫運河の工事で別の場所に跡があったようですが、水没するためにこちらに移されたようです。
元々の場所は清盛塚のあたりだったそうです。
平清盛は福原遷都の際に、後白河法皇を幽閉し、そこは、籠の御所ともよばれた粗末な住まいだったようです。
源頼朝と知り合いになった文覚上人がこっそりとこの萱の御所に忍び込み、
後白河法皇から平家打倒の院宣を受け取ったともいいわれている、、と
説明板にありました。 -
花山法王もこの土地が好きで、度々、こちらのお寺にも宿泊したそうです。
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いつの頃か歌碑が造られたみたいですけれど、いまは判読もできなくなってました。
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1852年の石碑。
地元の有力な商人やその夫人の名前があるそうです。 -
永歌踊り念仏連盟という石碑がありました。
このあたりは時宗の踊り念仏で有名な行基が没した場所でもあり、また民衆にも広く時宗の踊念仏が伝わったそうですが、それに、後年、御詠歌と踊念仏をミックスさせた娯楽的なものも盛んになっていったようです。 -
こちらは1860年のもの。
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境内は広いです。
歴史のあるお寺のようです。 -
戦災による犠牲者の慰霊碑、供養塔。
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1333年、元弘の変で、後醍醐天皇が隠岐の島から戻った際に、こちらで病気になり、こちらの水を飲んだところ、病が治ったそうです。
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今も水は沸いているのでしょうか、、、。
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戦災のモニュメントがありました。
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大輪田橋の一部。
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大輪田橋の一部を使ったモニュメント。
戦災の犠牲者への祈りと、平和への願い。 -
祈りが届きますように。
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静かで厳かな気持ちになるお寺でした。
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兵庫七福神を回ってみるのも楽しそうです。
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また、清盛橋を渡って帰ります。
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追記
阿弥陀寺の中の池に赤い色をした大きな石があります。 -
大きな石です。
赤い色をした石、明石の語源にもなっているそう。 -
説明板にもありますが、
こちらは平清盛が魚供養のために建てた魚の御堂礎石と伝わるものです。
そして、港川の戦いに敗れた楠木正成の首あらためを足利尊氏が行った際に使われた石ともいわれています。
その石を黒田長政が鷹見家に下賜したものを、阿弥陀寺に寄贈されたものだそうです。
争いを水に流す如く、池に石は置かれ、大切に供養されていました。 -
阿弥陀寺、、、ここも歴史が詰まったお寺でした。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。^^
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