![広島から車で出発し、広島の県北の加計で旧可部線の遺構や井仁の棚田を見たあと中国自動車道を西に進み、津和野へと行った。<br /><br />津和野は島根県の西南の端に位置し、島根県の県庁所在地の松江まで鉄道で最速2時間40分、車でも有に3時間を超える。対して隣接県の山口県の新幹線停車駅でもある新山口駅には鉄道で最速1時間少し、車でも90分もかからない。文化圏も出雲文化と全く異にする。<br />津和野は遡れば石見国になるが、石見には室町時代から安土桃山時代時代には、現在の益田市を拠点とする益田氏と津和野を拠点とする吉見氏が2大勢力が存在した。何れも山口を拠点とする大内氏に従った。大内氏は都の京文化と大陸文化を融合させた独自の大内文化が鎌倉時代から醸成され、対外貿易で華やいでいた。津和野を拠点に置く吉見氏もこうした大内文化の影響を受けていたのではないかと感じる。こうした津和野ソウルが基盤にあったがゆえに京文化が華やいだのかもしれない。<br /><br />2回目は永明寺を中心に紹介。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/85/81/650x_11858103.jpg?updated_at=1701359329)
2023/04/22 - 2023/04/22
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worldspanさん
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広島から車で出発し、広島の県北の加計で旧可部線の遺構や井仁の棚田を見たあと中国自動車道を西に進み、津和野へと行った。
津和野は島根県の西南の端に位置し、島根県の県庁所在地の松江まで鉄道で最速2時間40分、車でも有に3時間を超える。対して隣接県の山口県の新幹線停車駅でもある新山口駅には鉄道で最速1時間少し、車でも90分もかからない。文化圏も出雲文化と全く異にする。
津和野は遡れば石見国になるが、石見には室町時代から安土桃山時代時代には、現在の益田市を拠点とする益田氏と津和野を拠点とする吉見氏が2大勢力が存在した。何れも山口を拠点とする大内氏に従った。大内氏は都の京文化と大陸文化を融合させた独自の大内文化が鎌倉時代から醸成され、対外貿易で華やいでいた。津和野を拠点に置く吉見氏もこうした大内文化の影響を受けていたのではないかと感じる。こうした津和野ソウルが基盤にあったがゆえに京文化が華やいだのかもしれない。
2回目は永明寺を中心に紹介。
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宿泊したゆとりろの朝食。中年になるとこのくらいの量がちょうどよい
ゆとりろ津和野 宿・ホテル
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朝食食べて散歩がてらに永明寺にいった。
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永明寺と書いて「ようめいじ」とよむ。
永明寺 寺・神社・教会
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永明寺は1420年に津和野城主吉見頼弘が創建された。
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吉見、坂崎、亀井といった歴代の津和野城主の菩提寺として栄えた。
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創建後、いくつか火災に見舞われている。
永明寺 寺宝館 美術館・博物館
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現在の茅葺き屋根の本堂は安永8年(1779)、そして庫裡や鐘楼は安政6年(1859)に再建された。
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永明寺は県指定有形文化財にも指定されている。
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初代津和野藩主の坂崎直盛の墓、高崎亀井家墓地、家老多胡家墓地、明冶の文豪森鴎外の墓も永明寺にある。
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永明寺に入ると本堂の横に庭園が広がっている。整えられた庭園であり、こちらも永明寺の見どころの一つではないだろうか。
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今回訪れた時期はちょうどツツジが花開いている時期で満開のツツジを楽しむことができた。
永明寺庭園 公園・植物園
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永明寺の本堂と庫裏
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永明寺には坂崎直盛の墓がある。坂崎直盛は備前の宇喜多直家の弟、忠家の子に当たる。
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つまり小早川隆景が亡くなった後に五大老になった宇喜多秀家の従兄弟だ。
坂崎出羽守の墓 名所・史跡
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宇喜多家は関ヶ原の戦いで秀家が遠投され滅んでしまったが、東軍についた直盛は生きながらえたものの、家康から名を坂崎に改めるように伝えられ、津和野を与えられた。
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大阪夏の陣で命がけで千姫を救出したが、救出時での幕府との論功の掛け違いがあり、幕府と対立し千姫を強奪計画を企図して、結果的に未然に防がれたがこの事件が露見することにより改易となった。
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隅立四つ目結の家紋が掘られているので、亀井家にゆかりのある人物の墓だろうか。
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亀井家は宇多源氏佐々木氏流と言われ、宇多源氏佐々木氏の家紋が平四つ目結で、平四つ目を菱形に変形させた家紋であるが、亀井氏が宇多源氏佐々木流というのは信憑性が低いと言われている。
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亀井氏は戦国時代に尼子氏に仕官したと言われているが、尼子氏は宇多源氏佐々木流、家紋も平四つ目結だ。
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亀井氏は尼子氏の家老格だったので四つ目結の家紋が認められたのかもしれない
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永明寺には古い墓石がたちならぶが、その中にひっそりと佇むように森鴎外の墓がある。
森鴎外旧宅 名所・史跡
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森鴎外の本名は森林太郎という。軍医でもあり小説家でもあり、明治時代から大正時代に活躍した才能豊かな人物だ。
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森鴎外は、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺書を残し、生前の階級や勲等などは刻まれず、「森林太郎ノ墓」とのみ墓石に刻まれた。こうしたことからも人柄がよく分かる。
森鴎外(森林太郎)の墓 名所・史跡
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ホテルをチェックアウトして津和野城へ向かったが、その途上にあったのが弥栄神社。
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創建は1428年三本松城、つまり現在の津和野城を拠点に置く吉見氏により創建された。
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弥栄神社といえば石見神楽と鷺舞だ。神楽は広島県と島根県では特に盛んで多くの人に親しまれている。そして鷺舞は京都を発祥とする舞で、日本で現存するものとしては津和野が唯一となるものだ。
弥栄神社 寺・神社・教会
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津和野川横を散策しながら津和野城方面に
津和野川 自然・景勝地
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総霊社
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