2023/10/15 - 2023/10/15
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mom Kさん
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「安東に滞在されるのであれば、電車で1時間ほどの○○に行かれては?」と、”4トラベラーメンバー”さんからアドバイスをいただいた。3泊するのだから、そういうのもありだなあと、朝鮮半島の地図を前に思い巡らせ始めた。旅立ち5日前。
”百済”発見。
百済観音像。
ーなんて優美なのだろう。
なんてつつましやかなのだろう。
なんて静かなのだろう。ー
加えて、ある風景が記憶の底から突如蘇った。まだ30代か40代の頃だったはず。
「琵琶湖周辺にドライブに行こう!」
インデアンサマーに誘われて、秋の美しい里を二人でのんびり。あてもなく、訪れたことのない村、道を巡っていた。八日市という道路標識を見る前か後かは忘れた。いや、水口だったかもしれない。
窓からの景色は、切り取ったように焼き付いた。
「ここ、ちがう。滋賀県の今まで見た里とは違う。」
高くない山すそに家がポツンポツン、田畑が広がっている当たり前の日本の農村なのに・・・。集落の中を通り抜けてもなんら他の地と変わるところがない。「気配が違う」というしかない感覚だけが残った。
それから十年以上、「百済は、なんども大和に援軍を依頼した。・・・白村江の戦い・・・大和朝廷は、彼らを呼び寄せ・・・百済の人びとは、今の滋賀県○○あたりに集団で移り住んだ。」という文に出会った。
あの気配の答えだ!と、一人合点していた。事実かどうかは知らない。私はこれでいい。
彼らのルーツに行こう。
あなたは、”扶余”でしたか。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
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-
二日前、安東バスターミナルに着いた。すぐ二つの手配にかかる。まず高速バスチケット購入。メモを片手に「15日の扶余まで優等バスチケット1枚お願いします。」窓口の女性、「扶余までのバスはありません。××まで行き、乗り換えです。」全て韓国語だが、そういう意味だけは受け取れた。リサーチしていないので、××の地名は把握できない。撤退。安東ーソウル、扶余ーソウル間高速バスは、少なくない。思い付きの扶余行はやはり無理なのか。ソウルの中日を費やすか。・・と考え始めた。駅舎の構内ifで、土曜日の河回村1dayツアーは申し込めた。
二日目、安東の市中に繰り出すため、朝一番、ifに行き、日本語の堪能なHANさんに会えた。「ソウルまで行って、日帰りの扶余行の方が簡単でしょうか」と問う私に、安東からのアクセスを♀「調べてみましょう。」と言って、その乗り換え先も印刷してくれた。××は大田という町であり、扶余行のバスターミナルは別の場所で離れているが、そこからの扶余へは、一時間に1本はあり、所要時間も一時間程度と分かった。お昼には着ける!
三日目朝、翌日の大田までの切符購入成功。第一便は空席多。後の午前便は売り切れ。優等切符は18000ウォン。 -
最後の夜、
脇役は、手長タコのキムチ風。薄味のお粥にぴたり。釜田市場の閉店間際だった。
飲み物は、釜山のホテルの3+1インスタントコーヒー。
午後8時の夕食。パッキング。9時半、ベッドイン。 -
5時前に目が覚め、パブリックスペースでエアメール三通と旅日記記入。
-
釜田市場のシャインマスカットは、ようやく二房目に手を付ける。
マンゴージュースも昨夕のバス停前大スーパー購入品。
釜山のパン屋さんからの最後の一つは、栗入りあんパンだった。少しレンジで温めたら、唸るお味になった。今、6時半。当ホステルの朝食は8時から。 -
定刻よりずいぶん早く大田総合ターミナル到着。大都会で、広すぎるにぎやかな構内。店舗の間を縫うように出口を見つけ、バス停に近づき、扶余行バスターミナルへ。この間、バス停で待つ人、乗っている人、運転手さん、道行く人、もう必死で縋り付いた。最初に乗ったバスは、途中までだった。Tmoneyカード残高なし。太田市内バス現金不可。・・・・東部ターミナルは、うらぶれたという形容ぴたりの町はずれ。終盤乗っていたのも私一人。周辺環境にも唖然。
窓口無人の上、職員らしい人の姿も見えない。チケット購入機械操作を待合室の乗客に助けてもらう。プラットホームに扶余に向かう高速バスが10分前に入ってきた。
運転手さんは、この旅一番のナイスガイドライバーだった。バスは、エアコンON。 -
12時半に扶余到着。大田市内バス乗り換え騒動で1時間半のロスタイムだった。
扶余ターミナル構内の動く案内人、年配女性の手助けで、ソウル行高速バスチケット確保。
とにかく国立博物館に行かなくては。地図を片手にどっちの方向か待合室の乗客に尋ねていた。そこへ飲み物片手にナイスガイドライバー氏がどこからともなく登場。♂「歩いてかい?(足をあげ、腿を叩いて示して、声をかけてくれた)2キロはあるよ。(外へ誘う)(私を見つめる)あそこまでまっすぐ行くとロータリーに出る。そこを左にずっと行けばいい。ロータリーのところまで歩くんだよ、まっすぐだ。」韓国語でも、好きな人の語る言葉はわかるものだ。
国立博物館、大香炉発見時の発掘当時写真。 -
国宝 ”大香炉”
上の部分の周りの4人の細工は、楽器を持つ人だった。 -
百済びとが楽しんだお香。16種。この装置が一つ一つについていた。
カルダモンは、わかった。沈香は、わからなかった。 -
壁か瓦の破片にとんがったもので線描きされた、人の顔と体の一部を見た。
生き生きとしていた。その稚拙さに、百済びとの穏やかさを感じた。すぐそばにいる気分さえしたのは、この1点。1300年なんて、すぐそば。
バスターミナルに向かう方向の定林寺跡に向かった。 -
館内の石塔。構造的に優れた高さの割合で石が積み上げられていると日本語説明。
飛鳥時代の宮大工の技術は、最高だったと書かれていたこととつながるなあ。
ここ百済の職人さんたちが伝えてくれたのかもしれない。大和びとが修行に来ていたかもしれない。私の妄想エンドレス。 -
館内から外を眺める。もう三時かあ。あと1時間半の扶余。
-
五重石塔
-
ターミナルまで定林寺跡から10分もかからず戻ってこれた。
向こう側は、地図に市場と書いている。 -
朝は、あの自前朝食を食べたっきり。歩きながら、隈なくキョロキョロもしていたけど、入れそうなお店を見つけられなかった。食事には不都合な時間帯。バスターミナルにも食堂はない。
市場エリアに期待いっぱいで向かった。 -
これはなんだろう。
-
お向かいは、乾物屋さんなのに、店頭に積み上げている。
-
青空市場が、建物に囲まれるように広がっていた。
野菜ばかり。屋内で、おばあちゃん年代が、何か食べている。調理台もむき出し。おつまみのようなものでお酒のようだ。ご飯類、麺類の気配なし。乾いたお菓子は売られてるが、お餅やお団子、パンの類はない。ない! -
どんなふうに使うか知っていますよう。でもこの形は、初めてですよう。
後ろで車の近づく気配。脇に寄る。すぐ後ろを歩いているおじいさんは、気づかない。独り言を言いながら、左右の店頭品物をながめながら、ゆっくり歩いてる。高級車は、音もなく後ろについていく。曲がり角に来た。さっと左折して走り去った。運転者は、まだ30代ぐらいの男性だった。クラクションを鳴らさなかった。百済びとの末裔だ。 -
バスターミナルの周りを歩いてみたが、タイ焼き屋さん、一軒。却下。
表通りに今風軽食堂が見えた。もうお腹は空腹を通り過ぎている。
バス発車まで35分。麵屋さんには時間が足りない。お隣、ハンバーガーショップ。いつもは選ばないお店。 -
背に腹は代えられないって、こんな場合も使える?プルコギ名で少し許せた。おいしかった。窓越しに見えるは、扶余バスターミナル。あと10分で行かなくっちゃ。
お腹をなだめて、乗車。午後4時30分定刻発車。 -
高速バスは、120キロ以上は飛ばしていた。ソウル南部ターミナルに6時25分に到着。メトロは家路を急ぐ人でいっぱい。ワタシ、都会にきたお上りさん。旅人バックパックは、私だけ。
まごまごゆっくりでも”ウルチロ4街”に7時20分に着いた。日がとっぷり暮れていたけれど、さみしくもこわくもなかった。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- エフサさん 2023/10/23 14:25:42
- 百済人に引かれて
- やっぱりKazukoさんには不思議な力がありますね。
鋭い直感と言うよりも、知識と経験に裏打ちされた ふわっと湧き起こる知覚と言うか、
精霊と波長が合って、無意識に引き寄せられると言うか‥
気になって調べたら湖東には百済寺や鬼室神社などの百済人ゆかりの地があって、う~ん、凄ぉ~い!と思わず唸ってしまいました。
百済に引き寄せられて、知るを楽しむ。
ワシも何処かでビビビッてこないかな?
- mom Kさん からの返信 2023/10/24 09:16:27
- 卑弥呼と呼んでください
- やはり私のお師匠さま。弟子のウラをとってくださったのですね。そうでしたか。
あのころ湖東のあの辺りは、湖西の禁欲的カタイ趣の農村ではなく、伸びやかさが感じられたように思います。五箇荘より少し東南の辺りの記憶です。
今や湖西も、JR湖西線ができたころより新築団地ができ始め、私の言葉ですが、脈絡のないずたずたです。家ができ、道が生まれた三国湊とは逆で、ブルドーザーで机上の線引きで自動車道路を作り、周辺建売住宅を一挙に売り出したという空気はずっと残っていくでしょう。ヴォーリズ建築が街に溶けこんで残る近江今津駅界隈と昔の街道筋は、2年前のお正月を過ごし、変わっていないことを確認しました。町に守り人が多いのだと推測します。湖が裏庭のようになり、街道筋に玄関のある古いタイプの料理旅館。昔料亭、今ほそぼそという趣になっていましたが、「昔鳴らした売れっ子芸者」のようで、粋なところは隠せません。お正月にも関わらず、私たち家族だけ。お値段もこれでいいのかしらと思うものでした。私は宿泊が間に合ったことを喜びました。
師匠、断固お勧めしたいです。彦根に”鳥羽や”という家族経営のお宿があります。名前の由来は、泊まられた折にお尋ねください。歴史が見えます。
玄関から続く部屋の廊下と中庭を見たとき、「これは(京の)炭屋旅館と同じではないか!」と、心が叫んだほどの類似で驚きました。先代さんお二人も素敵です。面している通りも楽しくて、映画村にしてしまったお城の前とは違います。井伊直弼が夜な夜な通い詰めたに違いないと想像するエリア界隈です。どうぞ、”穴太衆の里”と”三井の晩鐘”を浸りにお出かけください。
”鳥羽や”の亭主に教えられ、玄宮園の”虫の音を聴く会”にも行きました。次は彦根城能舞台で開かれるお能が狙いですが、チケット入手は心してかからないと難しいので、まだ実現していません。どのあたりの席にするかはシッカリ下見をしていますが。
ただ一度なら、秋です。彦根城の桜は見事ですが、今やひこにゃんでにぎやかすぎますから。どこも浸れません。
以上、お節介を失礼しました。
朝鮮半島からの帰国機中で、お正月、あの山の辺の道を歩くと決めました。冬に歩くのは初めてです。ここで想う扶余は格別だと確信しています。
いつもお見守り感謝です。
愛弟子にしてもらえつつあるmom K
-
- ケイティさん 2023/10/21 15:44:59
- 百済の都
- mom kさん
こんにちは!
扶余、その昔一度行ったことがあります。
舟に乗って白馬江から「落花岩」を見たり、定林寺跡で当時は野ざらしだった平たいお顔の仏様を拝見したりした記憶があります。
慶州にも行きましたが、日本でいうと扶余は奈良、慶州は京都という感じがしました。
どちらもよかったのですが、私は扶余のほうにより惹かれました。
「滅びというのにも魅かれてたのかもしれない。」というお気持ち、わかる気がします。
運転手さん、いい人でよかったですね。
確かに好きな人とは言葉が通じなくても、なぜか普通に会話できてしまいますよね(笑)
ケイティ
- mom Kさん からの返信 2023/10/22 07:01:53
- 夢の跡
- ケイティさん、このお便りで、私はそのころを夢見てしまいました。
”野ざらしの仏様”ですって。あああ、それだけで溜息。おそらくあの石塔も同様の姿だったことでしょう。1300年間ひたすらその場でこの世の移り変わりを静かに見守ってきて、突如脚光を浴び、もてはやされる。(モウシワケナイケレド ワタシハサッコンノ [セカイイサン]ソウドウ二 ワタシタチノ アサマシサヲ カンジテイマス)彼ら自身は、世界遺産に認定される前も変わらない。素晴らしいもの。むしろその方が私は価値があったと思っています。そのころにもう扶余をご存じで行かれたなんて、ケイティさんの韓国愛は、素敵ですね。
扶余がお好きなケイティさん、ほんとにそのころに行かれてよかったと思います。私の”臼杵の大仏”も昔に会っておいてよかったと、先日再訪で痛感しました。
きっとケイティさんは、旧安東駅舎を利用されたことでしょう。私は、間に合いませんでした。たった三年前と知って、悄然と駅前で立ち尽くしました。取り返しのつかないことが、最近の旅では多すぎます。
この冬、”山の辺の道”を歩いて来ようと思います。ここで想う扶余は、きっと格別のはずですね。
次の釜山行では、教えていただいたラーメンを買って帰ります。
貴旅日記からは、これからもたくさんの本物韓国を教えていただきます。
よろしくお願いします。
謝
-
- pedaruさん 2023/10/21 07:19:07
- 私も行きたい百済
- mom kさん おはようございます。
化粧品の買い物や食事だけが話題になる韓国、これは私のイメージですが・・・
ハングル文字だけのインフォメーションにはこまりますね。なぜ英語を使用しないのでしょう。母国語オンリーのプライドでしょうか?
私も行きたいけど自信がありません、韓国は歴史的には日本の兄貴格、見るものもたくさんあるでしょうね。
単身出かけられた勇気に尊敬の念が湧いてきます。
pedaru
- mom Kさん からの返信 2023/10/21 15:06:20
- ありがたいことです
- pedaruさん、早々のエール、とてもうれしく思います。
タイやカンボジア、ギリシャなど、私たちのわかるアルファベットでない表記の街も歩いてはいるのです。韓国は短日渡航ながら3度出かけているにもかかわらず、今回も旅立ちは、他の外国に向かうのとは別種の不安がありました。ハングル表記です。目に慣れてこず、覚えられないのです。人々には、前回の旅で格別の親しみを感じ、それだけが頼りでした。
私たちが日々浴びるように入手している情報は、ほんのほんの一面的&一部分。旅するたびに感じることは、今回もでした。”遠くて近い国”と言われているのは、私にも当てはまりました。
、
観光する場所は、日本より外国旅行者に多言語対応しています。私が徘徊するエリアは、韓国語のみが多いだけなのです。一般の人々も日本人よりはるかに英語を理解します。話せます。私が恥ずかしいです。
家族や友人との旅も一人旅と同じくらいしますが、それは旅行的ですね。二人だといつも「日本を持っています」。だれも気軽に声をかけてくれません、普通の人は。相手が一人なら、一人の私の相手をしやすいのです。自分の周囲360度外国になるわけです。旅で味わいたいのは、その国の営みです。「国」という形のないものを支え、動かしているのは、根っこで生きている人々の力という考えです。言葉も日本語を話さないので、よく使う単語は、どの国でも自然に覚えられます。
pedaruさん、知らないからこそ、恐れるからこそ、行くべきところと思います。きっと、その後の人生が一層不動のものにしてくれるにちがいありません。隠れている自分の偏見を暴きます。自分の非力を知ります。
私は、よくうろたえる人間。韓国から戻ってきて、少しどっしりが増えた実感がしています。ほかの国からの帰国ではなかった感覚です。苦手なハングルに向かったということも大きいと思います。ずっと遠くの昔の自分のルーツに会えたからかもしれません。
来年も参ります。どこかでpedaruさんにお会いしそうですね。拝
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