2023/10/27 - 2023/10/27
86位(同エリア248件中)
あおしさん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
最近、大阪府富田林市を中心にバスを運行している金剛バスが廃業を発表しました。
鉄道、バス、航路などの公共交通はコロナ禍もあって青息吐息でしったが、地方ではなく、大阪府という都市部でのバス会社の廃業は衝撃を与えました。
今回金剛バスのテリトリーは南北朝時代のスター・楠木正成ゆかりの地。
そこで今回金剛バスに乗って楠木正成ゆかりの地をまわってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=JhAttcrGWpU
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
昨晩は松阪のすき焼きを食べられる旅館に一泊。
今日は松阪駅から近鉄で大阪に向かいます。松阪駅 駅
-
松阪駅から大阪方面へ向かい近鉄特急はビスタカーでした。
-
かつて2階建ての車両は唯一近鉄特急だけで、ビスタカーは近鉄特急のエースでした。
この車両も昭和の末期に登場したころは華々しい存在でしたが、今では40年近くの古参になりました。
この車両が引退したとき、二階建ての特急列車は存続するのでしょうか。 -
近鉄特急から電車を乗り継いで近鉄富田林駅へ。
大阪直通の電車が1時間に4本走り、大阪まで30分のベッドタウンという感じの町です。
駅から降りると白い高いタワーが目立ちましたが、どうやらPL教団のシンボルのようでした。
かつては桑田、清原、立浪をはじめ名選手を有し、甲子園の強豪チームだったPL学園高校も今は昔。富田林駅 駅
-
富田林駅の駅前にはさっそく金剛バスが停車していました。
富田林駅前は金剛バスのターミナルになっているようです。金剛バス (路線バス) 乗り物
-
金剛バスの路線図。
富田林駅をメインターミナルに多くのバス路線があります。
これだけの路線網を持つバス会社が廃業というのは確かに驚きです。 -
紙切れ1枚のバス事業廃業のお知らせ。
富田林寺内町 名所・史跡
-
富田林駅の近くの寺内町というところは古い町並みが残ります。
しばらく寺内町の散策を。
まずは、観光案内所でもあり「じないまち交流館」へ。
ここには寺内町についての歴史などの映像や資料の展示があります。じないまち交流館 名所・史跡
-
じない町交流館の隣にある、奥谷家、東奥谷家。
現在も奥谷さんが居住しているようでした。
奥谷家はこの地内町では名家のようで、同じく奥谷家の屋敷のような家がほかの場所にもありました。奥谷家住宅 寺・神社・教会
-
奥谷家から南へは「城之門筋」という地内町のメインストリート。
いかにも由緒ありそうな家々が並びます。
左は医院らしき杉田家住宅、右は田守家住宅。田守家住宅 名所・史跡
-
「城之門筋」のちょうど真ん中にある興正寺別院。
戦国時代には興正寺は多くの僧兵や門徒を擁していた、この周辺の「戦国大名」だったそうです。
「城之門筋」の「城」とはこのお寺のこと。
大名の城の櫓のような建物もありました。興正寺別院 寺・神社・教会
-
この門は元は伏見城の城門の1つを移設したそうです。
今週の大河ドラマ「どうする家康」で放送されていたように、伏見城は徳川家康の家臣・鳥居元忠が西軍の大軍と戦い、落城しました。
その後残っていた城門の1つをここに移設したとされています。
まあ、真偽不明のようですが。 -
寺内町の豪商・杉山家住宅。
重要文化財です。旧杉山家住宅 名所・史跡
-
杉山家はもとは酒造を業とした豪商です。
江戸時代末期の最盛期には石高は1300石もあったとか。
大藩の家老の並みの石高です。
さぞかし商売繁盛だったことでしょう。 -
奥座敷から見た庭園。
当時の豪商の生活ぶりが偲ばれます。 -
杉山家住宅の前にある仲村家住宅。
現在も仲村さんが居住されているようです。
格子の美しい建物です。仲村家住宅 名所・史跡
-
寺内町と富田林駅の間にある旧田中家住宅。
国の重要文化財です。
この建物は無料で一般開放されています。旧田中家住宅 名所・史跡
-
富田林駅に戻り、金剛バスに乗ります。
金剛バスのメイン路線の金剛山ロープウェイ前行のバスです。
乗客は10人ほど。金剛バス (路線バス) 乗り物
-
富田林駅から約30分。
千早赤坂村の役場前バス停でいったん途中下車。
ここまでで乗客は全員降りてしまいました。
千早赤阪村は大阪府唯一の村で、人口は5000人弱。
この村にとっては金剛バスが唯一の公共交通機関で、今回の金剛バス廃業では一番困っている村です。道の駅 ちはやあかさか 道の駅
-
役場前から歩いて5分ほどのところが楠木正成の生誕地です。
南北朝時代の一番のスター、戦前は天皇の忠臣として「大楠公」として崇拝されました。
最近ではNHK大河ドラマ「太平記」で、「なんで、3枚目の俺に?」「楠木は河内のいいおっさんだったかもしれない」ということで武田鉄矢さんが演じていました。楠公誕生地 名所・史跡
-
ここには道の駅、図書館など公共施設が多くあり、郷土資料館もあります。
小さな郷土資料館ですが、「地元の英雄」楠木正成に関する資料が多く展示されていいました。千早赤阪村立郷土資料館 美術館・博物館
-
千早赤坂村役場前バス停の次の、千早赤坂村中学校前バス停。
金剛バス廃止後、ここまでは南海バスが引き継ぐことが決まりました。 -
富田林行の乗客0のバスに、1人、中学校の先生らしき男性が乗車していました。
-
千早赤坂村中学校の裏手には赤坂城跡。
1331年(元弘元年)、御醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕に立ち上がると、真っ先に楠木正成はこの赤坂城で挙兵しました。
足利尊氏など鎌倉幕府の討伐軍に対して楠木は赤坂城に立てこもり、様々なゲリラ戦法で幕府軍を悩ませました。
やがて御醍醐天皇が鎌倉幕府軍に拘束され隠岐の島に流されると、楠木もいったん行方をくらましています。下赤坂城跡 名所・史跡
-
またここは棚田のあるところです。
すでに収穫が終わっていました。
もう少し早く来ていれば「黄金の稲穂」の棚田がとても美しかったことでしょう。下赤坂の棚田 名所・史跡
-
赤坂城跡、棚田から坂道を降りてきて、消防署前バス停で金剛バスに乗ります。
乗客は私とおばさん1人だけ。
このバス停は金剛バス廃業後の代替交通がまだ決まっていません。
このあたりは下坂という集落があり、ここの住民の足はどうなるのでしょう。 -
下坂を過ぎると、山の中のくねくね道を行きます。
運転手さんも大変。
民家なども見当たりません。
やがて、南海バスが合流する千坂大橋のバス停を過ぎて、金剛山登山口バス停でおばさんも降りました。
私は終点まで乗ります。 -
終点の金剛山ロープウェイ前バス停。
ここには南海電車の河内長野駅から南海バスも1日数本来ています。【運休中】金剛山ロープウェイ 乗り物
-
このバス停から歩いて15分ほどのところにかつては金剛山ロープウェイがありました。
金剛山は東京における高尾山、名古屋における御在所山のような場所ですが、観光地としては発展せず、このロープウェイも数年前廃止されています。 -
先ほどのバスで再度Uターンしておばさんがさっき下車した金剛山登山口バス停で降りました。
この周辺も民家が多くある集落です。
この集落は今後南海のバスを利用することになるのでしょう。
ここから千早城跡へ登っていけます。 -
一度は行方をくらましていた楠木正成ですが御醍醐天皇が隠岐の島を脱出し、再度倒幕に立ち上がると、彼もまた今度はこの千早城で再度挙兵します。
鎌倉幕府の大軍を前にざまざまな戦法で抵抗し、長い戦になりました。
そしてその間に鎌倉幕府の有力武将だった足利尊氏が御醍醐天皇側についたことで勝負が一転、鎌倉幕府はまもなく滅びました。千早城跡 名所・史跡
-
楠木正成は足利尊氏と並ぶ「倒幕の勲功第一」とされました。
その後楠木正成は足利尊氏と戦い敗死しています。
千早城跡には千早神社が置かれて、楠木正成、その子正行、正成の妻・久子が祀られています。
天気が良かったはずなのに大雨が降ってきてすっかり暗くなってしまいました。千早神社 寺・神社・教会
-
帰りのバスは金剛山登山口止まり。
女子高生らしき女の子が1人おりていました。
Uターンする富田林行のバスの乗客は私1人。
ただ、駅に向かう途中から少しずつお客が乗ってきて、駅についたころは15人ほど乗客がいました。富田林駅 駅
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
富田林・羽曳野(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 近鉄フリーきっぷで三重大阪周遊
0
33