2023/11/03 - 2023/11/03
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gianiさん
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この旅行記スケジュールを元に
前回の桃太郎伝説巡礼では写真1枚で片付けた鬼ノ城を中心に、鬼のモデルとなった温羅ゆかりの地を巡ります。専ら総社市域を徒歩で巡ります。
時間をかけて、身体全体で体感したかったので徒歩でしたが、公共交通に見放された地域なので、自動車で回ることをお勧めします。
前編はコチラ↓
https://4travel.jp/travelogue/11860472
- 旅行の満足度
- 5.0
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旅のはじまりは、JR吉備線服部駅。
総社から2駅、倉敷からも岡山からも等距離です。
ここから5.5kmの道を歩き、標高360mまで坂を上ります。服部駅 駅
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途中には、砂防を兼ねた公園が。
崩れやすい花崗岩質の山体だという側面を浮き彫りに。
この先3kmは山道で、特に中間の1kmがかなりの急坂です。砂川公園 公園・植物園
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途中には、鬼の釜なる大釜が。直径185cm深さ105cmのキングサイズです。
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温羅が生贄の婦女を茹でた釜と伝わります。
鋳物製。 -
現在地に移動した際に開いた大穴。
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目的地到着。
トイレ/自動販売機/無料休憩所を設置。
徒歩圏で排泄/水分補給できる唯一の場所です。
設置の自販で発生したゴミも含めて、すべて持ち帰りという経費節減面で模範的な施設です。ほかの自治体も本気で節約を考えるならば、ここまで徹底すべきかと。総社市鬼城山ビジターセンター 名所・史跡
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無料の展示室。まず16分の映像を視聴すると良いです。その後、展示を一覧。展示内容は、500円出せば製本したものを手に入れられます。
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桃太郎伝説のスポット/地名はこのように並んでいます。
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鬼ノ城周辺のハイキングマップ
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鬼ノ城全体図
鬼城山は、山頂部の傾斜が緩やか/山腹が急峻という逆擂鉢状の山です。鬼ノ城は山頂部に築かれた山城で、城の外側は崖ということで、守りやすく攻めづらい地形です。
城内は、全長2.8kmの土塁で囲まれています。 -
鬼ノ城には、東西南北4つの城門と、6つの水門があったことがわかっています。城内には湧水を堰き止めた溜池が5か所あり、飲料水等を供給しました。
古くから鬼(温羅)の居城と言い伝えられましたが、城跡が確認されたのは1971年、最初の発掘調査は1978年です。つい最近のことなんですね。 -
実地と併せて解説。
ビジターセンターから西門までは、徒歩7分。
途中の学習広場(展望デッキ)へ寄り道。西門と角台がばっちり視覚に入ります。実際の視界は、画角の2倍くらいです。 -
2倍にズーム。
肉眼の倍率に近いです。 -
海まで見渡せます。
倉敷のコンビナート(水島/玉島地区)、瀬戸内海、四国香川県までばっちり見えます。 -
当時の景観
岡山平野のかなりの部分は海で、現在の児島半島は文字通り島でした。堆積と干拓で広大な陸地が生まれた現在とは、かなり違います。 -
西門跡
ほぼ完全な状態で見つかった門跡です。
写真は、発掘調査時の姿。石垣、掘立柱用の地面の穴、石畳がはっきりと残っています。 -
西門には4×3=12本の柱穴が見つかり、いずれも角柱跡です。
これらに基づき、西門が復元されました。 -
こんな姿です。
1階が出入り口です。
古代の城としては、日本初の復元です。 -
2階、3階付の櫓門になっており、3階から弓矢の一斉射撃を受けます。
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仮に城門を突破しても、目の前に壁があり、階段を上る最中に、内側から一斉射撃を受けます。怖ろしい仕掛けです。
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内側からの眺め。2階は壁がなく、城門を駆け上がる敵兵を狙い撃ちできます。
敵兵は直角に曲がって、さらに階段を上ります。ハイリスクです。
3階は万全の守りです。瓦は見つかっていないので、屋根は板葺きだったと考えられます。 -
西門から60m離れた場所には、角楼が。13×4mほど城壁からはみ出しています。
道路で鬼ノ城を目指すと、まず角楼下を通過して、西門到着というロケーションです。
地上から4mの高さまで、石垣で覆われています。 -
城壁からはみ出した空間というのが、ミソです。中国では「馬」、朝鮮では「雉(ち)」と呼ばれ、西洋でも出し狭間として存在します。
正面だけでなく左右からも攻撃でき、防御力がアップします。 -
角楼上部は、城壁部分も含めて100畳ほどの広さがあり、大人数で攻撃できます。
西門と近いので、連携して防御できます。 -
城壁
中国大陸伝来の版築工法で築かれた土塁です。土だと脆く感じますが、1000年近い勢力争いで効果を実証された建築様式です。高さ6m、幅7m(底部)/6m(頂部)、全長2.8kmに及びます。 -
①基礎部分
斜面で土塁の底面となる部分の土を水平に削り、通路を作ります。奥に石を並べます(列石)。
②積み上げ(版築)
城外側列石に沿って木柱を立てて、柱の間に堰板を当てがい、土を一層毎に突き固めます(版築)。
堰板をずり上げて、版築を繰り返して、目標の高さまで土塁を築きます。
③仕上げ
土塁の中央に柱を立てて、板壁を設置します。板壁の内側にも列石を配置し、敷石に沿って石を敷いて並べます(城壁内敷石/城壁外敷石)。 -
西門の土塁を見ると、土がミルフィーユ状に重なっていることがわかります。
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版築作業の流れ
①運んできた土を、えぶりで薄く引き均します。
②足で丁寧に踏み固めて、土を圧縮します。
③突き棒を大きく振り落とし、ひたすら突き固めます。
上記①~③を各層で行います。
人海戦術で、ひたすら地道にコツコツと踏み固めることで、強靭な壁が出来上がります。発掘作業時には、鍬の先に火花が散るほど固かったそうです。数十万人が動員されたと思われます。 -
版築工法は千本突きともいわれ、古代から寺院の基盤部や築堤、築地塀などで一般的な工法です。
写真は、1902年に県内で撮影された築堤工事。村人が総動員で、千本突きを行います。 -
こちらは、1960年に総社市で撮影されたもの。調子を取るために、音頭を流しました。
西門付近の土塁は版築工法で復元され、時間の経過とともにどのように崩れていくかを経過観察する学術目的が含まれます。 -
実情としては、1000年以上経過すると土塁は崩れ、6mの幅どころか、城壁内列石から先は斜面になっています。それに対し、石垣部分は築城当時の状態で残っています。
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こんな感じです。城壁外の敷石も剥がれています。
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敷石
石畳と形容する方が良い姿です。城壁内列石の内側の敷石は水平ではなく、傾斜が付いています。ということは、第一義は排水であることがわかります。雨水で城壁が洗われて崩れないようにすることです。通行に便利なので、通路としても利用されたというのが実情です。
写真の階段を下りて、西門方向へ戻ります。 -
第0水門
水門とは排水機能を持った城壁のことで、第0/第1水門は、石垣の底から自然排水させます。 -
写真の中央が第0水門で、城壁の下部が石垣になっています。
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第0水門の城内側。
城壁内列石に囲まれた箱状のエリア(現在草で覆われている)に捨石を敷き、水が土へ浸み込み、城壁下部の石垣部分へ集められます。 -
水門の上流(城内中心部)には貯水池があり、水路で結ばれました。現在は植生に覆われ、近づけません。
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城外から見ると、、、
石垣部分の下にある升状の石囲いに水を集めて排水しました。 -
こちらは、第1水門。
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第2水門
第2~第5水門は排水量が多いので、石垣上部に樋を通しています。 -
拡大写真
降雨時に訪れると、各水門が機能している姿を観察できます。 -
第1第2水門付近は、城壁外列石や敷石が今も残っています。
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長年の浸食で基部をあらわにした城壁内列石。目に見える部分は僅かで、大半が土に埋まっていることと、かなり大きくてしっかりした石だということがわかります。
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秋なのにびっしりと生えたシダで真っ青の斜面。
田辺教授の「私のものになりなさい」という囁きが聞こえてきます。
コアなネタをぶっ込んでしまい、申し訳ございません。 -
再び階段を上ります。
このあとは城壁外を歩ける場所はありません。見どころもほぼ無しなので、ここでビジターセンターへ戻るのもアリかと。 -
高石垣
眺望は良いですが、石垣を眺めることはできません。転落死したくはないですから。 -
南門
西門と同じスケールです。こちらは、12本の柱等のみの復元で、基礎部分の構造がわかりやすいです。 -
第4水門
訳わからない状態です。 -
東門
北門/東門は小ぶりです。 -
唯一、東門は角柱ではなく丸柱です。
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東門からは、麓へ通じる登山道があります。
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鍛冶工房
築城用の道具(の鉄部分)を製造するために設置されました。 -
現場の様子。
当時は屋根のある建物の中で、炉が9台並んでいました。 -
第5水門
土手状遺構が特徴です。 -
上流に土手(ダム)を作って谷川を堰き止め、排水口を通して水を流します。そうすることで大雨の時も流量をコントロールし、大量の流水で水門や城壁が崩れないようにしています。
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ダムと水門の間のスペース。
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橋のような部分が城壁で、その下に第5水門があります。右側が城外です。
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向こうに高石垣が見えます。
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屏風折れの石垣と呼ばれます。岬状の地形に舌状に展開する石垣です。
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現場の風景。先端部です。
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鬼ノ城ゴルフクラブのコースが丸見えです。
鬼ノ城ゴルフ倶楽部 ゴルフ場
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反対側は、凄い峡谷。
実は、血吸川が刻んだ谷です。
ビジターセンターへ戻ります。 -
鬼ノ城を見て、水城や大野城と似ていると感じたかもしれません。
実は、663年の白村江の戦いに敗れて百済滅びたことをきっかけで、唐/新羅の攻撃を想定して築かれた城の一つでした。
温羅が築いたのではなく、後代に大和朝廷が築いたものです。
緊張関係が薄れた8世紀に使命を終えました。
続いて、鬼の差し上げ岩を目指します。 -
前半は、ビジターセンターから下り道です。
この先が、血吸川の源流です。
後半は、上り道です。 -
約30分の行程です。
自動車なら、あっという間です。
最後はハイキングで、こんな私有地の狭間を5分ほど歩きます。 -
鬼の差し上げ岩
人々から鬼と恐れられて追いやられた温羅は山深くへ逃げ、
岩を持ち上げて作った住居とされます。 -
現実味のある景観です。
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こちらは、鯉岩。
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こうやって見ると、人為的に積み上げられたように見えます。
近辺の地名は、岩屋です。 -
ここなんかは、特に。
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花崗岩の特性で、方状節理が風化した結果です。
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鬼ノ城周辺は、平安時代以降は山岳信仰の霊場となりました。
最初に目にした「鬼の釜」も、お寺の宿坊に備え付けられた釜でした、 -
岩屋を後にします。
ビジターセンターへの帰路の中間点に分岐があり、血吸川流域へ出ることができます。 -
私が選択したのは、鬼ノ城東門の登山道です。
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雨水が造った、天然の花崗岩の階段です。
交通量が少なく、道が草で覆われたりしています。
山頂部は、岩肌を注意深く降りるような滑りやすくて滑落リスクのある悪路。
個人的には、お勧めできません。 -
血吸い川の急谷を降ります。
景色だけは素晴らしいです。
頂上部の悪路をクリアすると、丸太組みの階段が整備されています。 -
ここまで来れば一安心。
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無事に奥坂休憩所まで辿り着けました。
トイレと駐車場が整備されています。 -
直ぐ近くには、血吸川が。
中国地方は、花崗岩質が多いです。
鉄分が含まれるのは山陰側に偏って分布しますが、血吸川流域は山陽側にしては珍しく鉄分を多く含む地質です。 -
温羅の妻になる阿曽媛が暮らした阿曽郷の現在の姿。
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古くから鋳物業が栄え、吉備津神社に奉納する釜は、阿曽郷が納めるのがしきたりでした。
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東門からの景色。
阿曽の里は、左から中央右にかけて広がる谷間です。左の鬼ノ城国際ゴルフクラブのコースには、日本最古の製鉄所である千引カナクロ谷遺跡(6世紀後半)が位置します。 -
阿宗神社
岡山平野に近い小山の麓に、歴史ある神社が。
温羅征伐に因み、864年には朝廷から従五位に列せられます。 -
吉備津神社と共通する隋神門があります。
阿曽媛は、吉備津神社の釜を司って煮炊きを行い、釜の音から吉凶を占いました。現在も行われている鳴釜神事のルーツです。 -
門の上には、天皇家(右)と足守藩主木下家(左)の紋が入っています。
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阿曽郷(奥坂/東阿曽/西阿曽3村)の産土神を祀っています。
阿曽が、阿宗に転訛しています。 -
そんな歴史を反映してか、境内には鋳物の釜が。
桃太郎のモデルになった言い伝えでは、
新山の岩屋に住んでいた温羅と阿曾媛は恋仲になり、結婚して阿曽郷で暮らしました。温羅は鉄製の農具や漁具を作って配り、吉備の住民に感謝されました。
そんな幸せな時間を打ち壊したのが、ヤマトの王が派遣した征伐軍(桃太郎)です。 -
阿宗神社から最寄り駅までは、3-4km離れています。
血吸川を渡って徒歩30分の足守陣屋町を訪れるも良しです。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11864011足守駅 駅
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