2023/12/04 - 2023/12/06
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ゆうこママさん
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初めての五島列島。C社の2泊3日のツアーで巡ってきました。
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長崎県の西の端、五島列島を初めて訪れた。五島福江空港に降り立ち、ツアーは始まる。
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五島列島は五つの島を中心に約140の島からなる。
南の一番大きな福江島とその北の久賀島、奈留島を下五島、その北の若松島と大きな中通島を上五島と呼ぶ。 -
下五島の福江空港に着くとツアーバスに乗り、最初に向かった先は、五島観光歴史資料館。
ここで、五島の歴史をざっとお勉強。
縄文の遺物、遣唐使船、空海との関わりなど、歴史豊か。
そして五島といえば「かくれキリシタン」。現在は「潜伏キリシタン」というのだそうだ。 -
資料館は福江城跡に建つ。
福江城は黒船来航に備え幕末に築城された日本最後の城。だが、わずか数年後、明治になってすぐに解体され、石垣しか残っていない。海に接していたため築造に何年もかかったという石垣だが、今では周辺は埋め立てられ市街地となり、海城の面影はほとんどない。 -
鬼岳。火山噴火でできた山。一面芝生に覆われ、奈良若草山の巨大版といった感じ。福江空港に着陸する前、眼下に見えたはげ山はこれだったんだ。
樹木はなく、3年に一度山焼きをして、この姿を維持している。 -
奈良若草山と異なるのは、彼方に海があること。
海の見える風景というのは、やはりよい。 -
次は鐙瀬溶岩海岸へ。
鬼岳火山から流出した溶岩が作った海岸。 -
地元の観光ボランティアガイドさんの案内で展望台へ。
ツアーメンバーの一人が長崎市の方角を訪ねると、年配のガイドさんは、海を指し示して長崎に原爆が落ちたときのことを教えてくださった。
遠く離れた長崎方面が、赤いカーテンがかかったように見えたそうだ。その後、大勢の怪我人が五島に逃げてきたこと、新型爆弾が落ちたと聞いたことなどを語ってくれた。 -
鐙瀬ビジターセンターを見学
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宿泊はカラリト五島列島。
白を基調とした清々しいホテル。ツインのシングルユースなのでゆったり。
窓の外は海。街から離れているため静かで、波音が心地よい。 -
翌朝、福江港からフェリーに1時間ほど乗り、上五島の中通島、奈良尾港へ。
二日目のこの日は、中通島の教会をバスで巡る。 -
高井旅教会、若松大浦教会、中ノ浦教会(写真)、真手ノ浦教会、大曽教会、青方教会、丸尾教会、冷水教会、青砂ケ浦天主堂と、集落ごとに建てられた教会堂や天主堂を車窓から眺めながらバスは走っていく。
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途中、矢堅目の駅という塩のお店で、お買い物。
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海水から塩を精製する様子を見学。藻塩を購入した。
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店内には冷水教会のステンドグラスが展示されており、間近に見ることができる。
古いステンドグラスは枠が木製。新しいものは枠が鉄製なのだそうで、これは古いもの。 -
海の向こうには、赤ダキ断崖がみえる。五島では、崖のことをダキと発音する。
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これは通称、トトロ岩とガイドさんが教えてくれた。確かにそう見える。
フランシスコ ザビエルが日本に上陸したのは1549年。その17年後には五島に宣教師が現れ、信徒を増やしていった。
しかし、厳しい弾圧の時代となり五島のキリシタンは壊滅する。ところが、その後長崎本土から潜伏キリシタンが移住し、密かに信仰が受け継がれることに。
キリシタンは人が暮らすのにとりわけ厳しい北の方に隠れ住み、明治に入り1873年にキリシタン禁制が解かれた後、やっと自由な信仰を取り戻し、各地に教会堂を建てたそうだ。 -
次に訪れたのは、頭ケ島集落。
まずは、頭ケ島集落インフォメーションセンターで、予習。 -
頭ケ島天主堂。
階段がわざわざ扇型に造られているのは、遠近感を出すためだろうか。石段を登り、重厚で落ち着きある石造りの教会の中に入れていただいた。
内部はパステルカラーのラブリーな雰囲気。アーチを描く折り上げ天井や絵本のような花の意匠、ステンドグラス越しの光など、優しさに満ちている。 -
頭ケ島天主堂。
後ろから -
天主堂の裏には森松次郎の居館の跡。
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ルルドのマリア像
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左はブレル師同伴信徒殉教者記念の塔。
右はキリシタン拷問石の塔。 -
殉教者の記念碑
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頭ケ島
島のふれあい館 -
島のふれあい館は、昭和30年代の空き家を改修したもので、カトリックの祭壇やさつまいもの床下保存庫などを見学できる。
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頭ケ島教会のすぐ近くの入江は静かで美しい。
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視線を右に移すと、キリシタン墓地。
南の五島市では人口の8%がカトリック。これに対し上五島は25%がカトリック。
今もカトリックの信仰が濃く残る島なのだ。 -
昼食は有川の扇寿にて。すぐ近くのスーパーで、お土産を調達。
「よりより」というお菓子が我が家では最も好評だった。もっとたくさん買えばよかった。 -
奈良尾港に戻って、フェリーに乗り福江島へ戻る。
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港の売店で見かけた紙テープ。船の別れの必需品を初めて見た。
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五島列島は国境の島であることを実感。
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福江港に到着し、ツアーバスでホテルへ戻る。
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ホテルに着くと、ちょうど日没。
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穏やかな海にみるみる太陽が沈んで行くのを、ホテルの前から
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翌朝は、東の空がピンクに染まるのを見た。
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空がピンクの時間はわずかで、すぐに夜は明けてしまう。もうツアー最終日だ。
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朝食を食べたらホテルとはお別れ。
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3日目は、福江島の南西部へ。
始めに井持裏教会。 -
井持裏教会。ルルド教会ともいう。
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外には日本最初のルルドのマリア像。全国から参詣者が訪れる。
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大瀬崎断崖から望む大瀬崎灯台。明治12年の建造。
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灯台を望む展望台からは様々な表情の海が
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次に大宝寺へ。
大宝寺は、持統天皇勅願で701年大宝元年創建の歴史を持つ。屋根瓦の一番上には、天皇家と縁があることを示す菊の紋があるそうだ。 -
寺の前の道の向こう側はすぐ海
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西の高野山とも呼ばれる大宝寺。
804年に空海が遣唐使として唐へ渡り、帰国したのが806年。空海の船は五島に漂着し、大宝寺に立ち寄った。そのときに、真言の寺に改宗された。
どこよりも早く日本で最初に真言宗の寺となったのが、大宝寺なんだそう。 -
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本堂は二度の火災に遭い、今の建物は1714年の建造。柱に貼られている棟札に年号が刻まれている。
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本尊は秘仏だが、厨子の修理の際にお出ましになり、そのときの記録でレプリカをつくられたそうだ。
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左の像が本尊レプリカ。
右の小さな像はキリシタンのマリア観音像。リンゴと比較するといかに小さいかが分かる。
小さな像好きの私は、胸が高鳴る。 -
右側がマリア観音。
キリスト教の像であることを隠して、観音様のようにまつったものだそうだ。
キリシタンも受け入れてきた大宝寺に、マリア像を納める方があり、縁あって今は大宝寺でおまつりしているらしい。観音様というよりは、どう見てもマリア様だ。清らかで麗しい。 -
本尊のレプリカ。
全体のバランスもお顔の形も表情も高く結った髪も手の様子も衣も立ち方も何もかも可愛らしい。
本物はどんな風なんだろう。
きっと可愛いコなんだろうなぁ。
五島は大陸からの文化が最初に入ってくる場所だから、仏教伝来期の仏像があったんだろうか。想像が様々に膨らむ。 -
境内の石灯篭には弘化3年の銘。幕末1846年、外国の船が日本各地に現れた時期で、五島でも緊張が高まっていただろう。そんな時代から海沿いのこの寺にたたずむ灯篭は、外国船の姿も見てたのかも。
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弘法大師空海ゆかりの寺なので、四国八十八所巡拝御砂踏所もある。
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弘法大師
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大宝寺境内の石仏
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昼食は五島うま活にて、五島うどんとお寿司。天然クエやハガツオを握りで
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五島では五島名物のツバキをよく見かけた。
それからツワブキも。 -
ツアーの最後は福江武家屋敷通り。
塀の上に丸い石が積み上げられているのが五島の特徴。外部から屋敷への侵入を防ぐためのもの。この辺りにしか残っていないそうだ。 -
新しい石積はコンクリートでくっつけてあるそうだ。
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こちらは昔からのもの。地震が来たら怖いかも
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端は、カマボコ状の石で留める
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江戸武家屋敷通りふるさと館。
庭園や喫茶コーナーあり。 -
ふるさと館の向かいの武家屋敷、松園邸が、ジブリの山本二三美術館になっている。
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山本二三のアトリエ再現展示。
山本二三は五島出身で、宮崎駿監督の未来少年コナン、火垂るの墓、もののけ姫などの美術監督を務めた。 -
山本二三美術館で見かけたポスター。このドラマ、お気に入りだったのだ。舞台の五島が魅力的なのよね~。女の子の名前がナルというのは、奈留島からとったのかな。五島を訪れたらまた観たくなくなった。
ドラマ以外にも、五島を訪れる前にキリシタンを描いた映画「沈黙」を見た。これも参考になる。というか、ズシンとくるものがある。
五島には各地に資料館などの学習施設がある。そこで歴史や文化について少し学んでから訪れるとより深く楽しめると思った。
また、訪れたい島だ。
おしまい
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