2023/11/02 - 2023/11/02
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gianiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/11/03
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誰でも知っている桃太郎のお話。
各地に言い伝えが残りますが、岡山が発祥といわれています。
現在も、桃太郎伝説にまつわる地名や旧跡が数多く残ります。
原作は、戦隊モノを古代版にしたようなゴージャスな演出で、変身/正義が伴います。
ストーリーの展開を重視した位置情報も参考にしてみてください。
殆どは岡山市北区のスポットですが、倉敷市、総社市にも点在します。
他にも、面白い歴史スポットに寄り道しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
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桃太郎の基となった伝承は、こんなくだりで始まります。
その昔、吉備(岡山)に温羅(うら)と呼ばれる鬼が山の上に城を築き、悪事を重ねていた。そこで吉備津彦命(きびつひこのみこと 桃太郎のモデル)はヤマトの王の命令を受けて、征伐に向かった。。。
現代人は、新幹線でサッと移動して岡山駅で下車というのが王道です。
※桃太郎の本名はイサセリヒコで、吉備津彦命と改名するのは物語のラストですが、わかりやすさを重視して吉備津彦命で通します。 -
岡山駅で吉備線に乗り換え、備前一宮駅で下車
ローカル線ですが、古代からの山陽道(西国街道)のルート上です。
当時、山陽本線沿いは陸地ではなく、海でした。 -
備前国の一宮とは、吉備津彦神社のことです。
吉備津彦神社 寺・神社・教会
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隋神門
1697年に岡山藩主池田綱政が寄進。
仏教寺院の仁王門に似ていますが、二柱の門番の神様が祀られています。 -
拝殿
手を合わせて、お参りする建物。
桃太郎伝説に出てくるヤマトの王は、第七代孝霊天皇のことです。 -
拝殿の奥は渡り殿、一番奥が社殿。
31年かけて、岡山藩主が1697年に寄進(池田光政/綱政)。
三間社流造りで、飛鳥時代の粋が詰まった作品。 -
★吉備の中山
吉備津彦神社の背後には中山がそびえます。
温羅との戦いで吉備津彦が本陣を敷いた山です。 -
情緒ある道を歩きます。
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細谷川に架かる両国橋。
ごくありふれた景観の小さな橋。なのに立派な石柱2本。 -
両国というように、備前/備中の国境でした。
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吉備の中山の説明が。
古代吉備国の中心に位置し、中山と呼ばれました。持統天皇の律令下では、備前/備中/備後/美作の4国※に分割されました。備前/備中の境界線は、中山を分割する形で引かれました。
※備中は現在の広島県福山市周辺、残り三国は現在の岡山県。美作は713年に備前から分離。 -
はなぐり塚
屠殺された牛を供養する馬頭観音と、全国から屠殺された牛のはなぐりが600万個奉納され、供養の儀式が行われます。塚は古墳の上にあります。
ここから、中山登山です。鼻ぐり塚 名所・史跡
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吉備の中山を守る会発行のマップ片手に心もとない道を登ると、
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藤原成親墓
清盛全盛期に、俊寛と共に平家追討を詮議するも露呈し、1177年に当地に流され、旧高来寺境内で亡くなります。 -
コアな部分
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成親墓から先は、迷いながら地図とにらめっこする登山。
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八畳岩
ダイボーの足跡に隣接。2012年の清掃作業中に古墳であることが判明。 -
鏡岩
大きな鏡に似ている立岩。独特の無数の線が印象的でした。 -
分岐点にある標識が、どの道を指しているのか?これは道といえるのだろうか?と迷いながら歩くと、
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八徳寺
先述の高麗寺の金堂跡だと言われます。真言宗の山岳信仰が垣間見られます。 -
国境石
中山の上を境界線が走ります。 -
★中山茶臼山古墳
全長105mの前方後円墳で、発掘品(最新は1980年の調査)から4世紀のものとされます。
宮内庁の所有で、1874年に大吉備津彦命(第7代孝霊天皇の皇子)の墓に治定されましたが、学術調査に基づくものではありません。調査は書陵部の許可という難関が立ちはだかります。吉備の中山御陵 名所・史跡
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宮内庁の設置した高札
歴代天皇や神話の史実性をあれこれ言うのはナンセンスな役所なので、あくまで古事記や日本書紀などと照らし合わせるスタンスです。ただ、岡山県下のみならず、日本でも屈指の古い古墳であることは間違いありません。 -
中山からの眺め
南麓は、弥生時代の海岸線跡です。吉備国は貿易/製塩/製鉄で栄えました。 -
古墳の麓には、県の埋蔵文化財を展示するスペースもあります。
岡山県古代吉備文化財センター 美術館・博物館
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中山を下山
松並木を通って★吉備津神社へ。 -
石段の下には、★矢置岩があります(後述)。
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北隋神門
国の重文指定で、室町時代中期の建築です。 -
拝殿(右)/本殿(左)
比翼入母屋造りと呼ばれる唯一の建築様式。
1425年築、国宝指定。
備中国一宮、分割前の吉備国一宮です。
吉備津彦命を祀ります。吉備津神社 寺・神社・教会
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拝殿
凄い存在感です。
仁徳天皇がお墨付きを与えました。 -
拝殿/社殿の右を進むと、南隋神門。
境内最古の建築で、1357年築。 -
回廊
全長360m、1579年築。 -
地形に合わせて、龍のようにうねります。
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★御釜殿
ストーリーを重視し、後述します。 -
回廊の終点は、本宮社。
吉備津彦の両親を祀ります。
安産祈願と育児は、こちらです。 -
回廊の終点
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神領会所跡
徳川家光の朱印状で御朱印領となった宮内村を支配するための会所(神領役所)がありました。長屋門が現存します。神社のHPでは、旧社務所と記載されています。 -
5分ほど歩いて寄り道すると、栄西(1141-1215)の生誕地。南宋に留学し、禅宗(臨済宗)や茶の湯をもたらした人物です。吉備津神社に代々仕える賀陽氏の出自です。
栄西禅師誕生地 名所・史跡
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向かいには、妹尾太郎兼康の墓。
平清盛の信頼が厚く、それゆえに先述の藤原成親はこの地に流され監視を受けました。木曽義仲との戦いで討死するも、義仲に武勇をたたえられます。十二郷用水を改修し、領民に慕われます。遺体は部下が持ち帰り、ここに埋めて道勝寺を開きます。廃寺後は、鯉山小学校になっています。 -
続いて向山古墳群へ
立札がないと古墳だとわからない状態。
王墓の丘史跡公園の一角です。 -
向山古墳群の頂上には、5つの盾石が環状に配列。
UFO基地との噂もありますが、実は弥生時代(3世紀後半)の墳丘墓。 -
今、直径40mの円丘の真ん中に立っています。
円丘の両側には20mの一段低い突出部があり、全長80m。前方後円墳のルーツといわれます。石棺には32kg分の朱(破格の量)敷かれており、被葬者の権力の大きさが窺い知れます。弥生時代から、大きな権力が吉備に存在した証拠の一つです。 -
★楯築遺跡(倉敷市)
吉備津彦は、中山の陣から敵の本丸に近いここに石の盾を築いて、敵陣へ矢を放ちます。楯築遺跡 名所・史跡
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石楯から覗く温羅の鬼ノ城方向の景観。
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墳丘には小さな蔵があり、内部には国重文指定の旋帯文石が収納されています。
350kgの大石で、美しくもミステリアスな模様が描かれています。中を覗けます。 -
現地の説明板に写真が。蔵の通気口から覗いて下さいと書かれています。
吉備津彦神社(備前)の縁起には、旋体文石は吉備津彦命が温羅との戦いで使用した空飛ぶ乗り物だと伝えています。UFO説は、昔からあったようです。 -
周囲は古墳が密集します。
倉敷市の丘を切り崩した住宅街になっています。王墓山古墳 名所・史跡
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★矢喰岩
吉備津彦命の放つ矢に、温羅は岩を投げて応酬します。
矢と岩はすべて空中でぶつかり、地面に落ちます。それが、写真の矢喰岩です。矢喰宮 寺・神社・教会
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巨大な岩です。
地理的にも、鬼ノ城と楯築遺跡の中間に位置します。 -
現地は神社(矢喰宮)になっています。こちらも隋神門。
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★鬼ノ城(総社市)
温羅の本拠地です。
全長2.8kmの城壁に囲まれた山城です。鬼ノ城 名所・史跡
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鬼ノ城から楯築遺跡等を見下ろした景色。
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★矢置岩(吉備津神社)
以前に山賊から妹を救出した際に、2本の矢を同時に放って2つの桃を同時に射たことを思い出し、この岩に矢を置きます。懐に入れた桃の種に手を当てて祈り、岩から2本の矢を取って弓を射ました。すると1本は海に落ちたものの、もう一本は温羅に命中します。 -
★血吸川(総社市)
矢は温羅の左目を突き刺し、流れた血が川を赤く染めます。この川は、現在も血吸川と呼ばれます。矢喰宮付近の住所表記は、赤浜です。
※川の上流から砂鉄が流れ、酸化した砂鉄が血の色を連想させました。細い川なので、砂川や足守川と勘違いしないように! -
★鯉喰神社(倉敷市)
負傷した温羅は、鯉に化けて血吸川を下ろうとします。吉備津彦命は鵜に変身して嘴で鯉を捕らえ、鯉を引き上げます。鯉喰神社 寺・神社・教会
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その場所に、村人は神社を建てます。左の狛犬は、かなり浸食が進んでいます。
右側は手遅れになったのでしょう。備前焼で再建。 -
吉備津神社を思わせる廊下。
※神社周囲は、赤浜という地名です。温羅の血で砂が赤く染まった伝説に基づきます。(実際は、上流から流れてきた砂鉄が空気に触れて錆色になったものかと。) -
赤浜に引き上げられた鯉は温羅の姿に戻り、吉備津彦は温羅の首を刎ねます(総社市)。
赤浜では室町時代に雪舟が誕生しています。
生誕地を記念した公園があります。総社市雪舟生誕地公園 公園・植物園
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★白山神社
吉備津彦は、首部の里で温羅の首を晒します。
現地には、白山神社が建ちます。
住所は、岡山市北区首部です。 -
ところが夜になると、温羅の首は唸り声を上げ、それが何年も続きます。
写真は境内の米塚で、温羅の首が晒された場所とされます。 -
★御釜殿
首部の村人の話を訊いた吉備津彦命は、茅葺宮の土竈の下に深い穴を掘って温羅の首を埋めました。現在の吉備津神社御釜殿殿です。
ところが唸り声は止まず、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れます。 -
★鬼の差し上げ岩(総社市)
温羅は、自分は鬼などではなく、百済国の王子だと言います。
隣国との戦いに敗れて、供を連れて船で吉備の穴海まで逃れたものの、漁師たちから鬼と間違われて暴行を受け、山へ逃げ込んで住まいを構えたと説明します。
写真は新山にある鬼の差し上げ岩で、温羅が岩を持ち上げて積み上げたとされます。 -
★鬼の釜(総社市)
吉備津彦命は、お前たちは女子供をさらっては、釜茹でにして食うというではないかと反論します。
温羅は、そんなことはしていない、新山麓の阿曽の里村へ行けば、真実がわかると弁明します。 -
★阿曽の里(総社市)
夢の後、吉備津彦が阿曽の里へ赴くと、阿曽男という少年に会います。
彼は幼いころ新山で熊に襲われそうになったところを温羅に助けられ、それ以降は温羅に会うために足繫く新山へ通ったそうです。
お土産を持っていくと、温羅はお返しに鉄製の農具や漁具をプレゼントし、使ってみると格段に作業がはかどったそうです。
写真は、新山から見下ろした阿曽の里。手前の谷間です。右側は岡山国際ゴルフ場になっています。岡山国際ゴルフ倶楽部 ゴルフ場
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そのうち阿曽男の姉の阿曽媛も、黍団子を土産に新山へ通うようになります。相思相愛になり、阿曽媛は温羅が里へ下りて一緒に暮らしてほしいと言います。二人は阿曽の里で結婚し、村人たちも二人を祝福しました。
写真は、現在の阿曽の里。住宅の先には血吸川が流れています。 -
★阿宗神社(総社市)
事の一部始終を知った吉備津彦命は、温羅の命を奪ったことを悔います。
すると温羅の声がし、互いに吉備の国の人の幸せを願って戦ったのだから恨んではいないと言います。そして、阿曽媛に自分が埋められた場所の竈の火を炊く役目をさせてもらえないかと頼みます。
写真は、阿曽媛ゆかりの阿宗神社。ゴルフ場の麓にあります。 -
★鳴釜の神事(吉備津神社御釜殿)
吉備津彦命は約束を守り、阿曽媛を迎えて土釜の煮炊きをさせます。
温羅は身近で妻を見守れることを感謝し、お礼に世の吉凶を知らせると言います。
民に幸せが訪れるなら釜を豊かに鳴り響かせ、禍があるときは釜を荒々しく唸らせて人々に生きる道を知らせると言います。鳴釜の神事の由来です。 -
★新宮社跡
彼は温羅の遺志を継ぎ、生涯を吉備の人々の幸せに尽くそうと決意します。その証として、名前を吉備津彦と改名します。
茅葺宮(現在の吉備津神社)で、281年間の生涯を終えるまで暮らし続けました。
吉備津神社境内(真言宗真如院の横)には新宮社跡があり、吉備津彦命鎮座の地という石碑があります。吉備津神社の摂社で、吉備津神社から回廊が続いていました(火災で焼失)。 -
おまけ
温羅の胴体を埋めたと伝えられている場所が、小丸山です。
備前一宮駅を挟んで、吉備津彦神社の鬼門(北東)にあり、魔物から神社を守ります。 -
★艮御崎神社
山頂には艮(うしとら)御崎神社が鎮座し、温羅の胴体を祀っています。吉備津彦神社の末社です。艮は、北東の方角を指します。
次は、鬼ヶ島のモデル鬼ノ城を訪れます↓
https://4travel.jp/travelogue/11863592
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